「ならば私は、辺境の魔女になりましょう」 作:なごりyuki
「アリサ嬢。聖堂と商館での首尾は聞いている」
施設工房に戻ったところで、ヴァルグ様は2人の兵士を従えて待っていた。
「用意してくれた滋養薬は、夜番の冒険者にも配らせて貰った。皆、効果の高さに驚いていたぞ」
「は。微力ながら、私もお役に立てれば光栄です」
私がヴァルグ様に一礼すると、後ろに控えていた兵士達も私に礼を返してくれた。どうやら彼らも、私に敬意を表してくれているようだった。
「こちらこそ礼を言う。町の住民も救われたことだろう。……だが、状況は更に悪化するかもしれん」
眉間を絞ったヴァルグ様は、クゼル様にも目線を向けた。
「……町の防壁上を警邏していた冒険者が、山の中に不自然な明かりを見つけてな。火や炎ではなく、明確に魔術の光だったそうだ」
ヴァルグ様の声には、嫌悪と怒りが色濃く滲んでいる。
「クゼルの部下に、捜査に向かって貰った。町がこの有り様だからな。夜の山中で魔術を使おうとしている者の存在など、見過ごせるわけがない」
「えぇ。話は聞きました。それで黒フードの連中を3人、とっ捕まえましたってね。……が。全員が歯に仕込んでいた毒薬で自害。身元を割れる所持品は無し」
軽薄に応じるクゼル様が、懐から何かを取り出した。
先程のペンダントのようだ。
「いつもの如く、そいつらが身に付けていたのがコレってわけです」
人間の頭蓋骨。その口の部分から、赤ん坊が這い出ている姿が彫られている。グロテスクで不気味だが、どこか厳粛な雰囲気のある造型だ。
(初めて見たわ。話だけは聞いたことあったけれど、あれが邪教徒の証なのね)
私は背筋に冷たいものを感じながら、クゼル様が手にしたペンダントを見遣る。
辺境で密かに広がる邪教は、悪魔を崇拝する。
信奉によって悪魔を召喚して世界を滅ぼし、その後に残った地上においてこそ、人々は新たな自由と平等を得られるというのが教義らしい。
こういった破滅主義的な教義が人を惹きつけるのは、悪魔が実在したという事実があるからだろうか。
かつて“勇者”と呼ばれた者達は、大陸に跋扈していた数多くの悪魔を討ち取り、平和を齎した。彼らは人々から推されて指導者となり、大陸諸国を統治した。
現在までに統合と吸収が進み、大陸は王国と帝国に二分されている。
王族、皇族たちは勇者達の末裔である。そして王族の祖先である一人の勇者は、ある強大な悪魔を討った際に呪いを受けていた。
その呪いこそが、古より歴代の国王を苦しめ、今もロレンス殿下を苛んでいる“勇者病”だ。
魔力暴走を度々引き起こす勇者病は、高熱と苦痛を身体に齎す。
この苦悶を癒す術を求めた歴代の王たちは、苦痛緩和の治癒魔術の開発や、特効薬の錬成を臣下に命じたものの、長い間どれも完成には至らなかった。
だが前国王の代になって、私の父に白羽の矢が立った。
若い田舎錬金術士だが、腕は確かだと評判だった私の父は、宮廷に招かれ鎮静剤の錬成に成功。前国王からの深い感謝のもとで、父は“グランハース”の伯爵位を与えられる。
(その名を継ぐことを許されたのに、私は……)
父が授かった栄誉と誇りを守れなかった。
その事実が、私の足元からジワジワと這い上がっている。まだ遠くにある現実感と悲痛が、腕を広げて近付いてくるような感覚だった。
私はきつく目を閉じる。手を握り締める。追い縋ってくる恐怖を振り払おうとしたところで、ヴァルグ様が鼻を鳴らした。
「この町を襲ったワーウルフのゾンビ共も、邪教の者達が用意した尖兵の可能性が高い。……忌々しいことだ」
静かだな、斬りつけるような烈しい声。
ヴァルグ様の冴えた美貌に浮かぶ明確な怒りには、貫禄のある威圧感が備わっている。控えていた兵士達と共に、私も息を呑んでしまう。
クゼル様だけが平然として、顎を撫でていた。
「ワーウルフ共を操ってるのも、悪魔由来の邪術ってやつですかねぇ」
「これだけ邪教徒どもが力を増しているのは、どこかで召喚された悪魔が力を授けている可能性もあるな」
奥歯をゴリゴリと噛みながら、ヴァルグ様は床を見詰めている。憎む何かを思い出したのか、思い出したことで火が付いた怒りを抑えているのか。
「もしくは、召喚ではなく復活したとか?」
思案顔のクゼル様は泰然としたままだ。
「影に潜んだまま邪教徒どもに力を与えて、操って、何かを企んでたりして」
「冗談にしては笑えんな。俺が全て斬ってやろう」
「あ、あの……」
私は、そこで小さく手を挙げた。
「なぜ邪教徒は、この町を狙うのでしょうか?」
王都で過ごしていた私には、辺境についての知識はあっても、それは流動性のない古いものでしかない。邪教についても知らないことばかりだ。
「この町を狙う特別な理由など、邪教徒の者どもには無いだろう」
腕を組んだヴァルグ様が低い声を洩らし、不味そうな苦笑を浮かべたクゼル様が肩を竦める。
「まぁ強いて言えば、この町が割とデカいからかな。邪教徒の奴等は、人間の死体を欲しがるからねぇ」
「し、死体……、ですか?」
無造作なクゼル様の言葉に、私は身を硬くして俯く。無意識のうちに記憶を掘り返していた。
