銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー 作:りぶ大根
セレスはミリアの言葉とその意味について問いかける。
「『最後の希望』ですか?」
「はい」
だが、そのあとミリアは珍しく口ごもった。
「……カイル・フォン・ヴァルデン男爵をご存知でしょうか」
「いいえ」
セレスは正直に答えた。
「私の古い友人です」
副官の声には複雑な感情が混ざっている。
「士官学校時代からの知り合いで……彼は優秀な戦術家でした。ヴァルデン家は爵位こそ男爵ですが、代々王国に軍事顧問を輩出してきた家柄です」
ヴァルデン領は王都の南の山岳地帯の麓にあり、今回の侵攻路から完全に外れている。
人口はそれほど多くないが、山に囲まれているため天然の要害を持つ。
そして何より――。
「もしカイルが協力してくれれば、必ず現状を打開できるはずです」
「あなたが、そんな風に誰かを頼るのは珍しいですね」
「彼は、特別ですから」
ミリアは目を伏せた。その横顔には、語られぬ過去の記憶が、複雑な陰を落としている。
その日のうちに、彼らは動いた。
王都奪還のための唯一の行軍が始まった。
険しい山道が、敗走する兵たちの体力を容赦なく削っていく。
ある晩。
セレスはふと、隣を歩くミリアに尋ねた。
「ヴァルデン卿は戦術家なのでしょう? なぜベスティア領防衛の主力部隊に呼ばれなかったの?」
「上官に嫌われて、軍属を外れています。今は自領で農業に励んでいると聞きました」
「農業……? 士官学校を出て、農業をしているというの?」
セレスは思わず声を上げた。
「自分の気に入らないことがあると、上官だろうと高位の貴族だろうと、容赦なく正論を叩きつける悪い癖がありますから。家督を継ぐという名目で、中央から厄介払いされたのです」
ミリアは苦笑いしながら続けた。
「ただ、彼は大局を見る目を持っています。このままでは王国が潰えると理解すれば、道はあるはず。……すべては、セレス様次第です」
「あと……彼は『ヴァルデン卿』と呼ばれるのを嫌います。どうか、名前で呼んであげてください」
ミリアはそこで言葉を切り、少し言いづらそうに付け加えた。
「それに」
「それに、何?」
「……いえ、なんでもありません」
ミリアは前を見据え、歩調を早めた。
◇
数日後の夕刻。
彼らは目的地である小さな城に到着した。
城というより、高めの石壁のある館といったほうがいいだろう。
領内に入ってから気が付いたが、山麓にしては、幾重にも重なる畑が印象的だった。
「こちらです」
ミリアが先導し、粗末な木戸を叩く。
しばらくして扉が開き――現れたのは、一人の青年だった。
カイル・フォン・ヴァルデン男爵。
三十近いと聞いていたが、それよりも随分と若く見える。
ぼさぼさの黒髪と、その奥にある知的で鋭い眼差しが印象的だ。
身に纏っているのは貴族装束ではなく、泥に汚れた土色の麻衣。
その手には、不釣り合いな麦わら帽子が握られていた。
「セレス様は応接室でお待ちください。私は彼と外で話をします」
セレスは頷き、その場を離れた。
ミリアは主君の後ろ姿が見えなくなったのを確認し、カイルと共に庭へと向かう。
十余年ぶりの再会だった。
「久しぶりだな、ミリア」
「カイル……元気そうで、よかった」
ミリアは静かに答えた。
短い言葉の後に沈黙が落ちる。
本来ならば、懐かしさを語り合ってもおかしくない年月が過ぎているはずだった。
だが二人の間には、そんな空気はなかった。
カイルは小さく息を吐く。
「それで、何の用だ」
ぶっきらぼうな口調。
しかし、追い返そうという意思は感じられない。
ミリアは表情を引き締めた。
