申し訳ありません。
アース。
原作でも、情報が少ない食材だ。
エア、ペア、アナザに比べると、どうにも印象が薄い。
もちろん地球のフルコースの一つだから、とんでもない食材であることは間違いない。
だが、原作で捕獲に向かったのは、たしかサニーとライブベアラーだったはずだ。
老いの洞穴を抜けて、グルメの園へ行った。
抜け道を使ったとも示唆していた。
どちらにしてもアースを捕獲した。
細かい道中の記憶がない。
「サニーなら触覚で一切花に触れずに進めそうだな……」
俺はカウンターの椅子に座ったまま呟いた。
あの人なら、髪の触覚を無数に伸ばして、花も茎も草も踏まず、空中を渡るように進める気がする。
美しく。
しなやかに。
何なら、花に触れたか触れていないかすら分からない精度で。
俺には真似できない芸当だ。
ブラウスも真面目に考えている。
山神俎板で園の状態を読むことはできる。
だが、読めることと、踏まずに歩けることは別だ。
グルメの園は、花も茎も草も穢してはならない。
一本踏んだだけで腐敗が広がる。
しかも腐臭に巨大な蠅のような猛獣が集まる。
戦えばさらに園が汚れる。
倒せば解決、という場所ではない。
今までのビオトープとは、難しさの種類が違う。
「現代の美食屋たちは、アースをどうやって捕獲してるんだ……?」
俺が言うと、カウンターの奥でグラスを磨いていたトキサダが、静かに答えた。
「ここには来ぬ」
「え?」
「皆、洞穴を通る」
俺は思わず聞き返した。
「老いの洞穴を?」
「そうだ」
「老いを恐れずに行くのか……」
一秒で二日。
一時間で二十年以上。
普通の人間なら数時間で死ぬ場所だ。
現代の美食屋でも、さすがに怖すぎるだろう。
だが、トキサダは表情を変えなかった。
「洞穴を行けば、アースは目の前にある」
「目の前?」
「グルメの園の深部を、花を踏まずに進む必要はない。老いの洞穴を抜けた者は、アースの近くへ出る。そこならば花を避けながら行けるのだ」
「なるほど……」
そういうことか。
つまり、俺たちが通った抜け道は、老いの洞穴を避ける代わりに、グルメの園の中を自力で進まなければならない道なのだ。
安全なようで、別の難しさがある。
老いの洞穴を攻略できる者なら、アースへは近い。
だが、俺たちは老いの洞穴を突破できない。
だから抜け道に頼った。
その結果、花を踏んではならない園を進む必要が出てきた。
「なら、俺たちもワープロードを覚えて洞穴を行く方がいいのか?」
俺は聞いた。
ニュースを食べた今、可能性はゼロではない。
老いの洞穴を通る正攻法。
ワープロードを使い、時間の流れを避ける。
それが本来の攻略法なら、そちらを覚えるべきなのかもしれない。
トキサダはグラスを棚に戻し、静かに言った。
「それもよい」
「よいのか」
「君たちなら、三年もあればワープロードを物にできるであろう」
「三年……!」
思わず声が裏返った。
三年。
三年あれば。
いや、三年もかかるのか。
ワープロードを使えるようになるというのは、それほど難しいのだ。
ニュースを食べた。
時調べの一杯を飲んだ。
裏の道の入口は見えた。
それでも三年。
才能があると言われて三年。
「だめだ」
俺は即座に首を振った。
「そんなに時間はかけられない」
グリーントロルの船団が来るまで、あと五か月ほど。
しかも俺たちはアースとゴッドを食べ、また第二宇宙研究所へ戻らなければならない。
三年なんて、絶対に無理だ。
「では、今ある身で考えるほかあるまい」
トキサダはそう言い、口を閉じた。
答えはくれない。
たぶん、ここから先は俺たちが考えないといけない。
俺とブラウスは、カウンターでしばらく考えた。
踏まずに進む方法。
花を傷つけない方法。
蠅型猛獣を呼ばない方法。
アースへ近づく方法。
「グルメスモックで足だけ包んで、接地圧をゼロに近づけるとか……」
「完全に触れないならともかく、触れた時点で駄目な可能性があります」
「はむまるに穴掘ってもらう」
「園の下を掘る方が穢れそうです」
「俺がブラウスを投げる」
「絶対にやめてください」
「だよな」
駄目だ。
思いつかない。
俺は頭を抱えた。
「ダメだ、思いつかない!!」
声に出したら、少しすっきりした。
だが解決はしない。
ブラウスも難しい顔をしている。
