銀光のセレスティーヌ ー 虚像の聖騎士と風変りな軍師 ー   作:りぶ大根

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第31話 アルテール平原の戦い(3)

包囲のために本隊から割かれたザイデン第三騎士団の別動隊は、シュナイゼル副団長が率いる四千の軍勢であった。だが、紅蓮騎士団による想定外の急襲によって完全に出鼻を挫かれ、大混乱に陥ってしまう。そこへさらに追い打ちをかけるように、セレスティーヌ軍のルーク大隊長率いるアルクリーズ兵二千が容赦なく襲いかかった。

 

不意を突かれたシュナイゼルの部隊は、一方的に被害が増すばかりの状況に耐えかね、ついに包囲を諦めて後退を開始する。

 

「――後退か! 逃がすかよ、紅蓮騎士団の真骨頂ってやつを今から見せてやるぜ!」

敵の乱れを鋭く見抜いたフェリックスが、不敵な笑みを浮かべて全軍へ下した号令は、さらなる追撃であった。

 

「全軍、再度突撃するぞッ! ――おいルーク! 我ら紅蓮騎士団の側面と背面のフォローは頼んだぞ! 知っての通り、うちの連中は防御力なんて無しに等しいからな!」

 

自軍の致命的な弱点を、あろうことか戦場に響き渡るような大声で笑い飛ばすフェリックス。そのあまりに破天荒な物言いに、生真面目なルークは半ば呆れ果てながらも、不覚にもつられ笑いを浮かべてしまうのだった。

 

フェリックスたちが仕掛ける追撃の勢いは、留まることを知らなかった。

押し寄せる紅い波に背後から蹂躙され続けるシュナイゼルの部隊は、ただの戦術的後退を行っているはずが、いつしか「自分たちは無残に敗走しているのではないか」という恐るべき錯覚に陥っていく。戦場の恐怖は、四千の兵の統制を瞬く間に蝕んでいった。

 

一方、帝国軍の本陣。

ブルーノ・ザイデン将軍は、前線から引き揚げてきた伝令兵より、シュナイゼル副団長が敵の急襲を受けて後退を余儀なくされているとの報告を受け取っていた。

 

ザイデン将軍は戦場の混乱を避けるため、一時的に正面のエーベルバッハ子爵軍に対する攻勢を緩めた。

 

(ふん……エーベルバッハの軍に、後方から這い出てきた遊撃隊が合流したか。だが、その増援を全て合わせても、この右翼側における兵数はまだ互角に過ぎん)

 

ザイデン将軍の尊大で傲慢な顔には、未だ絶対的な余裕の表情が浮かんでいた。

慌てる必要などない。乱れたシュナイゼルの部隊を一度本隊へと合流させ、陣形を再構築した後に、再び圧倒的な帝国の武による正攻法で王国軍の防衛線をすり潰してやるのみだ、と。

 

やがて、前線の土煙の向こうから、シュナイゼルの部隊がこちらへと戻ってくるのが視界に捉えられた。

 

――しかし。その光景を目にした瞬間、ザイデン将軍の眉が不快げに跳ね上がる。

何かが決定的におかしかった。それは整然とした合軍などでは断じてない。まるで背後から何らかの怪物に追われ、本隊へと命からがら逃げ込んできているような、無残な敗残兵の群れそのものであった。

 

「――何をやっているッ!!」

あまりの無様な醜態に、ザイデン将軍は思わず怒号を張り上げた。

 

追われているならいるで、本隊の横を通過して後方へ逃れてくれれば、それを深追いしてくる敵軍の側面をこちらが横槍で突くことができる。もし敵がこちらのその意図に気づけば、それはそれで追撃を諦めて引いたであろうに。

 

恐慌(パニック)に陥ったシュナイゼルの敗残兵たちは、そんな軍事の常識などとうに忘却し、ただ目の前にある「味方の本隊」という安全地帯を目指して雪崩のように突っ込んできたのだ。味方のパニックの津波に巻き込まれ、ザイデン本隊の強固な陣形までもが内側からガタガタと崩れ始める。

