「ならば私は、辺境の魔女になりましょう」 作:なごりyuki
認識阻害のブローチを身に付けた上で軽い変装をしたまま、私は馬車を降りる。夕刻が迫る頃に到着したセイラークの町は、少し山間に入ったところにある町だった。
聖気を含んだ肥沃な土地を田畑として均し、そこで栽培した上質な高位薬草、薬用果実などが特産品らしい。
山と森に抱かれたような佇まいの町ではあるが、しっかりとした防壁によって護られており、普段から多数の冒険者を雇って警護にも着いて貰っていたようだ。
本来なら、長閑で穏やかな時間に浸された町だったのだろう。
だが、私が馬車を降りた時に流れてきた風には、何かが燃えたような薄い煙と、湿っぽい血の匂いが微かに漂っていた。
慌ただしく駆けていく騎士達。肩を支えられて歩く、包帯を巻いた町の住人の姿。まばらに響てくる子供達の泣き声――。
「今までに大きな魔獣被害は抑えられてたし、平和な町だったんだけどねぇ」
町の中央道に入ったクゼル様が、鼻を鳴らして顔を顰めていた。相変わらず軽薄な口調だが、その眼差しには剣呑さが宿っている。
だが無理もない。傷ついた町並みを眺めるのは、私も胸が痛んだ。
(防壁が一部壊れてるし、細い煙が幾つか上がってる。火事があったのかしら)
彼方此方に色濃く残っているのは、魔獣と人々との戦いの余熱だった。
飛散った血の痕。壊れた武器。汚れた肉片。穴が空いたり、崩れかけたりしている建物。生活の気配が追いやられて、戦場の匂いが満ちている。
本来あったはずの日常が崩壊しつつある様は、まだ町が破壊され尽くしていないからこそ、より一層生々しく感じられた。
「町の聖堂に、負傷した騎士と住民の移動を頼む。――あぁ。夜が来るまえに、まだ戦える者を集めて守備位置も決めねばならんな。あとで広場に集めてくれ」
町の中心を通る、もっとも大きな道の中心。そこで、多くの兵士たちを取り纏め、雄々しく指示を出している男性の姿があった。
年の頃は二十歳代半ばだろうか。
青みを帯びた銀髪。灰青の瞳。
射貫くような眼差し。怜悧で精悍な美貌。
武人然とした男性の貫禄のなかで、それらが静かに調和している。
他の騎士達が銀色の鎧兜を着込んでいるのに、彼だけは蒼と黒を基調にした、軍服にも似た装甲服を纏っていた。鋭利で優雅な装いであり、兜の類もしていない。
彼が手にしている武器も、他の騎士たちのような槍や盾、剣に盾といったものではない。
反りのある鞘に納められているあれは、東方の武器であるという刀だろうか。それにしても、鞘のサイズからしても刀身が長い。
「町に配属されている神官と聖女たちにも、滋養薬を残しておかねばならん。住民を癒すための魔法薬は――……」
そこで男性が私達に気づいた。私の姿を認めたせいなのだろうが、眉間に深い皺を刻んでいる。
彼は兵士達に指示を出して解散させてから、クゼル様に一つ頷いてから背を向けて歩いて行った。『こっちに来い』というメッセージのようだ。
「それじゃ、行こうか。ウチの領主サマがお待ちだ」
「え……。今の方が?」
「そう。これから色々と怒られるかもしれないけど、味方してよね」
しししし、と肩を揺らして、クゼル様は路地の裏へと歩いていく。私も続いた。
行く手には石造りの頑丈そうな建物。冒険者ギルドの紋章が見える。この街に置かれた支部のようだ。
人の気配が遠のいた一画で、あの男性が腕を組んで立っていた。
「ただいま戻りましたよ。ヴァルグの旦那」
自身の主に対してすら、クゼル様は異様なほどに気安く片手を挙げている。変装用の帽子を脱いで居住まいを正した私は、深く頭を下げた。
「お初にお目にかかります。ヴァルグ・ゼス・フィリアム伯爵閣下。この度は私を――」
「そのような挨拶はいい。グランハース伯。いや……。貴女はもう爵位を持たず、“アリサ”という名前に変わっているはずだったな」
