結局初期案に落ち着きました。
賛否あるかと思いますが、この展開が書きたかったので始めたので、、
風が、先に来た。
六機のAVが屋上の夜気を叩き、サーチライトが瓦礫の影を六方向へ引き伸ばす。ローターの重低音が腹の底を揺らした。耳鳴りの向こうでも分かる。アラサカ正規軍の兵員輸送型。
ジョニーが瓦礫に手をつき、立ち上がった。マロリアンは右手の中。銃口はまだ下を向いている。
「ハッ……大将がやられてようやく重い腰を上げやがったか」
顔色は、夜目にも白かった。脇腹を伝う血は止まる気配がない。それでも声だけは、いつもの角度を保っていた。
「六機。降下部隊はおよそ三十。まずいな」
「まずいもんかよ。ここからが面白いところだろうが」
「その楽天家ぶりは素直に尊敬する」
「減らず口が増えてきたな。……それがお前の素かよ」
笑いながら、ジョニーは空を見上げる。
笑える材料は、どこにもなかった。予備の心臓が保つのは、あと十二分。加速はもう使えない。ランチャーは撃ち尽くした。逃げ道を探す癖だけが勝手に動いて、そして何も見つけてこなかった。
降下索が投げられ、兵が滑り降りてくる。銃列が二人を囲い、拡声器がハウリングを一つ挟んで開いた。
『貴様たちにはアラサカへのテロ行為により排除命令が出ている! 首謀者と背後の組織を吐けば捕縛に切り替える指示も受けている。死にたくなければ、大人しく拘束されろ!』
排除命令。
(……スマッシャーへの指示とは、別らしいな)
生け捕りの線は、命令ごと大穴の底に沈んだ。交渉の余地を探すだけ無駄だ。むしろ、清々しいくらいだった。
「どうする?」
「決まってるのに俺に聞くのか?」
「分かってねえな。こういうのは雰囲気ってもんが大切だろうが」
「やれやれ」
言いながら、口元が勝手に緩んでいることに気づいた。ヴォイドは両腕から刃を走らせる。マンティスブレード――重装甲には浅すぎると、この夜まで出番のなかった対人用の刃が、初めて夜気に触れた。隣でマロリアンの銃口が持ち上がる。
『一昨日きやがれ。クソ野郎』
『殺せ!!』
号令に、細い飛翔音が重なった。
頭上で夜が割れた。ホバリング中のAVが一機、火球に変わり、降下索ごと兵を振り落としながら隣の機体へ傾いでいく。爆風が屋上を舐め、包囲の輪が乱れた。
「何事だ!」
『所属不明機より対空攻撃! 回避――』
二機目が爆ぜた。降りきっていない機体から順に、夜空から数が消えていく。
回線が勝手に開き、怒声が飛び込んできた。
『ジョニー! この大馬鹿! 作戦を台無しにするつもりかい!』
「ローグ! 戻ってきたのか!」
答えの代わりに、三機目が墜ちた。
防空網は塞がっているはずだ。あれを力ずくでこじ開けられる人間を、ヴォイドは一人しか知らない。
確かめるまでもなかった。眼前で、アラサカ兵の銃が同士へ向き始めている。
『なにしてる! 味方だぞ!』
『違う、体が――体が言うことを聞かない!』
義腕が持ち主を裏切り、誰もいない闇を撃つ。包囲が内側から崩れていく。開きっぱなしの回線の底、爆音の隙間に、浅く速い呼吸が続いていた。深く潜る者の呼吸だった。
(――スパイダー)
マロリアンが火を吹いた。正面の一人が崩れ、それが号砲になった。ヴォイドは刃を振るう。兵の皮下装甲は、対人用の刃を止めるには薄すぎた。
弾幕は、確かに薄い。降りられた兵は半分もいない。その半分も、背中を気にしながら撃っている。抜けられる。無傷では、通れないにしても。
ローグのAVが大きく旋回し、残った機体の銃撃を一手に引き受けながら高度を捨てていく。
『ジョニー、私たちにできるのはここまで! すぐに離脱して!』
「スパイダー! 愛してるぜ!」
『ええ、知ってる!!』
急いでよ――。
回線の声が遠くなる。ヴォイドは大穴までの道筋を目でなぞった。
走った。
瓦礫の稜線を跳び、崩れた空調ダクトを盾に、大穴へ。同士討ちの混乱は長くもたない。正気に戻った兵から順に、照準がこちらへ戻ってくる。
あと十メートル。
跳弾が足元のコンクリートを弾き、白い粉が夜に散る。ジョニーは半歩前を走っていた。血を失い続ける体で、それでも足だけは止まらない。
