残弾で時間を測る癖は、十年前からだ。
ローグのリバティ、八発。シャイタンのアーマメンツ*1、十と少し。自分のユニティ、四。予備弾倉は三十秒前にローグへ渡した。合計で、あと一回の波を凌げるかどうか。
生身の肩口から肘まで、血が袖の裏側を伝っている。グリップが滑る。握り直す。引き金にかかる二本の指は動く。まだ仕事はできる。
「ローグ、次の波は左の遮蔽へ誘導する。シャイタン、通路の奥を絞ってくれ」
自分の声がやけに平坦に聞こえた。指示を出す喉は弾を込める手と同じで、十年も繰り返せば頭が追いつかなくても勝手に動く。
ローグが弾倉を叩き込みながら頷く。返事はない。この女は戦場で了解を口にしない。遮蔽の角度を二十センチずらし、左の射線を開けた。それが返事だ。
シャイタンが通路の角に肩を押しつけ、射線を切り替える。この男の銃口は常に、最も多くの敵が倒れる角度を選ぶ。
通信越しに、スパイダーの息が漏れる。
「――D区画のロック、また上書きされた。塞いでも塞いでも……ごめん、二経路は開いたまま」
「充分だ。二方向なら捌ける」
嘘だった。四発で二方向は捌けない。だが通信の向こうで限界まで削っている人間に、正直な数字を渡す意味はない。
三人で持たせている。スパイダーが増援の経路を間引いているから保っている。ジョニーは隔壁の向こう。分厚い鋼鉄を挟んで、あの男の銃声が断続的に聞こえる。まだ戦っている。
やっていることは単純だった。壁に背を預け、角度を読み、弾を配り、波を捌く。秒を買う。ウェイランドが十年やってきたことの全部だ。
ふと、頭の隅で勘定が回る。弾薬の勘定ではない。
ローグは政治と銃を同じ手で扱う。ジョニーは隔壁の向こうで孤立していてもこのチームの重心だ。あの男がいなければ、アルファは存在しなかった。シャイタンには無駄な部品がない。目的と殺意が同じ回路を通っている。
スパイダーは――兵隊の物差しでは測れない。通信一本で戦場の地形を書き換える。あれがどれほどの技なのか、弾数と射線でしか世界を見たことのない人間には、正確なところが分からない。分からないということだけが、分かる。
そしてヴォイド。あの男はスパイダーですら届かない場所で走る。ネットの向こうで何をやっているのか、ウェイランドにはもう想像の取っ掛かりすらない。嫉妬すら湧かないのだ。雲を見上げて妬む人間はいない。
親父*2なら、この序列のどこに立っていた。
モーガン・ブラックハンドと差し向かいで撃ち合って、生きて帰った男。ウォーター・レオパーズ*3を率いて、地図に載らない場所で戦争をやっていた男。その息子は今、壁際で四発の残弾を数えている。
通路の奥、格納庫の方角から、重い駆動音が床板を通じて靴の裏に届いた。
歩行ドローン。大型。暗がりの中にカメラアイの赤が二つ灯る。主砲が旋回を始める。
四発。
あれは四発では止まらない。計算するまでもなかった。
砲身がこちらへ据わっていく。知覚の中で時間が鈍く、遅くなる。引き伸ばされているのではない。残りが少ないだけだ。
砲身が据わった。
次の瞬間を、ウェイランドは正確には覚えていない。
覚えているのは音だ。金属が金属を殴りつける衝撃音。歩行ドローンの主砲が横から叩かれ、軸がずれた。砲弾が天井の配管を抉り、破片と火花が頭上に散る。
視界の端に、立っている影があった。
ヴォイド。
いつバンを降りた。いつここまで来た。質問が形になる前に、もう動いていた。
速い、という言葉では足りない。ある位置にいて、次にはもう別の位置にいる。その間に何が起きたかは、崩れていく敵の数でしか分からない。
歩行ドローンの関節部に取りつく。装甲の隙間にこじ入れた指がケーブルを掴み、引き千切る。同じ腕の動きの中で、左手の拳銃が背後の兵を二人撃った。ドローンのカメラアイが明滅し、脚部が力を失う。
二基目。旋回する砲身の下を体が滑り込み、銃口が腹部装甲の隙間に押し当てられる。三発。駆動音が止まる。焼けた回路の匂いが、火薬の煙に混じった。
通路の奥からアラサカ兵が駆け込んでくる。ヴォイドの体が迎え撃つ。一人を壁に叩きつけ、振り向きざまに次を撃つ。
そしてその間に――増援経路のドアが、一枚ずつ閉まり始めた。さっきまでスパイダーが塞いでも塞いでも追いつかなかった経路が、音もなくロックされていく。
「……嘘。増援経路が全部――これ、あんたがやってんの?」
