ニュースビオトープ
俺とブラウスは、ニュースビオトープへとやってきていた。
エリア五。
食域の森。
ニュースが眠る場所。
……のはずなのだが、ニュースビオトープは、ニュースそのものを囲んでいない。
最初にその説明を聞いた時、俺は少し驚いた。
これまでのフルコースビオトープは、目的地そのものを壁や施設で囲っていた。
エアならエア。
ペアならペア。
アトムならクラウドマウンテン。
アナザならブラックトライアングル全域に近い巨大な管理区域。
だが、ニュースは違う。
ニュースがある大まかな場所は特定できているらしい。
だから当初は、当然そこを囲う予定だった。
だが、工事は失敗した。
原因不明の作業員失踪。
ある日突然、老人のように老いてしまった現場監督。
昨日建てたはずの門が、翌日には何百年も放置されたように朽ちていた。
設置した機材の記録時間がずれる。
作業用キャンピングモンスターが怯えて一歩も進まなくなる。
資材の位置が、気づけば数キロ離れた場所に移動している。
そんなことが何度も起こり、IGOはニュース周辺の直接封鎖を断念した。
結果、エリア五のビオトープは、ニュースがある食域の森から離れた場所に作られている。
多重力の谷を越える手前。
そこが、現在のニュースビオトープだ。
「なんというか……他のビオトープと雰囲気が違いますね」
隣を歩くブラウスが呟いた。
「だな」
俺も周囲を見回す。
人が少ない。
エアビオトープのような自然観察施設っぽさもない。
ペアビオトープのような厳重さもない。
アトムビオトープのような観光地感もない。
アナザビオトープのような巨大港感もない。
ここは、どちらかというと前線基地だ。
食材を食べに来る場所というより、危険地帯へ入る前に最後の確認をする場所。
そんな印象だった。
一応、ニュースの養殖にも成功はしているらしい。
だが、その規模は他の地球のフルコースに比べると十分の一程度。
理由は単純だ。
不人気だからである。
ニュースは、味を感じられない人間が多い。
特に養殖ニュースはその傾向が強く、アナザを食べていない人間には、ほとんど味が分からないらしい。
食べても、薄い。
よく分からない。
なんとなく口の中に何か入っている気がする。
そういう感想が大半。
その結果、
それなら他の肉を食べる。
となるらしい。
実際、ビオトープ内のレストラン案内にも、養殖ニュースを使った料理は一応あった。
だが、メニューの扱いはかなり小さい。
地球のフルコースなのに、だ。
「アナザを食べた後なら、違うんですかね」
「たぶん違うんじゃないか?」
俺は答える。
アナザを食べてから、俺は石ころにも味を感じるようになった。
圧力にも味を感じた。
深海オスミウム隕石にすら味を見つけた。
なら、ニュースも食べられるはずだ。
というか、食べられなければ困る。
これで何も味がしませんでした、はさすがに悲しい。
いや、ニュースならそれもあり得そうで怖い。
「でも、人が少ないですね」
「危険地帯への道も閉鎖してるから余計だろうな」
観光客がほとんどいない。
美食屋らしき人間も少ない。
研究員、警備員、管理スタッフの方が目立つ。
壁の向こうへ続く道には、大きく閉鎖中と書かれていた。
ニュースを求めて食域の森へ向かう道。
通常なら完全に立ち入り禁止だ。
俺たちは受付へ向かった。
受付の人は、俺たちの顔を見るとすぐに端末を操作した。
「アマジン様、ブラウス様ですね。話は聞いています」
「はい」
「IGO第二宇宙研究所より連絡を受けています。食域の森方面への入場許可、確認済みです」
手続きは驚くほど早かった。
グルメIDの確認。
調査員証の確認。
入場目的の確認。
注意事項の説明。
そして、すぐに許可が下りた。
普通なら何時間も説明を受けそうな場所だが、メリスタの手配が効いているのだろう。
「多重力の谷以降は、ビオトープ管理区域外に近い危険地帯です。通信は不安定になります。グルメデバシーの位置情報も、正確に機能しない場合があります」
「了解です」
「また、谷内部では重力方向、重力強度が不規則に変化します。通常装備の持ち込みは推奨されません。荷物は最小限にしてください」
多重力の谷。
その名の通り、重力がめちゃくちゃらしい。
上に落ちる場所。
横に落ちる場所。
突然体重が何十倍にもなる場所。
逆に、体が浮き上がるほど軽くなる場所。
一定ではなく、場所によって、時間によって変わる。
足元の石が横に飛んだり、木の枝が下ではなく斜め上に伸びたりする。
聞いているだけで頭が痛くなる地形だ。
「僕も行けますかね……」
受付を離れた後、ブラウスが少し不安そうに言った。
その手には、響金包丁ハルシアがある。
以前なら、こういう場所に来るだけで嫌そうな顔をしていた。
だが今は、怖がりながらも進む気がある。
アナザビオトープで、ブラウスは本当に変わった。
「グルメスモックを着てたら、まあ大丈夫だと思う」
「まあ、ですか」
「たぶん大丈夫」
「たぶんになりましたね」
「絶対とは言えないだろ。重力めちゃくちゃらしいし」
「そこは嘘でも大丈夫って言ってほしかったです」
「大丈夫」
「今さら言っても遅いです」
ブラウスが少し笑った。
俺も笑う。
そして、ブラウスに向けて手を伸ばした。
食欲エネルギーを練る。
白い給食着のような衣。
帽子。
マスク。
それらがブラウスの体を包んでいく。
俺のグルメスモック。
ブラウス用に調整したものだ。
白い紐のような食欲の流れが、俺とブラウスを繋ぐ。
俺からカロリーを供給し、ブラウスを守る。
毒も、圧力も、衝撃も。
そして今回は、重力にも耐えてもらう予定だ。
「今回もお世話になります」
ブラウスがグルメスモックの袖を軽く引っ張りながら言った。
「いえいえ」
「本当に便利ですね、これ」
「便利だけど、めちゃくちゃ腹減るぞ」
「では、あとでたくさん料理します」
「頼む」
はむまるは小型化したまま、俺の肩に乗っている。
多重力の谷で巨大化されたら、たぶん色々と大変だ。
というか、横向きに落ちる巨大ハムスターとか危なすぎる。
「はむまるも、しばらく小さいままで頼むぞ」
「きゅ」
分かっているのか分かっていないのか、はむまるは頬を膨らませた。
俺たちは閉鎖ゲートへ向かった。
警備員が確認し、重い門が開く。
その先には、緑の谷が広がっていた。
一見、普通の谷に見える。
だが、よく見るとおかしい。
木が斜めに生えている。
石が空中に浮いている。
小さな滝が、下ではなく横へ流れている。
遠くでは、鳥のような猛獣が翼を広げたまま、真上に落ちていった。
「……うわあ」
俺は思わず声を漏らした。
「本当に重力がめちゃくちゃですね」
ブラウスも少し顔を引きつらせている。
だが、足は止まっていない。
俺たちは並んで、谷へ続く道を歩き出した。
五つ目の一皿。
ニュース。
味のない食材。
終末の食客が警告した、鹿王の残滓が眠るかもしれない森。
その入り口へ向かって、俺とブラウスは進んでいった。