九百年ぶりの帰還
「戻りました」
第二宇宙研究所。
何度目か分からない白い廊下を抜け、俺たちは指定された会議室へ入った。
そこにいたのはメリスタとガウンさんだった。
白衣姿のメリスタ。
高級スーツ姿のガウン。
だが、前にいた岩剛総司令官の姿はない。
「あれ、岩剛さんは?」
「宇宙へ戻った」
メリスタが答えた。
「彼は宇宙戦艦団の総司令官。地上に長く留まるわけにはいかん。戦いが終わるまで、もうここへは来ない」
「そっか……」
グリーントロル軍勢があと数か月で来る。
母艦十機。
最低十部隊。
その迎撃準備のために、岩剛総司令官は宇宙へ戻った。
ここから先、彼の戦場は地上ではない。
宇宙だ。
俺が黙っていると、メリスタが少しだけ表情を緩めた。
「とにかく。まずはおめでとう」
「え?」
「アースとゴッドの実食。地球のフルコースも、残すはセンターのみ」
「あ、ありがとうございます」
そう言われると、少し実感が湧く。
エアから始まって、ペア、アトム、アナザ、ニュース、アース、ゴッド。
ここまで来た。
残るはセンター。
原作でも特別だった、再生の食材。
だけど、今の状況で素直に喜びきるのは難しい。
「あの、グリーントロルは大丈夫なのか?」
俺は聞いた。
アースとゴッドを食べたら研究所へ戻るように言われていた。
つまり、何か話があるはずだ。
メリスタの目が少し鋭くなる。
「大丈夫、とは言い難い」
「何かあったのか?」
「連中の狙いが、地球の食材だけではないことが分かりつつある」
「食材だけじゃない……?」
俺は眉をひそめた。
グリーントロルは地球へ攻めてくる。
地球の食材を奪う。
地球そのものを支配する。
そういう話だと思っていた。
だが、違うのか。
「何かを探しているようだった」
メリスタは言った。
「食材の回収にしては動きが不自然な部隊がある。侵攻経路とも、補給経路とも一致せぬ行動が確認されている」
「何かって?」
「まだ断定はできん」
メリスタはそう言って、少しだけ沈黙した。
言えることと言えないことを分けている。
そんな雰囲気だった。
ガウンさんがそこで手を叩いた。
「まぁ、堅い話は後でええやろ!」
空気を変えるような声だった。
「センターについても話は長い。飯食いながらや!」
「おお、待ってました!」
俺は思わず反応した。
研究所へ戻ってきたら、飯。
これはもう恒例になりつつある。
ブラウスも少し笑った。
「アマジンさん、切り替えが早いですね」
「腹が減ってると考えられないからな」
「さっきまでゴッドを食べていたのでは?」
「ゴッドはゴッド。研究所飯は研究所飯」
「分け方が雑です」
そうして俺たちは食卓へとついた。
大きなテーブル。
研究所特製の料理。
宇宙食材を使ったスープ。
高栄養の肉料理。
ブラウス用に用意された調理器具。
メリスタとガウンさんも席につく。
これからセンターの話を聞く。
残る最後の食材。
その話を。
その頃、アマジン達の知らない場所……
もう一つの食卓が、すでに動き始めていた。
・・・
・・
・
・
赤い宇宙。
地球から、遥か遠く離れた場所。
暗い宇宙の中に、赤い光が薄く満ちている。
星雲。
砕けた小惑星。
巨大な宇宙生物の骨のような残骸。
その中に、金属とも肉ともつかない巨大構造物が浮かんでいた。
グリーントロル船団。
大規模前哨基地、Aサイト。
外壁には、食いちぎられた惑星の殻が使われている。
通路には巨大な管が走り、そこを赤黒い液体が流れている。
基地全体が、生き物の胃袋のようだった。
そこへ、一体のグリーントロルが帰還した。
「こちらグリド」
通信に向かって、男はにやりと笑った。
「九百年ぶりに帰還や! めちゃくちゃ場所変わっとるやないか」
グリド。
九百年前、地球侵攻時のグリーントロル総長。
トリコと思われる美食屋に敗れ、零山脈の奥へ飛ばされたことで、支配の線から逃れた男。
今は再び、グリーントロルの基地へ足を踏み入れていた。
迎えに来たのは、巨大な体を持つグリーントロルだった。
肩には総長位を示す骨飾り。
腕には多数の戦闘痕。
目は濁っているが、知性はある。
「グリド総長」
その男は低く言った。
「生きていたのだな。いや、元総長か」
「そんなん分かってるわ」
グリドは肩をすくめる。
