「すごい! 見てよブラウス!」
俺はガラス越しに湿原を指差した。
「オタマジャクシGODが楽しそうに餌食ってるぞ!」
浅い水辺に、大きなオタマジャクシが何匹も泳いでいた。
普通のオタマジャクシではない。
体表には淡い金色の模様があり、尾はゆっくり揺れるたびに水面へ小さな波紋を作っている。
それが、専用の給餌装置から出てくる水草のような餌を、ぱくぱく食べていた。
GOD。
神の食材。
かつて世界を巡って戦争すら起こした究極のメインディッシュ。
その幼体が、今、ガラス越しに餌を食べている。
何だこれ。
「そうですね」
ブラウスは穏やかに頷いた。
落ち着いている。
おかしい。
俺だけテンションがおかしいのか。
「こっちはカエルが一斉に鳴いてる!」
少し進むと、別の区画があった。
そこには成長した小型のGODが何匹も並んでいた。
見た目はカエル。
だが、体は丸く、肌には複雑な模様があり、背中からはうっすら湯気のような食欲が立っている。
そのGODたちが一斉に鳴いた。
げこ。
げこ。
げこ。
湿原に声が重なる。
「これがカエルの……いや神の合唱……」
俺は感動しかけた。
だが、そこで急に我に返った。
「いや違うだろこれ!! 観光かよ!!」
完全に観光だった。
ガラスに囲まれた通路。
分かりやすい解説パネル。
安全な観察距離。
親子連れが写真を撮っている。今は閉鎖してるんじゃなかったの!?
職員が「この時間は給餌が見られますよ」と説明している。
GOD。
神の食材。
メインディッシュ。
そのはずなのに、俺は今、カエルの合唱を見て喜んでいる。
情緒がまた崩れる。
「まぁ、途中まではそんな感じです」
ブラウスが言った。
「せっかくだし楽しみましょう」
「そうだな……」
そうだ。
もうここまで来たら、楽しむしかない。
俺の中のGODの神格化は一度横に置こう。
これはこれで貴重だ。
千年後の世界でなければ見られないGODの養殖施設。
考えてみれば、すごいことなのだ。
GODの幼体が安全に管理され、成長過程を見られる。
原作時代の人間が見たら、卒倒するかもしれない。
俺たちはしばらく、安全に管理されたガラスに囲まれた道を進んだ。
途中には、GODの成長段階を示す展示もあった。
卵。
オタマジャクシ。
後ろ脚が生えた個体。
小型のカエル型。
食用調整個体。
研究用高栄養個体。
説明を読むたびに、俺の知っているGOD像が少しずつ現代化されていく。
すごい。
だが、悲しい。
悲しいが、面白い。
面白いが、やっぱり少し悲しい。
「アマジンさん、顔が忙しいです」
「俺の中の常識が喧嘩してる」
「いつものことでは?」
「そうだけど」
そんなやり取りをしながら進むと、やがて通路の雰囲気が変わった。
観光客がいなくなる。
ガラスの道もそこで終わり。
前方には、厳重なゲートがあった。
立ち入り禁止エリア。
許可者以外進入不可。
危険区。
その文字が表示されている。
「ここからか」
俺は足を止めた。
しばらく歩くと、立ち入り禁止エリアの手前まで来ていた。
ここから先は、外になる。
ガラス越しではない。
安全管理された観察路でもない。
野生に近い環境。
そこに、GODがいる。
受付で渡された許可証をゲートにかざす。
低い音が鳴り、扉が開いた。
湿った空気が流れ込んでくる。
「気持ちを切り替えてくださいね」
ブラウスが言った。
「ここからですよ」
「ああ」
俺は笑った。
「待ってた!」
これだ。
ようやく、俺の中のGODが少し戻ってきた。
安全な観光施設も悪くない。
だが、俺たちが食べるのは、奥の大型個体。
普通の候補生が最初に食べる管理個体ではない。
俺たちは危険区に入っていった。
大湿原。
湿度が高い。
足元はぬかるみ、草は膝ほどまで伸びている。
水面があちこちにあり、どこが浅くてどこが深いのか分かりにくい。
空気は重く、湿った土と水草の匂いが混ざっている。
観光区の爽やかな湿原とは違う。