スパイダーの声が通信に弾けた。返事はなかった。
ウェイランドは壁に背を預けたまま、それを見ていた。
目が、どこも見ていない。
十年、戦場で人間を見てきた。どんな手練れでも、戦闘中は目が動く。標的を追い、死角を確かめ、退路を測る。目は、意識がどこにあるかを示す。
ヴォイドの目は、目の前の敵を見ていなかった。体は一人も取りこぼさず倒している。なのに、意識がここにない。
隔壁の向こうから、ジョニーの声が割り込んだ。
「――おい、急にこっちの連中がドアに挟まれたり同士討ち始めたぞ。何がどうなってやがる」
封鎖区画にもアラサカ兵が入り込んでいたはずだ。ジョニーの声に余裕が戻っている。誰かが壁の向こうのドアロックと敵の動線を操作している。
目の前の敵を体で倒しながら、壁の向こうの戦場をネットで動かしている。だから目が、ここを見ていない。
ローグへの声が飛んだ。
「ローグ、右の遮蔽。五秒後にC区画のロックを落とす」
殴り合いの最中の声ではなかった。息が上がっていない。
五秒後、ロックが落ちた。言った通りに。
最後の一人が床に倒れ、通路が静かになった。
ヴォイドが立っていた。直立。荒い息。
目の端から赤い筋が頬を伝い、顎先から滴った。涙ではない。血だった。
ローグが動きを止めていた。シャイタンの銃口が、初めて下がっていた。
ウェイランドは、自分が残弾を数えるのを忘れていたことに気づいた。十年で初めてだった。
*
帰りのバンは、しばらく無音だった。
エンジンの振動が座席を通じて太腿に届く。ヴォイドは助手席で目を閉じている。頬の血は拭ったが、赤い筋の跡が乾いてこびりついていた。
沈黙を割ったのは、ローグだった。
「――何か勘違いしてそうだから、先に言っとくけどね」
煙草に火をつけながら、視線をヴォイドへ投げる。声に怒りはなかった。呆れと、その底に薄く敷かれた面白がるような何か。
ヴォイドが目を開けた。何か言いかけて、口を閉じる。
「隠し事があるのは最初から分かってたよ。この面子で気づかない方がどうかしてる」
紫煙を吐く。
「中身が予想の上を行ってたのは、認めてやる。……だけどね、あれで隠してたつもりだったなら、あんたの芝居、相当に下手くそだったよ」
スパイダーが身を乗り出した。
「ねえ、あのハック。増援経路のロック全系統と、ジョニー側のドア制御と、こっちへの戦術支援、三系統同時のリアルタイム処理でしょ。あれ、私でも――」
言葉が一瞬だけ切れた。指先がデッキの縁を撫でて、離れた。
「……すっごいね」
声は明るかった。翳りは、指先の一拍だけだった。
シャイタンが口を開いた。帰路で初めてだった。
「計画の確度が上がった」
それだけだった。平坦で、事実を述べる声。あの男は今のヴォイドのスペックをスマッシャーの隣に並べて、弾込めの精度を計算し直している。兵隊にはそれが分かる。
ローグの煙草がジョニーの方を向いた。
「で。この状況を作った張本人は、何か言うことないのかい」
「……全部俺のせいだって言いたいのか」
「いや、あんたのせいでしょ」
スパイダーが即座に被せた。シャイタンが無言で頷く。
ジョニーが舌打ちをして窓の外を向いた。軽口が出ない。この男にしては珍しく、出ない。
ふと、ヴォイドの横顔が目に入った。この場にいる誰とも違う顔をしていた。恐れられると思っていたのか、責められると思っていたのか。ウェイランドにはその区別はつかなかったが、今ここにある空気とは何か別のものを予想していた顔だった。
バンが路面の亀裂を拾って揺れた。
ローグが、ウェイランドの方を見た。
「あんたが時間を繋いだんだ、クリスピン」
名前を呼ばれたのは、いつ以来か分からなかった。ローグの声には、いつもの命令口調がなかった。
「あの時間がなけりゃ、ヴォイドが着いても手遅れだった。――分かってるだろうけど、一応言っとく」
ウェイランドは何も返さなかった。頷きもしなかった。
ただ、引き金にかかる二本の指が――生身のまま残したあの指が、膝の上で、少しだけ開いていた。
*
(──システムチェック:感情抑制フィルター……出力 正常範囲内)
ログは凪を示している。心拍六十。戦闘終了から十五分、数値は一度も揺れていない。
その下に、見慣れない一行が続いていた。
(──網膜毛細血管:破裂三十七箇所。修復進行中。完了予定、六時間後)