五メートル。
背後で誰かが射線を通した。風切り音が耳のすぐ横を抜ける。
三メートル。
濡れた音がした。
ジョニーの腹と右肩から血が噴き、前へ泳ぐように態勢が崩れる。マロリアンだけを胸に抱え込み、男は瓦礫の際に倒れ込んだ。
「ジョニー!」
駆け寄る。縁まで、もう一跳びの距離。担いで跳ぶ。それしかない。腕を伸ばした。
「行け!」
「ふざけるな! ここまで来て見捨てられるか!」
「行けっつってんだよ!」
右腕が、ヴォイドの胸を突いた。
生身の、傷だらけの、片方きりの腕。この体を押し動かせる道理は、どこにもない。押し返せたはずだった。片手で足りたはずだった。
なのに、踵が縁を割った。
どうして。
答えの出ないまま、体は宙に出ていた。伸ばした手が空を掴み、暗がりが視界の下から迫り上がってくる。縁に残った男は、崩れた姿勢のまま笑っていた。新たな銃弾が肩口で血華を散らせても、その口の角度だけは崩れない。
「あばよ。来世で会おうぜ」
落下は、無音から始まった。
銃声が上へ遠ざかり、風だけが耳を埋める。背中から闇へ沈みながら、ヴォイドは狭まっていく空を見ていた。大穴の縁が切り取る夜が、一枚の四角い画になっていく。
その四角の中で、男はまだ笑っていた。
(なぜだ)
喉の奥が焼けた。声にはならなかった。
分岐はあったはずだ。包囲を見た時点で、担いで跳んでいれば。走る順番が逆なら――装甲の厚い俺が前なら、あの弾は俺で止まっていた。押された瞬間、縁を掴んでいれば。何度並べ直しても、遅い。全部、遅い。
(なんで、押した)
残った片腕で。立つのがやっとの体で。担がれる側のはずのあんたが、なぜ押す側に回った。
問いをぶつける相手は、上の夜に置いてきた。
風圧が増す。四角い画が小さくなる。発砲の閃きが上で瞬くたび、男の輪郭が明滅した。倒れたまま、まだ撃ち返しているのだろう。弾が残っているのかも、分からない。
分からないのに。
口の角度だけは、この距離でも分かった。
(――来世)
来世。そんな場所が、どこにある。あるなら教えろ。教えてくれる声は、もう届かない高さにいる。
画が、点になった。
点が、消えた。
闇の底へ沈みながら、ヴォイドの目には何も映っていない。何も映らない瞼の裏で、笑った男の画だけが、焼き付いたまま剥がれなかった。
*
高度九百。ケイ・アラサカの膝の上で、ナイトシティが傾いでいた。
退避機の窓を占める夜景に、彼は一瞥もくれない。視線は正面のモニター群に固定されている。画面の大半は既に砂嵐だった。生きている二つが、屋上を映している。
報告は途切れなく届いた。
『アダム・スマッシャー、反応消失。回収の可否、判断を求めます』
「後回しだ」
『降下部隊、交戦継続中。所属不明機による損耗、輸送機四。人員、二十六名中十一名が――』
「数字はいい。標的は」
『一名、崩落孔より落下。追跡不能。もう一名を包囲中です』
画面の中で、男が撃っていた。
倒れたまま、右の肘で上体を支え、銃を持ち上げては撃つ。囲む兵は誰も前に出ない。二十世紀の西部劇めいた古臭い型の、古臭い意地だった。
ケイは手元の端末に決裁項目を並べる。スマッシャーの回収、保留。落下した一名――生け捕り指定の資産――捜索は崩落リスクと相殺で保留。残るは、画面の男。
排除命令は下りている。部隊の判断で撃ち殺して終わる案件だった。本来なら。
銃口の火が、止んだ。
男は引き金を絞り続けている。何度絞っても、もう火は出ない。弾切れ。それでも銃は下がらず、囲いの輪が一歩、狭まった。
「待て」
ケイは回線を開いた。
「殺すな。生かして押さえろ」
『……確認します。排除命令の対象では』
「命令を書き換えた。いま」
端末の上で、決裁項目がひとつ増える。
ジョニー・シルヴァーハンド。二十年、折れずに続いた反逆の意志。
ソウルキラーが精神をどこまで写し取れるのか――従順な検体では、測れない項目がある。処理の間際まで抵抗を続けるだろう精神こそ、装置の限界を測る物差しになる。テロリストの死体はただの経費だが、テロリストの魂は、試験材料として計上できた。