「まさか、でも、……あれは」
「そ。冒涜の石」
クゼル様が薄い笑みのまま指を鳴らした。
「賢者の石の親戚みたいなモンだし、アリサ嬢も聞いたことがあるでしょ?」
「は、はい。ほとんど伝説や伝承の域を出ないものだと思ってましたが」
悪魔召喚を、人類で最初に成功させたのは錬金術士だった。
その錬金術士が作り出したとされる、存在してはならないアイテム。
――冒涜の石。
悪魔の持つ力を増幅させる、一種のパワーストーン。
錬成するための素材となるのが、無数の死体だと言われている。
そこで私は、はっとした。
「生活に使う水や食糧庫などを、今からでも調べた方がいいのでは……!?」
町を暴力によって蹂躙されることは恐ろしい。だが、誰も気づかないよう静かに毒を撒かれていたりする方が、もっと取り返しがつかないような気がした。
私が魔法薬精製に使用したのは、施設内に保存されていた蒸留水だ。町の井戸など、そういった場所の水を汲んでいなかったので気付くのが遅れた。
「あぁ。その点については問題ない」
私が抱いた浅い危惧など、ヴァルグ様はお見通しのようだった。
「辺境各地の町村、市街には、クゼルの部下を含め、監視用の冒険者を複数配置してある。邪教の者どもが住民に紛れ込めんよう、日常的にな」
「許可を得た人間以外には、町の衛生管理は任せない体制を取らせてたからねぇ。ヴァルグの旦那の方針で、彼方此方の見張りもだいぶ増やした。その御蔭で」
軽やかな口調のクゼルが、私に向かって片目を閉じて見せる。
「農業用水、飲料用水、食料を扱う施設全般にも、毒を仕込まれてる形跡は無かったよ。魔導具による検査でも異常反応は出てない。安心して」
「そ、そうですか。取り乱してしまい申し訳ありません」
私は胸を撫で下ろしたものの、邪教徒の危険さ、容赦の無さを思い知ったような気分でもある。
「冒涜の石に関する文献は幾つかある。だが、どれもこれも信憑性が低いものばかりだ。アリサ嬢の言う通り、伝承や迷信の類だと言われた方が納得できる。だが」
鋭く目を窄めたヴァルグ様が、施設工房の窓から外の闇を睨んだ。
「冒涜の石が御伽噺の産物であれ何であれ、今まで邪教徒どもが辺境の町村で跋扈してきたのは現実だ。領民の血と傷は見過ごせん」
「今回みたいに、魔獣をゾンビ化して従わせてるなんてのは、まぁまぁ由々しき事態ですからねぇ。俺も、部下達に色々と走って貰ってますよ」
「その御蔭で、近隣町村にも連絡がついた」
ヴァルグ様は、後方に控えていた兵士2人から紙の束を受け取った。各地の町長、村長からの手紙だろうか。
「各町村に詰めている私兵と冒険者を、この町に派遣させる準備も整った。明後日には、60名程度が到着する予定だ。この増えた兵力を用いて、この町から住民を移動させる」
「まぁ町を守るよりも、住民を守ることの方が重要ですからねぇ。……受け入れ先は?」
「ニーシス村、リョーディク、ルマディトの町だ」
「ふぅん。住民たちに徒歩移動をしてもらうにしても、現実的な距離だ」
「住人全員分の馬車など用意できんからな。負傷者を運ぶだけで精いっぱいだ。それと、アリサ嬢」
紙の束を手早く捲ったヴァルグ様が、私を見据えてくる。
「貴女には引き続き、魔法薬の精製を頼みたい。兵士達を、それに住民たちを十分に癒すには貴女の力が必要だ」
力強い眼差しで断言してくるヴァルグ様は、私という人間を信頼してくれている様子だった。一切迷いのない言葉が、ぐっと私の胸を押してくれる。
「は。何なりと」
私は身体に力を入れ直したが、その力みを察したのだろうクゼル様が軽く笑った。
「アリサ嬢。頑張り過ぎちゃ駄目だよ~。っていうか、明後日はアリサ嬢にも移動して貰うんですよね?」
「あぁ。彼女にはお前と共に、レジルカに向かって貰う。そこでシンシアに会って、これからのことを聞いて貰うつもりだ」
これからのこと。その言葉の意味を深く受け止めるのも、レジルカに移ってからでいい。私は彷徨いだしそうになる意識を握り締めたときだった。
『WAOOOOOOOOO……NN――!!』
『AOOOOOOOOOO……NN――!!』
狼の遠吠えが、町を包囲するように響くのが聞こえた。
「……来たか」
ヴァルグ様が表情を引き締めて、控えていた兵士達に短く指示を出した。兵士達は敬礼をするや、慌ただしく駆け出していく。
「お客さんですねぇ。……それも、かなり多そうですよ」
窓の外に広がる夜を、軽薄な苦笑と共に眺めるクゼル様。眠そうな目つきだが、その瞳には剣呑な光が蹲っている。
「明後日まで、向こうは待ってくれないっぽいですねぇ」
「夜に紛れる知性が奴らにもあるのか。それとも邪教徒の狡猾さか。まぁいい、斬り捨てるだけだ」
忌々しそうに溢すヴァルグ様は手にした大刀を握り直し、工房の外に向いながら鼻を鳴らした。
「クゼル。アリサ嬢を聖堂に連れていけ。そのあと、俺の元に来い。お前も戦闘に出て貰うぞ」
冷厳と告げるヴァルグ様の、大刀を握る手からは蒼い魔力が漏れている。刀とヴァルグ様の肉体が呼応するような、脈動にも似た淡い明滅だった。