赤い花を目印に、俺たちはグルメの園を進んでいた。
俺の背中にはブラウス。
胸元には小型化したはむまる。
足元には、小さく展開したスティショバイト番重。
赤い花の周囲だけにある、わずかな空白。
そこへ番重を置き、足場にする。
花にも、茎にも、草にも触れない。
それだけを意識して進む。
最初は一歩一歩が怖かった。
少しでもずれれば、また花が腐る。
腐臭が広がり、巨大な蠅のような猛獣が集まる。
あれはもう勘弁だ。
だから、慎重に。
ゆっくり。
確実に。
そう思っていた。
だが、進むにつれて、赤い花の間隔がだんだん広がっていった。
「ブラウス、次は?」
「右前方です。ただ、少し距離があります」
「少しって?」
「今までの倍くらいです」
「それは少しじゃないな!」
赤い花は見えている。
だが、そこまで足場がない。
歩けない。
花を踏めない。
草も踏めない。
出来れば避けたかったが……空中でつなぐしかない。
俺は息を整えた。
スティショバイト番重を一枚、前方の空中に出す。
足で触れる。
その瞬間に蹴る。
踏み続けない。
体重を乗せすぎない。
触れて、飛び出す。
下に落ちてしまう前に、すぐさま番重をしまう。
次の番重を出す。
また蹴る。
しまう。
出す。
足場を残さない。
余計な圧を園にかけない。
番重がある時間は、一瞬だけ。
足が触れ、俺の体が前へ進む、その瞬間だけ。
「うお……!」
自分でも驚いた。
番重の出し入れの速度が、めちゃくちゃ速くなっている。
前なら、一枚出して、置いて、乗って、それから次を考えていた。
今は違う。
必要な瞬間に出す。
使い終わった瞬間に消す。
星芯番重で戦い、ニュースの園で護衛し、グリーントロルを相手に全力で使った。
その経験が、ここで生きている。
番重は、落とすだけの技ではない。
盾でも、足場でも、踏み台でも、移動補助でもある。
俺の食欲が作る、瞬間の器だ。
「アマジン、次は左です!」
「おう!」
ブラウスの声に合わせて、俺は空中に番重を出す。
足先で触れる。
飛ぶ。
すぐ消す。
次の赤い花の周囲へ、軽く着地する。
腐らない。
花は無事。
成功。
「よし!」
「この調子なら行けます」
「だな!」
そう言った瞬間だった。
空気が鳴った。
「アマジン、きます!!」
「おう!」
ブラウスの警告とほぼ同時に、俺は右側へスティショバイト番重を出した。
次の瞬間。
ガン!
強い衝撃。
番重が大きく揺れる。
目に見えない弾丸のような風が、番重にぶつかった。
「エアバレット……!」
風の弾丸。
まるで侵入者を拒むような風だった。
花を傷つける者。
園に入った者。
その動きを見て、どこからともなく撃ってくる。
ガン!
ガン!
今度は左、上。
俺はそのたびに番重を出した。
出しっぱなしにはしない。
ガードする瞬間だけ出す。
エアバレットが当たる。
すぐしまう。
次の弾丸の方向へ、また出す。
結果的にかなり燃費がいい。
常に周囲へ番重を出して防御するより、ずっと消費が少ない。
これも、ニュースの護衛戦で身についた感覚だ。
猛獣の攻撃を全部受けるのではなく、必要な瞬間に必要な場所へ器を置く。
今なら、それができる。
「右下!」
「見えてる!」
ガン!
「上!」
「任せろ!」
ガン!
「前方、二発!」
「まとめていく!」
俺は斜めに番重を出し、二発の風弾を滑らせるように受け流した。
風の弾丸が番重の表面を擦り、横へ流れていく。
花には当たらない。
園は汚さない。
守る。
進む。
両方やる。
背中のブラウスが、山神俎板で赤い花の位置と風の流れを読んでくれる。
俺はそれに合わせて番重を出す。
俺一人なら、とっくにミスしていた。
ブラウス一人でも、ここは進めなかっただろう。
二人だから進める。
それが、少し嬉しかった。
やがて、風が変わった。
香りが濃くなる。
さっきまででも十分すぎるほど濃かったのに、さらに奥から何かが来る。
花の香り。
蜜の香り。
大地の香り。
そして、莫大なカロリーの匂い。
「アマジン!」
「分かるぞ!」
俺は思わず笑った。
「すげえ濃い匂いがしてきてる!」
もうすぐだ。
この匂いだけで疲れが飛ぶ気がする。
さっきまでの緊張も、番重の連続使用の疲れも、花を踏む恐怖も、全部吹き飛ぶ。
食欲が前へ出る。
細胞がざわつく。
アース。
近い。
「前方、少し開けています!」
ブラウスが言った。
見ると、確かに花がない場所があった。
道ではない。
広場でもない。
ただ、そこだけ花が生えていない。
赤い花と同じように、周囲の花が萎縮して、ぽっかりと空間を開けている。
だが、赤い花ではない。
もっと強い何かの周囲に、花が遠慮しているようだった。
「そこに降ります!」
「了解!」
俺は最後のスティショバイト番重を足場にして跳んだ。
空中でエアバレットが一発飛んでくる。
