「――モーガンから伝言だ。ミリテクの上の連中が、アルファの働きをえらく買ってるとさ」
重低音が床板越しに靴の裏を叩く、アトランティスの奥まったブース。いつもの顔ぶれの真ん中で、ローグが煙草を挟んだ指で端末を軽く弾いた。
「あの堅物どもが、名指しで褒めるなんて滅多にないことらしいよ」
「コーポに褒められて喜ぶ趣味はねえよ」
ジョニーがグラスを傾けながら、鼻を鳴らす。心底どうでもよさそうな顔だった。
「そう言うと思った」
ローグは肩をすくめ、紫煙を細く吐く。
「まあ、上が気に入ってようがいまいが、こっちの実入りが変わるわけじゃなし。……ただねえ」
一拍、間を置く。
「どこから漏れたんだか、最近はストリートでもうちの噂話ばっかりだ。フィクサー連中、アルファの名前を出すだけで腫れ物扱いしやがる」
この四半期でアルファが落としたアラサカのデータ拠点は、九つ。損耗はゼロ。ストリートのフィクサーたちは、いつからかアルファの名を出すときだけ声を一段落とすようになった。大声で呼べば、本人たちに届くとでも思っているかのように。
「行きつくとこまで来たな、って感じだよ」
満足げな声だった。ただ、灰皿へ灰を落とす指が、いつもより一回多く煙草を叩いた。
「そりゃそうでしょ」
スパイダーが、膝の上のデッキから顔も上げずに口を挟む。筐体を半分ばらして、部品を一つずつナプキンの上に並べている。整備の必要があるわけではない。手が退屈すると、この女は何かを分解する。
「うちのチーム、ちょっと出来が良すぎるんだって。私を筆頭に」
「はいはい」
ローグが軽くいなす。ブースに小さな笑いが漏れた。
ヴォイドはカウンター寄りの席で、その輪を視界の端に置いていた。頼んだグラスには、まだ口をつけていない。結露がコースターに輪を残していく。煙草の煙と、安いシンセ・ウイスキーの甘ったるい匂いが、喧騒と一緒に流れてくる。
(……いつも通りだ)
いつも通り、上手くいっている。そのこと自体が、喉の奥に小骨のように引っかかる感覚を、ヴォイドはもう何度目かで持て余していた。
ふと、輪の外へ視線を投げる。
ウェイランドは、ブースのいちばん端にいた。会話に加わるでもなく、グラスを回すでもない。ただ、引き金にかかる二本の指を――生身のまま残したその指を、テーブルの木目に押しつけては、離していた。何かを確かめるような手つきだった。確かめても、答えの出ないことを確かめ続けるような。
視線が合った。
ウェイランドは軽くグラスを持ち上げ、乾杯とも会釈ともつかない角度で傾けて、また目を落とす。
ヴォイドはようやくグラスに口をつけた。ぬるくなっていた。
*
データ要塞、と呼ばれる類いの拠点だった。
中規模拠点とは、造りからして違う。多層構造の
その裏口の電子錠が、音もなく落ちる。
「――開いた。巡回、二人。あと二十秒でそっちの死角に入る」
スパイダーの声に、気負いはない。読み上げるような平坦さだった。
ローグ、ジョニー、ウェイランド、シャイタンの四人が、開いた裏口から滑り込む。ヴォイドは近場に停めたバンの中、スパイダーと並んで端末の映像を追っていた。
『二十秒か。散歩でもしてくかい』
ローグが軽口を叩きながら、それでも足は淀みなく死角へ吸い込まれていく。
シャイタンがアルファに加わった、あの最初の任務のことを、ヴォイドはふと思い出していた。あの時も似たような潜入だった。だが、あの頃と比べれば――足並みの揃い方が、まるで違う。
手信号すら、もう減っていた。ウェイランドが先頭で分岐を示すより早く、ジョニーが正しい通路へ折れる。ローグが振り返らずとも、背後のシャイタンが射線を塞ぐ位置に立つ。言葉も、合図も、以前ほどは要らない。互いの次の一手が、もう身体に入っている。
半歩下がった位置を歩いていたはずのシャイタンさえ、いつの間にか隊列の呼吸に馴染んでいた。相変わらず口は利かない。だが、その沈黙はもう「たまたま同じ方向へ歩いている」だけの距離ではなかった。
「サーバー区画まで、あと二区画。カメラは全部こっちで抱えてる。……ん、順調すぎて欠伸が出そう」
スパイダーが、ばらしかけのデッキの部品を指先で転がしながら言う。
(……速いな)
ヴォイドは内心で、短くそう呟く。
敵の格は、明らかに上がっている。にもかかわらず、こちらの手際は、あの頃よりずっと滑らかだ。練度という言葉で片付けるには、少し出来過ぎていた。
映像の中、四人が第一の関門を抜ける。抵抗は、まだ一つもない。
*
