銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー 作:りぶ大根
巨木と布で編み上げられた宮殿に、張り詰めた緊張が満ちていた。
引きずり出されたピエトロの正体は、バザル・アムの商人などではなかった。その実態は、ヴァリシア公国軍に所属する工作部隊の密偵。
愛娘ルナを
「――この者共を即刻、処刑せよ! 我が森の掟に従い、土の肥やしにしてくれる!」
激昂するイルーシアが処刑を命じようとしたその時、カイルが静かに制止の手を挙げた。
「お待ちください、イルーシア殿」
「止めるな、カイル殿! こやつらは我が娘を、我が同胞を弄んだのだぞ!」
「処刑してしまえば、そこで終わりです。それに……たとえヴァリシア産であっても、今この森から塩の供給が完全に途絶えれば、困るのはあなた方のはずだ」
カイルの冷静な指摘に、イルーシアは唇を噛み締めた。
「しかし……黙って見過ごすことなどできん!」
「ええ、もちろん。ですから『商談』ではなく『外交』をしましょう」
カイルは、地面に這いつくばるピエトロを冷徹な瞳で見下ろした。
「ピエトロ殿。もし
ピエトロの顔から、さらに血の気が引いていく。
「同盟はお前たちの国との取引を即座に停止するだろうな。この大陸の物流を握る
カイルは一歩踏み込み、逃げ場を奪うように言葉を重ねた。
「主力産業である『黒鋼』を輸出し、公国で採れない必需品を輸入することで、お前たちの国は成り立っている。……自給自足など、到底不可能だ。国が干上がるのを待つか、それともこちらの条件を飲むか。……選ぶのはお前たちだ」
「くっ……して、その条件とは」
這いつくばったまま、ピエトロが震える声で問う。カイルは冷徹な眼差しを崩さず、三つの条件を突きつけた。
「一つ。サリナッツォ湖産の塩は、今後も継続して取引すること。ただし、これまでの詐欺的な価格ではなく、適正な相場でだ」
「二つ。ヴァリシア公国は、この森への侵略行為を当面一切行わないこと」
「そして三つ目。これらを単なる約束ではなく、国家間の正式な条約として締結しろ」
ピエトロの顔が苦渋に歪む。だが、カイルの追撃は止まらない。
「イルーシア殿。ヴァリシア公国は到底信用に値しません。私がバザル・アムの知人に書を送り、念のために正式な塩の取引ルートを確立させましょう。保険は多いほうが良い」
カイルは笑みを浮かべながら補足した。
「それに新たな交易の可能性も増えるかもしれませんよ。
「……カイル殿。貴殿の配慮、痛み入る」
イルーシアは深く頷き、信頼を込めた眼差しをカイルへ向けた。
「そして、もし公国が条約を違えるようなことがあれば、即座に
血の気の引いた顔で、ピエトロが震える唇を動かした。
「……私の一存では、そのような重大な決断は……」
「わかっている。本国に戻り、上層部といくらでも相談してこい」
言い淀むピエトロを、カイルは冷たく突き放した。
「答えは一つしかないはずだ。国を滅ぼしたくなければな」
◇
ピエトロたちが解放され、宮殿に静寂が戻った後。
フェリックスが不思議そうに首を傾げ、カイルに問いかけた。
「なあカイル。塩を適正価格でって……もっと吹っ掛けても良かったんじゃねえか? あいつらの弱みを握ってるんだしよ」
「……フェリックス。追い詰めすぎた鼠は、時に猫を噛み殺すものだぞ」
カイルは窓の外、森の様子を見つめて答える。
「この件で、公国は『
「なるほどな。背に腹は代えられなくなるか……」
フェリックスが納得したように頷くと、カイルは不敵な笑みを浮かべた。
「ああ。だからこそ『今まで通り
イルーシアはカイルに向き直ると、静かに、だが重みのある声で告げた。
「カイル殿。娘の命を救い、さらに我が一族の窮地をこれほどまでに救ってくれたこと……もはや感謝の言葉も見つからない」
カイルは静かに姿勢を正し、
「イルーシア殿。では今度は『王国』と『シルヴァ氏族』の『商談』をさせていただきたい」
「商談だと?」
「その前に、まず断言しておきます」
カイルは隣に座るセレスに視線をやり、言葉を継いだ。
「彼女の行動は純粋な慈悲心によるものです。ルナ殿を救いたい。ただその一心で、彼女は動きました」
「分かっている。ルナのことだけでなく、塩の件でも大変世話になった。その気持ちを疑うわけがなかろう。喜んで取引に応じよう。
イルーシアの快い返答に対し、カイルは首を振った。
「いえ。欲しいのは鉱石ではなく――兵士です」
「兵士だと……?」
「私がこの地へ足を踏み入れたのは、ルナ殿の護衛だけでなく、貴方方に協力を求めに来たからです。我々は公国軍四千を壊滅させ、後方の憂いを排除しました。だが、アルクリーズ城の兵を仮に五千を借りられたとしても、我が軍は一万に満たない。王都に居座る帝国軍と戦うには、まだ戦力が足りないのです」
