エリア1。
地球内部、エリア0への入口。
俺はその場所を目指していた。
ガウンさんのレストランで両親と食事をしてから、数日。
センターを飲ませられない。
メリスタはそう言った。
ならどうするか。
待つ。
それも一つの答えだ。
メリスタは必ず回答すると言った。
三か月後の侵攻までには、必ず。
俺も一度は納得した。
感謝もしている。
ここまでフルコースを巡れたのは、第二宇宙研究所の特別許可があったからだ。
それは間違いない。
でも。
どうしても、センターの場所へ行きたかった。
飲ませてもらえるかどうかではない。
許可されるかどうかでもない。
俺は、最後の一皿がどこにあるのか。
どんな場所から湧くのか。
それを自分の目で見たかった。
だから、来た。
もちろん、無断侵入ではない。
正規の手順で申請した。
センタービオトープの見学。
調査員としての確認。
もし受付で止められたら、そこで諦めるつもりだった。
「アマジンさん、本当にこのまま行くんですか?」
隣を歩くブラウスが、不安そうに俺を見た。
「ああ。センタービオトープの受付で止められたら、ちゃんと諦めるからさ」
「この状況……絶対メリスタさんに止められてると思いますけど……」
「俺もそう思う」
メリスタなら、絶対に手を回していると思った。
受付で止められる。
今は許可できないと言われる。
そうなったら、さすがに引き返す。
そのつもりだった。
だが、受付では。
「調査員のアマジン君、ブラウス君だね」
受付の中年男性は、端末を確認しながら普通に言った。
「はい」
「センターは、このエリア1の大地を進み、地球内部エリア0への入口を行かなければならない」
受付の男性は、俺たちを見る。
その表情は真剣だった。
「緊急脱出も何もできない。入るなんて考えないでくれ。近くで見るまでだぞ」
「はい」
「センターを取りに行けたのは、記録ではメリスタさんだけなんだ」
男性は念を押すように言った。
「見学許可は出ている。だが、入口の先へ入ることは推奨しない。というか、普通は入れない」
「分かりました」
俺は頷いた。
ブラウスも丁寧に頭を下げる。
止められる気配はない。
普通に受付を通された。
センタービオトープ内の説明。
進行可能ルート。
危険地帯。
通信が届かなくなる可能性。
それらを聞き、俺たちはエリア1の大地へ足を踏み入れた。
「普通に入れちゃいましたね」
ブラウスが言った。
「どうせ取れないと思われてるのかもな!」
「笑いごとじゃないです」
「いや、でも本当にそうだと思う。近くまで行くのは許可されてるけど、どうせ入口には入れない。だから止める必要がないって判断なんだろ」
「……それはあるかもしれません」
ブラウスは納得しきれない顔をしている。
俺も、完全には納得していない。
でも、進めるなら進む。
「仮にあの場で飲ませてくれると言われても、俺は先にここへ行きたかった」
「どうしてですか?」
「どうしても飲む前に……現地へ来たかった」
センター。
最後の一皿。
復活の食材。
命の中心。
エアも、ペアも、アトムも、アナザも、ニュースも、アースも、ゴッドも、自分の足でそこへ行った。
全部、現地で見た。
現地で食べた。
だからセンターだけ、保管庫の一滴を飲んで終わりにはしたくなかった。
もちろん、それで美食屋になれるのなら、それも正規の道だ。
千百八十人の美食屋が、そうしてライセンスを得ている。
でも、俺は違う。
俺は、ここまで来てしまった。
だったら最後も、見たい。
センターが湧く場所を。
最後の一皿が生まれる場所を。
この目で見てから決めたい。
「まぁ、止めませんよ」
ブラウスは小さく息を吐いた。
「正規の手順で行けていますし」
「ありがとう」
「ただし、本当に危ないと思ったら止めます」
「うん」
「絶対ですよ」
「分かってる」
俺たちは進んだ。
・・・
荒れた大地が続いている。
エリア1。
地球の中でも特別な場所。
生命が濃い場所のはずなのに、見た目は意外なほど寂しかった。
大地はひび割れている。
草は少ない。
岩は黒く、赤く、ところどころ熱を持っているように見えた。
空は低い。
空気が重い。
風はほとんど吹かない。
だが、静かではなかった。
大地の奥から、何かが脈打つような音が聞こえる。
ドクン。
ドクン。
心臓の音みたいだった。
「ここ、妙な場所ですね」
ブラウスが辺りを見回す。
「山神俎板で見えるか?」
「見えます。ですが、いつもの地形とは少し違います」
「どう違うんだ?」
「大地そのものが、まるで一つの食材みたいです。切る場所も、触れる場所も、ほとんどありません」
ブラウスの表情は険しい。
「食材というより、命の器官に近いです」
「命の器官……」
俺は足元を見る。
ひび割れた大地。
黒い岩。
赤く光る裂け目。
確かに、ここはただの土地ではない。
地球の内部へ続く入口。
エリア0への入口。
地球という巨大な生き物の、奥へ向かう道。
そう考えると、少し怖かった。
俺たちはさらに進む。
何度か小さな振動が足元を揺らした。
遠くで、何かが泡立つ音がした。
獣の気配は少ない。
いや、いないわけではない。
