GODが鳴いた。
低く、湿原の底から響くような声。
水面が震え、足元の泥が小さく跳ねる。
四十メートル級の巨大なカエル。
原作の五百メートル級に比べれば小さい。
だが、目の前に立つと十分すぎるほど大きい。
何より、気配が違う。
これまでの管理区域で見たGODとは明らかに別物だ。
野性に近い。
重い。
湿原の中で、周囲の生き物が近づかない理由がよく分かる。
「来ます!」
ブラウスが叫んだ。
次の瞬間、GODの口が開く。
舌が伸びた。
速い。
見えない。
いや、見えた時にはもう目の前だった。
GODは舌での攻撃が音速を超える。
知識としては分かっていた。
だが、実際に向けられると洒落にならない。
普通なら、気づいた瞬間には貫かれている。
だが。
ガンッ!
俺の正面に番重が出ていた。
意識よりも先に。
考えるよりも先に。
攻撃を防ぐ位置へ、星芯番重が滑り込んでいた。
GODの舌が番重に激突し、湿原全体へ衝撃が走る。
突き抜けない。
割れない。
しっかりと防げている。
「おお……!」
俺は思わず声を漏らした。
防げた。
音速を超える舌を。
しかも、反応したというより、番重が勝手に出たような感覚だった。
もちろん、俺の技だ。
俺の食欲で出している。
だが、今のは明らかに考えてから出したわけではない。
ニュースの時。
アースの花畑でエアバレットを防いだ時。
必要な瞬間に必要な場所へ番重を出す感覚。
それが、ここでさらに鋭くなっている。
山神俎板のおかげもあるだろう。
ブラウスが湿原全体を俎板として読み、GODの筋肉の動き、喉の膨らみ、舌の走る道を事前に教えてくれている。
俺の体が、それに合わせて勝手に動く。
「右上です!」
「おう!」
また舌が来た。
ガン!
番重で防ぐ。
次は下。
ガン!
左。
ガン!
速い。
重い。
だが、防げる。
防げている。
グリーントロル下位戦士とやり合った時のような絶望感はない。
グリガードと向き合った時のような、勝てないと分かる圧もない。
GODは強い。
間違いなく強い。
だが、届かない相手ではない。
ブラウスは早々にゴッドの背に乗った。
俺が舌を防ぎ、注意を引きつけている間に、スティショバイト番重を足場にして跳び、巨大な背中へ降り立ったのだ。
響金包丁ハルシアを抜き、山神俎板を広げている。
GODは舌を伸ばし続ける。
俺は防ぐ。
番重を出す。
消す。
位置を変える。
衝撃を受け流す。
順調すぎる。
これでいいのか?
地球のフルコースのメインディッシュだぞ。
だが。
いや……良いんだ。
強さはD。
もちろんDでも十分すぎるほど強い。
だが、俺はすでに、それ以上の相手ともやり合っている。
グリーントロル。
ニュースの護衛戦。
グリガード。
死にかけた戦いを越えてきた。
現代のGOD。
養殖され、管理され、奥地の大型個体とはいえ、原作の神そのものとは違う。
こんなものなのだろう。
そう考えると、少し寂しい。
だが同時に、確かな成長も感じる。
俺たちはここまで来た。
だから、GODの攻撃を防げる。
だから、ブラウスが背に乗れる。
拍子抜けするほど順調なのは、GODが弱いからだけではない。
俺たちが強くなったからだ。
「アマジンさん、そのままお願いします!」
「任せろ!」
GODの舌がまた来る。
ガン!
番重が受け止める。
さらに二連続。
ガン! ガン!
