蹄音、高く外伝 北方航路のセイレーン   作:上條つかさ

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柏原

 私たちは越渇麿海峡を越えて、いよいよ捨子古丹海峡に入った。いくつかの島や岩が見えていたが、どこにも人の気配はなかった。本当にこの先に人の住む土地があるのかと不安になる。それでもチト6977号は、自然が支配する海の上を、ただまっすぐに駆けて行く。

「二時方向、春牟古丹(はりむこたん)島です」

 菊岡の指さす先に、整った形の山が見えた。黒い山肌が、そこに草木すら許さないことを物語っている。

「あれが……」

 私は息を呑んだ。海岸とは呼べないほど険しい地形に、白波が立っている。

 これが、床丹丸と男たちを飲み込んだ海か。墓標というにはあまりにも雄大で、死地とするにはあまりにも寂しすぎる光景だ。

「北西に小さな砂浜があって、この辺りで唯一の避難小屋があります。それは、打ち上げられた床丹丸に積まれていた資材を使って作られました」

「それで、岩原さんは」

「たぶん。快速船なら四時間で来られますから、年に一度の手入れは彼がやっています。だから今も、彼は間違いなく、あの船の無線士なんです」

 私は双眼鏡を手に、海岸線を辿ってみた。しかしこの高さからでは、全てが灰色の砂と岩に埋もれているように見えた。小さな小屋では当然か。ましてや、人間など見えるはずもない。

 技術の結晶たる船や飛行機すら、あの浜に無数にある砂粒と同じなのだ。

「なんとも、やりきれませんね」と、私はため息を漏らした。

「やりきれなくとも、割り切らなければいけません。誰か一人が手を抜けば、全員が死ぬ。そういう海ですから」

 私は、ゆっくりと流れていく春牟古丹岳をじっと眺めた。あの山が、いつからこの海を眺めているのかは見当もつかない。ただせめて、いつまでもあるようにあるだけでいて欲しいと、そっと願った。

 水筒に手を伸ばし、喉に湯を流し込む。そこで思い立った私は、松輪で渡された握り飯に齧り付いた。

 それはすごくしょっぱくて、米の味がする握り飯だった。

「さあ、ここからは風光明媚な景色が続きます。前に見えるのが温禰古丹(おんねこたん)島です。島の東側を抜けます」

 チト6977号は緩やかな風に乗り、島の上空に差し掛かった。

 眼下に広がる景色に、私はこれが現実の景色だとは思えないほどの衝撃を受けた。

 島の南には青い水を湛えた巨大な火口湖があり、その真ん中にさらに山が立っていた。万年雪なのか、山肌にはいく筋もの白い線が見える。反対に、木の類は一本も見えない。背の低い草だけが、風に押し流される波のように揺れていた。

 海沿いに目を向けると、海岸線はほとんどが切り立った崖だった。人間の気配どころか、野生動物の影すらない。得撫島以上に、生き物に適さない島だ。

「見ての通り、平地がほとんどありません」と、菊岡が解説を始めた。

「北部には川もありますが、硫黄にやられて飲めません。一年中、誰も寄りつかない島です」

 私は航空地図を開いた。人家はもとより、船着場を示す記号もない。探検家しか足を踏み入れないような島の、さらに北に人の住む街があるだなんて、未だに信じられない。

「この先に、幌筵島があるんですね」

「ええ。すぐに影が見えますよ」

 思わず口をついた私の質問にも、菊岡は丁寧に答えてくれた。

 辺境という孤独に息苦しさを感じた私は、そっと防寒面をずらしてみた。けれど、すぐにしっかりと付け直した。

 

「雲霧山が見えてきました。もうすぐ……黒崎さん、航空機です。一時前方下方。逆行」

 航空機と聞いて、私はあわてて毛布を押し除けた。左手を自由にすると、双眼鏡を覗いて機種を確認する。

 高翼と太い支柱、そしてでっぷりとした腹回り。あれは間違いなく九七式軽輸送機「驃雲」だ。おそらく、細萱の言っていた先発したという連絡機だろう。

 交信記録簿を出す間に、向こうもこちらを見つけたようだ。私は電信か無電が来るものだと思っていたが、相手は回光信号を送ってきた。

 途中まで読み取って、それが和文モールスで送られていることに気づいた。すぐに書き直して、菊岡に内容を知らせる。

「信号は『我タチ5580。荷物は届けた。後を頼む』と言っています」

「宜候。こちらも名乗り、安航を祈ると伝えてください」

「宜候」

 私は回光信号機を出して信号を送った。そしてすれ違う時、私はなるだけ大きく手を振った。

 根室で再会するときに、それは私だと言えるように。私が帰れなかった時、私が何をしていたのかが伝わるように。

 タチ5580は軽快に翼を振って、雲の隙間へと消えていった。

 

