CyberPunk: EDGE CASE   作:エネーロ

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#22 For Whom the Bell Tolls / 誰がために歌う

テーブルの上のスピーカーから、女の声が流れている。

 

ミリテクの地下ブリーフィングルーム。コンクリートの天井が低い。空調の重低音が壁面を伝い、床がかすかに振動していた。リサイクルされた空気に金属と埃の匂いが混じる。ホロディスプレイの青白い光だけが、テーブルの両側に詰めた顔を浮かび上がらせている。

管理官クロウとモーガンが長辺の正面に立ち、短辺にアルファの六人。シャイタンだけが椅子を使わず、壁に背をつけている。

再生の前に、モーガンが短く告げていた。

 

「バックドア経由の極秘通信だ。発信元は、アラサカのサブネット内部――オルト・カニンガムからだ」

 

囚われの身のまま、ミリテクへ接触を図っていた。

 

ローグの煙草を持つ手が止まった。スパイダーが膝の上のデッキを閉じる音が、やけに大きく聞こえた。

録音の中のオルトは端的だった。アラサカのデータ移行が最終段階に入っていること。ソウルキラー3.0のコアを含む全資産の国外退避が完了すれば、外部から手を出せる経路はなくなること。自身の構造体ごと移送される前に、物理的な介入がなければ猶予はもうない。

 

声が途切れた。スピーカーにホワイトノイズだけが残る。

 

ヴォイドは内容を処理しながら、視界の端でジョニーの両手を追っていた。

マロリアンに伸びない。テーブルも叩かない。左手の指先だけが、何もないテーブルの表面を押さえている。人差し指と中指が位置を変えた。薬指が加わり、また離れる。同じ動作を、声が続いている間ずっと繰り返していた。

 

一言も、発さない。

 

十年だ。この男がオルトの声を最後に聞いてから、十年。銀の腕に新しい傷が増え、仲間の何人かは灰になった。だがあの左手の癖は、当時のまま残っている。

クロウが端末を操作し、スクリーンにタイムスタンプを映した。発信は三日前。

 

「よって我々は、精鋭部隊を用いたアラサカ・タワー襲撃、並びにオルト・カニンガム救出作戦を正式に立案いたしました」

 

クロウの声は、契約条件を読み上げる時と変わらない温度だった。

ホロディスプレイを切り替えた。四つの符丁が縦に並ぶ。

 

「作戦は四チーム構成で進行します」

 

アルファ。ベータ。オメガ。デルタ。

 

「アルファには、タワー屋上からの侵入と警備かく乱を担当していただきます。小型爆弾の設置による陽動、および、オルト・カニンガムの救出。ベータは地下経路からのデータ抽出。オメガはモーガン・ブラックハンド直率のバックアップ」

「デルタは」

 

ローグが先を継いだ。

管理官の指が端末の上で止まった。

 

「デルタの任務内容は秘匿扱いです。質問には応じかねます」

 

「秘匿」

 

ローグは煙草の煙を細く吐いた。

 

「アタシたちが命を張る作戦で、隣のチームが何をしてるか教えてもらえないってのは、随分と片手落ちじゃないかい」

「残念ながら、上層部の判断です。私の裁量では」

「聞こえてるよ。同じ台詞をもう一回聞く趣味はない」

 

ローグは煙草を口に戻した。追及を打ち切ったというよりは、この場で押しても出てこないと値踏みした後の動きに見えた。

スパイダーがデッキを片手で掲げた。

 

「一点。今回、私は現地に入る」

 

ローグの目がスパイダーに向く。

 

「オルトの抽出は遠隔じゃ無理なの。サブネット内部まで物理的にジャックインして、構造体をリアルタイムで切り離さないと、転送中にデータが崩壊する。それができるランナーは――レイシィが死んだ今、私しかいない」

 

技術的根拠の後に、一拍の間があった。

 

「それに。レイシィと、オルトに。借りがある」

 

ローグの唇が動きかけ、止まった。スパイダーの目はそれを待っていなかった。

 

「彼女の判断は妥当だ。ソウルキラーに関する知見は俺にもない」

 