俺は足元にスティショバイト番重を出し、湿原に沈まないよう体勢を変えた。
泥が跳ねる。
水が割れる。
GODの巨大な体が動くたびに、湿原が揺れる。
それでも俺は崩れない。
ブラウスは背中で調理を進めている。
外側を切っているわけではない。
包丁の刃が肉に沈んでいるようで、沈んでいない。
山神俎板が、GODの中へ薄く広がっていく。
食材の声を聞く。
GODの細胞に刻まれた食の記憶を辿る。
その道を探しているのだ。
俺には細かいことは分からない。
ただ、GODの反応が少しずつ変わっているのは分かった。
攻撃の間隔が乱れる。
舌の動きが鈍る。
喉が膨らむ。
背中の模様が淡く光る。
ブラウスが、何かを見つけた。
そう思った瞬間だった。
GODが突然、ビクッと動いた。
巨大な体が跳ねる。
俺は身構える。
だが、次の攻撃は来なかった。
GODはそのまま目をつむった。
そして、口を大きく開ける。
舌を、べーっと出した。
「え?」
その舌の上に、何かが乗っていた。
いや。
ブラウスだ。
GODの舌の上から、ブラウスが現れた。
服は少し湿っている。
だが、表情は晴れやかだった。
「調理出来ました!」
「まだ数時間しか経ってないのに!?」
俺は思わず叫んだ。
原作のGODの調理は、もっと途方もないものだったはずだ。
食の記憶を紐解く。
正しいルートを辿る。
それは料理人にとって究極の試練の一つ。
なのに、数時間。
ブラウスは少し息を整えながら、笑った。
「現代のGODは、原種よりかなり調理しやすくなっているようです。養殖と再生屋協会の研究で、食の記憶の道が整理されているんです」
「そんなところまで現代化されてるのか……」
「はい。でも、奥地の大型個体なので、記憶の量はかなりありました」
「それを数時間で?」
「アナザとニュースとアースのおかげです。食材の声を聞く感覚が、前よりずっと深くなっています」
ブラウスはそう言って、GODの舌から軽く跳んだ。
俺は番重を出し、受け止める。
GODは静かに目を閉じたまま、動かない。
死んだわけではない。
調理された。
食材として、こちらへ身を委ねている。
「早速切り分けていきましょう!!」
ブラウスの声が弾んでいた。
俺は少しだけ呆然としていた。
拍子抜けだ。
正直、拍子抜けだ。
戦闘も調理も、思っていたよりずっと順調だった。
だが……GOD。
メインディッシュ。
絶対にうまい。
たとえ捕獲がしやすくなっていたとしても、そのうまさは変わらないはずだ。
そう思うと、腹が減ってワクワクしてきた。
やばい。
さっきまで少し寂しかったのに、もう食欲が勝っている。
仕方ない。
目の前にGODがあるんだから。
ブラウスは早速調理していく。
GODはカエルのような姿だ。
巨大な体。
太い脚。
滑らかな皮膚。
大きな口。
このままなら、どう見ても巨大ガエルだ。
だが、原作では調理された後、まるで地球を半分に割ったような姿になっていた。
俺はそれを夢にまで見た。
あの形。
星の断面のような、食材の完成形。
ブラウスはまず、GODの背中に包丁を入れた。
だが、切り裂くというより、開く。
響金包丁ハルシアが、GODの細胞に刻まれた記憶の線をなぞる。
一筋。
また一筋。
皮膚が裂けるのではない。
花が開くように、表面の層がほどけていく。
巨大なカエルの背中に、薄い光の線が走った。
ブラウスはその線を追い、迷わず包丁を動かす。
「ここが海の記憶……」
彼は呟いた。
「ここが大地。ここが空。ここが獣。ここが人の食卓……」
GODの体内に、いくつもの層がある。
肉。
脂。
内臓。
だが、それだけではない。
まるで地層のように、食の記憶が重なっている。
ブラウスはそれを無理に切らない。
紐解く。
ほどく。
開く。
山神俎板が湿原の上に広がり、GODの体を巨大な調理場へ変えていく。
背中の層が左右に開いた。
次に、腹の下から淡い蒸気が上がる。
ブラウスはそこへ、GOD自身の旨味が流れる道を作るように包丁を入れた。
肉汁が溢れない。
逃げない。
内側へ巡る。
GODの中にあった旨味が、星の中心へ集まるようにまとまっていく。
そして、巨大な体がゆっくり変形した。
カエルの姿が、料理の姿へ変わる。
脚の肉は、外側へ滑らかに広がり、大陸のような形になる。
背中の肉は、半球状に盛り上がる。
内側には、赤く輝く肉の層。
白い脂の層。
金色の旨味の層。
緑がかった香草のような層。
まるで地球の断面。
星を半分に割り、その中にある命の歴史を料理にしたような姿。
巨大ガエルだったものが、いつの間にか、巨大な皿の上に乗った星の半身になっていた。
最後にブラウスは、中心へ包丁を立てた。
深く刺すのではない。
星の芯に、火を灯すように。
すると、GODの中心から湯気が上がった。
香りが爆発する。
肉。
魚。
野菜。
果実。
穀物。
海。
山。
空。
人の食卓。
獣の牙。
花の蜜。
土の温かさ。
すべての匂いが、一瞬で湿原を満たした。
「完成です!」
ブラウスが言った。
「はぁぁぁあ!」
俺は声にならない声を出した。
夢にまで見た。
原作でも見たGOD。
それが目の前にある。
「すげえよ……」
俺はゆっくり近づいた。
「あの姿から、こんな星を割ったような美しい姿に……」
カエルだった。
