ブラウスは、切り出したニュースをじっと見つめていた。
五つの肉塊。
どれも見た目以上に重い。
ギチギチに詰まった肉。
肉と肉の間に、さらに肉の情報が詰まっているような、そんな異様な密度がある。
ブラウスは響金包丁ハルシアを握り直し、山神俎板を広げた。
ニュースの肉塊を、自分の調理場の上に置くように認識する。
そして、ゆっくり包丁を入れた。
分厚い。
かなり太いステーキのように、ニュースが切り分けられていく。
だが、普通のステーキ肉とはまるで違う。
切り口がぷるぷるしている。
見たことがない弾力だ。
ただ柔らかいだけではない。
押せば沈み、すぐに戻る。
脂なのか、肉汁なのか、細胞そのものなのか分からないものが、切り口の中で小さく揺れている。
やばい。
これだけでもう、よだれが止まらない。
「ブラウス……」
「まだです」
「まだ何も言ってない」
「顔に出ています」
「食いたい」
「はい。知ってます」
ブラウスは少し笑い、調理用の小型バーナーを取り出した。
厚く切り分けたニュースの表面に、火を当てる。
じゅっ。
その瞬間、香りが爆発した。
「うわ……」
思わず声が漏れた。
少し炙っただけだ。
本当に表面だけ。
それなのに、脂が踊っている。
肉の表面に浮いた透明な油が、小さな宝石みたいに弾ける。
焦げ目がつく。
だが、焦げ臭くない。
香ばしい。
肉の香り。
脂の香り。
そして、何か分からない、情報のような香り。
アナザを食べていなければ、きっと感じられなかった匂いだ。
「どうぞ。まずはこちらです」
ブラウスが皿を差し出した。
表面を炙っただけのニュース。
分厚い肉が皿の上でぷるぷる揺れている。
「ああ……もう見るだけで幸せだ……」
「じゃあ食べないでおきます?」
「食べるに決まってる!!」
俺は即答した。
そして、がぶりとかぶりついた。
歯が沈む。
ぷつん、と表面が切れる。
その奥から、肉汁があふれた。
味が――。
「……」
味がない。
そう思った。
一瞬だけ。
だが、違った。
次の瞬間、口の中が爆発した。
「誰だよ、味がないなんて言った奴!」
思わず叫んだ。
「馬鹿が!」
「アマジンさん、口が悪いです」
「いや、これは仕方ない!」
食ったことがない旨さだった。
肉。
間違いなく肉だ。
だが、ただの肉ではない。
噛んだ瞬間、味が遅れてやってくる。
最初は無音。
それから、遠くで鐘が鳴るように旨味が広がる。
さらに噛むと、肉汁の中から別の味が出る。
甘い。
濃い。
だが重くない。
脂があるのに、舌が疲れない。
肉なのに、飲み物みたいに体へ流れていく。
ジュエルミート。
すまん。
お前を遥かに超えてる。
いや、違う。
これはまた別の方向のうまさか。
ジュエルミートは、宝石みたいな肉だった。
噛むたびに輝く旨味。
ニュースは違う。
これは、記録だ。
肉の中に、味の履歴が詰まっている。
噛むたびに、その履歴が開く。
舌が読んでいる。
細胞が聞いている。
肉を食べているのに、何かを知っているような感覚。
「うまい……!」
俺は炙られた肉をひたすら食った。
止まらない。
ジューシーなのに、まったく重さを感じない。
肉汁も複雑な味だ。
肉汁というより、液体になった食材の記憶。
噛むたびに、違う場所へ連れて行かれるような味がする。
ブラウスも一切れ口に入れ、目を細めた。
「……これは、すごいですね」
「だろ!? すごいよな!?」
「はい。味が遅れてきます。最初に無音があって、その後に全部が来る感じです」
「分かる!」
俺たちはしばらく、表面を炙っただけのニュースを食べ続けた。
そして、次。
「こちらはミディアムくらいに焼いたニュースです」
ブラウスが分厚いニュースを鉄板で焼いた。
今度は表面だけではなく、中までほどよく火を通している。
切ると、肉汁が溢れる。
そこに、俺が倒した猛獣たちの肉を合わせた。
トロルコングのような猿型猛獣。
二足歩行ドラゴン。
鳥獣類。
それらを小さく切り、ニュースの肉汁と絡める。
さらに、食域の森で見つけた葉を香りづけに使い、ご飯のような穀物の上に乗せる。
「肉丼です」
「名前が強い」
器には、ニュースのステーキと猛獣肉が山のように乗っていた。
湯気が立ち上る。
炙りとは違う、焼いた肉の濃い香り。
俺は箸を入れ、一気にかき込んだ。
「うまっ!」
ニュースの肉汁が、他の猛獣肉をまとめている。
それぞれの肉の味が、ただの寄せ集めではなくなっている。