 *

 

 夕暮れの迫る海岸沿いを、チト6977はゆっくりと降下していた。

 幌筵島の沿岸を飛んでいくと、驚いたことに、地表にはちらほらと人工物が見えていた。電柱と架空線、船舶用の航路標識、放棄された漁船、積まれた魚網。

 ほんの一時間前までは、飲み水すらない島の上を飛んでいたというのに、なんという変わりようか。

 この景色は、裏日本のどこかの寒村だと言われても信じられそうなくらいに人の匂いが濃い。

 私は不思議で仕方がなかった。

 しかも、海岸に沿って道がある。獣道ではない、自動車が通ることでできる、轍のある道だ。

 そろそろ、北緯五十度を越えているはずだ。地理の教科書でしか読んだことのないような場所に、こんなに人間の気配がするなんて。

「見えました。あれが柏原です」

 菊岡の言葉に、私は返事も忘れて体を乗り出した。双眼鏡を構えて、湾を視界に収める。

 弓形の湾に沿って、青や赤の屋根が並んでいる。しかも護岸や、コンクリートの桟橋まで見える。

 何よりも私を驚かせたのは、黒い巨体を横たえた、複数の輸送船の存在だ。

 聳り立つ煙突から黒煙をゆったりと燻らせ、まるで湾の主のように悠々と波を受けている。

 しかも、そのうち一つの船尾に掲げられている旗が、日の丸ではない。

「外国の船もいるんですか」

「あれはロシアの船です」と、菊岡が答えた。

「柏原は、カムチャツカで採れる石炭を買い付けています。夏の終わりには役人を乗せた貨客船が立ち寄って、清算をするんです」

 私は感心した。確かに、これだけの港と建物だ。発電所も必要だし、暖房も風呂も焚く。石炭など、いくらあっても足りないだろう。

 それに、帰りの船が空荷になるとも思えなかった。取引の形だけを見れば、これは横浜と何ら変わりないではないか。

「一時方向の丘を見てください」

 私は双眼鏡を向けた。赤い鉄骨で組まれた櫓の上に、見慣れた丸いアンテナが見える。

「あれが兜山航空観測所。日本最北の観測所です」

 菊岡がそう言うと同時に、櫓から緑色の信号弾が上がった。さらに電信が鳴る。

『WLC KWA DE OP MIMIR RWY CLR. K』

 私はすぐに書き留めた。

「歓迎電です。それと、着陸を許可する、とも言っています」

「宜候。日が暮れますから、まっすぐ降りましょう」

 私は電鍵を立ち上げ、着陸に入ると返電を打った。すると、再び緑の信号弾が上がった。しかし入電はない。どうやらあれは、着陸の可否を知らせるためだけの設備らしい。

 浮遊感と共に、高度がぐっと下がる。私は無線機の回路図を思い起こしながら、高度を読み上げる菊岡の声を聞いていた。

 車輪が路面を捉えて、砂煙が舞い上がる。

 根室から六百五十浬、北緯五〇度四〇分、東経一五六度七分。

 私はついに、幌筵島・柏原に降り立った。

 

 *

 

 無事に着陸を終えた私は、菊岡と別れ、すぐに管理棟へと通された。廊下には応接室という札が掛かってはいたが、その調度は最低限だ。田舎の学校の校長室と言われたら、納得してしまいそうな造りだ。

 しかし管理棟というだけあって、外観は重厚な煉瓦造りだ。断熱材を挟んでいるのか、壁も天井も床も板張りだ。壁を走る配管には温水と書いてあって、大きな放熱機と繋がっている。

 そこへノックの音がして、ドアが開いた。

「お待たせいたしました」

 入ってきたのは、髭を蓄えた癖っ毛の男だった。後ろには、髪を引っ詰めた眼鏡の男を従えている。

 二人は並んで敬礼した。

「運輸省根室運輸局、北千島統括部長・兼行政担当部長の小林寿一と申します」

 それはかなり崩した敬礼だったが、私はきちんと答礼を返した。

「航空本局・基幹通信保守課の黒崎と申します」

 択捉飛行場の服部がそうだったように、小林も作業着に身を包んでいた。その色は行政を表す紺色で、運輸省の刺繍の他に根室支庁のワッペがもつけられている。飛行場は運輸省の管轄で、行政には積極的に干渉されないはずだが、行政担当部長とはどういうことだろう。

