「ならば私は、辺境の魔女になりましょう」 作:なごりyuki
手入れが行き届いた庭園は、柔らかな日差しによって心地よく温められていた。
瑞々しい緑と花々が、そよ風に揺られている。絢爛さとは距離が置かれた穏やかな空気に、微かな鳥の囀りが小さく響いた。
晴れた空の下。庭園に設置された茶会用のテーブルにかけているのは、二人。
ロレンス・エイディ・レイハルト王太子。
イザベル・フェア・ウォーダル公爵令嬢。
太子の少し後ろに控えているのは、内大臣であるイフリル・セダ・ガネーヴォ伯。
「グランハース伯よ。前から思っていたのだが」
ロレンス殿下の声に険は無い。だが、王族らしい圧がある。金髪碧眼の美貌に浮かぶ倦怠には、立場ゆえに彼が慣れ親しんだ傲慢さ、そして知性が滲んでいた。
「この薬、もう少し量は増やせんのか? この程度の量ではすぐに飲み切ってしまう」
目を細めたロレンス殿下は、ティーカップではなく堅牢なケースを手にして眺めている。
ケースには宮廷魔術士の鑑定を終えた証書が張られ、小ぶりな薬瓶が納められている。澄んだ翡翠色の薬液が微光を湛え、日の光を透かして揺れていた。
勇者病の魔力暴走。その苦痛を鎮静させるための魔法薬である。私が二日徹夜して魔力を注ぎ、魔術効果を編み込んだものだ。
「畏れながら、殿下」
私は静かに頭を下げる。
「精製には最善を尽くしておりますが、量を増やせば品質の低下は避けられません」
「一本一本の精製を早めることは?」
「その一本を精製するにも、品質固有の時間が必要になりますゆえ」
赦しを乞うように、私は更に頭を深く下げる。
「しかしながら鎮静剤は、あともう一瓶分の精製が終えております。宮廷魔術士の鑑定が終わり次第、そちらも服用して頂けるかと」
「そうか……。よい。頭を上げよ」
眉間に皺を寄せた太子は、金属ケースをテーブルに大事そうに置いてから私を横目で見た。失望ではなく、気遣いと労いを籠めた眼差しだった。
「其方を責めるつもりではない。だが最近、どうも症状が重い。夜も眠れん日が増えた。もう少し、薬の量を増やすことができればと思ったのだ」
「殿下。勇者病の鎮静剤は、現在では彼女にしか……、グランハース伯にしか精製できない霊薬に御座います」
やんわりと私を庇うように言ってくれたのは、穏やかな表情のイフリル伯だ。纏っている雰囲気は優しいものの、その灰髪と精悍な顔立ちには、老獪な猛禽類に似た鋭さがある。
「彼女が前グランハース伯から受け継いだ錬金術、そして忠誠は、今もなお王家の壮健にはなくてはならぬものです。どうか寛大な――」
「分かっている。薬の精製を急かすこともせぬ」
腕を組んだロレンス太子が鼻を鳴らした。
「幸い、勇者病は命に関わるものではないからな。陛下も闘病の末、克服された。余も、出来る限り堪える心積もりではある」
「長引く風邪だとでも思い、今は御辛抱を」
イフリル伯の言い方は、大型犬が不機嫌にならぬよう丁寧に撫でさするかのようだ。
「陛下の快癒まで寄り添い続けたのも、前グランハース伯でございます。なれば、現グランハース伯の錬金術もまた、殿下の病を癒す標となりましょう」
ロレンス殿下に頭を下げつつ、イフリル伯は私に優しい目線を寄せてくれる。私も感謝を込めて、目礼を返した。
領地運営の手腕だけでなく、蛮族からも国境を守り抜いた武功貴族であるイフリル伯は、国王からの信頼も厚く、数年前に太子の内大臣に任命されて宮廷に入った。
イフリル伯が治めていた辺境隣接の領地であり、肥沃な土地ではあったものの土着の病に苦しめられる期間が長かった。