このままカウンターで考えていても、たぶん進まない。
やはり現場を見るしかない。
「ブラウス、もう一度行こう」
「もう一度ですか?」
「ああ。ワープロードの先の周囲だけは花がない。そこなら、じっくり観察できる」
最初に出た場所。
抜け道の出口付近。
そこだけは花がなかった。
だから俺たちは立てた。
そこから不用意に一歩出たせいで失敗したが、出口周辺に留まるだけなら大丈夫なはずだ。
「観察して、何か見つけよう」
ブラウスは少し考え、頷いた。
「分かりました。今度は絶対に動かないでくださいね」
「はい」
「絶対ですよ」
「はい」
「花を見てふらっと前に出ないでください」
「ごめんて」
俺たちはトキサダにもう一度、時調べの一杯を少量もらった。
舌を整え、裏の道を辿る。
そして再び、花陰のカウンターの奥の扉から、グルメの園へ向かった。
視界が歪む。
今度は少しだけ慣れた。
気持ち悪さはある。
だが、前ほどではない。
一拍遅れて戻ってくる味を、足元の道として意識する。
花の香り。
土の記憶。
時調べの余韻。
その三つが重なる場所を進む。
ほんの数分。
そして、視界が開けた。
再び、グルメの園。
「……元に戻ってる」
驚くことに先ほどの腐敗は完全に無くなっている。
生命が躍動している。花がすぐさま綺麗に咲きなおしたのだろう。
今回はすぐに動かない。
俺はその場に留まった。
ブラウスも横でじっとしている。
はむまるは俺の肩で鼻を押さえるような仕草をしていた。
匂いがきついのだろう。
だが、しばらくそこにいると、少しずつ慣れてきた。
最初は全部が強烈だった。
だが、時間が経つにつれて香りの層が分かれてくる。
甘い香り。
青い香り。
土っぽい香り。
蜜の香り。
それぞれ違う。
そして、見た目も同じだった。
最初はすべてが綺麗で、同じ花に見えた。
だが、じっと見ているうちに、すべての花に違いが見えてきた。
花びらの角度。
茎の太さ。
葉の伸び方。
周囲の草との距離。
それぞれが微妙に違う。
ブラウスも山神俎板を広げ、園を読んでいる。
ただし、前より慎重に。
園全体を切ろうとするのではなく、見るだけ。
触れずに、聞くだけ。
俺も食没で呼吸を整え、目を凝らした。
すると、一つの花が目に入った。
真っ赤な花。
他の花よりも色が濃い。
花びらは大きく、厚い。
蜜の香りも強い。
だが、それ以上に気になったのは、その周囲だった。
周りの花が離れている。
萎縮しているように見える。
真っ赤な花の周囲だけ、ぽっかりと空間がある。
まるで、他の花たちが距離を取っているように。
「なぁ、ブラウス」
「はい」
「この花……なんだろう。欲張りだな」
「欲張り?」
「周りの場所まで自分のものにしてる感じがする」
俺はその赤い花を指差した。
もちろん、動かずに。
ブラウスもそちらを見る。
「……そう言われてみると、そうですね」
ブラウスの山神俎板が、赤い花の周囲を薄く示す。
真っ赤な花。
その花の周囲は、ほかの花が萎縮しているように離れて咲いている。
空間がある。
ほんの少し。
だが、ある。
「電車でめちゃくちゃやばそうなやつが乗ってきて、その周囲に人がいない。そんなのに近い」
「例えが現代的すぎませんか」
「分かりやすいだろ」
「分かりますけど」
ブラウスは少しだけ笑った。
だが、すぐに真剣な顔に戻る。
「この花は、周囲の栄養か香りを強く奪っているのかもしれません。だから他の花が近づけない」
「この花は踏んでいいのかな?」
「いえ、それもきっとだめです」
即答だった。
「ですよね」
「ですが、この花の周囲だけスペースがあります」
ブラウスは赤い花の周囲を見つめながら言った。
「小さな番重で、この花を包み込むように置いて、足場にできませんか?」
「包み込むように……」
俺はイメージした。
番重を花の上に置くのではない。
花を踏むのでもない。
赤い花を中心に、周囲の空いたスペースへ、箱のように番重をかぶせる。
花には触れない。
周囲の草にも触れない。
番重の縁だけを、花が空けた空間に置く。
そして、その上に乗る。
「それいいな!」
「星芯番重は重すぎます」
「分かってる。星芯だと園が死ぬ」
星芯番重は強い。
だが、ここでは強さが邪魔になる。
重すぎる。
少しでも触れれば、花や土へ負担をかける。
