「ならば私は、辺境の魔女になりましょう」   作:なごりyuki

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第14話 銀色の刀身、斬撃

 

 

 

 

 はっとして顔を上げる。

 私だけでなく、兵士たちも立ち止まっていた。

 通りに並んだ建物を上からだ。

 

 朝焼けが迫り、淡い赤紫が滲んだ薄曇り。まだ夜の余韻が残る空を背にして、2体のワーウルフ・ゾンビが私たちを見下ろしていた。

 

 体長2mほどの巨躯。獰猛な狼の頭部に、筋骨隆々な肉体。幅も厚みもある体躯には、魔獣としての威風さえ漂っている。

 

 だが、アンデッド化している影響か。その目は白く濁り、腐敗が進んだ筋肉の一部が破けていた。唸り声を洩らす口から漏れる涎も、赤黒く変色して粘り気を帯びている。

 

 機能と目的を与えられた、死肉の奴隷。

 

 まさに、生きる屍だ。

 

(邪術によって、従順な死体兵士として操られているのね……。なんて冒涜的な……)

 

「れ、錬金術士さま……」

 

 恐怖で涙声を洩らしたアルが歯の根を鳴らし、身体を硬直させている。

 

 現れたワーウルフ・ゾンビの醜悪で狂暴な姿に戦慄し、足が竦んでいるのは私も同じだった。だがせめて、私はアルを腕に抱いて、庇うように立つ。

 

 だが、私には戦う力などない。既に魔力を使い果たしそうになっている、ただの錬金術士でしかなかった。

 

(こんなときこそ、“聖気”が使えれば……!)

 

 無力な私の姿が、もしくは小さなアルの姿が、ワーウルフ・ゾンビ達には格好の餌食に見えたに違いない。低い唸り声を上げながら、屋根から跳び下りて突進してくる。

 

 物凄い疾さだった。

 

「GAAAAA……!!」

 

 殺意と共に、その巨体が猛然と迫ってくる迫力に飲まれて、私は足が竦んだ。息を詰めたまま動けない。

 

 そんな私と違い、護衛してくれている兵士たちは勇敢だった。

 

「此処は、我々が……!」

「その少女と共に、お逃げ下さい!」

 

 兵士たちは二人一組になって盾を突き出し、目の前に迫ってきていたワーウルフ・ゾンビの突進を受け止めてくれた。

 

「GGUUUUUURURURUAAAAAAAAAAA……!!」

「GAAAAAAAAAAAARUUUAAAAAAAAA……!!」

 

 腐肉と金属が激突する攻撃的な音。衝撃。

 ワーウルフ・ゾンビの濁った咆哮。

 腐りかけた巨体から飛び散る、毒を帯びた血肉。

 それを浴びながらも、兵士たちは一歩も引かない。

 

「おぉおおおォ……!!」

 

 筋骨強化の魔法か。

 裂帛の気合を発する彼らの身体が、淡い燐光が纏っている。

 

「さぁ、早く!」

「他の兵士達と合流を……!」

「我らに代わり、その少女をお守りください!」

 

 ワーウルフ・ゾンビを盾で押し返しながら、兵士たちが私を振り返った。命を懸け、私とアルを守ろうとしてくれている。

 

 彼らの言葉と眼差しが、私を突き飛ばすように動かした。

 

「行きましょう、アル!」

 

 私は兵士達と硬く視線を結んでから、アルの手を引いて走った。自分の無力さが悔しくて、唇の端を小さく噛み千切る。

 

(央道まで戻れば、他の兵士にも会えるはず……!)

 

 とにかくまずは、町を防衛する兵士の誰かを見つけて、町に侵入したワーウルフ・ゾンビが、すぐ近くまで迫っていることを伝えるべきだ。

 

 そして私たちを助けるため、2体のワーウルフ・ゾンビを引き付けてくれている勇敢な兵士達に、加勢して欲しいと願い出るべきだと思った。

 

 疲労に満たされた私の身体は重く、走ることは苦痛だった。だが私は、建物間の路地を走りながら、アルの手の震えを感じ続けていた。

 

 乱れる息を堪えて、手を引いているアルを肩越しに振り返る。

 

 縋るような眼差しのアルは、息を切らしながら涙に濡れた瞳を私に向けていた。

 

 私は無力なままで、ただ頷く。大丈夫だと伝えるように。せめて彼女の恐怖心が、少しでも和らげばいいと思ったときだった。

 

「GAAAAHH……!!」

 

 建物の間を走る私達の頭上に、澱んだ影が差した。咄嗟に私は、アルの手を引き寄せる。そして抱きすくめるようにして地面に転がった。

 

 0・5秒前まで私とアルが居た空間を、鋭くも汚れた爪が奔っていた。頭上から襲ってきた影――ワーウルフ・ゾンビが、その両腕を振り下ろしていたのだ。

 

