「ならば私は、辺境の魔女になりましょう」 作:なごりyuki
辺境の城塞都市レジルカに向かうため、処刑場を出て数日。
馬車の中にいた私は全く気付かなったが、冒険者らしき装備の男性二人が、馬車の護衛についてくれていた。
いつの間に、と思ったが「アレは俺の部下だから」とクゼルが教えてくれた。つまり本物の冒険者ではなく、クゼル様と同じく“特殊な部隊”の人員なのだろう。
彼は死んだはずの私を、辺境へと匿うために動いてくれている。
途中で幾つかの村、町に立ち寄ったが、そのときは偽名として『アリサ』と名乗るようクゼルから告げられていた。
(本当の名前は、もう決して使ってはならないのね)
今の私は髪型と眼鏡も変えて、用意して貰っていた認識阻害効果を持つブローチを身に付けている。仮に私の顔知っている人でも、私がユリカだとは気づかないはずだった。
何者かの企みにより、私は殿下を毒殺しようとした罪人に仕立てあげられている。私の名前も王都中に広まっていることだろう。そして、既に処刑されていることも。
宮廷内には、私を破滅させようという意志が潜んでいる。
そうした悪意から私を守ろうとしてくれた殿下、イフリル伯の助けがあって、こうして生きているのだ。本当に感謝している。
だが今は、失ってしまったもののことを考えずにはいられなかった。
(私がもっと強かったら……。もっと、しっかりしていれば……。父さんが遺してくれたものを、ちゃんと守れたのに)
麻痺したような私の心に、自分を責める言葉と後悔が残響する。イザベル嬢の顔が浮かんだ。あの庭園で言葉を交わしたのを最後に、別れの挨拶もできなかった。
(私のことを友達だって言ってくれる、素敵なひとだったのに。もう、イザベル様とも会えないんだなぁ)
確かめるように内心で呟くものの、奇妙なほどに現実感が薄い。処刑場を出てからは、悲しみや苦しみが依然として遠いままだ。
もしかしたら、あまりにも大きな驚きと動揺に絶え間なく見舞われたせいで、私の心も死んでしまったのか。
「大丈夫かい? ユリ――じゃなくて、アリサ嬢」
簡素な馬車内に、遠慮を知らない気儘な風のような、伸び伸びとした声が入ってきた。知らずに俯いていた顔を上げると、御者席からの小窓が開いている。
「やけに静かだから、死んでるかと思ったよ。……まぁ、でも」
小窓から覗いているのは、ヘラヘラとした表情のクゼル様だった。
「死人みたいな目にはなってるけど」
書類上は処刑された人間に向ける冗談としては、随分と悪趣味だ。だが、私が死人のような目をしている自覚はあった。
「体調が悪いなら言ってよ~?」
「いえ、大丈夫です。処刑場から発つ際、クゼル様からいただいた滋養薬と、浄化魔法が籠められたタリスマンがありますから」
恐らくレジルカの、というか、クゼルさんが『ウチの錬金術士』と言っていた人物が、錬成、精製したものなのだろう。
水が無くても飲める錠剤型滋養薬の御蔭で、私の精神状態はともかく、体調は良かった。
それに、同じ人物が作成したのだろう魔導アイテムであるタリスマンも、身に付けているだけで私の身体を清潔に保ってくれる優れものだった。
「王国の元伯爵様に、馬車のなかで数日間の軟禁状態になって貰うからねぇ。それぐらいの用意はしとかないと」
「お気遣い、感謝しております」
「しししし」
小窓を覗いているクゼル様は、目を細めて肩を揺らした。子供みたいな笑い方だった。私が反応に困っているのが面白かったのだろうが、涼しげな彼の顔立ちには何だが似合わない。
「この上質な滋養薬や、浄化アイテムを作成したのは、レジルカの職人の方なのですか。認識阻害のブローチも、とても精巧なものですが」
この世界の現実感を取り戻そうとするように、私は尋ねてみた。
「あぁ、それ」
クゼル様の顔が、小窓から消える。此方を覗くのを止めて、前を向いて座り直したようだ。
「ウチの領主サマが囲ってる魔術士が造ったんだよ。店を持たない、お抱え職人ってヤツだねぇ。ギョームって名前の、頑固爺さんさ」
腕を認められた鍛冶士や魔術士が、領地貴族に支援を受けることは珍しくない。
「とても優秀な方なのですね」
「まぁね~。でもアリサ嬢みたいに可愛いわけでもないし、礼儀正しくもないからねぇ。技術は確かだけど、仲良くなれるかっていうとビミョー」
いや、案外アリサ嬢と相性が良かったりして。そう呟くように継ぎ足されたクゼル様の声に、少しだけ笑みが混じるのが分かった。
「アリサ嬢は、錬金術が好きかい?」
「……え?」質問の意図を掴めなかった。
「いや、高い技術を持っていることと、その領域に好意を持っているのとは別だからねぇ。仕事だから仕方なくやってるっていう職人連中もいるからさ」
「私は……、錬金術が好きです。他の方から学ぶことも、誰かの助けになるものを錬成し、たり、精製したりすることも」
自分自身が生きていることを確かめるように、私は言葉を紡いだ。手袋の中で手を何度か握る。
「ふぅん。謙虚だねぇ。熱意もある」
「私の師匠である、父の姿勢を見習っているんです」
「いいお父さんだったんだね」
相変わらずクゼル様の口振りは軽い。自然体で濁りけがない。私は少しだけ息が詰まった。父と過ごした記憶が、ふっと脳裏を過ってくる。
『ユリカ』
心の深い場所で、穏やかな父の声が木霊する。
『お前のことを必要とする人たちに尽くし、感謝しなさい』