確かにカエルだった。
それが今は、星の料理だ。
地球を半分に割り、そこに刻まれた生命の歴史を皿に乗せたような姿。
ブラウスが息を吐く。
疲れている。
だが、嬉しそうだった。
「切り分けます」
「ああ」
ブラウスは丁寧にGODを切り分けた。
中心に近い部分。
外側の肉。
脂の層。
複数の記憶が重なった部位。
それぞれ少しずつ皿に盛る。
俺たちは手を合わせた。
「いただきます」
まず一口。
中心に近い、赤く輝く肉。
口に入れた瞬間、世界が広がった。
「ああ……」
俺は目を閉じた。
「有難う」
自然に言葉が出た。
味が押し寄せる。
ただうまいだけではない。
懐かしい。
知らないはずなのに、知っている。
生まれる前の味。
地球がまだ若かった頃の味。
海から生命が生まれた記憶。
大地に根が伸びた記憶。
獣が走った記憶。
人が火を起こし、肉を焼き、誰かと分け合った記憶。
アースは大地の記憶。
ニュースは生命の記憶。
そしてゴッドは、星の記憶を食っている。
そんな気がした。
いや、気がしただけではない。
舌がそう言っている。
細胞がそう叫んでいる。
これは星のメインディッシュだ。
地球という食卓が、長い時間をかけて育てた一皿。
「うまい……」
俺は呟いた。
「うますぎる……!」
現代の人々は、こんなにうまいものを金を出せば食えるのか。
贅沢すぎるだろ。
いや、もちろん管理個体と奥地の大型個体では違うのかもしれない。
調理人によっても違うだろう。
だが、それでもGODが一般的な美食屋候補にとって最初の一皿になっているという事実が信じられない。
こんなものを最初に食べるのか。
贅沢にもほどがある。
でも、これだけは言える。
しっかりとフルコースを食った俺たちは、一般人よりはるかに堪能しているはずだ。
エアを食べた。
ペアを飲んだ。
アトムを味わった。
アナザを食べた。
ニュースを食べた。
アースを食べた。
その上で、GODを食べている。
だからこそ、この星の記憶が分かる。
大地の味を知っているから、GODの大地が分かる。
生命の味を知っているから、GODの命が分かる。
裏の道を感じたから、GODの奥行きが分かる。
順番。
積み重ね。
それが味を何倍にもしている。
「美味しいです……!」
隣でブラウスが目を見開いた。
だが、すぐに首を傾げる。
「あれ、全然味が違います」
「そうなのか!?」
俺は驚いた。
「はい。以前食べたGODと、まるで違います」
「それはそれで違いを感じたかった……!」
俺は少し悔しくなった。
最初に食べた時のGODを知らない。
だから比較できない。
でも、ブラウスには分かる。
彼は最初にGODを食べている。
そして今、最後の方でまたGODを食べた。
「GODは最初に食べる人が多いです。難易度のせいですが……」
ブラウスは皿の上のGODを見つめた。
「でも、このタイミングで食べる方が数倍……いや、数百倍美味しいです」
「数百倍か」
「はい。以前は、すごく美味しい食材だと思いました。でも今は違います。これは、地球のフルコース全体の味をまとめる一皿です」
ブラウスは少し笑った。
「お父さんも、もう一回最後に行けと言っていました。その理由が今分かりました」
「ガウンさん、そういう大事なことは最初に言ってほしいな」
「言っても、食べるまで分からなかったと思います」
「それもそうか」
俺たちはGODを食べ続けた。
部位によって味が違う。
外側の肉は野性が強い。
湿原を跳ねた力強さがある。
中心の肉は星の芯に近い。
深く、重く、温かい。
脂の層は、溶けるたびに過去の食卓を思い出させる。
魚のような旨味。
獣のような肉感。
穀物の甘み。
果実の酸味。
野菜の青さ。
すべてがある。
なのに、ばらばらではない。
GODという一皿にまとまっている。
はむまるにも少しだけ分けた。
「きゅ……!」
目を丸くし、そのまま固まった。
頬袋に入れることも忘れている。
「はむまるも堪能してるな」
「これは頬袋に入れるより、今味わうべきですから」
「きゅう……」
分かっているような声だった。
俺たちはGODを堪能した。
拍子抜けするほど捕獲は順調だった。
調理も、想像していたより早かった。
だが、味は違った。
味だけは、俺の中のGODのイメージを裏切らなかった。
いや、超えてきた。
メインディッシュ。
そう呼ばれる理由が、舌で分かった。
食事を終え、俺は湿原の空を見上げた。
体の奥で、フルコースが揃っていく感覚がある。
まだ完全ではない。
だが、明らかに何かが変わっている。
残るはセンター。
地球のフルコースの最後。
原作では、すべてを蘇らせる食材。
そして、今の俺たちにとっても、間違いなく必要な一皿。
「残るはセンター」
俺が呟くと、ブラウスも頷いた。
「はい」
「だが、その前に第二宇宙研究所に戻らないとな」
メリスタから言われている。
アースとゴッドを食べたら、必ずまた研究所に来るように。
グリーントロルの侵攻まで、時間はない。
GODを食べた喜びはある。
だが、次に待っているのは、きっと食卓だけではない。
俺は皿に残った最後の一切れを口へ運んだ。
星の記憶が、もう一度舌に広がる。
うまい。
だからこそ、守りたい。
この星の食卓を。
俺たちはGODへ手を合わせ、湿原を後にした。