ヴォイドが短く入れた。

 

「それに俺も現地に入る。スパイダーの安全は俺が請け負う」

 

ローグは二人を見比べ、小さく顎を引いた。

席の端で、ウェイランドが身を起こした。

 

「ローグ、俺も――」

「ダメだよ」

 

遮るのではなく、待っていたように。

 

「あんたの肩と腕、まだ動くのがやっとだろう。屋上からの降下と連戦には耐えられない」

 

ウェイランドの口が開きかけ、閉じた。引き金にかかる二本の指――生身のまま残したその指が、テーブルの木目を一度擦り、止まった。

 

「いい案がある」

 

ジョニーが割り込んだ。足を組み替えながら、壁の一点を見ている。

 

「タワーの周辺で反企業デモをでっち上げる。地上の警備をかき乱して、降下を楽にする役だ。群衆を動かして、場を仕切る」

 

一拍。

 

「お前の得意分野だろ」

 

ウェイランドがジョニーを見た。ジョニーはウェイランドを見返さなかった。

沈黙が落ちた。

 

「……足手まといになるよりはマシだ」

 

低い声だった。誰もそれを否定しなかった。肯定もしなかった。ローグの視線だけが一瞬、ウェイランドの横顔に留まり、また正面に戻った。

クロウが端末を閉じにかかる。ブリーフィングが形式上の終わりに近づいていた。

 

「一つ、確認したい」

 

ヴォイドが口を開いた。全員の視線が集まる。

 

「デルタの任務は、タワー地下の核だな」

 

管理官の指が、端末の縁で止まった。

 

「……その質問には」

 

「答えなくていい。港湾で、俺たちはあれを直接見ている。円筒形、放射能標識付き。アラサカが持ち込んだブツだ」

 

ヴォイドはスクリーンの四つ目の符丁を指した。

 

「あれがタワーの地下にあると分かっていて、ミリテクが手を出さないはずがない。奪うか、動かすか、あるいは」

 

一拍置いた。

 

 

「使うか」

 

 

空調の音だけが残った。

 

クロウは端末に視線を落としたまま、口を開かなかった。否定の一言すら出てこない。その沈黙が、ヴォイドの提示した三つ目の選択肢を、他のどんな回答よりも正確に埋めていた。

低く、短い口笛が鳴った。

ジョニーだった。椅子の背に身体を預け直し、口の端を上げている。上機嫌の顔だった。

 

「上等じゃねえか」

 

それ以上は何も言わない。

 

ローグが灰皿へ灰を落とする。落とす必要のない長さだった。

ブリーフィングルームの空気が、一段沈む。

ヴォイドはスクリーンに残った四つの符丁を見ていた。

 

アルファ。屋上からの侵入。陽動。救出。

 

すべて筋が通っている。通りすぎている。

あの契約(ディール)の日と同じだ。突きつけた条件が、抵抗らしい抵抗も受けずに通っていった、あの感触。そして今度は、秘匿という名の空白。

問いを一つ潰すたびに、残った空白の形がはっきりしていく。だが形が見えたところで、この部屋の誰も、それを埋める言葉を持っていない。

 

クロウが端末を閉じた。乾いた音がした。

 

 

 

 

「ヴォイド」

 

エレベーターホールへ向かう途中だった。後ろから来た声には足音が伴っていない。義体(ボーグ)の重量に見合わない静けさで、シャイタンは廊下の中ほどに立っていた。

先を行く三人の背中が、角を曲がって消える。

ヴォイドは振り返った。

 

「話がある」

 

顔面プレートには表情がない。読み取れるのは、装甲の継ぎ目に走る修理痕の数だけだった。

 

「聞こう」

 

シャイタンはすぐには続けなかった。廊下の照明が、一定の間隔で低い唸りを上げている。

 

「俺は十四年、アラサカだけを狙ってきた」

 

数字が先に出た。

 

「施設を壊した。輸送を潰した。名前のある人間も何人か殺した。全部、あの会社に向けた仕事だ」

「聞いている」

「その十四年で、一度もなかった」

 

一拍。

 

「明日みたいな日が来るとは、思ったことがない」

 

