アナザビオトープを出た俺たちは、IGO第二宇宙研究所へ戻ってきた。
スリープシェルシェルターを返却し、検査を受け、荷物の確認を受ける。
アナザの調査報告。
深海オスミウム隕石の欠片。
ブラウスが調理したアナザの記録。
俺が取得した深海食材のメモ。
そういったものを提出することになった。
正直、ちょっと面倒くさい。
だが、調査員扱いで入れてもらった以上、報告は必要だ。
それに、研究所側もかなり興味津々だった。
特に、深海オスミウム隕石の欠片を見た研究員たちは、目の色を変えていた。
掌サイズの欠片なのに、何人も集まって専用ケースへ入れ、厳重に運んでいく。
あれ、そんなにすごいものだったのか。
いや、すごいとは思っていたが。
俺は普通にかじったけど。
よく考えると、自分でもだいぶおかしいことをした気がする。
報告用の部屋に案内されると、そこにはメリスタとガウンがいた。
メリスタは相変わらず大量の料理を食べながら資料を見ている。
ガウンは高級スーツ姿で椅子に座り、腕を組んでいた。
「戻ったか」
メリスタがこちらを見た。
「無事で何よりだ」
「おう、帰ってきたか。二人とも顔つき変わっとるやんけ」
ガウンがにやりと笑う。
「特にアマジン、お前……まただいぶ成長したな!」
「そうか?」
「そうか、やないわ。雰囲気が全然違うぞ。なんやその圧力に慣れた体の使い方。前よりずっと食欲の流れが綺麗になっとる」
ガウンは俺をじろじろ見た。
さすが最上位ライセンス美食屋。
見ただけで分かるらしい。
「深海三万メートルを生身で歩いてきたんで!」
「さらっと言うことちゃうぞ、それ」
ガウンが呆れた顔をした。
メリスタも資料から目を上げる。
「三千気圧下での生身活動か。報告書には書かれていたが、本当にやったのか」
「一応、グルメスモックありですけど」
「それでも異常だ」
メリスタは淡々と言う。
「深海オスミウム隕石の採取も確認した。過去に複数の調査隊が失敗している案件だ」
「そうらしいですね。フワ爺にも言われました」
俺がそう言うと、空気が少し変わった。
ガウンの眉がぴくりと動く。
メリスタの手も止まった。
「……フワ爺?」
メリスタが聞き返した。
「ああ。アナザビオトープの深海に定食屋があって。そこで会ったおじいさんです。アナザ定食を食べさせてもらいました」
「アナザ定食!?」
ガウンが目を丸くする。
「お前ら、フワ爺に会うたんかいな」
「知ってるんですか?」
ブラウスが驚いたように聞いた。
ガウンは深く息を吐いた。
「知っとるも何も……あの爺さん、“終末の食客”なんて呼ばれとる怪物料理人やぞ」
「終末の食客……?」
俺はその言葉を口の中で繰り返した。
終末。
その単語だけで、胸の奥が少し揺れる。
前世の空。
黒く赤く光る、空を覆う何か。
世界が白くなった瞬間。
ビルが崩れ、地面が波打ち、熱と土砂が迫ってきた記憶。
俺は一瞬、息を止めた。
「意味は?」
俺が聞くと、ガウンは肩をすくめた。
「知らん」
「そうか……」
「名前だけや。古い美食屋や料理人の間で、たまに出てくる呼び名やな。食材の歴史を変えるほどの異常な料理人。長命で、どこの勢力にも属さず、地球のフルコースの近くにおることが多い。そんな連中を、誰かがそう呼び始めたらしい」
ガウンは少し真面目な顔になった。
「けど、何が終末なんかは分からん。ワシも名前しか知らん」
メリスタが口を開く。
「IGOの古い資料にも、終末の食客という記述は数度だけ存在する。定義は不明。共通点は、異常な食材親和性、長寿、フルコース級食材との深い関係。そして、既存の調理史や食材史に影響を与えていること」
「フワ爺は、アナザの歴史を変えたって本にも書いてありました」
俺は言った。
「アナザが、フワ爺に調理してもらうために食べやすく変異したって」
「ああ。有名な話だ。本、持ってるぞ」
メリスタが小さく呟いた。
「だが、実際に本人から食べさせてもらった者は少ない」
「三か月に一組来るか来ないかって言ってました」
「そらそうやろ。深海三万メートルの定食屋なんぞ、客が行く方がおかしいわ」
ガウンが苦笑する。
「でも、アナザ定食はめちゃくちゃうまかったです」
「値段は?」
「一人一億二千万円」
「払ったんか?」
「ブラウスが……」
俺はそっとブラウスを見る。
ブラウスは少し苦笑した。
「父の会社の口座で処理してもらいました」
ガウンの表情が固まった。
「お前ら、会社の金でアナザ定食食ったんか」
「すみません」
「いや、ええけどな。ええけど……アナザ定食を会社経費で落とす日が来るとは思わんかったわ」
ガウンは額を押さえた。
メリスタは少しだけ笑ったように見えた。