画面の中、兵の波が男に被さっていく。銃床が振り下ろされ、それでも男の口が動き続けているのが、音声の届かない画面越しにも分かった。
罵っているのだろう。最後の一秒まで。
「積み荷を変更する」
ケイは操縦席へ告げた。
「本国便を待たせろ。――もう一件、載せるものができた」
*
旋回の揺れが収まり、モニターの画が切り替わった。
屋上、仮設の処置台。押さえ込まれた男の首筋に、有線が刺さっている。地上の技術班からの通信は、手術室のそれのように淡々と流れた。
『バイタル、維持限界に近いですが接続には耐えます。系統は退避用に確保した二番系――コアは汚染されていますので』
「構わん。始めろ」
本来なら、この処理は塔の中枢で行うはずだった。中枢はもうない。侵入者どもがコアを汚し、オルトを持ち去り、装置の心臓部を焼いていった。残ったのは、国外退避に備えて切り分けておいた予備の系統だけ。
保険が、本命に昇格した夜だった。
『開始します』
画面の中で、男の体が跳ねた。
押さえる兵の腕ごと、処置台が揺れる。ソウルキラーは、これまで数えきれないランナーを焼いてきた。網の中で、逃げる背中から。抵抗の形も長さも、記録はすべて頭に入っている。
その、どの記録よりも長かった。
『……抵抗値、想定を超えています。転写率への影響は不明――』
「止めるな。その数値ごと記録しろ」
欲しかったのは、まさにそれだ。従順な検体では測れない項目。折れない精神が装置の網の中でどう振る舞い、どこまで写し取れるのか。転写の純度を測る負荷として、これ以上の材料はない。
男の口が、動いていた。
音声は届かない。読み取れもしない。ただ、唇の動きは、最後まで罵倒の形のまま止まらなかった。
やがて、体が跳ねなくなった。
『転写、完了。……本体のバイタル、消失しました』
モニターの隅で、心拍の波形が横一線に伸びる。技術班が死亡時刻を読み上げ、ケイは端末の項目をひとつ、確定に変えた。
ジョニー・シルヴァーハンド。資産番号はまだない。本国で採番される。
「格納状態で搬出。退避サンプルと同便に載せろ。取り扱いは――」
一拍、言葉を選んだ。
「最優先保全資産として扱え。中身は、もう二度と採れない」
窓の外、ナイトシティの光が翼の下を流れていく。塔はまだ、視界の端に立っていた。
*
『回収機、離陸。積み荷は固定済み。合流コースに入ります』
「よし」
決裁項目がまた一つ、卓上から消えた。残るはスマッシャーの回収と、落下した資産の捜索。どちらも保留の札が付いたまま、崩落リスクの欄で眠っている。
報告が、割り込んだ。
『管制系の残骸ログに照会痕。地下階の――自爆シーケンスに、起動照会が掛かっています』
「馬鹿な。権限は誰が」
『不明です。それと別件、レーダー西域に所属不明機、一。ミリテクの航跡パターンに近似――いえ、断定できません。信号が』
「どっちだ」
答えは、なかった。
代わりに、光が来た。
窓という窓が白に塗り潰され、モニターが一斉に砂嵐へ落ちる。音は遅れて来た。爆圧が機体を横から殴り、ケイは肘掛けを掴んで衝撃をやり過ごす。
視界が戻ったとき、塔は根元から光の柱に置き換わっていた。
柱は膨らみ、頭をもたげ、夜空へ茸の形を広げていく。爆心から輪を描いて、ナイトシティの光が消えていった。停電の波が街区を一つずつ黒へ沈め、その黒の中心で、火だけが昼の色をしていた。
機内の誰も、口を開かなかった。
端末が再起動する。決裁項目が並び直し、ケイは残った二件を順に開いた。
アダム・スマッシャーの回収。――償却。
落下した資産の捜索。
指が、二件目で一秒だけ止まった。生け捕り指定。あの穴の底。あの深さで、この爆心。勘定の答えは明白で、明白なものに時間を割く習慣は持ち合わせていない。
――償却。
『……本社には、何と報告を』
技術班の声は、まだ湿っていた。ミリテクの攻撃か。自爆か。誰の権限で。何が。
「事実だけを送れ。塔は失われた。原因は調査中。――それ以上は、誰にも書けん」
ケイはモニター群の電源を、手ずから一つずつ落としていった。砂嵐が消え、黒い画面に自分の顔だけが残る。
針路は本国。積み荷は、退避サンプルと、資産番号を待つ男。
窓の外は、最後まで見なかった。