 あと一瞬遅ければ、私とアルの上半身は無残にも引き裂かれていただろう。

 

 アルを庇いながら身体を起こすと、右肩から背中にかけて衝撃があった。痛みではなく熱を感じた。熱い。背中が濡れる感覚がある。

 

 あぁ、そうか。私は背中に、あの汚れた爪での一撃を受けたのか。傷口からは毒が体内に入っただろう。

 

 でも、それがどうしたのだという気分だった。

 

 アルが無事だったのだ。この一瞬、この光景のなかで、それよりも大事なことがあるだろうか。

 

「UUUUUUrurururu……!」

 

 私とアルを見据えながら、牙を剝いたワーウルフ・ゾンビが唸り声を洩らして、ゆっくりと近付いてくる。

 

「ひっ……!」

 

 身体を強張らせたアルが悲鳴を飲み込む。一方の私はアルを庇いながら、ひどく頭が冷えていくのを感じていた。

 

 奇妙なほどに、私の心からは恐怖が薄れつつある。私はワーウルフ・ゾンビを睨みながら、アルを自分の背中に隠すように対峙した。

 

「GUUAA……!!」

 

 次の瞬間には、その巨体をすっと沈めたワーウルフ・ゾンビが飛び掛かってくる。無造作に振りかぶられた爪。死の象徴。

 

「ぅ……っ!!」

 

 私は再び、アルを抱えて飛び退る。地面に身体を投げ出した。ワーウルフ・ゾンビの右手の爪が、私の左脇腹から腰を掠った。衝撃と熱。私の血が路地に散った。

 

(せめて、せめてアルだけは無事に逃がさないと……!)

 

 そんな、身の程を知らない使命感の所為だろうか。

 

 私の身体には力が湧いていた。蝋燭の火が消える寸前の、最後の灯のような足掻きだと分かっている。でも諦めるわけにはいかない。

 

 すぐに手を着いて立ち上がった私は、アルを背中に庇いながら下がる。

 

「ああぁあ、錬金術士様……!」

 

 涙に滲んだ声で叫んだアルが、私の怪我の具合に気付いたようだった。

 

「血が……、ひどい傷が、ぉ、お腹と背中に……!」

 

 狼狽しきって声を震わせるアルに振り返り、私は大量に汗をかいたまま微笑んでみせる。

 

 自分の身体から血が流れ出している感覚がある。太腿や脚が濡れる感触。傷口に触れると、手袋を濡らす血が、毒のせいか、ぬめって糸を引いた。

 

「これぐらい平気よ。ちっとも痛くないわ」

 

 空元気の強がりだっただが、恐怖に押し潰されそうになっているアルには、私は笑みを見せるべきだった。

 

 そんな私の些末な努力を嘲笑うように、重たい足音が使づいてくる。私は視線だけを周囲に走らせて、本当の絶望を味わうことなった。

 

 新たなワーウルフ・ゾンビだった。

 建物の上に2体。違う路地から4体。

 もう逃げられそうになかった。

 

 それでも私は、にじり寄ってくるワーウルフ・ゾンビ達を睨みつける。

 

 黒い影を帯びたワーウルフ・ゾンビ達の姿に、私を処刑に追いやった宮廷の害意が重なって見えた。逃げてきた私はもう一度、ここで殺されるのだと思った。

 

 疲労と出血、鈍い絶望によって重くなった頭に、いつかの宮廷貴族達の言葉が響く。

 

 忌々しいグランハース家の生き残りめ。

 卑賎な血は宮廷には要らぬ。

 まったく。父と共に死ねばよかったものを

 しかし、あの娘。……呪い持ちですゆえ。

 えぇ。いずれ、近いうちに死ぬはずです。

 

(それでも……!)

 

 確かに、私は呪われている。短命かもしれない。だがそんな私と共に、この場でアルが殺されることは間違っている。完全に間違っている。認められない。

 

(私みたいに、無造作に人生を奪われていいはずがない……!)

 

 心の中で叫んだとき、目の前のワーウルフ・ゾンビが踏み込んできた。物凄い早さだった。もう逃げられない。どうしようもない。

 

 目の前に迫ってくる魔獣の殺意に、私の身体は動いてくれた。

 

 私は力一杯、アルを抱きしめる。

 

 自分の身体を、この呪われた身体と命を、アルの盾として使い切ろうと思った。私は全てを失って此処にいる。だがせめて、アルだけは守りたかった。

 

 愚かで矮小な衝動かもしれない。でも私にとっては、自分の人生の全てを託した、この無慈悲な世界に対する最後の抵抗だった。

 

 きつく目を閉じる。腕の中にアルの体温を感じながら、私は胸中で謝罪の言葉を握り締める。

 

 守れなくて、ごめんなさい。

 

 それが父に向けた言葉なのか、アルに向けたものなのかさえ覚束ないまま、ぎゅっと目を瞑る。死の瞬間が訪れる。そう思ったが、違った。

 

