銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー 作:りぶ大根
夕刻。ローゼンベルク王国バルガ砦。
一匹の
木筒の中の内容を確認した伝令はあわてて砦の防衛を任されているガストン男爵に報告する。
「『本日か明日の夜、帝国兵三千が、夜の闇にまぎれて砦の監視をやり過ごし、ベスティア領の王国軍主力の背後に回る可能性があるので、警戒されたし』とのことです」
それを聞いたガストンと副官は驚く
「まことか!送り主は?」
「ライネル将軍となっています。ただ、竜がいつもと異なるような……」
「ふむ。しかし
「……確かに」
副官もガストンの言葉に頷いた。
ガストンは何かを思いついたように、語り始めた。
「よし。ならばワシらは、その帝国の策の裏をかいてやるとしよう。街道に敵の気配がしたら、背後から強襲するのだ!」
「なるほど、それは妙案にございますな」
副官は感嘆の声を上げたが、すぐに軍人としての懸念を口にする。
「しかし閣下、敵が砦に気づかれずに通過しようとしているなら、こちらの動きにも相当警戒しているはずです。敵を発見してから兵を砦から出したりすれば、その動きを気取られる可能性もあるのでは?」
「……確かに一理あるな。では、夜になる前にあらかじめ街道の横の森へ、伏兵を配置しておくというのはどうだ?」
「はい。その作戦でいきましょう。それならば敵を一網打尽にできます」
副官の賛同に、ガストンはさらに満足そうに頷き、砦の安全への配慮も付け加えた。
「ただ、手薄になった砦を狙う別動隊がいる可能性も否定できん。守備兵を百名ほど残し、我々が出兵した後は東西の城門を両方とも固く閉じておけ」
「承知しました。もうすぐ日が沈みます。早速、出兵の準備に取り掛かります」
「うむ。しかし帝国の仕掛ける策とは、随分と子供騙しよのう。これしきの浅知恵に引っかかって
◇
そして、夜。バルガ砦から少し離れた、静まり返る帝国軍の陣営。
「――夕刻、バルガ砦の東門から、王国兵およそ四千が出撃したのを確認いたしました」
物見の報告を受け、エルム・クロウは感情の失せた瞳のまま、静かに立ち上がった。
「分かりました。……ついてきてください」
彼女は潜入や暗殺に長けた、わずか三十名ほどの精鋭だけを率い、マクシミリアンと共に夜陰へと紛れる。向かったのは、バルガ砦の城門が存在しない、北側の分厚い城壁の直下であった。
「確か、この辺りだったわね。……やってみて」
エルム・クロウが部下の一人に顎で促す。
手慣れた密偵が城壁のブロックの一つを強く押し込むと、驚くほど簡単に石材が外れ、奥に微かな隙間が生まれた。周囲のブロックも同様の仕掛けで次々と取り外され、大人が一人、容易に這い入れるだけの抜け穴が完成する。
「お前……本当にこのバルガ砦に赴任していたんだな」
目の前の光景に、マクシミリアンは思わず息を呑み、感嘆の声を漏らした。
「感心している場合じゃないわ。皆、さっき見せた砦の見取り図は頭に入っているわね? ――潜入後、速やかに砦の内部を制圧し、城門を内側から開けて」
「「はっ!」」
侵入者たちは音もなく、王国の誇る堅牢な砦へと吸い込まれていった。
◇
一方、その頃。砦から連なる街道付近の森。
木々の隙間に身を潜めていたガストン率いる王国軍は、じりじりと焦燥感に焼かれていた。
「……閣下、少しずつ空が明るくなってきましたね。帝国軍の通過は明日……いえ、日付が変わったので今夜、ということになりますか。確か昨日の伝信では『今日か明日の夜』とのことでしたから」
眠気と疲労を滲ませた副官の言葉に、ガストンは忌々しげに顔を