「あはは。これには事情がありまして」

 私の困惑を察してか、小林は頭を掻いた。

「この島はほとんどが運輸省の職員でして。なら、わざわざ行政官を送るまでもないという話し合いの結果、私が兼任しております。島でお困りのことは、なんでもお申し付けください」

 なんともややこしいことだ。確かに、これだけの飛行場と港湾設備があれば、運輸省が指揮を取ることには意味がある。しかしそこに、行政のあれこれまで任せてしまうとは。

 これだけの兼務を任される以上、それなりに有能か、よほど扱いづらい人物なのだろう。

「さあお疲れでしょう。どうぞそちらへ」

 小林に促されて、私はソファに腰を下ろした。さらに別の職員がやってきて、湯気の立つ湯呑みを並べていく。

「わざわざ本局からとは、お手間を取らせました」

「仕事ですから。お気にならさず」

 答えながら、私は立ったまま控えている眼鏡の男をちらりと見た。

「おお、これは失礼」

 私の視線を察して、小林は男を手で示した。

「彼は飛行場付きの無線技師、堤です」

「堤と申します」やっと紹介されて、堤は頭を下げた。

「この度は、ご迷惑をお掛けいたします」

 堤は恐縮していたが、この飛行場の無線機を日々触っているのは彼のはずだ。

 とにかく話を聞こうと思ったが、部屋の中にソファはひと組しかなかった。私と小林、どちらの隣に座ってもらうのも憚るので、私は隅にあった一人掛けの椅子を指した。

「とりあえず、あなたも座ってください。現状を聞かなければ、仕事ができませんから」

 堤は目に驚きの色を浮かべた。そして静かに下座へと椅子を移動させ、そっと腰を下ろした。

「では、状況の説明を」

 

 話を聞いているうちに、私はこの小林という男は有能な方だと確信していた。

 初めは中央の役人にペコペコする性質の男かと思ったが、どうやら違うらしい。

 服部のような豪気さは見られないが、毎日の報告書に確実に目を通していた記録がある。堤の所感に対しても、わからないなりに、細々と質問を返していた。

 こういう男は、大きな飛行場ではあまり見かけない。

 専門外だからと技師に丸投げした挙句、私が行ってみたら簡単な故障だったという案件は、過去にいくつもあった。

 そうではないとわかったことで、私はこの飛行場の組織は信頼に値すると判断した。

 それでも原因が掴めない。

 つまり今回の故障は、堤の力量でも、小林の監督でも防げなかったということになる。

 これは開けてみるしかない。私の結論は明らかだった。

「現状は把握しました」

 私はメモで真っ黒になった紙に鉛筆を置いた。いつのまにか、窓の外は暗くなり始めている。

「それでは、無線機の復旧については黒崎さんに一任いたします」

 小林はそう言って話を締めた。

「承知しました」

「それと堤。管制部は、黒崎さんの指示に従うように話しておきなさい」

「はい」堤も一礼して、今日はもう終いだという空気が流れる。

「さて、あと一時間で発電機の半分が止まります。気になる点は多々あると思いますが、作業は明日からでお願いします」

 小林の言葉に、私は目を瞬かせた。

 まさかの盲点だった。確かに、上空からも電信用らしい電線以外は見えなかった。電力を自前で賄うこの町では、送電網も孤立しているのか。

「電力制限は明日の五時半までとなりますが、宿舎は対象外です。一部を除いて街灯も消灯となりますので、外出はお控えください」

「では、お言葉に甘えて休ませていただきます」

 私が腰を上げると、小林も続いて立ち上がった。堤は慌てて椅子を引き、姿勢を正した。

「宿舎にお部屋を用意してあります。堤、案内して差し上げなさい」

 

 当てがわれた部屋は、宿舎というよりもホテルに近いものだった。船や飛行機の乗客としてやってくる役人のためだろう。電灯に覆いがついていたり、和室ではなく洋室になっているあたりにこだわりを感じる。壁際には、応接室より小型の放熱機が設置されていた。

 私の目を引いたのは、壁の電灯スイッチの脇に備えられた「ラジオ」と書かれた摘みだ。そっと捻ると、壁のスピーカーから札幌のニュース放送が流れ始めた。

 当然、本土の送信アンテナではこの柏原で直接受信するには無理がある。

 私は思い立って航空地図を出した。そして私の見立て通り、柏原飛行場からは一本の線が伸びていた。それは海岸線に沿って進み、朝日川中継所、擂鉢中継所という二つの中継所を経て、島の南に抜けていた。

