次に目を覚ました時、俺は白い天井を見ていた。
知らない天井。
いや、正確には見覚えがある。
IGO第二宇宙研究所。
その医務室だ。
ニュースビオトープにいたはずなのに。
食域の森で、ニュースを食べて。
グリーントロルを倒して。
その後、隊長とか名乗るやつが出てきて。
空間に飲まれて。
ビオトープの前に戻されて。
そこから、どうなったんだっけ。
「アマジン!」
横から声がした。
顔を向けると、ブラウスがいた。
椅子に座ったまま、こちらを覗き込んでいる。
目の下に少し疲れがある。
だが、大きな怪我はなさそうだ。
「ブラウス……」
「よかった。目が覚めましたね」
「よかった。無事だったか」
「それはこちらのセリフです」
ブラウスは少し怒ったように言った。
それから、安心したように息を吐く。
「アマジンさん、丸一日近く眠っていたんですよ」
「そんなにか」
「はい。グルメ細胞の消耗がひどかったそうです」
「そりゃそうか……」
星芯番重。
星芯鋏。
グルメスモック。
ニュースの護衛。
下位グリーントロルとの全力戦。
百五十パーくらい出した感覚があった。
むしろ一日で済んだのは、ニュースを食べていたおかげかもしれない。
俺は起き上がろうとして、腹が鳴った。
ぐうううう。
医務室に響く。
「……腹減ったな」
「本当にアマジンさんですね」
ブラウスが苦笑した。
その時、医務室の扉が開いた。
「飯なら用意できているぞ」
メリスタが入ってきた。
相変わらず、白衣姿なのに妙な圧がある。
手には端末。
その後ろには、研究員がワゴンを押している。
ワゴンの上には、山のような料理。
肉。
スープ。
パン。
米。
果物。
高カロリー食材。
宇宙食材らしい見たことのないものまである。
「おお! 食べる!」
俺はベッドから跳ね起きた。
「アマジンさん、急に動かないでください!」
「飯だぞ!」
「理由になっていません!」
ブラウスに止められながらも、俺は食卓へ移動した。
医務室の一角に、すでに食事用のテーブルが用意されていた。
さすが第二宇宙研究所。
医務室にある食卓の規模がおかしい。
俺は椅子に座り、すぐに手を合わせた。
「いただきます!」
まず肉を食う。
うまい。
体に染みる。
スープを飲む。
胃が喜ぶ。
米をかきこむ。
細胞が起き上がる。
生き返る。
飯は偉大だ。
食べながら、俺は周囲を見た。
「あれ、ガウンさんは?」
あの人の姿がない。
ブラウスが少し真面目な顔になる。
「父さんは、ニュースビオトープの調査に行っています」
「そうか……」
あの空間の歪み。
グリガードを飲み込んだ何か。
ニュースの周囲で起こった転移。
そして、グリーントロルの出現。
調査することはいくらでもあるだろう。
「状況は概ねブラウスから聞いているよ」
メリスタが言った。
「本当に無事で何よりだ」
「すみません。色々と……」
「謝る必要はない。下位とはいえ、グリーントロルを一体撃破した。君たちは生還し、ニュースも食べた。十分すぎる成果だ」
下位。
その言葉に、俺は手を止めた。
「もう分かっているんですか?」
「ああ。グリーントロルには戦力階級がある。少なくとも、下位戦士、それを束ねる小隊長、そして部隊長級、さらに上の指揮官級が存在する可能性が高い」
メリスタの声は淡々としている。
だが、内容は重い。
「君が倒した個体は、下位戦士と見ていい。だが、君が遭遇したグリガードと名乗る個体は別格だ」
「……はい」
分かっている。
あれは次元が違った。
同じ強さBの枠に入っているのが信じられないほど。
あの数値が、あれほど頼りにならないと思ったことはない。
「捕獲レベルの強さ表記は、あくまで地球基準の大まかな危険度だ。外宇宙勢力の軍事階級や、戦闘経験までは正確に反映しきれない」