「うむ。ちと残念だが、一度砦に戻り、今夜の奇襲に備えて英気を養うとしよう。引き上げるぞ」
当てが外れ、一晩中張り詰めていた兵たちの緊張が一気に途切れる。
完全に油断しきった面持ちで、ガストンたちはバルガ砦の東門へと帰還した。だが、鉄格子の重厚な門を開けるよう命じたガストンに対し、城壁の上から見張りの守備兵が困惑した声を張り上げた。
「――申し訳ございません、ガストン閣下! 門を開閉する装置の調子が非常に悪くて動かない状態です! お手数ですが、西門へと回り、そちらからご入場ください!」
「チッ、あとで整備の担当者を厳しく叱責せねばな……」
ガストンは不機嫌極まりない様子で馬首を返し、兵たちを引き連れて西門へと回る。
「門を開けよ! ワシだ、ガストンだ!」
西門の前に到着したガストンは、苛立ちを隠さずに砦の城壁に向かって怒声を浴びせた。
すると、城壁の上に姿を現したのは――エルム・クロウであった。
彼女は、眼下の王国軍に向けて、砦中に響き渡るような大声を張り上げる。
「――『ガストン閣下の命により、迫り来る
それを合図に、城壁の上から、無数の矢の雨が眼下の王国軍へと容赦なく降り注いだ。
「な、何をしている!? 待て、我々は味方だ!!」
もし最初から「敵」だと分かっていれば、王国兵たちもまだ防衛の態勢を立て直せたかもしれない。
だが、最悪なことに彼らは「味方に誤射されている」と完全に誤認していた。
必死の釈明を叫び続ける王国兵たち。その認識のズレが致命的な隙となり、彼らは盾を構えることすらできず、一向に止まない矢の雨の餌食になっていく。
エルム・クロウは、隣で呆気に取られているマクシミリアンへ指示を出した。
「カシュタイン卿。貴殿は東門から兵を出撃させ、敵の背後に回り込みなさい。東のベスティア領方面へ、一人たりとも逃しては駄目よ」
「お、おう……!」
ガストンたちが、これが全て帝国の仕組んだ最悪の罠だと気付いた時には、既に全てが遅すぎた。
頭上から降り注ぐ絶望的な矢の雨と、退路を断つように背後から襲いかかってきたマクシミリアンの精鋭。バルガ砦を死守するはずだった四千の王国軍は、一晩の戦闘で、無残にも壊滅したのである。
◇
戦闘が終わり、朝日が戦場を照らし出す頃。
マクシミリアンは城壁の上で佇むエルム・クロウへと歩み寄り、静かに語りかけた。
「……エルム・クロウ。すまない、お前の力を疑って悪かった。それと、最初に出会った際にお前に浴びせた、数々の非礼も詫びよう」
マクシミリアンは自らのプライドを横に置き、真っ直ぐに彼女を見据える。
「とにかく、お前は本物だ。……心の底から、感心した。かつては甘い世辞ばかりを並べていた俺だが、今言った言葉に、一切の嘘偽りはない」
「――ふっ。ありがとう、カシュタイン卿」
小さく漏れ出たその声の、柔らかな響きに、マクシミリアンは思わず戸惑い、一歩身を引いた。
「な、なんだよ急に、気持ち悪いな……」
エルム・クロウは、遠い目で考えたあと、マクシミリアンに言った。
「……だって、『他人に認められる』って、とても嬉しいことでしょう?」
人形のようだった彼女の口元が、少し微笑んだかのように見えた。
マクシミリアンは、彼女が自分に向けてみせた微笑みと言葉に、なぜか胸を打たれた。
それを誤魔化すように、彼はあえてぶっきらぼうに言葉を続ける。
「あー、そうだ。堅苦しい呼び方はもうやめろ。『マクシミリアン』でいい」
「……わかったわ。マクシミリアン」
彼女の唇から、自分の名が静かに零れ落ちる。それと同時に、彼の心には抑えきれない衝動が湧き上がっていた。
――なぜ彼女が故国を捨て、帝国へ亡命したのかを、どうしても知りたくなったのであった。