 その先にはアンテナを示す記号。これでやっと、あの「択捉島ラジオ送信所」の正体がわかった。

 あれは本土からのラジオ放送を受信し、増幅してこの島へ届けるための設備だったのだ。あの規模を考えると、おそらく電信の送受信系も相乗りしているだろう。

 そして私には、アンテナを見つけたという事実よりも、そこまでして電線を引いた事実の方が驚きであった。

 二つの中継所は漁場の近くに置かれているようで、アンテナもまた同様だ。保守の手間を考えてのことだろうが、その総延長は百キロを超えている。

 厳しい風雪や潮風に晒される架空線を維持するだけでも一苦労だろう。碍子の交換も、断線箇所の捜索も、決して楽な仕事ではない。

 それでもなお、この島はラジオを止めないらしい。

 冬になれば船も飛行機も来なくなる孤島、幌筵島。

 それでも世相がわかり、野球の結果がわかり、誰かの歌声が聞こえる。

 自分がまだ文明的な人間で居られるという事実は、何よりの心の支えになるだろう。

 何よりも、択捉にはあのセイレーンがいる。今日もあの部屋で電信機に耳を澄ませ、この北の空から届く無数の声を聞いていたのだろう。

 そう思った時だった。

 私は、到着を知らせるという白瀬との約束を果たす手段が、一つも無いことに気がついた。

 

 *

 

 午前五時。

 ブツッとという音と共に、優雅な管弦楽が流れ始めた。

『おはようございます。本日は昭和十八年十月一日、金曜日です』

 放送まで流れ始めて、私は眉根を寄せて天井のスピーカーを睨んだ。子供と老人の居ない開拓地ならではの、容赦のない目覚ましだ。

 往々にして、こういう場所では起きたら掃除か飯と決まっている。私は何が来ても良いように、のそのそと作業服に着替え始めた。

 その間も放送は続いている。温水の供給状況、石炭の在庫状況、そして昨日付けの根室周辺の輸送船の状況だ。そこで私はピンと来た。ラジオもそうだ。情報が入ってくるということは、受信設備は生きている。私は持ち込んだ整備手引書から送信回路に関するページに付箋を挟み、迎えを待った。

 

 しばらくして、堤がやってきた。腹が減っては無線は直せぬというから、まずは朝食だ。

 宿舎内を行く道すがら、私を見た他の職員は道を開けたり敬礼をしたりと様々だった。

 理由は明白だ。

 背中にも腕にも胸にも「運輸省」と入った灰色の作業服など、この町には私しかいない。着たいというのなら喜んで貸してやる。きっとやる気の上がること、請け合いだ。

 堤もここでは顔の知れた人物のようで、すれ違いに挨拶をしていく姿も珍しくなかった。この町での優先順位は、罐焚きの次が無線らしい。

 窓の外はまだ薄暗かったが、すでに町は動き始めていた。あちこちで蒸気が上がり、自動車の影も見える。遠くに見える発電所の煙突からは、黒い煙がうっすらと燻っていた。

 喫煙室に入っていく一団は、どうやら夜勤の職員らしい。肩にはライフルを提げ、膝下まである長い外套の前を開けている。一服つけたら風呂にでも行くのだろう。疲れたと漏らす言葉の中にも、朗らかさが混じっていた。

 これから外へ出る勤務なのだろうか、通路用の放熱機で外套や水筒を炙っている者もいる。まだ朝の六時だというのに、昼のような賑わいだ。

 渡り廊下を抜けて食堂に入ると、その賑わいは一層であった。まず夜勤者と日勤者で、並ぶ列から分けられている。夜勤の列では麦酒やつまみが並べられ、無精髭の男たちが次々と瓶を持って席へと急ぐ。

 日勤の列に並んだ私は、受け取り口の上に掲げられた「親子丼」の文字に驚いた。

「何か、軽いものを拵えてもらいましょうか?」

 私の驚きを察してか、堤が様子を窺うようにこちらを見ている。

「同じもので構いませんよ」と、私は答えた。

 顰蹙を買っても仕方がないし、何より肉は力がつく。それよりも、航空弁当でなければなんでも良いという気持ちだ。

 そして私の見立ては甘かった。丼は丼でも、ラーメンに使うような丼が出てきたのだ。そこに盛られる飯は一合は軽く超えている。さらに、出汁で煮たネギや根菜と鶏肉が乗せられて、かき卵が混じった餡のようなものがかけられた。

 どうやら、この島ではこれを親子丼と呼ぶらしい。匙でかき混ぜてわしわしと食べる、まさに男の飯だ。

 付け合わせは沢庵と油揚げの味噌汁。なんとも重量級の朝食だ。周囲を見れば、皆これを当たり前の顔で掻き込んでいる。

 席を探していると、聞き慣れた笑い声がした。声のする方を見て、私はあんぐりと口を開けた。卓に集まった男たちの中で、菊岡が麦酒を手に泡を吹き飛ばしている。しかも、昨日着ていた飛行服のままだ。ということは、昨夜からずっと飲んでいたのか。

