「ならば私は、辺境の魔女になりましょう」 作:なごりyuki
夜更けの森は、重厚感のある闇に包まれている。
風と枝葉が揺れる音が、夜気のなかで冴えて響いていた。
(すごく、深い闇。王都の防壁内で暮らしていると、ほとんど触れることのない景色ね)
ほとんど現実逃避のように、ただ私はぼんやりと思う。
宮廷の裏口から出た馬車に乗り、私は罪人として運ばれることになった。
深夜が迫った頃の、余りにも急な処刑場への連行だった。だがそのためか、地下牢から馬車まで向かう間に、すれ違う人影はほとんど無かった。
裏口の警備をしていた数人の兵が、手と首に枷を嵌められて歩く私の姿をぽかんと見送っていただけだ。
馬車に乗せられてから枷は外して貰ったが、まだ見えない何かに縛られているような気分だった。心が麻痺して、鈍い不安がこびりついている。
(これから、私はどうなるのかしら……)
向っているのは、王都から少し離れた山の奥。まるで王都の内外に関わる人間や商品の流れから隔離されたようなそこには、重罪人用の処刑場と墓地がある。
王都では昔、処刑を娯楽として利用していたこともあるが、今では女神教会の意向により、人の死を鑑賞するような催しは廃止されていた。
それでも野次馬は湧くものではあるが、私が向かう処刑場までの道程では森の魔獣と遭遇する危険もあり、護衛を雇う必要がある。
こんな夜も深まった時間に、さらには暇潰しで身の危険を冒してまで、処刑の見物に訪れようとする者はいない。
私が乗せられた馬車には、護衛兵が7人。普段、私のことを護ってくれていた精鋭兵士たち。そして私の斜向かいに腰掛けた、イフリル伯。
「そろそろ、到着となります」
引き締まった声のイフリル伯は、一瞬だけ私の手袋を見た。気遣うように眉を下げている。
「はい。それで、私は……」
「御安心を。クゼルと申す者が、グランハース伯を……失礼、ユリカ嬢を、辺境都市のレジルカまでお連れします」
「もしや、私を辺境まで逃がす準備は、ずっと以前から進めて下さっていたのですか?」
おずおずと私が尋ねると、イフリル伯は悔やむように眉を下げた。
「このような逃亡の計画ではなく、ユリカ嬢に辺境へと移ってもらうためでしたが」
「宮廷から辺境へ、ですか?」
「表向きは左遷という形になりますが、爵位はそのまま、できるだけ宮廷諸卿から距離を取った方がいいのではないかと……。殿下も悩んでおいでてした」
私に頷いて見せてから、イフリル伯は馬車の小窓を開けた。「追手の気配は?」と、外の護衛兵達に声を掛けている。
「いえ、静かなものです」
「後方からは、追跡の気配はありませぬ」
「魔獣の類も姿を見せませぬな」
私も、そっと馬車の窓から外を窺う。護衛兵たちは皆、暗視ゴーグルを装着している。私が造ったアイテムだった。
「御安心を。グランハース伯爵閣下。我々がお護りしますゆえ」
「支給して下さったゴーグルの御蔭で、夜でもよく見えますからな」
「我々にも目を掛けて下さったこと、まことに感謝しております」
私が窓から顔を出したことに気付いたのだろう。3人の兵士が優しい声で言ってくれる。
「いえ、私の方こそ。皆さんに護っていただけたこと、ありがたく思います。それに、私はもう伯爵ではありません。言葉を丁寧にして頂かなくても……」
「この者達は貴女に敬意を表しておるのですよ。ユリカ嬢」
膝の上で拳を握ったイフリル伯が、穏やかで悲しげな微笑みを浮かべていた。
「きっと殿下も、ユリカ嬢には感謝していたことでありましょう。そうでなければ、殿下もこのような手を打とうとはしなかったはずです」
「……ありがたい御言葉です」
ただ静かに頭を下げる私は、他に言うべき言葉が見つからない。
「辺境領主であるヴァルグ・ゼス・フィリアム辺境伯も、貴女を匿うことを既に了承しています。気難しい青年ですが、根は悪い人間ではありません。安心してください」