番重を一瞬出して弾く。
そして、その花のない場所へ降り立った。
腐らない。
臭いもしない。
成功だ。
「着いた……!」
俺はブラウスを背中から下ろした。
そして、前を見る。
目の前に、アースの花畑が広がっていた。
美しい大きな花。
その上に、まるでソフトクリームが乗っているようなものがある。
白く、淡く、少し緑がかったクリーム。
花の中央から盛り上がり、ふわりと渦を巻いている。
見た目は完全にソフトクリームだ。
だが、その存在感が違う。
やはり大きさは、俺が思っていたより小さい。
原作では、五百メートルくらいの高さがあった。
それに比べると、目の前のアースは大玉スイカほどの大きさだ。
だが、たくさん生えている。
一つではない。
花畑のように、いくつも。
現代のアース。
管理され、増え、育った地球のフルコース。
それでも、この匂い。
この存在感。
小さいからといって、価値が低いわけではない。
むしろ、一つ一つに恐ろしい密度のカロリーが詰まっている気がする。
「ブラウス!」
「はい」
「どうすれば! どうすれば食べれる!」
「落ち着いてください!」
ブラウスに怒られた。
仕方ない。
目の前にアースだ。
落ち着けという方が無理だ。
ブラウスはアースの花に近づいた。
足元は花のない空間。
ここだけは踏んでも大丈夫らしい。
彼は響金包丁ハルシアを抜かない。
代わりに、両手をそっと差し出す。
「アースは、ここまで来たらもうゴールみたいなものです」
「そうなのか?」
「はい。無理に切る食材ではありません。こうやって、そっとすくいあげるんです」
ブラウスはソフトクリームのような部分の下に、手を滑り込ませた。
花から剥がすのではない。
折るのでもない。
持ち上げるのでもない。
下から、そっとすくう。
まるで、花が差し出してくれたものを受け取るように。
アースが、ふわりと持ち上がった。
「おお……!」
俺も真似しようと手を伸ばす。
アースの下に手を入れる。
そっと。
そっと。
そして、すくいあげる。
「え! おっも……!」
予想外の重さだった。
見た目はふわっとしたソフトクリーム。
柔らかそうで、軽そうで、手に乗せたら溶けそうなほど繊細に見える。
なのに、めちゃくちゃ重い。
大玉スイカくらいの大きさ。
いや、それ以上に重い。
ずしりと腕に来る。
星芯番重ほどではない。
だが、食材としての密度が異常だ。
「莫大なカロリーが詰まっているのも納得かもしれない……!」
俺は腕に力を入れながら言った。
アースは、ふわふわしている。
でも重い。
柔らかい。
でも崩れない。
甘い香り。
大地の香り。
花の香り。
それらがすべて、手の中から溢れてくる。
食いたい。
今すぐ食いたい。
ここで。
この最高の景色の中で。
「ここで食べれば景色は最高ですが……」
ブラウスが言った。
「ある程度回収したら、一度戻りましょう」
「ええ!?」
思わず声が出た。
「ここで食べないの!?」
「はい」
「なんで!?」
ブラウスはアースの花畑を見回した。
その表情は、真剣だった。
「なんだか、ここで食べるのは駄目と言われている気がします」
「駄目と言われている……」
「はい。ここはアースが生える場所であって、食卓ではないのかもしれません」
ブラウスがそう言うなら、きっとそうなのだろう。
アナザの時も、ニュースの時も、ブラウスは食材の声を聞いていた。
俺には、ただ食いたいという気持ちが前に出ている。
だが、ブラウスは違う。
食材と向き合う料理人だ。
「ブラウスがそう言うなら、そうした方がいいな……」
「ありがとうございます」
「でも食べたい」
「戻ったら食べましょう」
「戻ったら絶対だぞ」
「はい」
俺たちはグルメケースを取り出した。
アースを慎重にすくいあげ、できるだけ詰め込む。
大きさは大玉スイカほど。
一つ一つが重い。
大量に持ち運ぶのは難しい。
それでも、食べる分、ブラウスが調理する分、トキサダにも分けられる分。
可能な限り回収した。
アースの花は、すくい取られた後も枯れない。
しばらくすると、中央の花びらがゆっくり閉じる。
また時間をかけて、アースを実らせるのだろう。
俺たちは手を合わせた。
「ありがとうございます」
「いただきます、は戻ってからだな」
「そうですね」
ブラウスも静かに頭を下げた。
そして、戻る準備をする。
赤い花の足場を使い、花陰のカウンターへ戻る。
行きよりは慣れているはずだ。
だが、油断はしない。
アースを持っている。
絶対に落とせない。
「どうせなら、バーでみんなで食うか!」
俺が言うと、ブラウスは笑った。
「そうですね!」
トキサダにも食べてもらおう。
はむまるにも少し。
もちろん俺も食う。
いや、かなり食う。
アースの香りを抱えながら、俺たちは来た道を戻り始めた。