カイルの冷徹な分析に、同席していたセレスも表情を引き締める。
「援軍か。……だが、貴殿らのように何千もの数は集められんぞ」
「数は必要ありません。我々が求めているのは、エレフィン族の『弓』です。精密で長射程の狙撃は、我が軍にとって計り知れない価値がある」
イルーシアの表情が、少し曇る。
「森の外か……。本来なら、関わりたくはないな」
「お母様、私を行かせてください!」
その時、柱の影で見守っていたルナが、必死の形相で飛び出してきた。
「ルナ!? 聞いていたのですか。貴女はまだ安静にしていなさい」
「嫌です! 私はセレス姫様に恩返しがしたい。あの方と一緒に、ヴァリシアや帝国と戦いたいのです!」
娘の無謀な、けれど曇りのない訴えに、イルーシアは言葉を失った。
セレスは驚きに目を見開いたが、自分を見上げるルナの瞳に、かつての自分自身の姿を見た。
父の反対を押し切り、亡き母の言葉を信じて騎士になると決めた、あの日の自分だ。
――『自分の道を選ぶ自由を持ちなさい』
「ルナ、本気なの?」
セレスは優しく、だが一人の戦士としてルナを見つめた。
「はい、セレス姫! 私は、貴女のような強くて優しい姫になりたい。森に閉じこもっているだけじゃ、何も知らない、何も守れないって気づいたんです!」
「……私もね、ルナ。今の貴女と同じだった。周りにどれだけ止められても、危ないと言われても、自分の決めた道をどうしても譲れなかった。だから、その瞳に宿った火を、私には消せそうにないわ」
セレスは顔を上げ、苦渋に満ちた表情のイルーシアを真っ直ぐに見据えた。
「イルーシア様。私はルナの意志を尊重します。もし彼女を連れて行くのなら……私は命に代えても彼女を守り抜くと誓いましょう。ローゼンベルクの聖騎士団長の名誉にかけて」
その宣言が、宮殿の空気を震わせた。
イルーシアは沈黙した。セレスの瞳に宿る覚悟と、娘の揺るがぬ意志を交互に見つめ、やがて、小さく息を吐いた。
「……その言葉、
「お母様……!」
「ルナ。森の外は精霊の加護が届かないかもしれない。十分に注意するのだぞ」
母の懸念に、セレスが静かに微笑んで答えた。
「イルーシア様、大丈夫です。自分を正しく見つめ、奢らず、謙虚に行いをすれば、必ず『加護』は届くはずです。ルナなら、特に」
イルーシアは即座に、娘に同行する勇者を募った。
こうしてセレス率いる一行に、森の精鋭たる五十名のエレフィン長弓部隊が加わることとなった。
ルナという新たな仲間、そして頼もしい援軍と共に。
聖騎士団は、次なる戦いへと歩み出したのだった。
◇
グランゼイド帝国。
帝都ライヒェンバッハの威容を誇る宮殿、その王座の間には重苦しい沈黙が流れていた。
玉座に深く腰掛けた皇帝ヴィルヘルム三世は、手元の報告書を忌々しげに放り投げた。隣に控える宰相ベルトルトへ、氷のような視線を向ける。
「……王都占領以降、連戦連敗ではないか。我が帝国の精鋭が、王国の残党ごときに手こずっているなど、もはや笑い話にもならんぞ」
「陛下、恐れながら……。聖騎士団の参謀役に、カイル・ヴァルデンなる男が加わったようです」
宰相が冷や汗を拭いながら告げると、皇帝は不愉快そうに目を細めた。
「変わり者として軍を追われ、辺境で朽ち果てただけの男だと思っていたがな。……ふん、腐ってもヴァルデンということか」
皇帝は鼻で笑い、苛立ちを隠さずに言葉を継いだ。
「埒が明かぬ。マクシミリアンを呼べ」
数刻後。謁見の間に現れたマクシミリアンには、かつての傲慢さは微塵もなかった。床に這いつくばるようにして、震えながら恐縮している。
「マクシミリアン・フォン・カシュタイン。貴公も、例の『
「……お、仰る通りにございます。弁解の余地もございませぬ」
「本来ならば厳罰に処すところだ。だが、ヴァリシア公国との国境紛争で見せた貴公の働きに免じ――何より、古くからの友人であるカシュタイン子爵が、息子のために必死に頭を下げてきたゆえな。今回に限り、不問に付してやろう」
「はっ! 寛大なご慈悲、痛み入ります!」
マクシミリアンが安堵の息を漏らしたのも束の間、皇帝の冷徹な声が追い打ちをかけた。
「その代わりだ。直ちに兵五千を率い、王都方面へ向かえ」
「はっ、承知いたしました! ……
「いや、
マクシミリアンはその名を聞き、直感的に偽名だと悟った。
だが、それを指摘する勇気などあるはずもない。マクシミリアンは顔を伏せたまま問いかけた。
「エルム・クロウ……? 聞き及ばぬ名ですが、いかなる人物でしょうか」
皇帝は薄く笑みを浮かべた。
「かの
「……ハッ! 承知いたしました!」
マクシミリアンは深々と一礼し、逃げるように玉座を辞した。