一気に嫌な感じがする。
ここには安全用のガラスもない。
柵もない。
案内音声も流れない。
湿原そのものが、静かにこちらを見ているようだった。
「……変だな」
俺は周囲を見た。
GODの気配を感じない。
さっきまであれだけいたのに。
オタマジャクシも、小型のカエル型も、鳴き声もない。
静かな場所だ。
だが、その理由はすぐに分かった。
奥に、大きな気配を感じる。
他の個体が近づかない理由。
この湿原が静まり返っている理由。
その中心に、巨大な食欲がある。
「いるな」
俺が呟くと、ブラウスも頷いた。
「はい。かなり大きいです」
水面の向こう。
霧の奥。
巨大な影がゆっくり動いた。
原作の巨大なGODほどではない。
世界を揺るがすようなサイズ。
今、目の前にいる個体はそこまでではない。
それでも、大きい。
全長四十メートルはある。
巨大なカエル。
だが、ただ大きいだけではない。
背中には複雑な模様が浮かび、皮膚の一部が呼吸するたびに淡く光る。
喉が膨らむたび、周囲の水面が震える。
目は半分閉じている。
眠っているようにも見える。
だが、こちらに気づいていないわけではない。
見られている。
そんな感覚があった。
「このサイズなら、僕も入って調理ができるかもしれません!」
ブラウスの声に、俺は一瞬意味が分からなかった。
「入って?」
「はい。GODの調理は、外側を切るだけではありませんから」
「あ……そうか」
よく考えたら、GODは調理が何よりも大事だった。
捕獲して終わりではない。
むしろ、そこからが本番だ。
GODの細胞には、これまでの食の記憶が刻まれている。
その細胞が持つ食の記憶を紐解くことこそが、真の調理法。
途方もない調理だ。
ただ切るだけでも、焼くだけでもない。
GODの中にある膨大な食の記憶。
それを一つずつ読み、道を辿る。
正しいルートはただ一つ。
食材の声に従って、旨味の華やぐ道を辿っていく。
原作の小松達がやった、あの調理。
今のブラウスなら、どこまでできるのだろう。
アナザで食材との会話を学び、ニュースで肉の配列を読み、アースで裏の皿の気配を感じた。
ブラウスは、確実に成長している。
なら、GODの調理は、ブラウスにとって大きな試練になるはずだ。
「まずは捕獲ですね」
ブラウスが言った。
「GODを傷つけすぎると、調理に影響が出るかもしれません」
「なるほど。なるべく綺麗に止める必要があるわけだ」
「はい。できれば、意識を落として、体を大きく損なわない形がいいです」
「難しい注文だな」
俺は笑った。
だが、嫌ではない。
むしろ、燃える。
強い相手。
大きな食材。
しかも、傷つけすぎてはいけない。
ただ倒すだけでは駄目。
捕獲。
下拵え。
調理へ繋げる戦い。
これまでの経験が、全部試される。
エア。
ペア。
アトム。
アナザ。
ニュース。
アース。
そのすべてを食べて、ここまで来た。
そして、目の前にはGOD。
原作の神格的な存在とは違うかもしれない。
養殖され、管理され、現代の美食屋候補が最初に食べる食材になっているかもしれない。
だが、この奥地の大型個体は違う。
湿原を静かに支配する、四十メートルのGOD。
こいつは間違いなく強い。
「どれほどの強さか」
俺はグルメスモックを纏った。
白い給食着のような食欲エネルギーが全身を包む。
足元には、スティショバイト番重を薄く展開する。
湿地で沈まないための足場。
周囲には星芯番重を出せるよう準備する。
今回は潰すのではなく、止める。
叩くのではなく、制する。
ブラウスは響金包丁ハルシアを握り、山神俎板を薄く広げた。
湿原そのものを俎板に乗せるように。
GODの呼吸。
水の流れ。
筋肉の動き。
食材としての声。
それらを探っている。
巨大GODの目が、ゆっくりと開いた。
金色の瞳。
その視線が、俺たちを捉える。
湿原の空気が震えた。
俺は笑う。
「楽しみだな」
GODが、低く鳴いた。
湿原の水面が、一斉に波打った。