イフリル伯が、せめて私の不安を解そうとしてくれているのは分かった。その優しさが、今は胸に沁みた。
病で亡くなったという前辺境伯は、イフリル伯とも武功貴族同士で親交も深かったと聞いている。現フィリアム辺境伯は戦友貴族の誼で、私を匿うという話を受け容れてくれたのだろう。
(ロレンス殿下とイフリル伯の御蔭で、私は生き延びることができる。でも……)
殿下の決断により、私はグランハース伯の名を封じられた。父が残してくれた爵位と栄誉を失い、罪人として処刑されることになった。
――表向きは。
真実は違う。ロレンス殿下とイフリル伯の助けによって、私は新たな人生を生きるのだ。
私という人間は、書類上は処刑される。社会的に完全に死ぬ。そうすることで、私を付け狙っていた宮廷内の悪意は目標を見失う。害意から離れた私も、自由になれる。
(でも私は、何も守れなかった。父さんの名を汚しただけで……。今まで頑張ってきた実績も、時間も意味も、消えてしまう……)
その事実が、強烈な喪失感として私の心を穿っていた。そのせいか、今の状況にも現実感が湧かない。悲しみも苦しみも、やけに遠い。私の心は麻痺したように鈍くなっている。
ただそれを自覚しているうちは、ある程度は冷静でいられるだろうとも思った。
(辺境都市のレジルカか。どんな場所なんだろう? 流罪人が送られたり、魔獣被害も多い地方だと聞くわね)
まるで観光にでも行くかのような、現実感の欠乏のなかで思う。
(……私の居場所があっても無くても、そんなに長く生きられないけれど)
あと2年の命。自分自身の体温と感触を確かめるように、手袋をした両手をぎゅっと組み合わせたときだった。馬車が止まった。処刑場に到着したようだ。
「ん~。予定してた時刻より、だいぶ早い到着ですねぇ」
馬車の外から、やけに軽薄な声が聞こえた。若い男性の声だ。
「
「あぁ。我々を王都から追ってきている者は居ないはずだ」
イフリル伯が馬車を降りながら応じていた。
私もイフリル伯に手を引かれて、馬車を降りる。
濃密な暗がりが辺りを押し包むなかで、護衛してくれていた兵士たちが敬礼の姿勢をとってくれていた。
「……へぇ。その女の子が例の?」
一方、ランプを手にした彼は、よりいっそう気安い口調になる。
「眼鏡で隠れてるけど、美人で可愛さもあるねぇ。名前、なんていうの?」
商人風の服装。肩まで伸びた髪と瞳は、明るい橙色。目つきは少し垂れ気味、吊り眉。高身長だが猫背なので、一見するとだらしない印象を受ける。
だが、私の髪色、瞳の色を観察するような彼の目線は、明らかに商人ではない硬質さと鋭さを備えていた。
「クゼル。馴れ馴れしい口の利き方は慎め」
苦い顔になったイフリル伯が、窘めるように男を睨んだ。
(この男性が辺境からの使者、クゼル様なのね)
「相変わらずカタいなぁ、イフリルの旦那は。親しみを込めてるんですよ」
肩を竦めたクゼル様は私に向き直って、すっと頭を下げる。今までとは打って変わって、凛々しくも実直そうな仕種だ。芝居がかってもいた。
「お初にお目にかかります。クゼル・ヴィファースと申します。伯爵閣下におかれましては……」
「あ、あの!」私は慌てた。
「私はもう伯爵ではありません。私の方こそ、クゼル様とお呼びさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ほう」クゼル様は私を見て、イフリル伯に目線だけを向ける。
「……その方の爵位は、既に封じられている」
眉間を絞ったイフリル伯が、重い声で告げた。
「ふぅん、そう」とクゼル様が唇の端を歪めた。「では、今夜のところはユリカ嬢と呼ばせて貰いましょう」
レジルカで匿うにあたって、貴女には新たな名前が用意されていますので。そう付け足されたクゼル様の言葉の意味は、今の私には暗く響いた。
そうだ。私は、此処で処刑されるのだ。