廊下の空気が動かない。

 

「一人でやる分には、限界の位置が分かっている。届く場所と、届かない場所。タワーは届かない側にあった。ずっとだ」

 

シャイタンの視線が動いた。ヴォイドの目のあたりで止まる。

 

「それが変わった。この編成のせいだ。そして」

 

言葉を選んでいるようには見えなかった。必要な語数まで削っている――そういう間に思えた。

 

「その中心にいるのは、お前だ」

 

ヴォイドは何も返さなかった。

 

「俺はネットのことは分からん。分かる必要もない。だが、あの日、何が起きたかは見た」

 

義体の指が、一度だけ、腰の装甲を叩いた。

 

「明日、俺の仕事を成立させるのはお前だ」

 

平坦だった。頼み事の抑揚でも、称賛の抑揚でもない。整備手順を読み上げるのと同じ調子で、それだけが置かれた。

 

「――以上だ」

 

シャイタンは踵を返した。今度も足音はしなかった。

 

ヴォイドはその背中が角に消えるまで見ていた。

 

十四年。数えられる長さだった。だがこの男は、その十四年で一度も、明日のような日を勘定に入れていなかったという。

その言葉の据わりの悪さが、どこから来るのか。廊下の照明の唸りだけが、答えの代わりに続いていた。

 

 

 

 

『出る前に、寄るところがある。付き合え』

 

装備の最終確認をしていた手が止まった。回線(ライン)はそれだけで切れた。座標が一つ、視界の隅に残る。

 

出撃まで六時間。

 

セーフハウスのテーブルには、ばらしたままのデッキと、まだ弾を込めていない弾倉が並んでいる。ヴォイドは弾倉を先に片付けた。

 

 

指定された場所は、ダウンタウンの外れにあった。

 

 

車を降りた瞬間、匂いで分かる。焦げた合成肉と、こぼれて乾いた酒と、機材の絶縁体が焼ける匂い。表の壁は塗り重ねられたステッカーで元の色が見えない。剥がれかけた一枚に、見覚えのあるロゴがあった。

搬入口が開いていた。

アンプが二台、台車で運び込まれていく。ケーブルの束を肩に担いだ男が怒鳴り、別の男が怒鳴り返す。ドラムのハードケースが縁石にぶつかって、鈍い音を立てた。

ヴォイドは足を止めた。

 

これは、今日決まった話ではない。

 

出撃の六時間前に、機材が搬入されている。手配されたのが今朝でないことは、動いている人間の数を見れば分かった。

ジョニーは搬入口の脇で煙草をくわえて立っていた。ヴォイドに気づくと、顎で中を示す。

 

「来い」

「何の用だ」

「見りゃ分かる」

 

それだけ言って、先に入っていった。

理由は聞けなかった。聞ける形の背中ではなかった。

ヴォイドは剥がれかけたステッカーをもう一度見てから、その後を追った。

 

 

一発目の音で、床が跳ねた。

 

 

キャパシティは二百も入らない。天井は低く、配管が剥き出しで、そこにぶら下がった照明の半分は色が死んでいる。壁は歴代のバンドのステッカーで埋まり、その上にまた新しいのが貼られている。空気は汗と煙草とアルコールが煮詰まって、吸うより飲むという方が近かった。

客はストリートの顔ばかりだ。傭兵、ランナー、フィクサーの下働き。招かれた人間だけが入っている。表に看板は出ていない。

 

ヴォイドは後方の壁際に立っていた。

 

ステージのジョニーには、軽口がなかった。

 

MCらしいMCを挟まない。曲間に客を煽らない。次の曲のイントロが始まるまでの数秒、彼はマイクスタンドを掴んだまま、床の一点を見ている。それから顔を上げて、歌い出す。

その繰り返しだった。

 

汗が銀の腕を伝って落ちる。歌詞の言葉が何を叫んでいるのかは、この距離では半分も聞き取れない。だが声の出し方が違うことだけは分かった。喉を潰しにかかっている。先の予定がある人間の使い方ではない。

三曲目の途中で、ケリー・ユーロダインがジョニーの隣に寄った。

 