 

「ええい! 慌てるな! 陣を立て直せッ!」

ザイデン将軍が必死に叫ぶが、その号令は大混乱の渦の中に空しく響くばかりであった。

 

王国軍の最右翼で耐えていたエーベルバッハ子爵は、敵陣のその劇的な大混乱の様子を絶対に見逃さなかった。彼は即座に防御陣形を解くと、全軍へ向けて一気に勝機を告げる。

「――今だ! 全軍攻勢に出よ! 崩れた帝国軍を突き崩すのだ!」

 

ザイデン将軍が王国軍の右翼に仕掛けようとしてた半包囲が、今まさに、フェリックスたちの横槍とエーベルバッハ軍の突撃によって、帝国軍側へとそのままブーメランのように仕掛けられる形となった。

 

「馬鹿な……! この我が軍が、こんな烏合の衆相手に、このような不覚を……っ!

シュナイゼルめ、いざという時に使えん男だ」

ザイデン将軍が驚愕と屈辱に顔を歪める。

 

絶体絶命と思われたザイデン第三騎士団であったが、彼らは最終的に、隣に布陣していたベルクマン第二騎士団からの、迅速かつ圧倒的な武力を伴う援軍によって辛うじて救われることとなった。宿将エルンスト・フォン・ベルクマンの、戦場全体を見据える老練な手回しが、王国軍にそれ以上の深追いを許さなかったのだ。

 

やがて地平線の向こうへと日が傾く。互いに致命傷を与えられぬまま、両軍はこれ以上の夜戦を避けるように戦闘を止め、それぞれの陣営へと引いていった。

 

王国の命運を懸けた『アルテール平原の戦い』の初日は、こうして静かに幕を閉じた。

 

この日の衝突において、決定的な勝敗こそ起こらなかった。だが、数で劣る王国軍の電撃的な横槍を喰らったことにより、最終的には、優勢であったはずの帝国軍の側のほうが遥かに損害の多い一日であったと言えた。

 

 

アルテール平原の初日の戦端が閉じ、十キロ後方の街道筋にあるセレスたちの宿営地にも、夜の静寂が降りてきていた。

 

本陣天幕の中で、セレスは手元の地図を見つめながら、ぽつりと不安を漏らした。

「――ルナたち、本当に大丈夫かしら……?」

 

かつてエレフィン族の森にて、ルナの母であるイルーシアと交わした重い約束。

『私は命に代えても彼女を守り抜くと誓いましょう』

 

あの固い誓いがありながら、いざ合戦が始まれば、いきなり自分とは遠く離れた前線の死地へとルナを行かせることになってしまった。その事実が、セレスの生真面目な心を激しく咎めていたのだ。

 

だが、隣に佇むカイルは至って冷静に、いつもの淡々とした声音で彼女を諭した。

「安心しろ、セレス。此度の戦において、俺はエレフィン弓兵隊に対して『敵の攻撃範囲外(アウトレンジ)からの狙撃のみ』を厳命してある。敵の刃が届く前線に彼女たちを晒してはいない。……それに、だ」

 

カイルは長卓の兵棋を指先で弄びながら、セレスへと冷徹な、しかしどこか優しい視線を向けた。

 

「お前のその純粋な義務感は賞賛に値するがな。……そもそもルナが自らの意志で従軍を決めた以上、戦場である限り常に命の危険は付きまとう。お前がどんなに手を尽くそうと、完全に彼女を守り抜くことなど不可能なのは、母親であるイルーシア殿とて百も承知だ」

 

「え……?」

 