三系統の同時処理。デッキの演算負荷が排熱の許容量を超え、眼窩の細い血管から順に焼き切った。目から血が流れた理由の、それが全部だった。ログは損傷を数え、修復時間を告げ、それ以上のことは何も言わない。
指先で頬に触れる。乾いた血が、鱗のように剥がれた。
無償ではないのだ、と思う。あの速度は。知らなかった。試したことがなかったから。
バンが停まった。ドアが開き、夜気が首筋に触れる。
ローグが最初に降りた。降り際に煙草へ火をつける音だけが残った。シャイタンが続く。足音すら揃っている。スパイダーは一度、ヴォイドの席の横で立ち止まった。何か言いかけて、やめて、「……また明日ね」とだけ言って降りていった。いつもより半音だけ低かった。
ジョニーは最後だった。降り際、ヴォイドの座席の背を、拳で一度だけ軽く叩いた。言葉はなかった。
一人になった車内で、ヴォイドは目を閉じる。
恐れられると思っていた。
シミュレーションは何度も回した。仮面が剥がれた先に来るもの。距離。警戒。「お前は何だ」という目。どのパターンでも、結末は同じだった。
馬鹿にされるパターンは、なかった。
塗り重ねてきた仮面を、鼻で笑われた。芝居が下手だったと。知ってて黙ってやっていたのだと。座席の背を叩いていった拳の、あの重さに至っては、どの演算にも入れようがなかった。
秘密をひとつ手放した。手放して、距離が詰まった。その結果だけが、どのシミュレーションにもなかった。
だが――サンデヴィスタンの速度も、並列処理の深度も、もう隠せない。晒したものは元に戻らない。代わりに、本当の底にあるもの――まだ来ていない未来の知識――には、誰も触れていない。一枚剥いだだけだ。
頬に残った血の跡を、もう一度だけ指でなぞる。
この連中は、もう失えない。座席の縁を握り込んだ時点で、答えは出ていた。守るものができた。
守るものができるということは、奪われるものができるということだ。
(──網膜毛細血管:修復進行中)
(──感情抑制フィルター:出力 正常範囲内)
ログは、相変わらず凪を告げていた。
*
解析報告は、ケイのデスクに届いた時点で、すでに三度の再検証を経ていた。
要塞のカメラログと制御系の残骸から復元できたテレメトリは、全体の一割にも満たない。その一割だけで、分析班は三度の差し戻しを要求し、三度とも同じ数値が返ってきた。
「全容不明。最低評価でも、スマッシャー級」
ケイは結語を指先でなぞり、端末を机に置いた。
前回は空箱だった。手際だけ確認し、実害なしで片づけた。今回は違う。防衛機構の全区画同時起動を受けてなお、制圧までの所要時間が異常に短い。歩行ドローン二基の制御ノード破壊、増援経路の遠隔封鎖、隔壁への物理的破壊痕。これらが単一の個体によるものだとすれば――その個体は、アラサカが保有するどの戦力プロファイルにも一致しない。
「スマッシャーの修復状況を」
「変わらず三割です。胴体再構築に必要な合金の精製が――」
「もういい」
三割。あの男が「新しい体を寄越せ」と吠えてから、数字は動いていない。精製を待てば、年を越す。相手がスマッシャー級の個体を擁しているなら、年を越す猶予はこちらにない。
ケイは防衛計画のファイルを開き、修復欄に一行を書き加えた。
方針転換。三割の胴体を、重火器プラットフォーム『荒坂大鬼試作』へ直結。人型への再構築は破棄する。残った骨格を火器管制の端子に作り替え、殺傷能力だけを先に立ち上げる。
新しい体は与えない。今ある残骸を、壊すことに特化した兵装に変える。
「新しい体を寄越せ」への、回答だった。
端末を閉じ、ケイは窓の外を見た。スモッグに滲むナイトシティの灯が、ガラスの結露越しに揺れている。
名前も知らない何かが、ストリートのどこかで動いている。前回は空箱を漁っただけだった。今回は要塞ごと沈めた。
次はこのタワーだろう。
ヴォイドがこの時点で自分のスペックを晒すことにご批判、意見等あるかと思います。
正直、ヴォイドがここで曝け出す必要はないでしょう。遠隔でも近しい芸当は結果論的にできるスペックを擁している設定なので。
しかし、ヴォイドが人間味を取り戻してきている、その描写がうまく伝わっていたらいいなと思います。伝わってなかったら、それは私の力不足です!
お楽しみいただけたら幸いです。
引き続きよろしくお願いいたします。