「ならば私は、辺境の魔女になりましょう」 作:なごりyuki
アルや町の人々に見送られて、セイラークの町を発って数日。
レジルカの街に向かう馬車の中で、クゼル様が窓に目を向けた。彼の視線を追って、私も窓の外を見遣る。
「旦那は仕事が早いですねぇ」
人と物資を運ぶ、馬車の列とすれ違っていた。向かっているのはセイラークの町に違いない。
「見た感じだと、医療と建築系の人員は確保できたみたいですけど」
「あぁ。まだ十分ではないが、必要なだけは揃ったはずだ」
腕を組んだままのヴァルグ様が頷く。大刀を肩に立てかけるようにして手に持っていた。
何手も先のことを考え、見据えているのだろう。馬車の窓から外を見遣るヴァルグ様の眼差しは、鋭い静謐さを湛えている。冷え澄んだ美貌も相まって、まるで高名な絵画のようだ。
「町の傷痕は大きい。薬用植物の栽培も、すぐに再開することは難しいだろう。補助金についてはシンシアとの相談になるが、出来る限りは用意せねばならん」
「多少は大目に見積もっても問題ないでしょう。領民たちにとっては有難いことに、旦那も妹さんも贅沢しませんからねぇ。うちの財政状況は良好だ。」
ヴァルグ様とクゼルが話すのを聞きながら、私はふと思う。
(こんなふうに兵士たちを引き連れてレジルカを離れる間、ヴァルグ様は執務や外務を他の人に任せているのかしら?)
先程もヴァルグ様とクゼルの会話に出ていた、『シンシア』という女性が担当しているのかもしれない。会話の流れから、どうやらヴァルグ様の妹のようだ。
「節制と実用性の優先、そして領民への還元を惜しまないことは、俺達の務めでもある。貴族らしい贅沢など、辺境では無用だ」
その言葉通り、レジルカに向かうための馬車は、辺境領主であるヴァルグ様が乗るにしては質素で無骨だった。
紋章入りの貴族用馬車ではあるが、華美な装飾などは施されていない。それがむしろ、引き連れた兵士たちの威風を増しているのか。
すれ違う馬車の列が、街道の端によって道を譲っている。御者や、乗車していた者達も降りて、こちらの馬車に頭を下げている姿が見えた。
(辺境領の人々は、ヴァルグ様のことをとても信頼しているのね)
彼ら、彼女達の敬虔な態度は、ヴァルグ様に対する純粋な敬意の顕れなのだろう。すれ違う人々の表情にも、恐怖や怯え、嫌悪や忌避が見えない。
(領地運営において、ヴァルグ様が領民を大事にしているというのも嘘じゃない。セイラークの町でも、とにかく住人の安心、それに、生活の立て直しに心を砕かれていた筈だもの)
ヴァルグ様は、セイラークの町に駆けつけくれた新たな冒険者、兵士達を新たに編成。町を防衛するための兵員配置を再構築し、追討隊を組んで広域に派遣。
またクゼル様の部隊もこれに参加し、町の周囲に逃げ散ったワーウルフ・ゾンビ、また邪教徒たちは、捕縛、または一掃されたようだ。
捕らえた邪教徒たちは、やはり自らの歯に仕込んでいた毒を飲んで自害。ワーウルフ・ゾンビの方も、邪術を維持する者が逃走したせいか死体に戻ったらしい。
町の脅威が排除されたことで、周囲の町村から大工や土建魔術士、錬金術士などを呼びことができるようになった。さきほどすれ違った列にも、職人を乗せた馬車があったはずだ。
私が聖堂の一室で静養させて頂いている間にも、ヴァルグ様はほとんど休む間もなく彼方此方に指示を出されていたに違いない。
こうした領主的、貴族的な献身の姿勢は、自らの命を張って邪教徒や魔獣討伐の先頭に立つことも含め、領民を第一に思えばのことだろう。
(噂みたいな冷酷無情どころか、すごく立派なひとだなぁ……)
「む。なんだ、アリサ嬢。俺の顔に何か付いているか?」
「えっ!? ぃ、いえ、その」
ヴァルグ様に見詰められて、私は焦りつつ頭を下げた。
「領民のために自ら魔獣と戦い、また復興の手立てを惜しみなく注ぐ御姿と姿勢に、感服いたしておりました」
「……前にも言ったが、そのような堅苦しい物言いは不要だ」
そっぽを向いたヴァルグ様は大仰に眉を吊り上げて、口をへの字にひん曲げた。
「アリサ嬢、アリサ嬢。ヴァルグの旦那がこういう顔をするとき、恥ずかしがってるんですよ」
「しししし」と笑ったクゼル様が、横から面白がるようなヒソヒソ声で言ってくる。
「きっとアリサ嬢に褒められて、照れてるんです」
「黙れよクゼル」
目を細めたヴァルグ様が、まるで冷気そのものみたいな恐ろしい声を出した。
かなりおっかない。私は思わず背筋を伸ばしてしまう。そんな私を一瞥したヴァルグ様は、小さく下唇を突き出すようにして、またそっぽを向いてしまう。
