赤い宇宙。
大規模前哨基地Aサイトから離れた、近隣惑星。
そこは、かつては緑の星だったのだろう。
大地には巨大な森があり、空には蜜を含んだ雲が流れ、川には魚ではなく果実のような水棲食材が泳いでいた。
だが今は、星の半分が赤黒く変色している。
地面に巨大な管が突き刺さり、森の根を吸い上げ、川を吸い上げ、大気中の旨味すら吸い上げている。
惑星全体が、巨大な食材置き場にされていた。
「うわぁ……」
その光景を見て、グリドは思わず顔をしかめた。
「九百年ぶりに戻ってきたら、だいぶ趣味悪くなっとるなぁ」
グリドは現在、下位戦士として食材調達任務についていた。
任務内容は単純。
近隣惑星から食材を集め、主の回復食としてAサイトへ送ること。
だが、単なる食材調達ではない。
グリーントロルたちは、食材を奪うだけではなかった。
星の生命循環ごと吸い上げている。
森が食われる。
川が食われる。
大地が食われる。
空気の中にある栄養すら、巨大な管へ吸い込まれていく。
星そのものを、主の皿にしているのだ。
「昔のわいらも、まぁ褒められたもんやなかったけど……ここまでやったか?」
グリドは小さく呟いた。
周囲には、同じ任務に就いたグリーントロルの一般兵たちがいる。
彼らは何も疑問に思っていない。
むしろ、恍惚とした顔で食材を運んでいた。
「主へ」
「主の回復へ」
「主の食欲へ」
「主の器へ」
同じ言葉を繰り返す。
食欲がない。
いや、正確にはある。
だが、それは自分の食欲ではない。
主の食欲に酔っている。
自分が食べたいから食材を獲るのではない。
自分がうまいと思うから運ぶのではない。
主が望むから。
主が飢えているから。
主の皿を満たすために動いている。
兵士たちは笑っている。
しかし、その笑みには自分の味がない。
「なんか、気持ち悪いな」
グリドは誰にも聞こえない声で言った。
自分もグリーントロルだ。
かつては総長だった。
地球を攻めた。
食材を奪った。
人間を殺そうとした。
その事実は消えない。
だが、今のこいつらとは違う。
遥か昔……自分たちには、自分たちの食欲があった。
強いものを食いたい。
うまいものを奪いたい。
勝って食いたい。
乱暴で、勝手で、どうしようもない食欲だった。
だが、それは自分のものだった。
今の兵たちは違う。
主の腹の中で、まだ動いている手足のようだ。
自分で食っているのではない。
食われたまま、食材を運んでいる。
「……気色悪いわ」
グリドは軽く肩を回した。
そして、笑みを浮かべる。
今は下位戦士。
余計なことは言わない。
疑われるわけにはいかない。
「やっぱ、わいの借威幻獣――フェイク・プレデター。便利やな」
グリドは自分の周囲に漂わせた気配を確認した。
フェイク・プレデター。
過去に見た猛獣の気配だけを借り、周囲に漂わせる技。
自分の戦闘力が上がるわけではない。
だが、気配を偽るには便利だった。
今のグリドの周囲には、主の食欲に酔った兵士たちと似た匂いを漂わせている。
本当に支配されているわけではない。
ただ、そう見えるようにしているだけだ。
「完全に味方のふりできたわ」
グリドはにやりと笑った。
「グリドーズも甘いわ。わいがデータ抜いてるの、全然気づいとらん」
Aサイトを出る前。
グリドは総長グリドーズとの会話中に、基地内の古い管理端末へフェイク・プレデターの気配を流し込んでいた。
生体認証をごまかす。
支配線の反応をごまかす。
自分がまだ主の食欲に繋がった兵士であるように見せる。
その隙に、古いデータを抜いた。
九百年前の敗北後、八百年前前後に作成された機密資料。
まだ主の回復が不安定だった頃の記録。
だが、データ量は膨大だ。
「解析まで時間がかかる。とりあえず仕事やな」
グリドは食材回収用の巨大コンテナを蹴った。
「ほな、下位戦士らしく働きますか」
近隣惑星の森へ向かう。
そこにはまだ、吸い上げられていない食材が残っていた。
実のなる樹。
歩く根菜。
逃げる香草。
星の生命が作った料理の欠片。
兵士たちはそれを乱暴に刈り取り、巨大な管へ放り込んでいく。
食材の悲鳴にも似た香りが漂う。
グリドは黙って見ていた。
昔の自分なら、何も思わなかったかもしれない。
いや、思わなかっただろう。
だが、今は違う。
零山脈の奥で、九百年。
一人で生きた。
そして、アマジンという妙な人間と飯を囲んだ。
あの少年は、グリーントロルである自分を見ても、ただの敵として終わらせなかった。
食卓を作った。
笑った。
食った。
うまいと言った。
そのせいだろうか。