言葉のやり取りはない。ケリーがフレーズを一つ投げる。ジョニーが返す。ケリーがそれを崩して返す。ジョニーが崩し返す。どちらかが仕掛けているのか、それとも両方が同時に仕掛けているのか、境目が見えなかった。

十年一緒にやってきた人間同士の呼吸だ。合わせているのではなく、外し方まで共有している。

 

客席が沸いた。

 

ヴォイドは視線を客席に流した。

 

ローグは中ほどの柱際にいた。煙草を指に挟んだまま、一度も口に運んでいない。灰が長くなり、根元まで灰になって、それでも彼女は落とさなかった。目はステージから動かない。

シャイタンは反対側の壁にいた。腕を組み、顔面プレートを軽く上向けて、目を閉じている。全身を義体に置き換えた男が、聴覚だけを残して立っている姿だった。

十四年アラサカだけを狙ってきたと、この男は言った。だがジョニー・シルヴァーハンドが「ただのロッカーボーイ」だった頃を知っている人間が、この部屋に何人いるのかは分からない。

ヴォイドはそれ以上考えるのをやめた。

 

ステージに視線を戻す。

 

汗が顎の先から落ちて、照明の中で一瞬だけ光った。

ジョニーは目を閉じて歌っていた。客席を見ない。ケリーも見ない。閉じた瞼の裏で何を見ているのかは、外からは分からない。

 

だが、とヴォイドは思う。

 

この男は昨日、十年ぶりにあの声を聞いた。囚われの身のまま、猶予はないと告げる声を。あの場では一言も発さなかった。テーブルの上で、左手だけが動いていた。

言葉にしなかったものは、消えていない。行き場を変えただけだ。

 

叫びにするには十年は長すぎて、黙り込むには今夜は近すぎる。だからこの男は、その間にある唯一の回路にすべてを流し込んでいる——そう見えた。確かめる術はない。本人に聞いたところで、まともな答えが返る類いの話でもない。

ただ、喉の使い方だけが証言していた。今夜で使い切るつもりの潰し方だった。

 

サビに入る。左手がネックを押さえる。人差し指と中指が位置を変え、薬指が加わる。

 

ブリーフィングルームのテーブルの上で、あの左手が繰り返していた形が、そこにあった。

 

昨日は音のなかったコードが、いま鳴っている。

オルトの声を聞いた男の、これが答えなのだろう。届く当てのない場所へ向けて音を出すことしか、この男にはできない。そして届く当てがないことは、たぶん本人が一番よく分かっている。

 

 

音が大きすぎて、それ以上考える余地がなかった。

 

 

ヴォイドは壁に背を預けたまま、最後まで動かなかった。

 

 

 

 

 

 

「壁と同化してるランナー発見」

 

肩が触れる距離に、スパイダーが滑り込んでいた。手にはグラスが二つ。片方を押しつけてくる。

 

「陰気な顔で立ってると、悪目立ちするよ。ここじゃ楽しんでない奴が一番浮く」

「観察していただけだ」

「はいはい。あんたのそれ、いつも観察って言うよね」

 

グラスを合わせる素振りだけして、スパイダーは自分の分に口をつけた。ステージでは曲が変わり、テンポが落ちている。怒鳴らなくても声が届く程度には。

 

「ね、終わったらさ」

 

前を向いたままだった。

 

「ネットのデート、付き合ってもらうから。今度は断らせない。逃走ルートの演算とか始めても無駄だからね、全部潰してある」

「デートの定義に演算対策は含まれない」

「含まれるの。あんた相手の場合は」

 

グラスの縁を指で叩きながら、続ける。

 

「それと、あんたのセーフハウスリスト。更新まだでしょ。帰ったら私が選んであげる。あんたの選定基準、生存率しか見てないから趣味が最悪なの。屋上があるとこにしなよ、屋上。夜景の一つも見えないと人間は駄目になるの」

「初耳の理論だ」

 

「今作った」

 

任務が終わったら。帰ったら。

彼女は「後」の話だけを並べていた。作戦の中身には一語も触れずに。積み上げられていく予定の軽さが、逆に何かの重さの裏返しであることくらいは、ヴォイドにも分かった。分かったが、口には出さなかった。

