「なぁ、センターは飲ませられないってどういう事なんだよ!」
俺は思わず声を荒げた。
第二宇宙研究所。
アースとゴッドを食べ終え、残るはセンターだけ。
ようやくここまで来た。
エアから始まった地球のフルコース巡り。
エア。
ペア。
アトム。
アナザ。
ニュース。
アース。
ゴッド。
あと一つ。
あと一つで、美食屋になれる。
なのに。
メリスタは、俺にセンターを飲ませられないと言った。
意味が分からない。
ここまで来てそれはないだろう。
メリスタは目を瞑った。
白衣の袖を軽く握り、少しだけ息を吐く。
いつものような飄々とした雰囲気がない。
何かを迷っている。
言うべきか。
言わざるべきか。
そんな顔だった。
「当初の予定では……」
メリスタがゆっくり口を開く。
「君にセンターまでを食べてもらい、グルメ細胞の悪魔を受け入れる準備を整え……」
そこで一度、言葉が止まった。
「そして、悪魔共食・黒き饗宴を伝授するつもりだった」
「悪魔共食……!」
俺は思わず呟いた。
メリスタが使った技。
ガウンさんも使った技。
グルメ細胞の悪魔と契約し、何かを差し出して、爆発的な力を得る現代美食屋の切り札。
悪魔共食。
黒き饗宴。
俺に、それを教える予定だった。
「センターまで食べると、体内のグルメ細胞は大きく変わる」
メリスタは続ける。
「フルコースを巡った肉体は、悪魔を受け入れる準備を整える。もちろん、誰もが契約できるわけではない。適性、精神、食欲、悪魔側の好み。条件はいくつもある」
「だったら、俺にも可能性があるってことだろ?」
「本来ならな」
メリスタは目を開けた。
その目は、いつもよりずっと重かった。
「だが、君は黒き饗宴の悪魔に拒否されてしまったのだ」
「拒否……?」
俺は眉をひそめた。
悪魔に拒否される。
それはつまり、契約できないということか。
いや、悪魔共食なんて危険そうな技だ。
拒否されることもあるだろう。
だが、メリスタの表情はそういう軽い話ではなかった。
「拒否されること自体は、よくある」
メリスタは言った。
「悪魔にも好みがある。食う記憶、食う代償、契約者の食欲。合わなければ拒む。むしろ、それは普通だ」
「じゃあ何が問題なんだよ」
「だが……」
メリスタは何か言いづらそうにしている。
その沈黙が、余計に腹立たしかった。
俺のことなのに。
俺のフルコースなのに。
俺の夢なのに。
肝心なところで、周りが言葉を濁す。
「関係ねーよ、そっちの都合は!」
俺は叫んだ。
「俺はセンターまで食って美食屋になる。それが夢なんだ」
そうだ。
この世界に転生して、千年後だと知って、冒険の時代は終わっていたと思った。
それでも、美食屋になりたかった。
原作の時代ではない。
トリコたちの時代ではない。
でも、この世界で、俺は地球のフルコースを食べると決めた。
美食屋になると決めた。
それを、ここまで来て止められるのは納得できない。
「メリスタ」
ガウンさんが低く言った。
「オレもよう分かってへんぞ」
高級スーツ姿の天狗族。
ブラウスの父親。
いつも豪快な男が、今回は少し不機嫌そうに腕を組んでいる。
「アマジンにも食わせたれや。ここで保管してる天然のセンター」
「保管してる!?」
俺は思わずガウンさんを見た。
センターがある?
ここに?
保管している?