錯乱した文官がナイフで私を襲ってきたとき、父は私を押し倒すようにして庇い、自らの身体を盾にしてくれた。
『お前にしかできないことは、きっと多くない。だが、お前ならできることは、幾らでもある。それを大事にしなさい』
背中を何度も刺され、命が尽きようとする父が遺してくれた言葉。
『お前が、お前自身を愛せるように』
血でごぼごぼと濁る声を紡いだ父は、最期まで微笑んでいた。
体温と力を失い、重たくなっていく父の身体。父の命が、死というものに明け渡される瞬間。私の悲鳴。――あのときの光景が目の前に甦る。
この数日間、状況に翻弄されるままで現実感を失い、怒りも悲しみも抱けずに麻痺したままだった私の心がぐらぐらと揺れた。
(私は、生きてる)
手袋を嵌めた自分の手を見下ろす。
何かが胸の内側で溢れ出しそうだった。
(私は、まだ生きてるんだ)
自分自身を握り締める思いで、ぎゅっと手を握り締める。
これから辺境に匿ってもらい、どのような扱いを受けるのかは分からない。だが、私は生きている。ならば、生きなければならないと思った。
「……あの、クゼル様。辺境伯様は、どのような御人なのでしょうか? まだお若く、武人然とした方だと伺ったのですが」
「ヴァルグの旦那は」御者席から届くクゼル様の声が、そこで笑いを含んだ。「まぁ、一応は噂通りかな~」
辺境伯の噂は私も聞いたことがある。領地の彼方此方に自ら出向いては、魔獣や邪教徒を斬って斬って斬り捨てる、冷酷無情の血塗れ辺境伯だと。
それが、クゼル様の言う通り“一応は噂通り”だとすれば、やはり怖い人なのだろう。
(イフリル伯は、辺境伯は気のいい青年だと仰っていたけれど……。やっぱり、冷遇されることも覚悟しておかないと)
私が内心で、後ろ向きな決心をしたときだった。
馬車が止まった。4、5人の人間が近付いてくる気配がある。
(まさか、賊?)
私は緊張に襲われながらも、小窓に近付いた外の様子を窺う。
馬車の斜向かいに、止まっている荷馬車が見えた。帽子を被った商人風の男と、その護衛と思しき冒険者らしき者達の姿もある。
「いやぁ、どうもどうも。儲かってますかい?」
クゼル様が明るい声を出すのが聞こえた。近づいてくる商人達に話しかけたのだ。
「何だか皆さん、浮かない顔ですねぇ。もしかして此処までの道中で、何かトラブルなんてありませんでしたか? え? ……そうか、ご苦労」
商人になりきって演技をしていたクゼル様だったが、近づいてきた商人風の男が何かを告げたところで声を潜めた。
「……ゾンビのワーウルフ。厄介な毒持ちか。襲われてる町には、もうヴァルグの旦那が――。防衛戦ってワケか。毒を喰らった負傷者も――」
微かに聞こえてくるクゼル様の口調は、今までのような軽薄なものではなく、引き締まったものだった。
「王都方面から、妙な連中が……? そうか――。山賊のフリをして追い返したってことは、捕らえることはできなかったってことか。気にはなるが、今は手を回せない――」
不穏な気配に満ちた遣り取りを聞きながら、私はぎゅっと唇を噛んで、息を詰めていた。
「いや、ルートは変える。あぁ。追手のことは気に掛かるが、引き返すしか――。まずアリサ嬢をレジルカに送り届けてから――。あぁ。ヴァルグには、そう伝えてくれ」
クゼル様が言い終えると、また商人たちが馬車から離れていく気配があった。ほっと息をつく。直後には、小窓が開いてクゼルが覗いてきた。
「今、ウチの部下から報告があってね」
眉尻を下げた、苦い笑みだった。
「ちょっと遠回りになるけど、別ルートでレジルカに向かうことになった」
「……それは、出没した魔獣の影響ですか?」
クゼル様は今しがた、ワーウルフという単語を口にしていた筈だ。狼男のような魔獣であることは私も知っている。錬金素材として、毛皮や牙を扱ったこともある。
「もしかして聞いてた? ……なら、その通りだよ。俺達が通る予定だった町が、魔獣の群れの被害に遭ってる。だから、回り道をしようってワケさ」
「あの」
私はそこで、小窓から覗くクゼル様を真っすぐに見詰める。
「私を、その町に連れて行って下さい」
「……なんでまた?」
クゼル様は苦笑しているが、その暗い目には険しい光が灯っていた。私は怯みそうになるが、お腹に力を入れて、ぐっと堪える。
「さきほどクゼル様は、襲われた町では負傷者が多く、魔獣の毒に苦しむ人もいるだろうとお話をされていました」
今も麻痺したままの私の心の中には、父の言葉が鮮明に浮かんでいる。
私にしかできないことなど、ほとんど無い。
だが、私ならばできることは、あるはずだった。
だって、私は生きているから。
「私は錬金魔法と、微力ですが治癒魔法も扱えます。その町に行けば、私も何かのお役に立てるのではないかと思うのです」
自分の言葉を強く押し出すように言いながら、私は頭を下げる。暫く黙っていたクゼル様が、軽く溜息を吐いてから、ボリボリと頭を掻いた。
「危ない場所に、俺の判断だけでアリサ嬢を連れていくわけにはいかないんだよねぇ。まぁでも……。俺も無理させられてるし、言い訳ができないでもないか」
妙な追手に囲まれて捕まっちまうのが、一番厄介だしなぁ……。
ぼそっと言い足したクゼル様は、警戒するような遠い目で街道を見遣った。それから私に目を戻して、いたずら小僧のように小さく笑ってくれる。
「でも、ちょっといい顔になったね。アリサ嬢」