千年後のグルメ時代   作:鳩夜(HATOYA)

75 / 76
食域の森

 食域の森。

 広大な森だ。

 見渡す限り、木、木、木。

 

 一本一本が異様に太く、枝は空を覆い隠すほど伸びている。

 森というより、緑の壁だ。

 

 この先にニュースがある。

 そう聞いている。

 

 だが、ここからどれだけかかるのか、想像もできない。

 期限の三か月まで、あと二か月ちょっと。

 

 エア、ペア、アトム、アナザ。

 

 そして今、ニュース。

 順調に来ているようにも思える。

 だが、ニュースの後にもアース、ゴッド、センターが控えている。

 

 正直、厳しそうだ。

 

 特にセンター。

 あれは最後の難関と言われている。

 何が起こるのかも分からない。

 焦っても仕方ない。

 だが、のんびりもしていられない。

 

「行きましょう」

 

 隣でブラウスが言った。

 白いグルメスモックを着たまま、響金包丁ハルシアを腰に差している。

 以前より、声が落ち着いている。

 怖がっていないわけではない。

 だが、目は前を向いていた。

 

「ああ」

 

 俺たちは食域の森に踏み込んだ。

 森へ入れば、猛獣の鳴き声がそこら中から聞こえると思っていた。

 

 デビル大蛇。

 アシュラサウルス。

 

 原作でも、とんでもない猛獣たちがいた場所だ。

 しかも千年が経っている。

 グルメインフレーションで、原種よりさらに強い猛獣がいてもおかしくない。

 

 いや、たぶんいる。

 

 だから、かなり警戒していた。

 星芯番重を二枚、周囲に浮かべる。

 小型化したはむまるは俺の肩で鼻をひくひく動かしている。

 ブラウスも山神俎板をいつでも使えるように、周囲の気配に意識を向けていた。

 

 だが。

 

「……静かだな」

 

「はい」

 

 森は、妙に静かだった。

 鳥の声も少ない。

 虫の羽音もほとんどしない。

 葉が揺れる音だけが、やけに大きく聞こえる。

 

 猛獣の気配はある。

 だが、それが遠い。

 

 近くにいるはずなのに、息を潜めているような感じがする。

 嫌な静けさだ。

 俺は鼻を鳴らした。

 その瞬間、顔をしかめる。

 

「ブラウス、これ……」

 

「なんとなく、そんな気はしていました」

 

 ブラウスも表情を険しくしている。

 

 死臭だ。

 

 腐った肉の匂い。

 血の匂い。

 

 内臓が破れ、地面に染み込んだ匂い。

 森の甘い植物臭に混ざって、嫌な匂いが鼻を突いていた。

 少し進むと、それはすぐに見つかった。

 

 猛獣の死体。

 巨大な四足獣だった。

 角が三本あり、背中に苔のような毛が生えている。

 

 おそらくかなり強い猛獣だ。

 

 だが、腹が裂かれ、肉が食い荒らされていた。

 骨が露出し、内臓が散らばっている。

 

 周囲の木には、血が飛び散っていた。

 はむまるが小さく震える。

 

「……きゅ」

 

「大丈夫だ」

 

 俺は肩の上のはむまるを軽く撫でた。

 嫌な予感がする。

 

 グリーントロルかもしれない。

 

 全フルコースビオトープに一回ずつ現れたという話。

 ここにもすでに来ているはずだ。

 なら、食域の森で何かが暴れていてもおかしくない。

 

 だが。

 

「違う……気がする」

 

「アマジンさんもそう思いますか」

 

 ブラウスが死体を見つめた。

 

「グリーントロルは、エアの時、もっと綺麗に食べました」

 

「だよな」

 

 俺も頷く。

 グリーントロルが全員同じかは分からない。

 

 食い散らかしている。

 殺して、裂いて、食べ残している。

 飢えた猛獣の食べ方。

 

 あるいは、食べることそのものよりも、壊すことを優先したような跡。

 

「ほかの何かか……?」

 

「まだ分かりません」

 

 ブラウスは周囲を見た。

 

「でも、近くに長居はしない方がいいと思います」

 

「だな」

 

 俺たちは死体に手を合わせた。

 食べるために殺したわけではない。

 

 俺たちが食べるわけでもない。

 だが、この世界で命を見たら、やはりそうしたくなる。

 

 そして、先へ進む。

 

 嫌な匂いは、森の中に薄く続いていた。

 猛獣の死体は一つではなかった。

 食い荒らされた跡。

 

 爪で抉られた木。

 折れた牙。

 引きずられた血の跡。

 

 森の静けさの理由が、少しずつ分かってきた。

 この辺りの猛獣たちは、何かを恐れている。

 

 あるいは、もう食われた。

 まだ分からない。

 

 だが、進むしかない。

 ニュースはこの先だ。

 

 俺たちは慎重に森を進んだ。

 星芯番重を前に出し、周囲を守る。

 

 ブラウスは時折立ち止まり、匂いと気配を読む。

 山神俎板を広げているのだろう。

 