ニュースが、それらの味を記録し、並べ直しているみたいだ。
ドラゴンの強い旨味。
鳥獣類の香ばしさ。
猿型猛獣の濃厚な脂。
それをニュースが受け止め、肉丼として完成させている。
食べれば食べるほど、口の中に新しい順番で味が流れてくる。
止まらない。
俺はかき込んだ。
はむまるも小皿の前で必死に食べている。
頬袋に詰めようとして、ブラウスに止められていた。
「ちゃんと味わってください」
「きゅ……」
「はむまるにも説教が入った」
「アマジンさんもですよ」
「はい」
次は肉の刺身の盛り合わせだった。
ニュースの生に近い部分。
軽く湯引きした部分。
薄く炙った部分。
厚切りの部分。
それぞれが美しく皿に並べられている。
刺身といっても魚ではない。
肉の刺身。
だが、臭みはまったくない。
むしろ澄んでいる。
一切れを口に入れる。
冷たい。
だが、舌の上で温度が変わる。
噛むと、透明な旨味が広がった。
ああ。
最高すぎる。
これ以上の喜びを感じたことがない。
細胞も総出で喜んでいる。
体中のグルメ細胞が、一斉に箸を持っているみたいだ。
もっと食わせろ。
もっと味わえ。
もっと知れ。
そんな声がする。
ブラウスもうまそうに食っていた。
普段は料理人として味を分析していることが多い。
だが、今は一人の食べる人として、心から楽しんでいるように見えた。
「ブラウス」
「はい」
「ありがとう」
「まだ全部食べ終わってませんよ」
「いや、もう言わせてくれ。ありがとう」
ブラウスは少し照れたように笑った。
「どういたしまして」
ニュースを食べる。
そのたびに、俺の細胞が変わっていくのを感じた。
情報が流れる。
味が遅れてくる。
空間の奥に、何か薄い膜のようなものが見える気がする。
裏の世界。
その言葉が頭に浮かんだ。
原作では、ニュースを食べることでグルメ細胞の分裂速度が光速を超え、その細胞分裂を駆使して人工的に裏の世界を作ることができるようになっていた。
だが、今の俺はそこまでではない。
分かる。
何となく分かるだけだ。
目の前の空気の奥に、もう一枚の世界がある。
時間の流れが違う場所。
空間の裏側。
そういうものが、ぼんやり見えた気がする。
だが、作れない。
入れない。
操れない。
ただ、そこにあると知っただけ。
ワープロードどころか、ワープキッチンにも届かない。
けれど、それでいい。
今は入口が見えただけで十分だ。
いつか、届くかもしれない。
そのためには、もっと食べて、もっと理解しないといけない。
「……アマジンさん?」
「ん?」
「今、少し遠くを見てました」
「裏側がちょっとだけ見えた気がした」
「裏側?」
「うまく言えない。でも、ニュースを食べたからだと思う」
「なるほど……僕も少しだけ、包丁を入れる前と後で空気の層が違うのを感じます」
「ブラウスも?」
「はい。でも、まだ触れません」
「俺もだ」
二人で顔を見合わせる。
まだ届かない。
でも、入口は見えた。
それだけで、ニュースを食べた意味は十分すぎるほどあった。
俺たちはしばらく食事を堪能した。
炙り。
ステーキ。
肉丼。
刺身。
焼き直し。
軽く蒸したもの。
ブラウスが次々に調理し、俺とはむまるが次々に食べた。
もちろん、ブラウスも食べる。
ニュースは重い肉のはずなのに、食べても食べても体が重くならない。
むしろ、軽くなる。
細胞が加速しているような感覚がある。
ただの満腹ではない。
体の奥で、何かが目を覚ましている。
その時だった。
はむまるの鼻が、ぴくりと動いた。
「きゅ……?」
俺も箸を止める。
ブラウスも包丁を持つ手を止めた。
森の奥。
静かだ。
だが、何かがいる。
猛獣ではない。
ニュースの泣き声で集まってきた食域の森の猛獣たちとは違う。
もっと冷たい。
もっと遠い。
もっと、嫌な匂い。
それが、俺たちの食事の匂いに釣られるように、じわじわと近づいてきていた。
にじり寄る。
木の影から。
腐った葉の匂いに紛れて。
ニュースの香りに引かれて。
俺のグルメスモックの内側が、わずかにざわついた。
「ブラウス」
「はい」
「いるな」
「……います」
ブラウスの顔から、食事の楽しさが消えた。
俺はそっと星芯番重を浮かべる。
森の奥。
葉の隙間。
一瞬だけ、緑色の肌が見えた気がした。
グリーントロル。
ただし、グリドではない。
俺の知らない、低く歪んだ食欲を持つ何か。
そいつが、俺たちの元へ、ゆっくりと近づいていた。