男性――フィリアム伯爵閣下は険しい表情で溜息を溢した。
「俺は堅苦しいことは好かん。このような魔獣との戦場では猶更だ」
やや一方的な物言いだが、私を見下すふうではない。戦場に不似合いな者に向けた、せめてもの忠告のような響きがあった。
「形だけの作法も、宮廷貴族としての心得も振舞いも、何の役にも立たん。貴女のことも、簡潔にアリサ嬢と呼ばせて貰う」
領主であるのに護衛も従者を連れていないのは、武人らしい率直さを好むが故の信条なのだろうか。
「は。承知しました。フィリアム伯爵閣下」
「その伯爵閣下もやめてくれ。ヴァルグでいい」
「……では、ヴァルグ様と」
「それでも構わない。ところで、クゼル」
「えっ? 俺?」
すっとぼけたような顔のクゼル様が自分を指差した。
「そうだ。お前の合流は嬉しい誤算ではある。人手が欲しかったところだ。だが……」
ヴァルグ様は低い声で言いながら私を一瞥したあと、責めるようにクゼル様を睨む。
「なぜ彼女を此処に連れてきた? 余りに危険だ。シンシアの元に届けろと伝えたはずだが」
酷薄そうな美貌のせいか、ヴァルグ様の冷厳とした声と眼差しには凄まじい迫力がある。
(こ、こわい……)
クゼル様の隣にいる私は息を飲み、思わず背筋を伸ばしてしまう。だが一方のクゼル様は涼しい態度だ。
「まぁ、俺がこの町を避けなかった理由は幾つかあるんですがねぇ。部下からの話だと、王都から妙な連中が――」
「畏れながら、ヴァルグ様。私がお願いしたのです」
無礼なことではあるが、私はクゼル様が説明しようとするのを遮って、再びヴァルグ様に頭を下げた。
「……なに」
私が顔を上げると、怪訝そうにヴァルグ様が眉を顰めていた。クゼル様が口をひん曲げ、驚いたような顔になっている。
周りに人影が無いことを再び確かめてから、私はヴァルグ様を真っすぐに見上げる。
「私は宮廷錬金術士でした。錬金魔法を扱うにあたり、幾つかの治癒魔法も修めています」
冷然と冴えるヴァルグ様の瞳に、立ち向かうような気持ちだった。
「何らかの素材が少しでも町に残っていれば、治癒や解毒、滋養の魔法薬も錬成できますし、現段階で残っている魔法薬の効果を、さらに底上げすることもできるかと思います」
本来なら臆病な私が、ヴァルグ様のような貫禄のある男性に対して、こんなにも声に力を籠めて何かを訴えていることに、自分でも驚く。
「微力ながら私も何かの役に立てるのではないかと思い、この町に届けて貰えるようクゼル様にお願いした次第です」
私の脳裏には、何故か宮廷の景色があった。
『忌々しいグランハース家の生き残りめ』
『卑賎な血は宮廷には要らぬ』
『まったく。父と共に死ねばよかったものを』
遠くから声が聞こえる。それを振り払うように、ヴァルグ様に向けて言葉を紡ぐ。
「さきほどヴァルグ様は、“人手が欲しかったところだ”と、そう仰っておられました。私にできることがあれば、なんなりと」
唇を引き結んでいるヴァルグ様は、何かを思案するように三度、ゆっくりと瞬きをした。黙り込んでいたクゼル様が、興味深そうに私とヴァルグ様を見比べている。
「中々のじゃじゃ馬だな。貴女は御淑やかな女性だとイフリル伯は言っていたが」
唇をひん曲げて眉を上げたヴァルグ様は、小さく息を吐いた。
「アリサ嬢。貴女の力を軽視するのは合理的ではないし、今の俺達には余裕もない。住民たちを癒してくれるのなら有難い」
自分自身を納得させるように告げてから、ヴァルグ様は路地裏の奥へと歩き出す。
「ついてきてくれ。この町の錬金工房に案内する」
「は、はいっ!」
私は駆け足でヴァルグ様に続いた。「いやぁ、アリサ嬢の御蔭で、怒られずに済んだよ」と嬉しそうなクゼル様がついてくる。