今までの人生を、名前を、此処に埋めていくことになる。
別の人生を生きるために。
(王都で過ごしてきた私に残るのは、この呪いだけなのね)
目の前に置かれた現実に、私は両手を強く組み合わせる。この手袋の感触も、どこまでも現実的だった。私が黙り込んだことで、数秒の沈黙が暗闇に落ちる。
「……レジルカの街での細工は、全て終わっているのか?」
ややあって、イフリル伯がクゼル様に問うた。
「えぇ。この数日、大急ぎで彼方此方に手を回しましたよ。実質的には、ロレンス殿下からの密命みたいなものでしたからね」
「ご苦労だった。此処の処刑場と墓地には?」
「ウチの錬金術士が、人造血液と肉の人形を用意してくれたんで。血の方は処刑台に撒いときました。人形の方は棺桶に放り込んで、墓地に埋めてますよ」
(肉の人形を造るというのは、肉体の錬成ということかしら。だとしたら、物凄く力のある錬金術士だわ)
未だに現状に揺さぶられたままの私は、そんなことをぼんやりと思う。今の私は、完全に役立たずだ。まさに人形のように。
「近いうちに掘り返しにくる者が現れても、問題は無いか?」
「ええ。寧ろ、掘り起こされた方が都合もイイんじゃないですかね。埋めてある人形の髪色と瞳の色は、ユリカ嬢に合わせてありますし」
あっけらかんとクゼル様が応じる。
「ご注文通りに、ちゃんと顔も潰しましたよ。処刑台の血痕も、埋めた人形の血液と一致しますから。あと……」
一瞬だけ言葉を滞らせたクゼル様は、私を一瞥してから肩を竦めた。
「“呪い”の紋様は、本人が死ねば消えます。そこも問題ありません」
本人が死ぬ。その言葉を聞いて、私は軽く息が詰まった。イフリル伯が重々しく頷いている。
「人形の方には、呪紋は無いということだな」
「えぇ。さすがに、ユリカ嬢の紋様を模写することはできませんから。あとは死体を残して、ユリカ嬢が消えるだけ。……なんですが、情報ってのは、知ってる人間が多いほど漏れるモンです」
剽軽な態度でヒラヒラと手をふってみせたクゼル様が、そこで声のトーンを少しだけ落とした。
「今の宮廷内で、ユリカ嬢が生きていることを知ってるのは、イフリルの旦那と殿下と、……そこの兵士の皆さんぐらいですかねぇ?」
飄々としたクゼル様は、整列している兵士たちを目線だけで眺めた。
「問題は無い。今夜の事実を携えたまま王都に残るのは私だけだ。あの者達は、すぐに地方領の治安維持騎士団に異動する」
「えっ」
私はハッとして、護衛兵士たちの方を振り返る。宮廷に詰めるほどの優秀な彼らが、私のせいで左遷されてしまうのか。胸を刃物で切られたような痛みと苦しみが湧く。
「我等には最後まで、伯爵閣下と呼ばせて下さい」
「閣下のような御人は、生きるべきでございます」
「貴女様をお護りできて光栄でございました」
「このようなときに御一緒できたことも」
「今夜の事は、我らは墓まで持って行きますゆえ」
「どうか御無事で」
暗鬱な闇の中でも、私に向かって改めて礼の姿勢をとってくれる彼らの表情は、どこか晴れ晴れとしていた。
「ユリカ嬢、いえ……。グランハース伯」
イフリル伯が私の肩にそっと手を置いてくれる。
「私も殿下も、貴女という女性に幸福が訪れることを願っております」
温みのある言葉に、護衛兵の皆も頷いてくれていた。
暢気なことだが私は、彼らこそが幸福であって欲しいと本気で願った。今の現実に心と感情が麻痺していなければ、私はきっと泣いていただろう。
「……今まで、本当にありがとうございました」
私は深く頭を下げて、身体の奥底から絞り出すように感謝を紡ぐ。
「なぁんか、ユリカ嬢って貴族っぽくないねぇ」
クゼル様が興味深そうに私を見下ろしてから、すぐに顎をしゃくった。
「さぁ。そろそろ、辺境に向かうとしましょうか」
彼の間延びした声は、闇の中でもハッキリとした輪郭を備えている。
第6話まで読んで下さり、ありがとうございました!