ちょっと可愛いと思った。大人びた雰囲気とのギャップのせいか。
「でも、褒められたら素直に喜んでもいいじゃないですか」
つい今しがた怒られたはずのクゼルだが、全く堪えた風ではない。まるで友人に接するかのような態度だ。
「……俺などより、よほどアリサ嬢の方が勇敢で立派だ」
「えっ」
真面目な顔になったヴァルグ様に再び見詰められて、ちょっとだけドキッとしてしまう。
「あれだけ傷を負ってなお、少女を守るために身体を盾にできる者などそうそういない。……普通の者ならば逃げ出している」
私のことをじっと見据えていたヴァルグ様だったが、言葉の最後で苦しそうに、痛みに耐えるように目を伏せた。記憶のなかに目を凝らしながら、自分を責めるような――。
「他者を守るために自らの投げ出す勇気は、何より気高いものだ」
言いながら顔を上げたヴァルグ様は、眩しいものを眺めるような目つきだった。
「俺も、アリサ嬢のガッツには恐れ入ったよ」
含みの無い快活さで、クゼル様が続いた。
「アリサ嬢が身を挺して時間を稼いでなきゃ、あのアルって女の子も助かってなかっただろうしねぇ」
「いえ、わ、私は……」
2人からの純粋な賞賛を受け止めることに生々しい後ろめたさを感じて、私は首を振った。
「私など、全く気高くありません」
正直に告白した方がいいと思い、きっぱりと言う。父の姿と微笑みが脳裏を過る。
「……守るべきものを、私は何も守れませんでした。その喪失感に衝き動かされて、私は現実感さえも掴み切れていなかったのです。麻痺した心のまま、私はただ必死でした」
あのとき、アルを守ろうと必死だった自分自身の心を振り返り、言葉を与えるような感覚だった。
「私がアルを守ろうとしたことも、町の皆さんの役に立とうとしたのも、強い意志として勇気を発揮したのではなく……。もっと場当たり的で、衝動的な行動だったはずです」
少しだけ声を震わせつつ、私が言い切る。
「あのときの私は、勇気や決意や、そういった人間的な正しさとは無縁でした」
「……ふむ」
そこでヴァルグ様は何かを考えこむように、ゆっくりと瞬きをした。
「その告白こそが、貴女の高潔さの証だと思うのだが」
「そうっすよねぇ」クゼル様が苦笑しつつ、「まぁ間違いなく言えることは」と繋いでから、私とヴァルグ様を交互に見た。
「ヴァルグの旦那とアリサ嬢は、似た者同士ってことですねぇ」
「どういう意味だ?」
「それは、どういう……?」
声を揃わせた私とヴァルグ様は、思いがけず互いを見交わす格好になる。微かない気まずさを共有したが、そんな私達を楽しげ見比べたクゼル様が肩を揺らした。
「お二人とも、褒められても素直には受け取らないでしょう?」
冗談めかしてはいるが、嫌味のない言い方だった。
「これは案外、お似合いの二人かもしれませんねぇ」
「黙れよクゼル。……気にしないでくれ、アリサ嬢。ただの戯言だ」
「い、いえ」
どのように返事をすべきか分からず、私は頭を下げるにとどめた。
(ヴァルグ様のような立派な方と、私が似ているだなんて……)
烏滸がましいというよりも、もはや滑稽だろうと思う。
守るべきものを守るため、ヴァルグ様は力強い謙虚さで自身を律して、戦い続けている。それに比べて私は、ただ卑屈なだけだ。
だが、助かったアルの姿と体温、私に向けてくれた笑顔を思い出すと、ほんの少しだけ心が軽くなる。こっそりと息を吐いて、ぎゅっと手を握った。
(私に何ができるか分からないけど、がんばろう……)
自分の人生と未来の手触りを失っていた私だが、両手の手袋の感触は、何よりも現実感に満ちていた。
「……レジルカの領城に到着してから、まずアリサ嬢にはシンシアと、ギョームに会って貰おうと思う」
静かな表情のヴァルグ様は、私が膝の上での握り締めた手袋を一瞥した。
「そのギョーム様という方は、此方の魔導アイテムを製作された術士様ですね」
セイラークの町に来るまでにクゼル様が渡してくれた、“浄化のタリスマン”を懐から取り出す。ヴァルグ様が鷹揚に頷いた。
「あぁ。俺が抱えている魔術士だ。錬金や魔導細工についても達者でな」
「ちょっと偏屈なところが珠に瑕ですけどねぇ」
クゼル様が半笑いになって、「お前は瑕だらけだ」とヴァルグ様が横目で睨んだ。
「だがクゼルと同じく、ギョームもまた優秀であることに変わりはない。邪教徒を相手にした研究を長年続けていてな。悪魔由来の邪術についても詳しい。ギョームなら」
そこで言葉を切ったヴァルグ様は、少しだけ声音を優しくしてくれる。
「アリサ嬢の呪いを解く方法ついても、何か知っているかもしれん」