銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー   作:りぶ大根

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第1章 虚像の戦女神
第1話 王都陥落


「全軍、前進開始!」

 

澄んだ声が戦場に響き渡った。

 

王都の西、ウィンドル平原は薄い朝靄に包まれていた。

風一つない静寂の中、一万二千のローゼンベルグ王国軍が整然と隊列を組み、西へ向けて陣を構えている。

対するグランゼイド帝国軍は約一万。兵力的には、ほぼ互角といえた。

 

その先頭に立つのは、白銀の鎧と深紅の外套(マント)をまとった少女。

聖騎士団長、セレスティーヌ・フォン・ランカスターだった。

 

十八歳の誕生日を迎えたばかりの彼女の姿は凛々しく、まるで神話に出てくる戦女神(エイリーン)のように見えた。

 

「セレス様! お待ちください!」

副官のミリア・ルヴェールが慌てて馬を並べた。漆黒の髪を持つ二十八歳の女騎士は、その鋭い眼差しで少女を見つめた。

「昨夜の軍議で決まった策は? 左翼部隊による側面攻撃はどうなさいました?」

 

セレスは振り返り、少し困ったように、けれど愛らしく微笑んだ。

「そんなに心配しなくても大丈夫です、ミリア。私たちは正々堂々と、正面から敵を打ち破るべきなのです。何より――」

 

彼女の瞳に無垢な確信が宿った。

戦女神(エイリーン)の導きが、私たちに勝利をもたらしてくれます。さあ、今こそ正義を成しに行きましょう!」

 

「セレス様! お考え直し下さい!」

 

セレスは右手で制した。日輪が昇り始め、彼女の鎧が黄金に輝いた。

 

(私は選ばれたのだ。あの方のように、奇跡を起こして人々を救うために……)

 

「我がローゼンベルグ王国は建国以来、敵を退けられなかった日は一日としてありません。私たちは正義のために戦います! そして戦女神(エイリーン)は我らと共におられます!」

 

副官の制止も聞かず、セレスティーヌは先頭に立ち続けた。

 

セレスのそばにいる聖騎士団の兵士たちからは歓声が上がった。

「セレスティーヌ様万歳! 戦女神(エイリーン)万歳!」

その熱狂の渦は、瞬く間に全軍へと広がっていく。

 

だが、今回の戦いで聖騎士団に急遽編入された実戦経験が豊富な兵たちは、表情を曇らせていた。

「……作戦内容が違うぞ? なんか聞いているか?」

 

正面に位置する敵軍からも動きがあった。

鬨の声が轟く。グランゼイド帝国軍が動き始めた。

 

敵の総大将はディートハルト将軍。武人気質で正攻法を好むと聞く。

ミリアが打開策を考える前に帝国軍が迫る。

 

「敵が来ます!」

 

「ええ、わかっています。敵はほぼ互角、士気が高い我が軍が負けるはずはありません」

少女の楽観的な言葉に、ミリアが静かに言葉を重ねた。

「僅かですが数的優位はこちらにあります。ここは無理をせず、厚みを持たせた陣形で押し潰しましょう」

 

両軍が徐々に距離を詰めていく。敵の先鋒が見えた瞬間——。

 

「突撃!」

セレスの号令と共に、中央の部隊が一気に駆け出した。地響きのような蹄の音がウィンドル平原に轟く。

 

『銀光』の二つ名を持つ彼女の剣技は凄まじく、目の前の帝国兵を次々と倒していく。その圧倒的な戦女神の如き武勇に、味方の兵士たちの士気は爆発的に跳ね上がった。

 

「セレス様へ続け! 帝国軍を蹂躙せよ!」

周囲の味方も怒濤の勢いでそれに連なり、王国軍の突撃は瞬く間に敵の前衛を食い破った。

戦闘開始から半刻が経過しても、王国軍の進撃は止まらない。敵の防衛線は紙切れのように引き裂かれ、戦況は完全に王国軍の一方的な猛攻となっていた。

 