 森の地形、植物、湿度、死臭、食材の気配。

 それらを一枚の俎板の上に並べるように理解している。

 

 その時だった。

 

「アマジン」

 

 ブラウスが急に俺を止めた。

 

「こっちです。来てください」

 

「おい、どうした!」

 

 ブラウスは俺の返事を待たずに歩き出した。

 

 速い。

 

 危険を感じているというより、何かに強く引かれているようだった。

 いつもの慎重なブラウスとは少し違う。

 

「ブラウス!」

 

「こっちです!」

 

 森の中を進む。

 大木の根を越え、苔むした岩の横を抜ける。

 

 死臭は少し遠ざかっていく。

 

 代わりに、妙な気配が強くなった。

 空気が薄い。

 

 いや、違う。

 

 空気の位置がずれているような感じ。

 空間そのものが、少しだけ噛み合っていない。

 

 そして――。

 

「これは……」

 

 俺は足を止めた。

 そこに、歪みがあった。

 

 木々の間。

 

 何もないはずの空間が、ゆらゆらと揺れている。

 水面越しに景色を見ているように歪んでいる。

 向こう側には、同じ森が見える。

 

 だが、少し違う。

 

 緑の色が濃い。

 光の角度が違う。

 奥から、かすかな匂いがする。

 

 肉でも、植物でも、血でもない。

 もっと古い匂い。

 どこか、食卓の匂いにも似ていた。

 

「ワープロード……か?」

 

 俺は呟いた。

 裏の世界。

 

 ワープキッチン。

 ワープロード。

 

 かつて、宇宙を制する技術とも思われた移動技術。

 ニュースを食べることで開眼する極意。

 もちろん、今の俺が使えるわけではない。

 

 だが、目の前の歪みはそれに似ている気がした。

 いや、正確には分からない。

 

 ただの空間異常かもしれない。

 この森では、急に老いたり、どこかへ飛ばされたりするという話を聞いていた。

 

 立てた門が朽ちる。

 作業員が消える。

 監督が老人になる。

 

 それらは、こういう歪みに触れた結果なのかもしれない。

 

「まずいな」

 

 俺は一歩下がった。

 

「迂回するか。こんなの、どう考えても危ないだろ」

 

 だが、ブラウスは歪みを見つめたままだった。

 

「アマジン、入りましょう」

 

「え!? いや、流石に……!」

 

 俺は思わず声を上げた。

 ブラウスは慎重だ。

 

 無茶なことは嫌う。

 

 特に危険な食材調達では、俺よりずっと冷静に止める側だ。

 そのブラウスが、空間の歪みに入ろうと言っている。

 意味が分からない。

 

「大丈夫です」

 

「大丈夫って、何を根拠に」

 

「アマジンも分かるでしょう?」

 

 ブラウスがこちらを見る。

 

「嫌な感じはしません」

 

「……」

 

 俺は歪みを見た。

 確かに。

 

 嫌な感じはしない。

 

 怖い。

 危険そうではある。

 

 だが、死体を食い荒らしていた何かの匂いとは違う。

 グリーントロルのような圧もない。

 

 殺意もない。

 

 むしろ、招いているような感じがする。

 食材に近い。

 

 誰かが、食卓の椅子を一つ引いたような気配。

 そんな変な感覚だった。

 

「山神俎板で見ても、これは拒絶ではありません」

 

 ブラウスは言った。

 

「罠かもしれないです。でも、少なくとも今の森の中をまっすぐ進むより、こちらの方がニュースに近い気がします」

 

「ニュースに?」

 

「はい。味が薄いんです」

 

「味が薄い?」

 

「そこだけ、周囲の味が抜けています。アナザを食べた後だから分かるのかもしれません。何もない場所ではなく、味のないものが通った跡です」

 

 味のないもの。

 

 ニュース。

 

 そう言われると、急に歪みの見え方が変わった。

 ただの空間異常ではない。

 

 ニュースへ近づくための何か。

 

 あるいは、ニュースが通った跡。

 そう考えると、無視するわけにもいかない。

 だが、危険なのは間違いない。

 

「……慎重なブラウスがそう言うほどだ」

 

 俺は息を吐いた。

 

「信じてみる価値はあるか」

 

 ブラウスが小さく頷く。

 

「はい」

 

「分かった。入ろう」

 

 俺は星芯番重を一枚、前に出した。

 もう一枚を背後へ。

 頭上にも一枚。

 

 ブラウスとのグルメスモックの繋がりを強める。

 はむまるを肩から胸元へ移し、しっかり押さえる。

 

「何かあったらすぐ戻るぞ」

 

「はい」

 

「戻れなかったら?」

 

「その時は、その時です」

 

「ブラウスが言うと怖いな、それ」

 

「アマジンさんの真似です」

 

「俺そんなこと言う?」

 

「言います」

 

 言うかもしれない。

 俺は苦笑しながら、歪みの前に立った。

 

 空間が揺れている。

 

 向こう側の森が、こちらを見ているようだった。

 俺たちは並んで、空間の歪みに足を踏み入れた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。