「アナザを食べた影響は?」
「味のないものの味が分かるようになった気がします。石とか、水とか、圧力とか」
「圧力の味か」
メリスタの目が鋭くなる。
「それで深海オスミウム隕石を食べたのか」
「はい。かじって、味と構造を細胞に刻んで、星芯番重と星芯鋏に反映しました」
「星芯番重?」
「番重落としの進化版みたいなものです。星の芯を食った番重だから、星芯番重。こっちは星芯鋏」
俺は小さく黒銀色の番重を出した。
重くなりすぎないように、掌サイズに抑える。
それでも、机がわずかに沈んだ。
メリスタとガウンの目が変わる。
「……重いな」
「しかも、食欲エネルギーの密度が前とまるで違う」
ガウンは感心したように笑った。
「ほんまに変わったな、お前」
「フワ爺の飯と深海のおかげです」
「それを食って自分のもんにするお前も大概や」
ガウンはそう言ってから、ブラウスを見た。
「で、ブラウス」
「はい」
「お前も一皮むけたな」
ブラウスは少し驚いた顔をした。
「分かりますか?」
「分かるわ。前より肩の力が抜けとる。料理人としての気配が変わった。食材を恐れとらん。食材の顔色をうかがうだけやなくて、自分から話しに行く顔になっとる」
「……フワ爺に言われました。僕は食材の声を聞くのは得意だけど、会話が足りないと」
ブラウスは静かに言った。
「僕は、まな板の上の食材の声ばかり聞いていました。生きている食材を、ちゃんと見ていなかったんです」
ガウンは黙って聞いていた。
「アナザに逃げられて、悔しかったです。でも、観察して、話しかけて、少しずつ距離を覚えました。食材と会話するって、こういうことなんだと……少しだけ分かった気がします」
「そうか」
ガウンの表情が柔らかくなる。
「ええ顔しとる」
「父さん」
ブラウスはまっすぐガウンを見た。
「残りのフルコース、アマジンさんと一緒に行きたいです」
「……ほう」
「今までは、父さんに放り込まれて仕方なく行っていました。危険な場所は嫌いですし、今でも怖いです。でも、今は違います」
ブラウスの声は震えていなかった。
「僕は、自分の意思でフルコースを回りたいです。もっと生きた食材を見たい。もっと会話したい。もっと料理人として成長したい。そのために、アマジンさんと一緒に行かせてください」
部屋が少し静かになった。
ガウンはしばらくブラウスを見ていた。
そして、にっと笑った。
「ええやんけ」
「父さん……」
「よう言うた。お前が自分の意思でそう言うなら、ワシが止める理由なんぞないわ」
ガウンは大きな手でブラウスの頭をわしわし撫でた。
「ただし、無茶はするな。危ないと思ったら逃げろ。料理人が死んだら、食材の声は誰にも届かん」
「はい」
「アマジン」
「はい」
「ブラウスを頼むで」
「もちろんです」
「それと、ブラウス」
「はい?」
「アマジンを止めろ」
「それは全力でやります」
「即答かよ」
俺が言うと、ガウンとブラウスが同時に俺を見た。
なぜだ。
俺は最近かなり慎重になったはずだ。
たぶん。
メリスタが資料を閉じた。
「では、次の行き先を確認する」
部屋の空気が少し引き締まる。
「次はニュース。エリア五、食域の森だ」
「ニュースやな!」
ガウンが腕を組む。
「アナザで一皮むけた二人が、次に挑むにはちょうどええ。けど油断はするなよ。ニュースは味のない食材や。アナザを食った今のお前らでも、一筋縄ではいかん」
メリスタが続けた。
「食域の森には、時間干渉に近い異常現象の記録がある。老化、消息不明、感覚の喪失。地形そのものも安定していない。旧時代の八王との関連も指摘されているが、現代では確証はない」
「鹿王スカイディア……」
俺は小さく呟いた。
フワ爺も言っていた。
ニュースが眠る森は、何かの生き物の頭上のような場所。
もしかしたら、かつての鹿王が山となり、森となった場所。
だが、その個体はもう生きていない。
新たな鹿王はどこかで生まれているはずだと。
それでも、八王の痕跡があるなら危険なのは間違いない。
ブラウスが静かに頷く。
「行きましょう。アマジンさん」
「ああ」
俺は拳を握った。
エア。
ペア。
アトム。
アナザ。
四つ目まで食べた。
俺もブラウスも変わった。
でも、まだ先は長い。
ニュース。
アース。
ゴッド。
センター。
そして、どこかで待つグリーントロルの影。
俺はまだ、何かが近づいている理由を知らない。
ガウンやメリスタが何を隠しているのかも分からない。
それでも、進むしかない。
食べるために。
知るために。
強くなるために。
メリスタは最後に言った。
「準備が整い次第、出発してもらう」
ガウンがにやりと笑う。
「頑張ってこい!」
俺とブラウスは同時に頷いた。