だったら、なおさら意味が分からない。
「あるのかよ……!」
「アマジン」
ガウンさんは俺を見た。
「現在の美食屋ライセンスの所持者、何人か知っとるか?」
「いや……」
急に話が変わった。
俺は首を振る。
美食屋ライセンス。
地球のフルコースを天然で食べた証。
現代では、それを持たなければ正式に美食屋を名乗れない。
でも、人数までは知らない。
「最上位、上位、通常合わせて千百八十人や」
「千百八十……」
多いのか。
少ないのか。
この世界の人口を考えれば、かなり少ない。
だが、美食屋ライセンスという特殊資格として見れば、思ったよりいる気もする。
それだけ現代では、地球のフルコース捕獲ルートが整備されているのだろう。
「その中で、センターを自ら取りに行った人間は一人」
ガウンさんはメリスタを見た。
「メリスタだけや」
俺はメリスタを見る。
メリスタは否定しなかった。
「ああ。その通りだ」
静かに頷く。
「他すべての美食屋は、ここでセンターを飲み、美食屋を名乗る」
「じゃあ、やっぱりあるんじゃないか」
俺は食い下がった。
「みんなそれを飲んで美食屋になってるんだろ? なら俺も――」
「君には飲ませられん」
メリスタが遮った。
声は静かだった。
だが、揺らがなかった。
「なんでだよ!」
「まだ、確証が足りん」
「確証?」
「君にセンターを飲ませた時、何が起きるのか。我々には読み切れん」
「他の人は飲んでるんだろ?」
「他の者と君は違う」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
違う。
何が。
何が違う。
俺はただ、美食屋になりたいだけだ。
地球のフルコースを食べたいだけだ。
なのに、最近ずっと、周りが俺を別の何かみたいに見る。
メリスタも。
ガウンさんも。
研究所の人間も。
そして、黒き饗宴の悪魔まで。
「でも俺は飲ませてくれないんだろ?」
俺はメリスタを睨んだ。
「なら取りに行くよ」
部屋の空気が止まった。
ブラウスが一歩前に出る。
「メリスタさん、僕も納得いきません」
彼の声は静かだった。
だが、強かった。
「アマジンさんと行きます」
「ブラウス」
「アマジンさんは、ここまで自分の足で来ました。危険な場所も、食材も、全部向き合ってきました。センターだけ理由を曖昧にして止めるのは、僕も納得できません」
ブラウスがここまで強く言うのは珍しい。
俺は少し驚いた。
だが、嬉しかった。
ガウンさんはそんなブラウスを見て、少しだけ口元を緩めた。
「ええ顔するようになったやないか」
「父さん、今は茶化さないでください」
「すまんすまん」
メリスタは、俺たち二人を見た。
そして、静かに言った。
「それは無理だ」
「なんでだよ」
「センターの本来の場所へ至る道は、食欲を持ったままでは通れん」
「食欲を持ったままでは……?」
「あそこは、無限の生命が生まれる場所に近い。そこへ至るには、食欲を捨て去らねばならん」
食欲を捨てる。
その言葉の意味が、すぐには分からなかった。
だが、体の奥が冷えた。
グルメ細胞が、本能的に嫌がった。
食欲を捨てる。
それは、この世界ではほとんど死だ。
俺にとっても同じ。
食べたい。
うまい。
腹が減った。
それが俺を動かしてきた。
食欲を捨てるということは、俺が俺でなくなることに近い。
「メリスタさんは……行ったんですよね」
ブラウスが言った。
「センターを自ら取りに行ったのは、あなた一人だと」
「ああ」
メリスタは頷いた。
「わしは悪魔共食を使い、無理やり一度だけ往復した」
「黒き饗宴で?」
「そうだ。食欲の記憶を悪魔へ喰わせ、道を通った。だが、あれは成功ではない。無理やり通っただけだ」
メリスタの声に、苦いものが混ざる。
「戻っては来た。センターも持ち帰った。だが、いくつかの味を置いてきた」
「味を……」
「何を失ったのかすら、今は思い出せん」
部屋が静かになった。
それは、恐ろしい言葉だった。
何か大事な味を失った。
しかも、それが何だったのか分からない。
思い出せないということは、失ったことすら完全には分からないということだ。
黒き饗宴。
悪魔共食。
代償。
メリスタは、それを使ってセンターの場所へ行った。
そして帰ってきた。
たった一人。
その結果、今ここにセンターが保管されている。
千百八十人の美食屋が、そのセンターを飲んで美食屋になった。
だが、俺には飲ませられない。
「すまない」
メリスタは静かに言った。
「わし自身も、まだ混乱している部分が多い。君に何を伝えるべきか、どこまで隠すべきか、正直に言えば判断しきれておらん」
「……」
「だがまずは……」
メリスタは手を叩いた。
パン、と乾いた音が鳴る。
すると、部屋の照明が少し変わり、壁の一部が開いた。
研究所の自動配膳機。
そこから次々と皿が現れる。
肉。
魚。
野菜。
スープ。
香草。
宇宙食材。
地球の高級食材。
テーブルの上が、あっという間に食事で埋め尽くされていく。
「まずは食おう」
メリスタが言った。
俺は一瞬固まった。
そして。
「よし! いただきます!」
「いやだから切り替え早いですって、アマジンさん……」
ブラウスが呆れた声を出した。
「でも食わないと考えられないだろ」
「それはそうかもしれませんが」
「アマジンらしいわ」
ガウンさんが笑う。
メリスタも、ほんの少しだけ表情を緩めた。
俺は手を合わせた。
納得したわけではない。
怒りが消えたわけでもない。
センターを諦めるつもりもない。
でも、腹が減っている。
そして、目の前に食卓がある。
なら食う。
食ってから考える。
それが俺だ。
皿の上の肉を一口食べる。
うまい。
だからこそ、余計に思う。
俺はセンターまで食べる。
食欲を捨てろと言われても。
飲ませられないと言われても。
俺の夢は、ここで終わらせない。
テーブルの向こうで、メリスタが俺を見ていた。
その目は、どこか苦しそうだった。
一日一話は明日からなのじゃよ