その風土病に効く魔法薬を錬成し、人々を苦しみから救ったのが父だったらしい。父の錬金術の腕を、勇者病”に悩む王族が知る切っ掛けでもあった。
宮廷に入ってからも、イフリルの父とも良好な関係だった。その誼からか、私が殿下や他の宮廷貴族に無茶振りされそうになったときには、いつもさり気なく助けてくれる。
(私の護衛をしてくれている精鋭兵たちも、皆イフリル伯が手配してくれたのよね。感謝してもしきれないわ)
領地貴族とはまた違う、宮廷貴族特有の派閥関係、摩擦、陰湿な嫌がらせや圧力には、イフリル伯も辟易しているというのは生前の父も語っていた。
「……しかし魔術も錬金術も、ままならんものよな」
ロレンス太子はケースに収められた魔法瓶を持ち上げて、目を細めた。
「素材さえ揃えれば簡単に量産できる薬もあれば、特定の者にしか生み出せん薬もあるとは」
「魔法技術の境域とは、そういうものですわ」
軽やかで艶のある声が続いた。
「高度な技能とは、磨かれるほどに個性と芸術性を帯びるものです。それが錬金という魔法技術ならば猶更」
今までの会話の流れを見守りつつ、ティーカップを傾けていたイザベル嬢だった。大人びた美貌に微笑みを浮かべている。
「繊細な魔法技術において、最も重大な素材とは時間です。いかに優秀で直向きな職人でも、時間が無いのであれば何も作ることはできません」
血のように赤い彼女の瞳には、冷たくも理知的な光が宿っている。艶やかなパープルブラウンの長髪が、やはり白磁色を基調にしたデイドレスに良く映えていた。
「そんなことは余も理解している」
ロレンス太子が顎を撫でて、やや憮然とした私を見た。
「先日も、都市から錬金術士を何人か招いただろう。グランハース伯よ。其方を手伝う人間は揃えたはずだ。それでも時間が足りぬのか?」
「お、畏れながら。確かに、何度か工房には人を寄せていただきました。ですが人が増えた分だけ、魔法薬や魔導具の品質にバラつきが出ておりました」
頭を下げたままの私は、つっかえるような声で応じた。
「品質についても、少なくない苦情が」
「なに?」と肩眉を吊り上げたロレンス太子に、イフリル伯がしらっとした顔で言い添えてくれる。
「邪教徒被害の視察のため、殿下が辺境に向かわれていた間のことでございます。既に、報告書類は殿下の執務机にあるかと。恐らくですが、この件も――」
「なるほど。宮廷の者達が噛んでいるのか。……血族以外の有能さを認めんのは、愚かな風土よな」
ロレンス太子はイフリル伯と目を見交わし、うんざりしたように鼻を鳴らしてから、私に視線を戻した。私に同情するような目つきだった。
「それで苦情というのは、王国騎士団や国選クランからか?」
「は。魔法薬や結界魔導具の品質は、魔物や賊との戦いでは生存確率に直結しますゆえ。通常の治癒薬の類は、組合からも購入しているようですが」
「騎士団やギルドが納得できる高位魔法薬は、其方しか用意できなかったということか。市中で買えるものならば、宮廷錬金術士に高い依頼料を払うこともないからな」
思案顔になったロレンス殿下は顎を撫でた。
「工房に寄せて頂いた錬金術士の方々は、『我々では力不足です』と工房を辞退されました。今は他の貴族様とギルドの案内により、都市の工房に戻られたと聞いております」
「其方は優しい言い方をする。要するに、ヘソを曲げて去っただけだろう」
鼻を鳴らしたロレンス太子のあとに、イザベル様が肩を竦める。
「私が聞いた話では、グランハース伯は人使いが荒く、工房に入った他の錬金術士が次々とやめていったらしいけれど。やっぱり真相は違うようね」
(えぇっ!? そんな噂が流されてるの!?)