「一番軽いやつにする」
俺は食欲を練った。
ステンレス製ではなく。
星芯でもなく。
深海で食べた黒い結晶。
スティショバイト。
高圧の世界で得た、硬くて軽いイメージ。
透明感のある黒い番重。
「スティショバイト番重だな」
「……そういえば番重って、浮かせられますよね?」
ブラウスがふと聞いた。
「浮かせるだけならな」
俺はスティショバイト番重を見ながら答えた。
正確には、番重は完全に空中へ独立して浮いているわけではない。
俺の食欲エネルギーと、細い線のようなもので繋がっている。
その線を通して力を送り、支えている。
だから、一見すると空中に浮かんでいるように見える。
だが、足場として使う場合は話が違う。
俺がその上に乗ると、番重を支えているのも俺自身になる。
台の上に立った人間が、自分でその台を持ち上げて空を飛べないのと同じだ。
俺が番重の上に乗ったまま、その番重を自分の力だけで浮かせ続けることはできない。
だから本来、足場にするなら地面や壁、水面、何かしら力を逃がせる場所に接している必要がある。
「ただし、出した瞬間だけは別だ」
「出した瞬間?」
「ああ。番重が形になる一瞬だけ、その場に固定される感じがある」
完全に長く浮かせることはできない。
だが、出現した直後のほんの一瞬なら、空中でも踏める。
足を置き、蹴り、すぐ消す。
それくらいならできる。
「でも、ここでそれをやるのは危なすぎる」
「花を踏んだら終わりですからね」
「そういうこと」
今は空中で無茶をするより、赤い花の周囲にある空白へ、できるだけ優しく番重を置く方がいい。
花に触れない。
茎を折らない。
草を潰さない。
そのための足場だ。
「まずは一枚置いてみる」
「お願いします」
俺は赤い花の周囲にある空白を狙う。
ブラウスが背中から指示を出す。
「もう少し右です。そこは根が浅いです」
「ここか?」
「はい。ただ、花びらに近いです。もう少し低く」
「了解」
慎重に。
慎重に。
スティショバイト番重を、赤い花の周囲へ出す。
置く、というより、そっと添える。
番重の底が地面に触れる。
花には触れていない。
茎にも当たっていない。
草も潰していない。
赤い花の周囲の空白に、ぴたりと収まった。
腐らない。
匂いも変わらない。
花はそのまま。
「……成功か?」
「まだ乗っていません」
「そうだった」
置けただけだ。
次は乗れるか。
俺は深呼吸した。
ブラウスを背負い直す。
「しっかり掴まってろ」
「はい」
はむまるは胸元で小さく鳴いた。
「きゅ……」
「大丈夫だ。たぶん」
「たぶんは不安です」
「俺も不安だ」
だが、やるしかない。
俺は足を上げた。
スティショバイト番重へ、そっと乗せる。
体重をかける。
ゆっくり。
ゆっくり。
番重は沈まない。
赤い花にも触れない。
周囲の花も腐らない。
俺は両足を番重の上へ乗せた。
ブラウスを背負ったまま。
はむまるを胸元に入れたまま。
スティショバイト番重の上に立つ。
何も起きない。
腐臭もない。
蠅も来ない。
「……成功だ!」
俺は小さく叫んだ。
「やりましたね!」
ブラウスの声も明るくなる。
赤い花の周囲に足場を作れる。
これなら進めるかもしれない。
赤い花を探す。
その周囲へ番重を置く。
花を傷つけず、空白だけを使って移動する。
「ブラウス、次の赤い花は?」
「少し右前方にあります。ただ、距離があります」
「そこまで足場をつなぐ必要があるな」
「はい。ですが、赤い花は点々と続いています」
ブラウスは山神俎板を広げ、周囲を読む。
花の色。
香りの流れ。
周囲の萎縮。
赤い花の位置。
そのすべてを、料理人の目で見ている。
「僕が探します。アマジンさんは、番重を出してください」
「了解」
俺は笑った。
やっと見つけた。
俺たちの進み方。
サニーのように空を歩くわけではない。
老いの洞穴を抜けるわけでもない。
ワープロードを完全に使うわけでもない。
俺たちは俺たちのやり方で進む。
ブラウスが赤い花を探し。
俺がスティショバイト番重で足場を作る。
花を踏まずに。
園を汚さずに。
アースへ向かう。
「行くぞ、ブラウス」
「はい!」
俺は次の赤い花を見た。
その周囲にある、わずかな空白。
そこへ向けて、スティショバイト番重を出す。
花畑の上に、小さな足場が一つ生まれた。