 次の瞬間だった。

 

 誰かが、物凄い速さでこの路地に駆け込んできた。

 

「GUUUAAAA――……!!?」

 

 そしてワーウルフ・ゾンビの苦鳴。

 

 顔を上げて振り返る。そして、見た。

 

 私に襲い掛かろうとしていた屈強なワーウルフ・ゾンビが、刃の閃きによって両断されて崩れ落ちる瞬間を。

 

「アリサ嬢……! 無事か……ッ!!」

 

 私とアルを庇うように立っていたのは、抜き身の大刀を手にしたヴァルグ様だった。

 

 黒と蒼を基調にした細身の鎧も、今は濁った血で汚れている。冷然とした美貌にも、憔悴と汗が浮かんでいる。

 

「は……! 私は何ともありません……!」

 

 私がアルを抱きしめながら応じると、今度はアルが悲鳴のような涙声を上げる。

 

「れ、錬金術士さまが、私を庇って……!」

 

「……そのようだな」

 

 低く呟いたヴァルグ様は、私の錬金士装束を睨んだ。そこに滲む血によって、私の傷の具合を察したようだった。

 

「すぐに治療せねばならん」

 

 顔を歪めたヴァルグ様が、すっと重心を下げながら刀を握り直したときだった。

 

 特殊な筋骨強化魔法だろうか。ヴァルグ様の身体が、昏い蒼色の魔力光を纏う。呼応するように、ヴァルグ様が手にした刀にも魔術紋が浮かび上がっている。

 

「待っていろ。このゾンビ共を片付ける」

 

 ヴァルグ様が言い終わる前には、残った4体のワーウルフ・ゾンビの群れは動き出していた。あの巨体でもって押し潰すように、一斉にヴァルグ様に躍りかかったのだ。

 

 危ない! 私は叫びそうになったが、そんな必要は無かった。

 

 まずヴァルグ様は、目の前に迫ってきた1体目のワーウルフ・ゾンビの右腕を斬り飛ばしながら踏み込み、その右腰から左肩までを斜めに両断。

 

 斜め前から飛び掛かってきていた2体目の首を刎ね、返す刃で胴体を4つに裂きつつ3体目に踏み込み、頭頂から股下までを斬って捨てた。

 

 最後の4体目は汚れた爪を猛然と振るったが、ヴァルグ様はすり抜けるように躱しながら大刀を閃かせ、その巨体を斜め十字に断ち斬った。

 

 ワーウルフ・ゾンビの群れが肉片となって崩れ落ちるまでは、本当にあっという間だった。時間にして5秒も無かっただろう。

 

 ヴァルグ様が放つ神速の斬撃は、途方もない技巧によって編まれた無音を湛えたまま、銀の光を虚空に引いていた。なんて刀捌きだろうか。

 

「アリサ嬢! 立てるか!?」

 

 刀を血振るいしたヴァルグ様が、私の傍に駆け寄ってきてくれる。

 

 私は気絶しそうなほどの安堵を覚えそうになるが、まだ周囲の建物の上に、2体のワーウルフ・ゾンビが残っていた筈だ。ハッとして頭上を見上げたときだった。

 

「ヴァルグの旦那」

 

 頭上から間延びした声。

 屋根の上から町の様子を眺めている人影。

 

「屋根の上にいた2匹は片付きました。……というか、ほぼ、これで全部ですかねぇ」

 

 黒い装束に身を包んだクゼル様だった。凶悪な反りを備えた短剣を両手に握っている。どうやら彼がワーウルフ・ゾンビを斃してくれたようだ。

 

「町の中を走った部下が何人か戻ってきましたが、住民の被害も今のところないですよ。ワーウルフ・ゾンビも、広場の方には出現してません」

 

「そうか。ならお前は、町の外に出ている掃討隊に合流してくれ。邪教徒とゾンビの残りを狩り尽くして欲しい」

 

「了解でぇす。……あぁ、ヴァルグの旦那」

 

「なんだ?」

 

「アリサ嬢のこと、よろしく頼みます。だいぶ傷が深そうっすよ」

 

 心配してくれているのか。クゼル様が眉を下げて、辛そうな顔をしていた。私よりも痛みを感じているような顔つきだった。

 

 そのことが何だか可笑しくて、私は小さく笑ってしまった。

 

 一気に緊張が緩んだせいか。疲れと出血のせいか。目の前が揺れて、視界が狭まった。身体が傾いていく。

 

「あぁ。アリサ嬢は、すぐに神官たちの元に……、おい! アリサ嬢……!」

 

 気を失う寸前に、此方を振り返ったヴァルグ様の声を聞いた。

 

(このまま傷の手当てをしてもらうと、身体の紋様を見られちゃうな……)

 

 朦朧とする頭で暢気なことを思いながら、私の意識は闇の中に崩れ落ちていった。

 

 

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