ディザードの強大な圧力に屈した作業艇は、静かにハッチを開放した。
気弱なおっさんの魂は、暴力を極力避けたがっていたが、真祖の肉体が放つ飢餓感は限界に達していた。
宇宙服も着ずに、ディザードのコックピットハッチを開ける。
真祖の強靭な肉体は、真空の低温も、容赦なく降り注ぐ宇宙線も問題にしない。ただ、6歳の幼女の小さな足が、鉄のタラップをトントンと踏み鳴らし、作業艇のエアロックへと吸い込まれていった。
「ひっ……!」
出迎えたのは、恐怖に顔を歪ませた3人の密輸業者だった。
現れたのが、おぞましい宇宙怪獣ではなく、絹のような銀髪と、闇で怪しく発光する真紅の瞳を持った、人形のように美しい幼女だったからだ。しかし、その小さな口元から覗く鋭い犬歯が、彼らの本能的な恐怖を最大まで跳ね上げる。
「約束通り、血を。……それと、この船のすべてを貰う」
彼女は、船内の医療用キャビネットから引きずり出された、連邦軍規格の保存血液パック(輸血用)を手に取った。ストローなど使わない。牙でプラスチックを裂き、喉を鳴らして一気に流し込む。
「……ふぅ」
冷たい血が身体に染み渡ると同時に、脳を焼いていた飢えが急速に引いていく。
おっさんの冷静な思考力が、完全に100%のパフォーマンスを取り戻した。
恐怖でガタガタと震えている男たちを見据え、彼女は淡々と指示を下す。
「君たちの命は保障する。ただし、これから私の『城』を作るための労働力になってもらう。まずはこの宙域の未登録小惑星、あるいは廃棄コロニーの稼働データをすべてコンソールに出しなさい」
彼らが差し出したデータと、おっさんが持つ「宇宙世紀の未来の知識」が合致するポイントを探す。
宇宙世紀0010年。
地球連邦軍の監視の目は、サイド3(のちのジオン公国)の動向や、地球圏の主要航路に集中している。逆に言えば、航路外のデブリ帯や、一年戦争以前の開拓期に放棄された「規格外の初期型密閉コロニー」には、完全に空白地帯が存在していた。
彼が目をつけたのは、サイド4の裏側に位置する、暗礁宙域の奥深くに眠る小惑星「エリュシオン」だった。
かつて採掘用として連邦の企業が確保したものの、資源枯渇を理由に0008年に放棄され、航路図からも抹消された直径数キロメートルの岩塊。
「ここを、私たちの聖域とする」
この小惑星を拠点にする最大のメリットは、以下の3点だった。
1. 隠蔽性の高さ:周囲を濃密なデブリ(宇宙ゴミ)に囲まれており、連邦軍のパトロール艦も接近を嫌う。
2. 残存インフラ:元採掘拠点のため、簡易的なエアロックと、最低限の太陽光発電(ソーラーパネル)の残骸が眠っている。
3. 拡張性:小惑星の内部を掘り進めれば、外からは完全に遮断された居住空間と、ディザードを隠すドックが作れる。
「お前たち。この作業艇で、あの小惑星までディザードを牽引しろ。拒否すれば……次は、君たちの首筋から直接いただくことになる」
「わ、分かった! 言う通りにする!」
男たちは必死に操縦席へと戻り、作業艇の進路を暗礁宙域へと向けた。
ディザードはワイヤーで繋がれ、音もなく暗闇を滑っていく。
コックピットに戻ったおっさんは、シートに深く身体を沈め、モニターに映る自己修復システムのログを見つめていた。
ジーン・プラスチックの装甲は、傷一つない。
これから数十年にわたり、この世界は狂ったような戦争の時代へと突入する。だが、自分だけの絶対的な自給自足の城さえ完成すれば、誰に怯えることもなく、不老不死の真祖として静かに余生を過ごせるはずだ。
「まずは、城の基礎工事からだ。……やれやれ、おっさんには重労働になりそうだ」
幼女の姿をした漂流者は、自嘲気味に微笑みながら、暗黒の行く手を見つめていた。