サーバー区画のデータ抽出が、七割を過ぎた頃だった。
『――おい。こっちの区画、妙なもんが埋まってるぞ』
ジョニーの声が、通信に混じる。映像の中、彼は目標のサーバーから数歩逸れ、隔壁で仕切られた奥の区画を覗き込んでいた。
『暗号化された隔離サーバーだ。わざわざ本命と別で厳重に囲ってやがる。……こういうのに限って、面白いモンが入ってんだよ』
『ジョニー』
ローグの声が飛ぶ。
『余計なことすんじゃないよ。目標は抜いた。予定通り引くよ』
『すぐ済む』
ジョニーは、もう歩き出していた。
『アラサカが隠したがってるモンを引っぺがす。それ以上にロックなことがあるかよ』
制止の声は、届いていない。
バンの中で映像を追っていたヴォイドは、短く息を吐いた。
(……この感覚は、覚えがある)
あの地下施設。ジョニーが防爆扉を吹き飛ばし、鳴り響く警報の中で「ここは丸ごと吹き飛ばす」と嗤った、あの夜。誰の指示も待たず、確認も取らず、退路が塞がれることすら勘定に入れない。何一つ変わっていなかった。
「スパイダー。三人の退路確保を頼む。俺はジョニーに付く」
「……はいはい。あのバカのお守りね。了解」
スパイダーが応じるや、その気配がふっと遠くなる。意識をネットの層へ潜らせた合図だった。ヴォイドもまた意識をサブネットへ沈め、ジョニーのオプティクスへ接続を通した。
『――ジョニー。その区画から離れろ』
頭蓋に直接、ヴォイドの声を送り込む。
『おっ、幽霊のお出ましか。心配すんな、すぐ終わる』
『隔離サーバーはトラップと一体だ。物理封鎖と連動している可能性が高い。触れば区画ごとロックされる』
『だったらお前が解除すりゃいい。得意だろ、そういうの』
あしらう口調だった。背中を預けていた頃は、あれほど気味悪がっていた手管を、今は蛇口の水のように当てにする。ジョニーの指が、隔離サーバーの端末へ伸びていく。
『待て。まだ経路を洗い切れて――』
『うるせえな。勢いに乗ってる時は突っ切るのがロックだって、何度も言ってるだろ』
あの時も、同じ台詞だった。忠告を鼻で笑って踏み出した足の先で、レーザーの罠が待っていた。跳ね上げた銀腕がこの男の命を拾わなければ、今ごろ細切れになっていた男の台詞だ。
(……学習しない男だ)
ヴォイドは内心で毒づき、解除経路の演算を加速させる。だが、ジョニーの指の方が、早かった。
端末の赤い点滅と、施設全体の唸りは、ほとんど同時だった。
「――くそっ、来た!」
スパイダーの声が跳ね上がる。バンの車内、シートに身を沈めた彼女の眼球の裏で、無数の演算が走っているのが、傍目にも分かった。
「防衛機構、全区画で一斉起動! 隔壁が――閉じてく!」
映像の中、ジョニーのいる区画の入口で、分厚い隔壁が轟音とともに落ちた。数センチの隙間もない。遅れて、鈍い振動がバンの車体を通り、座席の下から靴の裏へ届いた。目標のデータを収めたシャードを握ったまま、ジョニーはその内側に閉じ込められる。
『おいっ、なんだこりゃ!』
『動くな。そこは封鎖された。今、経路を洗ってる』
ヴォイドは意識をサブネットの奥へ沈めながら、短く告げる。隔壁の制御ノードは幾重にも守られ、しかも一つこじ開けるそばから、別の防衛系統が上書きしてくる。閉じ込めは、一区画では済まなかった。
「ローグ! そっちも隔壁が――」
『分かってるよ!』
通信越しに、ローグの舌打ちと、銃声が重なる。
映像が、別の区画を映す。ローグ、ウェイランド、シャイタンの三人が、閉じかけた隔壁の手前で足止めを食っていた。そして通路の奥から、アラサカの警備部隊が湧き出してくる。ひとつの波を薙ぎ払えば、次の波。倒しても、倒しても、途切れない。
『増援が途切れない……キリがないね!』
ローグが遮蔽の陰で弾倉を叩き込む。その声に、初めて余裕の欠片がなかった。
「スパイダー、警備の指令系統を叩け。増援の呼び出しを断て」
「やってるってば!」
スパイダーの声が、いつもの軽さを失っていた。
「でも数が多すぎるの! ドローンの制御、ドアのロック、監視系統、全部一斉に来てて――処理が、追いつかない!」
意識は止まっていない。止まっていないのに、間に合わない。一人のランナーが捌ける速度を、アラサカの物量が上回っていく。彼女が一つ潰すたびに、三つ増える。
映像の隅で、ウェイランドがよろめいた。
肩口を撃たれている。生身の肩だった。壁に背を預け、それでも銃を落とさず、残弾を確かめる手つきだけは正確だった。
「ウェイランド――」
