「このまま幼女を……いや、自重しよう。私はこの地獄の宇宙世紀を、誰にも邪魔されずに生き延びるために(城)を作っているんだ。趣味に走って足元をすくわれては元も子もない」
おっさんはコックピットのシートで深く息を吐き、自身の歪んだ願望に強固なリミッターをかけた。シリアスな現実が目の前にある以上、要塞の構築と隠蔽こそが最優先事項だ。リリィを救ったのは結果論であり、今後は徹底して「有用性と生存コスト」だけで物資や人材を選別せねばならない。
何より、リリィを最初の「上位眷属」としたことで、この要塞の労働力問題には劇的なパラダイムシフトが起きていた。
「お姉様、あの人間たち(密輸業者)の管理は、私に任せてください」
リリィが真紅の瞳を静かに光らせる。
真祖の血を引く彼女は、ルクレツィア(真祖)から与えられた強大な力を、さらに分割して行使することができた。すなわち、リリィ自身の意志で、人間の密輸業者たちを「さらに下位の眷属(グールや従僕)」へと作り変える権利(権能)を持っていたのだ。
「……任せるわ。彼らをただの死体にするのではなく、思考力を残した『従順な兵隊(サーヴァント)』として再構築しなさい」
「はい」
リリィの手によって血の制約を与えられた3人の男たちは、恐怖で動く不安定な奴隷から、肉体の疲労を感じず、病気にもならず、不眠不休でエリュシオンの岩盤を穿ち続ける「下位の不死労働者」へと変貌した。知性は生前のまま維持されているため、エレンが指示する複雑なデブリの解体作業や、プラントの溶接作業も完璧にこなす。
真祖(ルクレツィア)を頂点とし、その意思を完全に体現する上位眷属(リリィ)、その下に連なる現場指揮官(エレン)、そして最底辺で無限に働き続ける下位眷属(男たち)。
外部組織と一切関わることなく、完全に要塞の内部だけで増殖し、完結する「吸血鬼のピラミッド社会」が、ここに完成した。
それから数年。宇宙世紀は0010年代の中盤へと差し掛かっていた。
小惑星の内部はすでに直径数キロメートルにわたって完全にくり抜かれ、人工重力ブロックと、エレンがデブリからリサイクルした資材で組み上げた巨大な「密閉型水耕プラント」が稼働していた。
ディザードの駆動音だけが、静かなドックに響く。
ナノマシンシステムによって、何年酷使しようともジーン・プラスチックの装甲は新品同様の鈍い光沢を放っている。このエルガイム世界のオーパーツは、今や要塞の守護神だった。
「お姉様。また、暗礁宙域の境界線に『ネズミ』が紛れ込みました」
ドックのコンソールを監視していたリリィが、冷淡な声で報告する。
モニターに映し出されたのは、宇宙海賊の高速巡洋艦だ。かつての汚職兵の巡洋艦とは違うようだった。
「……徹底して潜むと言っても、向こうから踏み込んでくるなら話は別ね」
おっさんはディザードの操縦桿を握り直した。
今回は機体を出す必要すらない。彼らが数年かけて築き上げたエリュシオンは、今やそれ自体が「生きた吸血要塞」と化していた。
「リリィ、外壁の『従僕たち(下位眷属)』に迎撃を命じなさい。ディザードのランチャーも、要塞の対空砲も使ってはダメ。この世界に『熱源』や『光』の痕跡を残してはならないわ」
「了解しました」
リリィが精神波(テレパシー)を通じて、外壁のデブリの中に潜ませていた下位眷属たちに命令を下す。
宇宙服も着ず、凍りついた鉄屑のフリをしてデブリに同化していた数名の不死の兵士たちが、一斉に目を赤く光らせて動き出した。
彼らは生身のまま、背中から生やした不完全な霧の翼(リリィから分け与えられた力)を使い、無音で海賊の巡洋艦へと肉薄する。
「な、なんだ!? レーダーには何も映ってないぞ! ……うわあああ! 窓の外に、人間が、人間が浮いてる!!」
巡洋艦のブリッジのガラスに、突如として張り付いた「死人の顔」。
下位眷属たちは、真祖の血によって強化された指先(爪)を使い、厚さ数センチの強化偏光ガラスをメリメリと素手で引きちぎった。
空気が一瞬で宇宙空間へと噴出し、乗員たちがパニックに陥る。
しかし、窒息するよりも早く、下位眷属たちの牙が彼らの首筋へと突き立てられた。真祖の力が末端まで行き渡る。巡洋艦の乗員たちは、悲鳴を上げる間もなく、その場でエリュシオンの「新たな下位眷属(末端の兵隊)」へと作り変えられていった。
数時間後、完全に制御を奪われた海賊の巡洋艦は、自ら推進器を点火し、エリュシオンの地下ドックへと音もなく吸い込まれていった。
「お見事です、お姉様。これでまた、新しい船のパーツと、5人の新しい『作業員』が手に入りましたね」
エレンが、すっかりこの要塞の冷徹な空気に馴染んだ顔で、入港する船を見上げて言った。彼女自身は人間のままだが、不老不死の怪物たちに囲まれ、外部の泥沼の戦争から隔離されたこの「絶対的な安全圏」を、今では何よりも愛していた。
ディザードのコックピットから降りたおっさんは、6歳の幼女の小さな身体で、冷たい合成血液のボトルをストローで啜った。
外部の組織とは絶対に接触しない。
アナハイムにも、連邦にも、ジオンにも、その存在を一切知らせない。
迷い込んできた獲物はすべて内部に取り込み、要塞の肉肉しい「細胞」として再構築する。
修理の要らないディザード(HM)と、無限に増殖する不死の亡霊たち。
「ジオン公国が生まれようが、一年戦争が起きようが、私たちの知ったことじゃないわ。……さあ、次の区画の掘削を進めましょう」
宇宙世紀0010年代の暗闇の中で、歴史の表舞台から完全に消去された「もう一つのアクシズ」は、真祖の幼女(おっさん)のサバイバル精神と共に、誰にも見つからない深淵へと、さらにその規模を拡大していく……