 

「あのさ」

 

スパイダーがこちらを向いた。

 

何か続くのかと思った。

続かなかった。代わりに、距離が消えた。

口の端に、掠めるように触れて、離れた。

 

「……続きは、全員で帰ってから」

 

一秒にも満たなかった。触れた一点だけが、周囲の空気より温度が高い。

 

ログは凪を告げている。心拍、正常域。皮膚温、誤差の範囲。システムはどこにも異常を検出していない。

なのに、言葉が出なかった。

 

これまで、彼女の接近はすべて処理済みの案件だった。反応を試す悪戯。ランナーとしての執着。アトランティスの壁際で、答えを待たずに肩を寄せてきたあの夜のあれも――柔らかい体温と、わざと寄せた吐息交じりの声も――日課のからかいの延長。そういう分類で、全部の引き出しに収まっていた。

収まっていたはずだった。

離れ際の目の色が、どの引き出しにも入らない。

 

――これは、からかいではなかったのか。

 

だとしたら、いつからだ。あの夜からか。もっと前か。遡ろうとした演算が、遡る先を特定できずに空転する。半世紀先のクロームを積んだ頭が、確度も出せずに固まっている。

スパイダーはその顔を見ていた。

 

それから、今夜いちばん満足そうに笑った。何も言わずに。

 

グラスを掲げて一口飲み、ステージへ向き直る。

ヴォイドは仮面を塗り直そうとした。表情筋に指示を出す、いつもの手順で。

出せなかった。

 

 

塗り直せないまま、ステージの音が、二人の沈黙を埋めていった。

 

 

 

 

 

 

機材は、ステージに置いたままだった。

アンプも、スタンドも、ばらされていない。ジョニーは楽屋にも寄らず、汗も拭かないまま出口へ向かっていた。

 

「ジョニー」

 

ケリーが追って出てきた。

二人は搬入口の脇で向き合った。ヴォイドは数歩離れた暗がりで足を止める。立ち去るには近すぎ、加わるには遠すぎる位置だった。

やり取りは短かった。

ケリーが何かを言い、ジョニーが短く返す。ケリーが笑おうとして、笑いきれなかった。ジョニーが拳を軽く、相手の胸に当てる。それだけだった。

抱擁はない。次の約束もない。

 

だが、置いたままの機材が全部を言っていた。戻って片付けるつもりのある人間は、ああいう出方をしない。それはたぶん、追って出てきた男にも分かっている。分かっていて、引き止める言葉を選ばなかった。

ジョニーが背を向けて歩き出す。ケリーは搬入口の灯りの下に残った。

 

ヴォイドは知っている。この別れが、残された側の中でどれだけ長く続くことになるのかを。五十年後もまだ、この男はこの夜を手放せずにいる。それを知っているのは、この場で自分だけだった。

 

知っていて、何もしない。今夜も。

 

屋上には、もうローターが回っていた。

 

風が真下から吹き上げてくる。ローグ、シャイタン、スパイダーは搭乗済みで、ヴォイドも機体に乗り込んだ。シートベルトの金具が指先で冷たい。

ジョニーだけが、まだ来ない。

 

(――知っている)

 

この先に何があるか。あの男がどこで倒れるか。頭の中には、とうに書き込まれている。

変えるために飛び込むのか。変えられないと分かった上で、隣に立つだけなのか。

どちらなのかは、自分でも答えが出ていない。出ないまま、ここに座っている。

 

ただ一つだけ、はっきりしていることがある。

 

あの隔壁の夜と同じだ。天秤にかけるまでもない。あの男が倒れる場所に、間に合う場所に、いる。それだけだ。

階段室の扉が跳ね開いた。

 

ジョニーが駆け込んでくる。

 

「遅い!」

 

ローグが怒鳴った。

 

「怒ってるお前もそそるぜ」

 

ジョニーが機体に飛び乗り、ヘリが浮いた。

 

夜のスカイラインが傾いて、沈んでいく。その向こうに、他のどのビルよりも高く、アラサカ・タワーの灯が立っていた。

 

 




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