今、食材がただ吸い上げられていく光景が、やけに気持ち悪い。
「わいも、変わったんかねぇ」
グリドは苦笑した。
その時、腰に付けた小型端末が震えた。
解析完了。
抜き取ったデータの一部が開いた。
「お、来たか」
グリドは周囲を確認する。
兵士たちは誰も見ていない。
主の食欲に酔い、食材を運び続けている。
グリドは森の奥へ入り、巨大な根の影に身を隠した。
端末を開く。
古いデータ。
およそ八百年前。
主の回復計画に関する断片。
表題。
器の運用。
「器……」
グリドは小さく呟いた。
昨日、グリドーズが口にした言葉。
主が九百年間、種、器、回復に集中していたという話。
その手がかりかもしれない。
グリドはデータを読み進める。
記録。
完成した器は、そのままではあまりにも未熟。
主の食欲を受け入れるには、容量、強度、記憶耐性、食欲反応、すべてが不足。
よって、器には食霊を入れる。
食霊を用いて、極限までの訓練とフルコース集めを行わせる。
器は食材を食い、戦い、成長する。
食霊はその過程で摩耗する。
食霊が完全消失しても構わない。
次の食霊を入れるだけ。
「……は?」
グリドの指が止まった。
食霊。
器に入れる。
訓練させる。
フルコースを集めさせる。
消えたら、次を入れる。
そこに命としての扱いはない。
食霊は燃料。
器を育てるための消耗品。
器そのものも、皿。
主の食欲を受け入れるための道具。
「えげつな」
グリドは低く呟いた。
さらに読む。
徹底的に完成を追求する。
目標数値、九十八。
九十八。
それが何の数値なのかは分からない。
器の完成度。
主との適合率。
食欲容量。
あるいは、そのすべてか。
だが、そこに書かれている思想は分かる。
器を育てる。
食霊を使い捨てる。
何度でも入れ替える。
フルコースを食わせる。
完成まで追い込む。
そこに、その食霊が何を思うかなど、欠片も考えられていない。
グリドはアマジンの顔を思い出した。
アマジンが関係しているかもしれない。
冗談のように言った言葉。
だが、今は笑えなかった。
あの少年は、食材を食うたびに異常に強くなっていた。
地球のフルコースを集めている。
食義を持ち、食没を使い、妙な食欲をしていた。
もし。
もしもあいつが器なら。
この計画のどこかに、アマジンが重なってしまう。
「いやいや……」
グリドは首を振った。
「まだ決めつけるには早いわ」
そう言い聞かせながら、さらにデータを読む。
追記。
だが、その計画は頓挫する。
肝心の器及び保存食霊が消失。
主にも致命的なダメージ。
再度、器を作り直す必要がある。
記録はそこで途切れていた。
「九百年前の戦いやな」
グリドは目を細めた。
自分を倒した伝説の美食屋。
そいつは主の前にも現れた。
その結果、主は致命傷を負い、器は失われた。
データとグリドーズの言葉が繋がる。
九百年前に、一度器はあった。
それが失われた。
そして主は、九百年かけて回復し、また新たな器を生み出そうとしている。
グリドは端末を閉じた。
森の外では、兵士たちが星の食材を運び続けている。
主へ。
主の回復へ。
主の食欲へ。
主の器へ。
同じ言葉が繰り返されている。
グリドの胃の奥が、むかついた。
「食霊が消えたら次を入れるだけ、か」
グリドは舌打ちした。
「ほんま、食い方が汚いわ」
かつて、自分たちはマザー・グリードに食われた。
種族ごと。
食欲ごと。
それでも、グリドは逃げた。
支配の線が切れ、九百年を一人で生き延びた。
その自分が、また主の食卓に戻るつもりはない。
そして。
もし、あのアマジンが本当に関係しているなら。
あいつを主の皿に乗せる気はない。
――とはいえ……
「もうじき完成する、言うてたな……」
グリドは眉をひそめた。
グリドーズは確かにそう言った。
主の食欲は日々すさまじく膨れ上がっている。
もうじき、完成するのだろう、と。
ならば、器はすでにどこかにあるのか。
マザー・グリードの中で、二体目の器が作られているのか。
それとも、どこか別の場所で育てられているのか。
「……まだ分からん点が多すぎるわ」
アマジンの匂いは普通ではなかった。
だが、グリドーズの言葉と完全には噛み合わない。
九百年前に失った器。
再度作り直す必要。
そして、もうじき完成する器。
少なくとも、主の側には主の側で進んでいる計画がある。
現時点ではアマジンが器の可能性は低そうだ。
「せやけど……」
グリドは目を細めた。
「ほな関係ないか! とも言い切れんなぁ……」
グリドは、困ったように笑った。