「勝てる……! 我らが聖騎士団の敵ではない!」

「帝国軍など恐るるに足りん! このまま本陣まで突き進め!」

 

歓声を上げ、盲目的に敵を追う兵士たちの後ろで、ミリアだけは冷や汗を流していた。手綱を握る手が不気味なほどに強張っていく。

 

(おかしい……。いくらセレス様の武勇が凄まじいとはいえ、あのディートハルト将軍が率いる帝国軍の中央が、ここまで脆く崩れるはずがない。それに――)

 

ミリアの鋭い眼光が戦場全体を捉える。

切り伏せられている帝国兵の数は確かに多い。しかし、敵の陣形は「崩壊」して散り散りになっているのではなく、まるで計算されたかのように、一定の距離を保ちながら綺麗に後退しているのだ。

 

ハッとしてミリアが視線を左右の遥か後方へと走らせた瞬間、全身の血が凍りついた。

 

中央が後退していく一方で、帝国軍の左右の部隊は敗走するどころか、じわじわと前進しながらこちらを大きく回り込もうとしていた。それはまるで、獲物を閉じ込める檻の扉が、左右から静かに閉まりつつあるかのような光景だった。

 

(罠だ……! 中央で私たちを深く引きずり込み、左右から完全に退路を断つ気だ!)

 

最悪の予感が脳裏をよぎった瞬間、王国軍はさらに速度を上げて敵陣の奥深くへと突き進んでいってしまった。

 

前線から届く勝鬨(かちどき)の連鎖に、後方にいた兵たちまでもが勝利を確信し、歓声を上げ始めている。誰の目から見ても、王国軍が完璧に帝国を圧倒しているように見えた。

 

――だが。

 

正攻法を好むはずの敵将が仕掛けた、あまりにも狡猾な罠であった。

深く突出した聖騎士団の左右から、回り込んできた帝国軍の包囲の網が、ついに容赦なく閉じられようとしていた。

 

「罠よ! 全軍止まって! 左右を見なさい、包囲されつつあるわ! これ以上突出しないで!!」

ミリアが喉を潰さんばかりに叫ぶ。

だが、勢いに乗ったセレスの耳にその声は届かない。

 

「ああ……」

ミリアが小さく嘆息したその時だった。

 

前線で悲鳴が上がる。

突出した部隊に対し、敵が左右から挟撃を開始した。

 

それは、聖騎士団が「獲物」に変わった瞬間だった。

横合いから突き立てられる槍、容赦なく振り下ろされる斧。

包囲の圧力にさらされた騎士たちは、逃げ場を失い、次々と泥の中に沈んでいく。

 

(このままでは、ここで全滅する……!)

ミリアは即座に決断した。

「全軍、突入! 混戦に引きずり込んで!」

 

ミリアは後方に残っていた部隊を一斉に押し上げた 。

勝利を捨て、あえて戦場を泥沼の混戦状態に陥らせる。

その隙を突き、ミリアは馬を飛ばしてセレスの元へ駆け寄った 。

 

「王都西門まで退いて迎撃しましょう。このままでは囲まれます!」

 

馬上で叫ぶミリアに対し、セレスは呆然と立ち尽くしていた。

白銀の鎧は返り血を浴び、その顔は紙のように蒼白だ。

「なぜ……なぜこのようなことになったの? 戦女神(エイリーン)の加護は……?」

 

うわ言のように繰り返す少女。今、何が起きているのかさえ理解できていない。

 

「セレス様。ご無礼を!」

鋭い叫び声と共に、ミリアの掌がセレスの頬を強く引っ叩いた。

 

「いい加減、目を覚ましてください。周囲の現実に目を向けてください !」

 

弾かれたように顔を上げたセレスの瞳に、残酷な光景が映った。

帝国軍に蹂躙され、誇りも命も奪われていく聖騎士団。

「助けて」と手を伸ばした兵士が、敵の馬に踏みつぶされる。

 

