食域の森は、静かだった。
ニュースの泣き声に反応していた猛獣たちは、今はいない。
森の奥にある吹き抜けのような空間。
そこに、巨大な肉の柱が立っている。
ニュース。
地球のフルコースの一つ。
ギチギチに詰まった肉が、木のように天へ伸びている。
その近くに、ガウンは立っていた。
高級スーツ姿。
赤い肌。
長い鼻。
羽団扇を片手に、静かに周囲の匂いを読んでいる。
「……死体、あらへんな」
ガウンは、地面を見た。
ここでアマジンが、グリーントロルを倒した。
ブラウスから聞いた話では、かなりの激戦だったはずだ。
星芯番重。
星芯鋏。
全力で叩き、砕き、最後は後頭部を地面へ叩きつけて絶命させた。
ならば、死体が残っているはずだった。
だが、ない。
血の跡はある。
地面の陥没もある。
星芯番重によってできたと思われる、異様に平たい圧痕も残っている。
だが、肝心のグリーントロルの死体が消えている。
「後で回収しに来たか」
ガウンは小さく呟いた。
偶然消えたわけではない。
猛獣が食ったにしては、匂いの残り方が違う。
死体を喰われた跡ではなく、持ち去られた跡。
しかも、かなり手際がいい。
グリーントロルの死体は、研究材料としては極めて重要だ。
IGOが欲しい。
そして、敵も渡したくない。
そういうことだ。
「それに……」
ガウンはニュース本体へ近づいた。
肉の柱の表面に、切り取られた跡はほとんど残っていない。
すでに肉が並び直し、傷を埋めている。
だが、匂いは残っていた。
アマジンとブラウスが切り出した分とは違う。
その後に、別の誰かが触れた匂い。
外宇宙の食欲。
グリーントロルの気配。
「ニュースは回収されとるな」
ガウンの顔が険しくなる。
「ワープロードを使う気満々やな」
ニュースを食べると、地球でワープロード、ワープキッチンが使えるようになる。
空間の裏側を通る技術。
地球の食材を巡るうえで、かつての伝説の美食屋たちが使った異常な移動手段。
本来なら、アナザも必要になる。
裏の世界を認識し、扱うにはニュースだけでは足りない。
食材の順序がある。
食べるべき意味がある。
だが、今の相手は地球の常識だけで考えられる存在ではない。
「本来ならアナザを食べなければならん」
ガウンは羽団扇で空気を払った。
「せやけど、代替食材……別の星のフルコースで補っとるんやろうな」
宇宙には、地球とは違うフルコースがある。
別の星。
別の食欲。
別の進化。
地球のアナザとまったく同じではなくとも、近い役割を果たす食材が存在してもおかしくない。
グリーントロルが地球へ侵攻してくるほどの外宇宙勢力なら、それを持っていても不思議ではなかった。
ガウンは空間の歪みがあった場所を見た。
アマジンたちをビオトープの前へ飛ばしたもの。
グリガードを飲み込んだもの。
ニュースの周囲に残る、鹿王の残り香のような気配。
あれが何だったのかは、まだ分からない。
だが、敵がニュースを回収したのは確かだ。
「さすがに宇宙では使えんやろうけど」
ワープロードは、地球の食材体系に強く紐づいた技術だ。
ニュースを食べたからといって、宇宙空間を自在に飛び回れるわけではない。
そこまで万能ではない。
少なくとも、ガウンはそう見ていた。
だが。
「地球内で使われたら厄介やな……」
地球の中で、グリーントロルがワープロードを使う。
それは悪夢だ。
ビオトープの封鎖。
防衛線。
迎撃地点。
そういったものを、裏側から抜けられる可能性がある。
戦場が一気に複雑になる。
地上組の負担は、さらに増える。
ガウンはしばらく黙っていた。
そして、グルメデバシーを取り出す。
「メリスタ。こっちも面倒なことになっとるで」
短い通信を送る。
その声は、いつもの軽さを残しながらも、わずかに硬かった。
アマジンとブラウスは、まだ知らない。
ニュースを食べたことで開いた道を、敵もまた使おうとしていることを。
地球を守る戦いは、もう始まっていた。
・・・
・・
・
・
「メッセージ来たわよ!」
アマジンの母は、嬉しそうに端末を持ってリビングへ入ってきた。
父は食卓でお茶を飲んでいた。
画面には、アマジンからのメッセージが表示されている。
写真も添付されていた。
アマジン。
ブラウス。
小さくなったはむまる。
三人とも、少し疲れているようにも見える。
けれど、ちゃんと笑っていた。
「あなたが毎日送らなくていいって言うから、毎日来なくてさみしいわ」
母が少し恨めしそうに言う。
父は苦笑した。
「あはは。まぁでも、ちゃんと送ってきてるんだし、いい子だよ」
「それはそうだけど」
母は画面を指でなぞる。
アマジンの顔を拡大する。
怪我はないか。
痩せていないか。
無理をしていないか。
そういうところを、自然に見てしまう。
「ニュースは味がないって聞いてたけど、すごくおいしかったって」
「味がないのにおいしいのか?」
「そう書いてあるわ。『誰だよ味がないって言った奴って叫んだ』って」
「……あいつらしいな」
父は少し呆れたように笑った。
母も笑う。
心配はしている。
けれど、メッセージの中のアマジンは元気そうだった。
それが何より嬉しかった。
「ブラウス君がすごい俎板を使う……何のことかしらね」
母は首を傾げた。
「俎板?」
「ええ。『ブラウスの山神俎板がすごかった』って」
「料理人だから、すごい俎板を持っているんじゃないか?」
「でも、山神って書いてあるわよ」
「高級品なのかな」
「天狗族ってすごいのね」
二人は真面目にそう話した。
美食屋や料理人の世界のことは、よく分からない。
アマジンが何を見て、何を食べて、どんな危険を乗り越えているのか。
本当のところは、ほとんど分からない。
それでも、息子が楽しそうに書いているなら。
ちゃんと帰ってくるつもりでメッセージを送ってくれているなら。
今はそれでよかった。
「次はアースですって」
母の声が少し不安げになる。
「また危ない場所なのかしら」
「地球のフルコースだからね。簡単ではないだろう」
「……帰ってきたら、何を作ってあげようかしら」
「いつものがいいんじゃないか」
「いつもの?」
「アマジンが好きなやつ」
母は少し考え、それから笑った。
「そうね。帰ってきた時くらい、たくさん作らないと」
「たくさん作っても、今のあいつなら全部食べるだろうな」
「昔からそうだったもの」
二人は画面の中のアマジンを見つめた。
次の一皿へ向かう息子の顔を、少しだけ誇らしそうに。
その時だった。
玄関のチャイムが鳴った。
「あら、誰かしら」
母が立ち上がる。
父も湯呑みを置き、少し遅れて後を追った。
玄関の扉を開ける。
そこに立っていたのは、見慣れない人物だった。
白衣。
端末ケース。
胸元には、IGO第二宇宙研究所の紋章。
研究員は丁寧に頭を下げた。
「突然の訪問、失礼いたします」
母と父は、顔を見合わせた。
研究員は、もう一度静かに頭を下げる。
「アマジン君のことで、少しお話を伺いたく参りました」