銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー   作:りぶ大根

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第30話 アルテール平原の戦い(2)

「始まったか……」

そこまで思考を巡らせた瞬間、カイルの瞳から微かな迷いが完全に消え失せた。彼はすでに決断を下していた。

 

カイルは隣に立つセレスへと自然な足取りで近づくと、その耳元で、周囲の誰にも聞こえないほどの小さな声で囁いた。

「セレス。これから私が言う提案に対し、お前は全力で反対しろ。――わざと周りに聞こえるような大声でな」

 

「え……? どういうこと、カイル」

突然の指示にセレスが目を丸くする。だが、カイルにはそれを説明する時間すら惜しかった。

 

カイルは一歩身を引くと、周囲に響き渡るような、わざとらしいほど通る声で厳粛に告げた。

「――セレスティーヌ卿。前線の布陣を確認したところ、戦況は予断を許しません。兵站の防衛が最重要とはいえ、前線が崩れては本末転倒です。我が軍の全軍の移動は無理だとしても、フェリックスの紅蓮騎士団一千、アルクリーズ兵二千およびエレフィン族の弓兵隊を、即座に前線の援軍へと向かわせるべきかと愚考いたします」

 

その言葉の意図を察し、セレスは一瞬だけ口籠もりながらも、必死に「総大将としての反対」を演じ始めた。

「ヴ、ヴァルデン卿! それはなりません。此度の作戦行動はルミナリアでの軍議で正式に決定されたもの。独断での戦力割愛は、明確な命令違反となります!」

 

「確かに軍令は重い。ですが、万が一の事態に備えて柔軟に動くべきでは?」

カイルがさらに声を張って食い下がる。

 

「と、とにかくだめです! 却下します!」

セレスが精一杯の声を張り上げて突っぱねた。

 

カイルはこれ見よがしに深く溜め息をつくと、諦めたように肩をすくめて頭を下げた。

「……分かりました。総大将であるセレスティーヌ卿がそこまで仰るのであるならば、致し方ありません。私の進言は撤回いたします」

 

二人のその大芝居を、慎重に聞いている者がいた。同行している勲功記録騎士(インジケーター)のバス・ドゥである。

 

(どうやら王太子殿下の足枷が効いたようだ。これでセレスティーヌが武勲をあげることはできん。あとは例の依頼をタイミングを見て実行するだけだ)

 

バス・ドゥは満足げに唇を歪めると、その場を離れていった。

 

「――よし。フェリックス、ルーク。前線へ行く準備をしろ」

カイルが冷徹な声で告げた瞬間、天幕の空気は一気に一変した。

 

「そうこなくっちゃな!」

フェリックスが我が意を得たりとばかりに不敵な笑みを浮かべ、愛用の斧槍を強く握り直す。

 

だが、生真面目なルークだけは困惑を隠せず、カイルに向けて鋭い視線を返した。

「……しかしカイル殿、それは上層部に対する明確な命令違反では?」

 

「その通りだ。だが、命令を無視して軍を動かすのは俺の独断だ。――セレスではない」

 

「カイル、まさかあなた……っ!」

セレスが息を呑み、彼の顔を覗き込んだ。自らの首を賭けて自分を守ろうとする軍師の覚悟に、その瞳が微かに揺れる。

 

「おっと、何も言うな。前線で戦っている王国軍が生き残れば、俺の軍令違反の罪など安いものさ」

カイルはセレスの言葉を片手で制し、淡々と言い切った。それでも食い下がろうとするルークが、なおも懸念を口にする。

 

「しかし、それではセレス様の総大将としての管理責任が問われるかと」

 

「まあ、そうなるだろうな。だが、皆やバス・ドゥの前で『反対』したのと『賛成』したのでは、その後の扱いに雲泥の差があるさ。言い逃れの余地は作った。――ともかく急いでくれ」

 

カイルの冷静な先見の策を突きつけられ、ルークもそれ以上の反論を飲み込んだ。

 

フェリックス率いる紅蓮騎士団一千、そしてルークが率いるアルクリーズ兵二千。

命令を遵守するフリをしながら、その裏で王太子の裏をかくセレスティーヌ軍の別動隊は、前線の戦火に向けて音もなく動き出すのだった。

 

 

バス・ドゥはセレスたちがいる街道付近より、さらに後方の林の中に移動をしていた。

周囲の警戒を怠らない暗がりの森林の中で、柄の悪そうな三人組と対峙している。

 

「これは前金だ」

 

懐から取り出した重みのある革袋を放り出すと、受け取った男たちが下卑た笑い声を上げた。

「おー、すげえ! こんなにかよ」

 