だが、近づいてこない。
この場所では、猛獣ですら食欲を抑えているように感じた。
しばらく進むと、前方の地形が変わった。
荒れた大地の中に、一際大きな盛り上がりがある。
それは、まるで巨大なトロフィーのような形状だった。
根元は太く、上へ行くほど細くなり、さらにその先で大きく広がっている。
大地が勝手に隆起し、何かを受ける器になったような形。
「あれだ」
俺は呟いた。
「入口がある」
ブラウスも頷く。
「あそこから、地球内部へ……」
「行こう」
俺たちはそのトロフィーのような大地を上り始めた。
足元は熱い。
だが、火傷するほどではない。
グルメスモックを薄く纏い、慎重に進む。
上へ行くほど、空気が重くなった。
胸の奥を押されるような感覚。
腹の奥を掴まれるような感覚。
いや、違う。
これはたぶん、食欲を引っ張られている。
普通ならそう感じるのだろう。
だが。
俺には、あまり分からなかった。
頂上近くへ来る。
そこには、泉があった。
ただの泉ではない。
まるでマグマのように、赤く、金色に、どろりとした何かが沸騰している。
泡が浮かび、弾ける。
だが、熱だけではない。
匂いがある。
命の匂い。
肉とも、果物とも、米とも、出汁とも違う。
それら全部の手前にあるような匂い。
食材になる前の匂い。
うまいものが生まれる直前の匂い。
「ちょ、ちょっとアマジンさん!」
ブラウスが苦しそうに声を上げた。
「平気なんですか? ここにいるだけでエネルギーを吸われていきます……!」
「ブラウス?」
俺は振り返った。
ブラウスの顔色が悪い。
額に汗が浮かんでいる。
肩で息をしている。
いつものブラウスなら、この程度で息を乱すことはない。
アースの花園も、ゴッドの危険区も越えてきた。
それなのに、今は立っているだけで苦しそうだった。
「大丈夫か?」
「大丈夫……では、あります。でも、長くは無理です」
ブラウスは胸を押さえる。
「食欲が、抜けていく感じがします。力が入らない」
これが、センターへの道。
食欲を持ったままでは通れない場所。
食欲を捨てる。
ほとんど死に等しい条件。
ブラウスは、その影響を受けている。
「センターは、ここに入らないとダメなんだ」
俺は泉を見る。
赤く金色の泡が弾ける。
奥から、何かが湧いている。
あれが入口。
エリア0へ。
食の楽園へ。
センターがある場所へ。
「アマジンさん……」
ブラウスが、俺を見る。
「とてもじゃないけど、僕には入れる気がしないです……」
「……」
「食欲をなくして入る。気持ちでどうこうできるものじゃない」
ブラウスの声は悔しそうだった。
彼は料理人だ。
食材の声を聞き、食材と向き合い、切るべき場所と切ってはいけない場所を見極める。
そのブラウスが、入れないと言っている。
無理だと感じている。
それほどの場所。
なのに。
「だが……」
俺は自分の手を見る。
指を動かす。
足にも力は入る。
呼吸も普通だ。
腹も減っている。
匂いも感じる。
うまそうだと、思っている。
「ブラウス……なんでだろ」
「はい?」
「俺、全く平気だ」
俺は泉のすぐ近くまで歩く。
ブラウスが焦ったように手を伸ばす。
「アマジンさん!」
「一切、吸われてる感じがしない」
「ええ……?」
ブラウスの顔が引きつる。
無理もない。
俺だって意味が分からない。
メリスタは言った。
センター本来の場所へ至る道は、食欲を持ったままでは通れない。
食欲を捨てなければならない。
それはほとんど死だ。
メリスタは悪魔共食で無理やり通った。
その代償に、いくつかの味を置いてきた。
なのに、俺は普通に立っている。
苦しくない。
怖くない。
むしろ。
「なんだろう」
泉が泡立つ。
トプン。
トプン。
まるで、呼吸している。
まるで、こっちへ来いと言っている。
「呼ばれてる気がするんだ」
「アマジンさん!」
ブラウスの声が鋭くなる。
俺は振り返った。
ブラウスは本気で止めようとしている。
その顔を見て、少しだけ申し訳なくなった。
でも。
ここまで来て、引き返せなかった。
俺は、この場所に来たかった。
センターが湧く場所を見たかった。
そして今、目の前にある。
しかも、俺だけが平気で近づける。
理由は分からない。
それが危ないことも分かる。
だけど、呼ばれている。
そんな気がする。
「ちょっと見てくるわ!」
「は?」
「センターいっぱい持って帰る!」
「ダメですよ危険――」
ブラウスが叫ぶ。
俺は笑った。
できるだけ軽く。
怖くないように。
心配させないように。
「すぐ戻る!」
そして。
トプン。
俺は、湧き出る部分に飛び込んだ。
赤く金色に沸騰する泉。
マグマのような命の入口。
熱いはずなのに、熱くない。
苦しいはずなのに、苦しくない。
音が消える。
ブラウスの声も消える。
大地の音も消える。
体が沈む。
落ちているのか。
潜っているのか。
それすら分からない。
ただ、ひとつだけ分かった。
俺は、食欲を捨てていない。
腹は減っている。
うまいものを食べたいと思っている。
なら、俺はまだ俺だ。
そう思った瞬間、視界が白く弾けた。
次回 第100話 最後の終末の食客 本日夜更新予定です。