危うく口と顔に出そうになる。
多分、私のことをよく思わない者達が吹聴しているのだろう。
以前、一時的にでも工房を手伝いに来てくれた錬金術士たちの中にも、宮廷貴族の息が掛かった者がいたのかもしれない。
(わざと低品質の魔法薬や魔導具を造ることで、筆頭錬金術士としての私の名を、いや、父の名を貶めるつもりだったのかも)
あまり考えたくないことだが、否定はできない。暗い気持ちが胸に広がって、無意識のうちに俯きそうになる。
「つまり今は、グランハース伯が一人で工房を任されている状態だから、魔法薬の品質には問題は無い。でも、生産量には限界があるのが現実ということね」
落ち込みつつあった私の心情を察してくれたのか、イザベル様は明るい声でこの話題の結論を急いでくれる。
「勇者病の鎮静剤が品質を保つためには、卓越した職人であるグランハース伯には寛容と共に、十分な余裕を与えるべきでしょう。何事も、急かしては本質を見失うわ」
落ち着き払った口振りのイザベル嬢は、「ねぇ、ユリカ?」と悪戯っぽくウィンクをしてくれる。
公的な場ではないからこそ、あのように遠慮なく親しみを現わしてくれているのだ。多忙な私の現状を労ってくれる意図もあるのだろう。
「ありがたき御言葉、畏れ多いことにございます」
私も失礼にならない程度に、小さく笑みに湛えて頭を下げた。
(子供の頃から綺麗だったけど、今のイザベル様は美人でカッコイイなぁ~)
私とイザベル様は同い年だ。初めてお会いしたのは、お互い13歳の頃。宮廷錬金術士である父の手伝いとして、私が工房で作業をしているときだった。
「少し見学させてもらいってもいいかしら?」
殿下の婚約者になると目されていた美しい公爵令嬢が、護衛も連れずに工房を訪れたのだ。父は大いに慌てて、その場ですっころんで尻餅をついていた。
無様だったが嫌味のない父の様子を見て、イザベル嬢は大笑いし、私も釣られて一緒に笑った。愉快な気分を共有できたこともあってか、私と彼女はすぐに打ち解けることができた。
「宮廷内に友人ができて嬉しいわ。ユリカ」
笑顔でそう語ってくれた彼女は、当時から錬金術に興味があったらしい。父が取り扱う魔導具や研究内容について、何度も尋ねられたこともある。
だが、その頃の私はまだ修行中の身であったので、詳しく答えることはできなかった。それでもイザベル様は、私を共と遇して親しくしてくれた。
だが今では、あの頃のような気軽な遣り取りはできそうもない。
イザベル様の父、ウォーダル公爵は中央教会に対し多大な援助を注いでおり、政界だけでなく、教会にも大きな力を持っていた。
いずれ王太子正妃となるイザベル様も、今では公爵家の職務として教会の内務、神聖法術の開発、聖歌騎士たちの管理にも関わっている。
まさに、権力の中枢に立つ種類の人間だ。
「……ねぇ、殿下」
優しい顔つきになったイザベル嬢が、気安く、しかし気遣うように殿下に微笑む。
「勇者病の発作が苦しく、眠れない夜が続くようでしたら、聖女会の治癒法隊を呼びましょう。グランハース伯謹製の鎮静薬には及びませんが、少しは症状も和らぐかと」
「それはいい。聖女会では高位の治癒聖術の開発も進んでいると、私も聞いております」
イフリル伯も続いた。
「うむ。では、そのように手配せよ。それと、グランハース伯よ」
ロレンス殿下は鷹揚に頷いてから、茶会用の椅子に座ったままで私に向き直った。
「余も、そして陛下も、其方の錬金術を評価している。余が勇者病を克服しようとも、其方が王家にとって重要な錬金術士であることには変わらぬ」
殿下の蒼い瞳が、私を真っすぐに射貫いてくる。
「前グランハース伯から受け継いだ錬金術、これからも存分に振るうがよい」
その殿下の言葉に、私は自分の疲れが溶けていくのを感じた。殿下の口振りが、私の父を認めてくれているものだったことが、何よりも嬉しかった。
胸が熱くなった私は、ぐっと息を飲み込む。
「……は。ありがたき御言葉です」
自分の声が震えてしまわないように気を付けながら、深く、深く頭を下げる。涙声にならなかったことには、内心でホッとしていた。
イザベル嬢とイフリル伯が、私とロレンス殿下の遣り取りを温かい微笑で見守ってくれているのが分かった。近くで、父も私のことを見守ってくれているような気がした。
この数時間後。
私は牢に放り込まれることになる。
私が精製した鎮静剤の一本から、毒が盛られていると鑑定結果が出たからだ。