メリスタが言う。
「同じBでも、下位戦士と部隊長ではまるで違う。君の報告は、極めて重要だ」
俺は食事を続けながら頷いた。
すると、医務室の扉が再び開いた。
入ってきたのは、一人の男だった。
大柄。
黒い髭。
白い軍服のような服。
胸にはいくつもの勲章のようなものがある。
太い葉巻をくわえ、煙をゆっくり吐いていた。
研究所というより、戦艦の艦橋からそのまま来たような男だ。
「メリスタ。戻ったぞ」
男はそう言ってから、俺たちを見た。
「む、その子は……?」
「岩剛総司令官。待っていたぞ」
メリスタが男を見た。
岩剛総司令官。
総司令官。
つまり、かなり偉い人だ。
たぶん、宇宙艦隊の一番偉い人。
いや、総司令官という肩書きなら、そう考えていいはずだ。
岩剛は俺たちの前まで来ると、豪快に笑った。
「ほう。こいつが例の子か」
そう言いながら、自然に席へ座る。
そして、普通に食事を始めた。
いや、あなたも食べるんですか。
メリスタも食べる。
岩剛も食べる。
IGOの偉い人は食べながら会議をする決まりでもあるのか。
いや、この世界なら普通か。
「メリスタ、いいのか? この場で話しても」
岩剛が肉を口に運びながら聞いた。
「構わん。彼は美食屋候補のアマジン。そしてガウンの息子で、料理人のブラウスだ」
「候補か……」
岩剛が俺を見る。
その目は鋭い。
だが、敵意はない。
値踏みされている感じだ。
「候補であるが」
メリスタが続けた。
「すでにグリーントロルを倒す実力を持つ」
「ほう!」
岩剛の顔が明るくなった。
「頼もしい! 最上位美食屋以外……しかも候補があいつを倒しちまうとはな!」
「かなり無理しましたけど」
「無理して倒せたなら上等だ。無理しても倒せない奴はいくらでもいる」
岩剛は笑った。
豪快だが、言葉には重みがある。
たぶん、この人は本当に戦ってきた人だ。
「あの」
ブラウスが口を開いた。
「いったい何の話が……」
メリスタと岩剛が視線を合わせた。
そして、メリスタがこちらを見た。
「君も見たグリーントロル」
その声は静かだった。
「その軍勢が、あと五か月ほどで地球を攻めに来る」
「な……!」
箸が止まった。
頭が真っ白になる。
グリーントロルの軍勢。
あと五か月。
地球を攻めに来る。
想像もできない。
突然、スケールがでかくなりすぎだ。
俺たちは今、地球のフルコースを回っている。
ニュースを食べた。
次はアース。
そういう話だったはずだ。
なのに、いきなり地球侵攻。
軍勢。
船団。
母艦。
頭が追いつかない。
「もちろん、我々IGOは黙って見過ごすことはしない」
メリスタは続ける。
「今はその準備に注力しているのだ」
「あんなグリーントロルが、大勢来るのか……?」
俺は呟いた。
下位戦士であれだ。
グリガードは、さらに別次元だった。
あれが大勢。
いや、グリガードは第二部隊隊長と言っていた。
ということは、部隊が複数ある。
軍団がある。
船団がある。
「第二部隊隊長と言っていた。ってことは、軍団が大勢あるってことですよね」
「情報では、母艦が十機」
メリスタが答える。
「最低十部隊は存在している」
「そんな……」
ブラウスの顔が青ざめた。
「どうすればいいんですか、そんなの……!」
それは俺も同じだった。
勝てるのか。
そんなものに。
地球が。
人類が。
父さんと母さんが住むこの星が。
岩剛は、その空気を吹き飛ばすように、にやりと笑った。
「これらが全部、地上に降り立てば……勝機はないだろう」
重い言葉だった。
だが、岩剛は続ける。
「だが、そうはさせん」
葉巻の煙が揺れる。
「我々IGO宇宙戦艦団で迎え撃つ」