「成功した暁には、さらに倍の金額を与えよう。だが気を付けろ。兵士の監視が通常より厳しいから夜に決行したほうがいいだろう」

 

「承知しましたよ、旦那。――へへ、まかせてくだせえ」

 

不気味に頷き合う放火魔たち。彼らの視線の先には、手薄になりつつあるセレスティーヌ軍が防衛する補給物資の集積地があった。

 

 

 

 

一方その頃、最新の地図には載っていないクレス鉱山の古い裏街道。

馬車を伴う行軍の最中、マクシミリアンは焦れたように周囲の山並みを見上げ、不満げに声を漏らした。

 

「思いのほか時間を食ったな。……おいエルム・クロウ、アルテール平原のほうは、もうとっくに開戦してるんじゃないか?」

 

「そうね……。でも慌てなくていいわ。この行軍ペースなら、私たちの襲撃はちょうど夜になりそうね」

エルム・クロウは馬上の人となり、金属製の義手で手綱を巧みに捌きながら、淡々と応じた。

 

「夜襲か。此度の戦、具体的にはどう仕掛けるつもりなんだ?」

 

マクシミリアンの問いかけに、彼女は感情の消えた残ったほうの目を静かに細める。

「ほぼ全軍を以て、敵の補給物資を狙うわ。奪い取るのではなく、破壊が目的ね。……ただ、こちらの本隊による襲撃は、極論を言えば失敗しても構わないわ。あくまで敵の目を引きつけるための、大がかりな陽動に過ぎないから」

 

「陽動……? ほう、ならば本命はどこだ」

 

マクシミリアンが興味深げに眉をひそめると、エルム・クロウは厳しい視線を彼へと向けた。

「マクシミリアン。貴方の率いる部隊の中から、特に動ける精鋭騎兵を百名ほど集めて頂戴。『親衛隊』とかいうお飾りではなく、身分は問わないから、精鋭中の精鋭よ」

 

「わ、わかってるよ」

 

不器用に応じる彼に対し、エルム・クロウはマントの下の左腕――鉄の義手を冷たく鈍く光らせながら、決戦の終着点を口にした。

 

「私たちの本命はこちらよ。――この百名の精鋭を引き連れて、暗闇に乗じて『銀光のセレスティーヌ』の首を直接狙うわ」

 

 

そしてアルテール平原の最前線。

 

両軍は、正面から激突した。

小細工なしの正面衝突となった戦場では、兵の純粋な練度と、死線を前にした士気の高さこそがすべてを物語る。

 

臨時政府の派閥争いにより、意図的に若年兵や老兵の混じった弱兵を掴まされたマーロンド伯爵であった。

しかし、若い頃に王立士官学校で教壇に立ち、数々のエリート騎士を育て上げた実績を持つ彼は、己に与えられた戦力で即座に最善の守備陣形を敷いていた。

 

(ふん、姑息な嫌がらせを……。だが、この程度の逆境で破れるほど、私の戦術は甘くないぞ)

 

マーロンド伯爵はなるべく前面に精鋭を並べ、徹底した防御中心の手堅い陣を敷いて帝国軍の猛攻を持ちこたえる。

さらに彼は、自分の右側の中央軍に最も勇猛なライネル将軍率いるロシュフォール侯爵軍一万二千、左側に最左翼のキース伯爵率いる一万二千の精鋭が並んでいる優位性を、完璧に理解していた。

 

「――全軍、左右の友軍よりも半歩後ろへ下がれ! 後方でどっしりと構え、敵を誘い込むのだ!」

 

マーロンド伯が防衛線を僅かに後退させる。

そこだけが凹んだその陣形は、帝国軍から見れば「中央で押されている敵兵を深追いして突出した瞬間、左右のライネル軍とキース軍から側面を挟み撃ち(挟撃)にされる」という強烈なプレッシャーを与えることとなった。

 

もちろん左右の指揮官にそのような意図は伝えていない。ブラフといってもいいだろう。しかし士官学校の元教官の機転をきかせた遅滞戦術である。

 

数で勝る帝国軍の猛攻を受け止めながらも、王国軍の左翼側は、マーロンド伯の知略によって奇跡的な均衡を保ち続けていた。

 

だが、王国軍全体としては左翼が持ちこたえる一方で、王国軍の右翼側は瞬く間に苦戦を強いられることとなる。

 

「――怯むな! 持ちこたえろ! 押し戻せッ!」

前線に立つ王国軍の騎士たちが悲痛な怒号を張り上げるが、敵の戦圧はそれを遥かに凌駕していた。

 