私たちが案内されたのは、工場兼取引所のような立派な建物だった。外観としては商館に近いかもしれない。
この町の特産品であるハーブ、触媒向けの果実類を加工し、完成した魔法薬を売買する施設だったのだろう。
「此処を使ってくれ。残っている魔導器具も薬品も、貴女に任せる。裏の倉庫にも、在庫になった触媒や、使われていない薬草類がそのまま積まれていたはずだ」
何人もの錬金術士が一斉に作業できそうな、広々とした工房に通された。
巨釜が幾つか並び、隣には薬瓶を並べる棚が置かれてある。設置された複数の作業机の上には、干乾びた毛皮、加工されかけの触媒宝石、乾燥した薬草が置かれたままだ。
働いていた人間達が、錬金作業を放り出して一斉に逃げ出したような風情だった。
「あの、此方に勤めていた方々は……?」
おずおずと私が尋ねると、ヴァルグ様が不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「ここで働いていたのは、雇われの錬金術士たちだ。全員が2つ隣の町まで引き上げている」
「途中でワーウルフに襲われそうなモンですけどねぇ」暢気そうに言うクゼルが耳を掻いた。気に入らないことを思い出したのか、ヴァルグ様の表情がさらに歪む。
「この建物の所有者兼雇用主が、私兵を出して護衛をつけたようだ。俺達が街についた時には、目ぼしい魔法薬も全て持ち去られていた」
「あらら……。町を見捨てて出て行くなら、せめて薬の類ぐらいは置いてってくれてもいいのにねぇ」
ヴァルグ様とクゼル様の話から察するに、自らの保身と利益を優先させた富裕層が、この施設を放り出していった、というところだろう。出稼ぎの商人をはじめ、職人なども町を出ているそうだ。
私は、傍にあった作業台に近付く。残された素材、薬品。器具、魔導具を検めていく。澱むように滞っていた金属と薬の匂いが、私の体温を受けて揺らいだ。
この工房は、まだ生きていると思った。
「……目つきが変わったな。アリサ嬢」
私の様子を眺めていたヴァルグ様が感心したように言う。その眼差しは冷然としたままだが、私の何かを確かめるようでもある。
「では、錬金作業に移る準備を始めてくれ。毒の治癒、負傷者の治癒にも参加して貰いたいが、その時は此方からも指示を出すことになるだろう」
「はい。誓って、最善を尽くします」
「ありがたい。クゼル、お前は」
「アリサ嬢の護衛と手伝いでもしながら、部下に指示を出しとけって感じですかね?」
「よく分かっているな。……任せたぞ」
工房をあとにするヴァルグ様の背中を見送ってから、私は作業台に向き合う。
本来あったはずの人生から追放された私の心は、今も現実感を取り戻せていない。今も夢の中にいるような感覚が拭えていなかった。
だが、私は生きている。できることがある。その事実が、私を現実に引き留めてくれている。
(向こうの棚に残っている浄化薬を強化して、錬成用薬瓶と、作業用の器具や魔導具の消毒からね。あとは、残っている薬草や触媒を確かめないと)
私は工房内を見渡しながら、手袋を外す。
「アリサ嬢、その手――」
何に対しても悠然とした態度だったクゼル様が、ぎょっとしたような、酷い傷痕でも見せられたような顔になっていた。
クゼル様は私の身体に刻まれた呪紋については知っていた筈だ。ガルコード処刑場でも、私の“呪い”についてイフリル伯と遣り取りからしていた。
だが実際に、この禍々しさ、グロテスクさを目の当たりにして少々驚いたのだろう。
この呪い紋様を、父以外の誰かに見せるのは初めてだ。宮廷にいた頃の私なら、今のようなクゼル様の視線や表情には怯んだだろう。傷ついたかもしれない。
だが今は、まるで気にならなかった。
この場で何かを出し惜しみしていては、それこそ、父の誇りと教えに反すると思った。