「しかし、まさかお前も生きとったか。しかも総長なってるとはな。グリドーズ」
グリドーズ。
現グリーントロル船団総長。
かつてはグリドの下で戦っていた部下の一人だった。
九百年という時間は、立場を変えるには十分すぎる。
「お前が消えた後、部隊は大きく再編された」
「そらそうやろな。で、何や。わいは失踪扱いか? 戦死扱いか? それとも逃亡兵か?」
「記録上は戦死だ。だが、主の支配線から消えた個体として、特別に保留されていた」
「怖い怖い。保留て何やねん」
グリドは笑う。
だが、その目は基地の中を観察していた。
通路。
兵の配置。
支配の濃さ。
主の匂い。
九百年前より、ずっと濃い。
それでいて、どこか不完全だ。
「ていうか、なんで九百年も待ったんや?」
グリドは軽い調子で聞いた。
「すぐに攻めたらええやろ。お前も無事やったんなら」
グリドーズは足を止めた。
周囲の兵士たちが、わずかに反応する。
その問いは軽いものではなかった。
だが、グリドは知らないふりをした。
九百年間、零山脈の奥にいた男。
何も知らない元総長。
そう見えるように。
「何も知らないのも無理はない」
グリドーズは言った。
「お前をやったという伝説の美食屋。そいつは、主の前にも現れた」
「なんやて……?」
グリドの目が細くなる。
自分を倒した美食屋。
青い髪の、異常な食欲を持った男。
あれが主の前にも現れた。
「その時、主は致命的なダメージを負ってしまった」
グリドーズの声が低くなる。
「そして……器は散り、失ってしまった」
「器……」
グリドはその言葉を繰り返した。
器。
何の器だ。
主。
マザー・グリード。
種族ごと自分たちを食った悪魔。
その主に、器が必要だったのか。
「主はこの九百年間、種、器、回復に集中していたのだ」
「なんや、断片的でよう分からんわ」
グリドは大げさに首をかしげた。
「もっとちゃんと教えてくれや」
グリドーズは鼻で笑った。
「ふ……機密事項だからな。元総長とはいえ、今は下位戦士。すでに少し言いすぎたくらいよ」
「え!」
グリドは素っ頓狂な声を出した。
「わい、下位戦士なん!?」
「九百年不在だったのだ。当然だろう」
「まぁ、九百年もさぼってたししゃーないか」
グリドは頭をかいた。
「こっからまたのし上がるわ」
軽い。
あまりに軽い反応だった。
周囲の兵たちが、馬鹿にするように笑う。
グリドーズも、それ以上警戒しなかった。
だが、グリドの内側では別のものが動いていた。
器。
種。
回復。
九百年前。
主が致命傷を負った。
器を失った。
そして今、地球へ再び向かおうとしている。
地球に、何かがある。
グリドは、零山脈で出会った少年を思い出した。
アマジン。
妙な食欲をした人間。
グリーントロルを見ても恐怖だけで終わらず、飯を囲んだ少年。
だが、今。
何かが繋がりかけていた。
「ならば、近隣惑星から食材を調達する任につけ」
グリドーズが命じた。
「主の食欲は日々すさまじく膨れ上がっている。もうじき……完成するのだろう」
「完成?」
「お前が知る必要はない」
「はいはい。下位戦士はつらいなぁ」
グリドは肩をすくめた。
それから、わざとらしく背筋を伸ばす。
「分かったわ」
口元に笑みを浮かべ、敬礼のような動きをした。
「下位戦士グリド、行ってきます!」
グリドーズは興味を失ったように背を向けた。
周囲の兵たちも散っていく。
グリドはその背中を見送りながら、ゆっくり歩き出した。
近隣惑星からの食材調達。
下位戦士の雑務。
それは好都合だった。
基地の外へ出られる。
船団の補給経路も見られる。
主の現在の食欲も探れる。
そして何より。
「器、なぁ……」
グリドは小さく呟いた。
「アマジン。お前が関係してたりしてな!」
冗談のように言った。
だが、口にした瞬間、背中の奥がぞわりとした。
笑って流すには、あまりにも嫌な勘だった。
「……いやいや。まさかな」
グリドは軽く頭を振った。
それでも、アマジンの顔は消えなかった。
零山脈で飯を囲んだ、あの妙な人間。
グリーントロルを前にしても、ただ恐れるだけではなかった少年。
そして、自分が小袋を渡した相手。
「ほんま、何なんやろな」
グリドは笑った。
今度の笑みは、少しだけ苦かった。