 まあ、私が帰るまで仕事はないのだから、もう好きにしたらいい。私はなるべく離れた席を探し、向かいの椅子に堤を座らせた。

 そういえば夕食を摂っていなかった私は、周りに合わせて丼をかき混ぜてから口に運んだ。舌触りからして、冷凍肉ではなさそうだ。使える部位は全て入っているらしく、ムネやササミといった繊維質の肉も多い。それなのに、よく味がしみていた。

「こんな北で、鶏を飼っているんですか?」

「発電機の裏に鶏小屋があるんです。こういうものを食べないと、元気が出ませんからね」

 私は頷きながら親子丼らしきものをかき込んだ。それはしょっぱくて、飲み込むたびに力が湧いてくるような気がした。

 

 午前八時。

「管制部主任の笹木です」「山内です」「井上です」「江口です」

「黒崎です。今回は、よろしくお願いします」

 いよいよ無線室へ通された私は、無線士たちの挨拶を受けていた。全員と聞いていたので、夜勤の者も私が来るまで待っていてくれたらしい。私は敬礼を返し、とりあえず椅子に座るよう促した。

 それから私は、じっくりと部屋を見渡した。

 窓際に置かれた机は二つ。それぞれに電信機の制御盤と、無線電話の制御盤が置かれている。四つのスピーカーが積まれているので、各二系統四台の無線機があるらしい。

 それと、択捉で見たものと同じ気圧計や風速計といった気象関係の設備。さらに電話。

 壁には帳簿の収められた書庫が並び、隅には休憩用らしい一組の椅子と、畳を乗せたお手製らしい寝台が置かれていた。

 なかなかどうして、機能的に纏められている。真空管から立ち昇る、独特の香りもない。放熱機から立ち昇る柔らかな暖かさが満ちた部屋だ。

「こちらは以上です。無線機の本体は、下の部屋にあります」

「ありがとう存じます」

 見学を終えて、私は堤にも座るよう促した。

「ところで、ミーミルという無線士はどなたですか」

「私です」

 起立したのは、笹木と名乗った無線士だった。肩幅が広く、六尺はありそうな長身の男だ。他にあだ名持ちの無線士がいるかはわからないが、彼の腕は昨日の電信で証明済みだ。小林いわく、あれは本来、灯台の保守に出る時に持っていく携帯電信機だという。主任でもあるということなので、私は彼を中心に据えて話を聞くことにした。

「昨日の歓迎電はきちんと受け取りました。いい腕ですね」と、私は月並みに褒めた。

 そして鉛筆を出し、何十枚もの白紙を挟んだ書類挟を抱えた。メモ帳では到底足りないと踏んで、堤に用意してもらったものだ。

「では、昨日の受信状況からお願いします」

「はい」と、井上という男が立ち上がった。襟が少しよれているので、彼が夜勤だったのだろう。

 私は彼をなるべく早く飯に行かせるべく、必要なことだけを淡々と聞いた。

 そして、記録は正確だった。堤にも諮っていた通り、電信の受信に関しては概ね問題はなさそうだ。しかし送信は、完全に沈黙していた。

 さらに、昨日すれ違った飛行機は、本来なら電信で送れば良い報告書の複写や私信電報を積んでいたらしい。松輪からは到着の知らせが届いていたが、やはり返電は届いていないようだ。

 その内、急ぎのものが松輪から打電されたとしても、根室が状況を把握するには、もう少し時間がかかる。

 つまり択捉も根室も、柏原の現状を正確には知らないということだ。

 私は二台ある無線機のうち、片方の電源を落とすよう指示を出した。もう片方は受信の待機用だ。

 さらに、堤に頼んで、タチ5580号が持ってきた資材の目録を用意してもらった。

 そしてそれは、私の想像を超えたものだった。変圧器、抵抗器、蓄電器、スイッチ類、電線、半田。部品だけを見れば、ほぼ丸ごと一台分だ。私が担いできた真空管を合わせれば、なんとかなるだろう。

 私は「よし」と呟いて、書類挟を閉じた。

 さあ準備は整った。根室から一千キロを飛んできた私の腕が、いよいよ試される。

 ──なんてことを考えていると思われているのだろうなと、皆の顔を見回して察した。

 そして実のところ、私は白瀬への最初の電文を何にするかを、ただ練っているのだった。




次回、北の技師たち
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