セレスの体が、小さく震えた。

 

「王都西門まで退きます。良いですね?」

問うミリアの眼差しは、冷徹なまでに真剣だった。セレスは、もはや言葉を返すことさえできず、ただ無言で深く頷いた。

 

 

王都西門まで後退した聖騎士団だったが、そこに安息はなかった。

 

王都ローゼリアは、優美な景観を誇る一方で高い城壁を持たない。

防衛には向かないその構造が、今、仇となっていた。

 

聖騎士団が王都を出てウィンドル平原で敵を迎え撃ったのは、この脆弱な都を戦火に巻き込まないためでもあった。だが、緒戦での半壊がすべてを狂わせた。

 

ミリアがこの場所へ退いたのは、決してそこが防衛に有利だからではない。あの壊滅的な危機から全滅を免れるためには、そうする以外に道がなかったのだ。

 

「敵を王都(ローゼリア)に入れないで!」

ミリアが叫ぶ。

 

しかし、その命令は空しく響くだけだった。

聖騎士団の兵たちは完全に士気を失っていた。

 

逃げ惑う市民。燃え上がる街並み。

そして、帝国軍の騎兵が濁流のごとく王都へと突入していく。

 

「王都内に敵が……!」

しばらく放心状態だったセレスが、ようやく我に返る。

 

ローゼンベルグ王国建国以来、一度たりとも許さなかった外敵の侵入。

出立時に彼女を送り出したあの輝かしい歓声は、今や、逃げ場を失った人々の悲鳴へと変わっていた。

 

「セレス様! お逃げください!」

ミリアの鋭い声が飛ぶ。

 

セレスは襲い来る帝国兵を次々と斬り伏せるが、それは広大な火災に水を撒くような、絶望的な抵抗でしかなかった。

「まだです! 私は王都(ローゼリア)を守る聖騎士団長なのです!」

 

必死に食い下がる少女に、副官は怒鳴るように訴えた。

「今は生きて撤退することが最優先です!」

 

ふと路地へ目を向けると、帝国兵に襲われる市民の姿が視界に入る。

セレスは反射的に敵兵を斬り伏せ、倒れた人々へ駆け寄った。

「大丈夫ですか!?」

 

返事はない。

重なり合うように横たわる人々は、苦悶に歪んだまま白く冷え切っていた。

その濁った瞳が、なぜだか自分を責めるように見据えている気がした。

 

(……ごめんなさい)

 

崩れ落ちそうな主君の姿を見て、ミリアは決意を込めて声を張り上げた。

「聖騎士団、一旦王都を離れるわよ! ――生き残って再起を図りなさい!」

 

ミリアは残存兵とセレスを引き連れ、王都を脱出した。

幸いにして敵の追撃はない。帝国は王都の占領を優先しているようだった。

 

 

夕闇が平原を包み込む頃、一行はどうにか王都近郊、南の森へと逃げ込み、急造の野営地を張った。

すっかり陽の落ちた暗闇の中、残存兵力は僅か三千。その大半が負傷しており、木々の間には呻き声だけが低く響いている。

 

焚き火の音だけが聞こえる、静まり返った夜。ミリアは、地面をじっと見つめ続けるセレスの傍らに立った。

 

「なぜ、作戦を変えられたのですか」

 

セレスは顔を上げなかった。

「……私は、ヒルデガルドのように……」

 

戦女神の生まれ変わりと言われた、百年前の救国の英雄『聖女将軍ヒルデガルド』。

その高貴な名を呟いた少女の肩は、夜露のせいか、それとも深い後悔のせいか、小さく震えていた。

 

――後に、そのヒルデガルドをすら凌駕する伝説を残すこととなる英雄セレスティーヌ。

だが、その始まりである彼女の初陣は、語るも無残な大敗であった。

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