王国軍の右翼と正面から激突しているのは、グランゼイド帝国軍の左翼――すなわち、あのフルーランシュ占領軍司令部でテーブルの上座で仕切っていた総大将格の宿将エルンスト・フォン・ベルクマン将軍の軍団であった。

 

さらにその隣の軍団には、亡命者への敵意を剥き出しにしていたブルーノ・ザイデン将軍が陣頭指揮を執り、怒濤の勢いで攻め立てている。

 

あの司令部にいた帝国の将星たちの中でも、兵数、実力共に頭一つ抜けた二大巨頭。

小細工は無用。

力による波状攻撃の前に、王国軍の右翼側は防衛線をじりじりと削られ、確実に後退を余儀なくされていた。

 

王国軍の最右翼に位置するエーベルバッハ子爵軍およそ九千は、目の前の帝国軍の猛攻に対し、必死の抵抗を続けていた。

 

大将であるエーベルバッハ子爵は決して無能な指揮官ではない。

眉尻の下がった困り顔から『やる気のない将軍』と揶揄されることも多いが、その実、無駄な損害を嫌い、常に兵の被害を最小限に抑える堅実な用兵で知られていた。そのため兵からの信頼は厚い。

 

だが、純粋な兵数でも僅かに劣勢であり、なにより正面から攻め立ててくる相手は、あの帝国の勇将ザイデン将軍である。

 

彼はこれ以上の突出を避け、完全に守備へと回ることで、他の軍団の戦況を見守ることを決断した。

 

「しかし……他の中央や左翼の味方が好転せねば、我が軍は遠からずジリ貧だな……」

エーベルバッハ子爵は苦々しく呟いた。

 

一方、敵陣のザイデン将軍は、エーベルバッハが完全に守備に徹したことを鋭く察知していた。

 

「ふん、亀のように縮こまったか。――全軍、敵の最右翼よりさらに外側から、回り込むように半包囲を行うぞ!」

 

ザイデン第三騎士団は即座に部隊を二つに割り、手薄な外周を駆け抜け、エーベルバッハ子爵軍の側面へと包囲の牙を剥こうとした。

 

ザイデンは副団長へ視線を向けた。

「シュナイゼル。敵の側面はお前に任せる」

 

「はっ! お任せください」

 

指揮官の指示を受け、シュナイゼルは砂煙を上げて側面へと駆け上がる帝国の別動部隊。

だが――まさにその時。最右翼であるエーベルバッハ子爵軍の、さらに右側の地平線から、凄まじい砂埃と大地を揺るがす地鳴りが響き渡った。

 

シュナイゼルが驚愕に目を見開く。

「な、なんだ!? どこから現れた……王国軍の別動隊か!?」

 

傍らにいた騎士が、動揺を隠せぬ声を張り上げた。

「――(あか)い鎧の騎馬槍(ランス)部隊です! 猛烈な速度でこちらに向かってきます!」

 

「くッ、突撃部隊か! 弓隊、急ぎ奴らに矢の雨を……」

「弓兵! 前に出ろ! 構え!」

斜め上空に向けて一斉に弓を引こうとする帝国の弓兵部隊。しかし、彼らが弦を放つよりも早く、どこからか飛来した無数の矢が、正確に帝国の兵たちの身体を水平に射抜いていった。

 

「な、なんだ!? 敵の弓兵だと? 馬鹿な、あんなに遠い距離から届くはずが……!」

 

それは、ルナが率いるエレフィン弓兵隊の狙撃であった。

森の民である彼女たちは、草原地方の騎馬弓兵のように疾走しながら矢を放つことはまだできない。だが、その場にどっしりと腰を据えた際の「精密な射撃の正確さ」と「圧倒的な射程」だけは、この大陸において間違いなく随一であった。

 

機動力と射撃力がまだ両立できていない現状に、ルナは小さく唇を噛んで呟く。

「もっとセレス姫様のお役にたてるよう訓練しなくては……」

 

「ええい、敵の弓兵の数は少ない! 構わん、そのまま放て!」

シュナイゼルが必死に怒号を浴びせるが、別動隊の地鳴りはすでに目と鼻の先まで迫っていた。

 

「ま、間に合いません!!!」

 

「どけどけどけーいッ!!」

戦場を引き裂くような大音声とともに、フェリックスが不敵な笑みを浮かべて紅蓮騎士団を率い、包囲を仕掛けようとしていた帝国兵へ容赦なく突撃を敢行した。

 

――予期せぬセレスティーヌ軍の強襲。

フェリックスたちの電撃的な参戦により、王国軍の右翼瓦解は、間一髪のところで防がれたのであった。

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