セレスが戸惑いを見せると、カイルはフッと微かに口元を綻ばせた。

「イルーシア殿はな、我が子を戦火に送り出すにあたって、人間社会で差別されやすいエレフィン族を率いるということに対する、お前自身の『覚悟の重さ』を聞きたかっただけさ。お前が名誉をかけて彼女を守ると言い切ったその心根に、あの母親は全幅の信頼を寄せて娘を託したんだよ」

 

「……そう、かもしれないけれど」

 

「もし、常にお前の目の届く後方にルナを待機させ、一切の戦闘に参加させなければ、お前の言う『命に代えても守る』という望みは形式上、叶うかもしれない」

カイルはそこで言葉を区切ると、天幕の布を開いた窓の向こう、遠い前線の夜空を見つめて静かに告げた。

 

「――だがな、セレス。当のルナ自身は、決して望んではいないだろうよ」

 

「わかったわ。カイル」

 

その言葉を聞いたセレスの瞳からは、先ほどまでの迷いや言い訳のような曇りが完全に消え去り、再び凛とした光が宿るのだった。

 

だが――その静寂を引き裂くように、エミールが、息を激しく切らせながら天幕へと飛び込んできた。

 

「セレスティーヌ様、叔父さん、大変ですッ! 街道の後方に置かれた、補給物資を積んだ複数の馬車から、同時に火の手が上がりました!」

 

「……っ!?」

セレスの顔が驚愕に強張る。

 

カイルは即座に地図から顔を上げ、天幕の外へ向けて鋭い大号令を飛ばした。

「全軍に通達! 消火を急げ! 敵の工作員が近くに潜んでいるかもしれんぞ」

 

不気味に動き出した身内の罠。カイルは腰の剣の柄に手をかけたセレスを強く見据え、戦いの始まりを告げた。

 

「セレス! 敵襲を警戒しろ、戦闘の準備だ!」

 

 

同じ頃、セレスたちの本陣からほど近い高台。

セレスティーヌ軍の宿営地を見下ろす位置にまで進軍していた、エルム・クロウ率いる帝国の騎兵軍勢。その視界の先で、突如として夜の闇が真っ赤に染まり始めた。

 

横に並ぶマクシミリアンが、驚愕に目を見開いて声を漏らす。

「――あれは、どういうことだ、エルム・クロウ!? 俺たちが仕掛ける前に、勝手に火の手が上がっているぞ? 焚き火の不始末か?」

 

「いいえ。不始末にしては、あまりにも同時に複数の場所から火が発生しているわ。不自然すぎる」

エルム・クロウは感情の失せた瞳で火の光を見つめ、冷静に呟いた。

 

「どうあれ、あちらが勝手に混乱してくれているんだ。俺たちが仕掛けるはずだった陽動の代わりになって、これは好都合じゃないか?」

マクシミリアンが笑うが、エルム・クロウの表情は依然として険しいままであった。

 

「……一概にそうとも言い切れないけれどね」

 

彼女は頭の中で、後輩のカイルの存在を思い逆算していた。

(まだこちらの本隊とは距離がある。だが、あの規模の火災だ。カイルならすでに『部隊規模の敵襲』を警戒して備えを開始しているに違いないわ。――だが同時に、消火のために多くの人手が割かれ、陣形が手薄になっているのも確かでしょうね)

 

奇襲による完全な不意打ちは望めない。だが、敵が混乱している今こそが、最大の勝機。

 

「どうするんだ? エルム・クロウ。作戦を変更するか?」

手綱を握るマクシミリアンの鋭い問いかけに対し、決断を下した。

 

「――いいえ、このまま叩き潰すわ。全軍、突撃! 目標は最も大きな総大将の天幕よ!」

 

「了解したッ! さあ遅れるな、カシュタインの精鋭ども、突撃ぃッ!!」

マクシミリアンの咆哮が夜の回廊に響き渡る。

カシュタイン子爵家を中心とする帝国の騎兵隊は、大地を裂くような凄まじい地鳴りを轟かせながら、炎に揺れるセレスの陣へと突撃を開始したのだった。

 

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