『かすっただけだ』
短い返事。だが、その声の下に敷かれた息の乱れを、ヴォイドは聞き逃さなかった。
隔壁の内側で、ジョニーが握ったシャードを見下ろしている。映像越しにも、その横顔から、いつもの好戦的な熱が引いているのが分かった。
シャードを握った拳が、隔壁に一度だけ、鈍く当てられる。
『……チッ』
小さな舌打ちが、通信に漏れる。悪態ですらない、もっと短いもの。欲しかったものは手の中にある。だが、その手は、もう誰の助けにもなれない場所で塞がれていた。
『……悪ィな』
呟きは、誰に向けたものでもなかった。
ヴォイドは奥歯を噛む。隔壁の演算は、まだ半分も進んでいない。ローグたちの弾薬は減り続け、ウェイランドは血を流し、スパイダーの処理は限界に張り付いている。
そのすべてを、ヴォイドはバンの座席から、モニタ越しに眺めていた。
モニタの中で、ウェイランドがまた被弾した。今度は腕だった。壁に背を預け、残弾を確かめる。その指が、初めて一拍、迷った。
ヴォイドは、自分の指が座席の縁を握り込んでいることに気づいた。
(──システムチェック:感情抑制フィルター正常稼働。心拍数、毎分60に固定)
視界の端で、いつもの無機質なログが明滅する。数値は、確かに凪いでいた。フィルターは正常に働いている。心拍は、毎分六十に固定されている。
なのに、その氷の下で、何かが軋んでいた。
(……フィルター越しでも、消せないのか)
かつては、これに助けられていた。街の運命も、この身体を狙う連中の影も、この機械の冷たさが凪に均してくれた。感情を殺し、世界をガラス越しに眺め、何者でもない幽霊の仮面を被る。それだけが、この檻の中で自我を繋ぎ止める生存戦略だった。
だが今、フィルターが均しきれないものが、腹の底で疼いている。
ウェイランドが撃たれるたびに、軋む。ローグの声から余裕が消えていくのが、耳障りでたまらない。スパイダーの息が上がっていくのを、聞いていられない。この連中を失うかもしれない――その想像だけが、毎分六十の凪を、下から突き上げてくる。
(俺は……こいつらを、失いたくないのか)
自分でも、意外だった。仮面の奥で、ヴォイド自身が誰より面食らっている。あの地下施設で、死にかけたジョニーを一度は見捨てようとした男が。肩を寄せてきた女から、仮面を塗り直して逃げたばかりの男が。損得だけで動き、命を数字として処理してきた男が。いつの間に、この連中は切り捨てられない変数になった。
答えは分かっている。仲間が初めて自分を認めた、あの夜だ。生きててよかったと、この手が初めて酒を口に運んだ、あの夜からだ。
飛び出せば、晒すことになる。
脳裏を、いつもの悪夢がよぎる。企業のエンブレムを塗り潰した特務部隊に囲まれ、地図にない地下ラボの手術台で、麻酔もなしに脳を開かれる自分。この身体は一人の人間ではなく、無限の価値を秘めた未知のテクノロジーの塊として、骨の髄までしゃぶり尽くされる。半世紀先のクロームを、この時代の物差しの前に晒すというのは、その悪夢の扉を、自分の手で開けることに等しい。
一度晒したものは、二度と隠せない。仲間の目にも、敵の記録にも。ずっと被ってきた幽霊の仮面が、剥がれ落ちる。
解剖される恐怖と、仲間を失う恐怖。
天秤にかける、までもなかった。答えは、指が座席の縁を握り込んだ時点で、もう出ていた。
「――スパイダー」
「なに!? 今忙し――」
「隔壁の外の警備は、俺が引き受ける。お前は中の三人の援護に集中しろ」
一拍の沈黙。
「……ちょっと、ヴォイド。あんた、まさか」
答えずに、ヴォイドはバンの扉を蹴り開けた。
夜気の冷たさと、遠い銃声と、非常灯の赤が、一斉に流れ込んでくる。
(──警告:戦闘領域への直接進入を検知。感情抑制フィルター、出力を──)
いつものログが、視界の端で何かを告げようとする。無視した。
地を蹴る。脚部のクロームが、抑え込んでいた出力を一息に解き放つ。景色が置き去りになり、非常灯の赤が、視界の端で線になって流れた。
「歩行ドローン、格納庫から二基、起動! ローグたちの区画に向かってる!」
背後のバンから、スパイダーの声が追いすがる。
施設の外壁。最初の隔壁。分厚い鋼鉄の面。
その継ぎ目に、ヴォイドの指がかかった。
2020年代のキャラクターの詳細をあとがき等で書いておいたほうがいいでしょうか?(今更)
あんまり説明ばっかりだと蛇足かなと思ってわざとこのキャラはこう!みたいな説明は控えていたのですが、必要そうであれば検討します