「王国が危機に瀕しているわ」
「
「なら話は早いわ」
ミリアは王都で起きた出来事と、セレスを連れてきた理由を簡潔に説明した。
カイルは黙って話を聞いていたが、やがて腕を組んだ。
「事情は分かった」
その反応に、ミリアはわずかに安堵した。
「私たちはそれぞれの道を歩んだ。だから今さら昔の話をするつもりはないわ」
彼女は真っ直ぐカイルを見た。
「でも今だけは違う。王国を救うために、あなたの知恵が必要なの」
カイルはしばらく何も答えなかった。
山風が二人の間を吹き抜ける。
やがて彼は苦笑とも諦めともつかない表情を浮かべた。
「……わかった。話だけは聞こう」
ミリアの肩から、少しだけ力が抜ける。
「ありがとう。カイル」
「礼はまだ早い」
カイルは立ち上がった。
「その聖騎士団長とやらに会ってから決める」
そう言って館へ向かう。
ミリアはその背中を見つめながら、小さく息を吐いた。
十年以上の時を経ても、彼はあの頃と少しも変わっていないように見えた。
◇
一方、その頃。
簡素な応接室で一人待たされていたセレスは、焦燥感に駆られていた。
(早く
「――お待たせした」
不意に、扉が乱暴に開いた。
「貴女が、噂の聖騎士団長様だな」
入ってきたカイルの態度は、あまりに不遜で横柄なものだった。
敗戦の公爵令嬢。そんな立場を考慮する様子など微塵もない。
労いや慰めが欲しかったわけではない。
だが、これほど無礼な扱いを受けたのは、セレスの人生で初めてのことだった。
「あ……」
セレスは戸惑いながらも、絞り出すような声で頭を下げた。
「カイル様、お願いです。どうか、私に力を貸してください……!」
「力? 兵士のことか? 生憎、どこぞの大貴族様と違って、大した兵数は抱えていないがな」
「そ、それでも、生き残った聖騎士団の兵と合わせれば三千にはなります。それに、義勇兵として領民に声をかけてくだされば……」
「そして、無駄死にさせろと?」
カイルの冷え切った声が、セレスの言葉を遮った。
「お父上に守られて育ったお嬢様が、『
「――っ。先の戦いでは遅れを取りましたが、私は王都《ローゼリア》を取り戻す覚悟です!」
信念を否定され、セレスは必死に食い下がった。
「王国には
「『神の加護』と『正義』か。そんなもので
カイルは吐き捨てた。
「――それで勝てるのは、伝記の中のヒルデガルドくらいなものだ。それとも貴女は、戦女神とやらをその目で拝んだことでもあるのか?」
何かを言い返したくても、それを裏打ちする言葉も経験もないセレスは、悔しそうに黙り込む。
反応のなくなったセレスを見て、カイルは「困ったものだ」とでも言いたげな、苦い吐息を漏らした。
「……まあいい。そういえば剣には相当な自信があるんだろう? どうだ、俺と勝負しないか? なんなら、貴女が勝ったら兵を貸してやってもいいぞ」
カイルは壁際に立てかけてあった二本の訓練用木剣へと歩み寄った。
まず自分用に一本を掴み取ると、流れるような動作で、もう一本の木剣をセレスへと放り投げる。
「っ……!」
セレスは飛んできた木剣を、パシッと右手で受け止めた。
「私に、手合わせを申し込むとおっしゃるのですか?」
「そうだ」
カイルは木剣を軽く振り、不敵な笑みを浮かべる。
「口で話すより、その方が早い。俺も剣の腕は人並み以上だ。貴女の『正義』とやらが本物かどうか、確かめてやる」
「カイル! 何をするつもりなの!」
二人の間に、ミリアが慌てて割って入る。
「ミリア、下がっていろ」
カイルの声は、酷く冷静だった。
「このお嬢様には、現実を見せる必要がある。……さあ、表に出ようか」
セレスは唇を強く噛み締め、カイルの背中を追って土の地面へと踏み出した。