宇宙戦艦団。
その言葉に、俺は顔を上げた。
「宇宙で大きく削ることができれば、我々で十分に対応できる」
「そんなことができるんですか……?」
ブラウスが聞いた。
岩剛は笑った。
「できる。やるために、俺たちがいる」
その声には迷いがなかった。
メリスタが補足する。
「この地上においては、わしやガウンにはとても敵わぬ。個としては、我々地上組の方が強い場面も多い」
岩剛は頷く。
「メリスタやガウンのような怪物どもと、一対一で殴り合えと言われたら御免だ」
「本人の前で言うな」
「褒めている」
岩剛は豪快に笑った。
「だが、宇宙では負けぬ」
その目が鋭くなる。
「宇宙と地上では、役割が大きく異なるのだ」
個人戦闘力。
悪魔共食。
最上位ライセンス。
地上で猛獣やグリーントロル単体を倒すなら、メリスタやガウンが強い。
だが、宇宙では違う。
船。
艦隊。
迎撃。
拘束。
分断。
母艦を落とさせないこと。
軍団を地球に降ろさないこと。
それが岩剛たちの仕事なのだ。
「岩剛の操る戦艦は未だ無敗だ」
メリスタが言った。
「だが、我々地上で迎え撃つ者も準備は必要だ」
未だ無敗。
その言葉は頼もしい。
だが、楽観はできない。
敵は十母艦。
最低十部隊。
しかも隊長格が複数いる。
グリガードのようなやつが、最低でも十人いる可能性がある。
もっと上もいるだろう。
岩剛が俺とブラウスを見る。
「アマジン、ブラウス。君たちもその渦中にいる」
「俺たちも……」
「すでにグリーントロルと接触し、下位戦士を倒し、隊長格にも目をつけられた。無関係ではいられん」
それは、そうだ。
グリガードは俺に言った。
生かしていたら厄介なことになりそうだ、と。
あいつは俺を見た。
俺たちを覚えた。
「アースと……ゴッドを食べたら必ずまたここに来てくれ」
メリスタが言った。
「センターの前に、君たちには伝えなければならないことが増えた」
「分かった」
俺は頷いた。
本当は怖い。
だが、分かったと言うしかなかった。
食事と説明が一段落した後、俺たちは医務室を出た。
廊下を歩く。
ブラウスはしばらく黙っていた。
俺も何を言えばいいか分からなかった。
「アマジン」
やがて、ブラウスが口を開いた。
「怖くないんですか?」
「怖いよ」
俺はすぐに答えた。
「グリーントロルが大量に襲ってくるなんて、考えただけでも恐ろしいよ」
下位戦士一体で、俺は限界まで追い込まれた。
グリガードには、動けなくなった。
あんなものが大量に来る。
怖くないわけがない。
「だから急がないと」
「でも……最上位ライセンスの美食屋はたくさんいます。なにも僕たちが出なくとも……」
「そういうわけにはいかない」
俺は立ち止まった。
ブラウスも足を止める。
「地球が侵攻されたら、俺の両親だって危険だ」
父さんと母さん。
家で俺の写真を見ているはずの二人。
美食屋ではない。
戦えるわけじゃない。
強くもなんともない。
普通の人たちだ。
「強くもなんともない。普通の人たちだから……」
「アマジン……」
「もちろん、俺一人で何とかできるとは思ってない。IGOも、宇宙戦艦団も、ガウンさんもメリスタさんもいる。俺より強い人なんて山ほどいる」
それでも。
「できることはやっておきたい」
俺はブラウスを見た。
「頑張ろうぜ、ブラウス」
ブラウスは少しだけ目を伏せた。
それから、静かに頷いた。
「そうですね。分かりました」
その声は、もう震えていなかった。
「僕も頑張ります」
俺たちは再び歩き出した。
次はアース。
その次はゴッド。
残された時間は少ない。
そして、五か月後。
グリーントロルの船団が来る。
俺たちは、その事実を胸に刻みながら、第二宇宙研究所の廊下を進んでいった。