クチートたちの手当てを済ませて会場へ戻ると、屋台の前には朝より長い列ができていた。器を手にした人とすれ違いながら、俺はベルトへ触れ、ボールの留め具を確かめた。
今日はもう試合がない。クチートはそのまま休ませて、俺も何か食べよう。屋台の方へ歩き出したところで、日陰のベンチからアイが手を上げた。
「ユア、ここ空いてるよ。買ってきたから、一緒に食べよう」
膝の上に二つ重ねていた器を、一つ持ち上げて見せる。礼を言って隣へ座ると、温かい野菜ときのこにハーブを散らした料理を渡された。鞄を下ろし、ひと口食べてから水を飲む。飲み込むたびに、声を張り続けた喉が少し痛んだ。
「クチート、今はボールの中?」
「うん。明日までゆっくり休ませとく」
アイは頷き、自分の器へ目を戻した。しばらく二人で食べていると、コートの方で声が上がる。思わずそちらを見たが、屋台と人の背中に遮られて、ここからでは何も見えなかった。
「気になるなら、あとで見に行こうよ」
「そうする。今は座ってたい」
ベンチの下へ足を伸ばして答えると、アイは食べながら笑った。俺も残りを口へ運び、空になった器を膝に置く。風が通り、汗の残った首筋が冷えた。
食べ終わってから、キルリアをボールから出した。足元に降り立つと、こちらを見上げてから、屋台の旗や行き交う人を眺めている。用意した食事を渡すとベンチの脇へ座り、俺たちが話している間に食べ始めた。
アイが会場の案内を開き、屋台の並びを指で辿る。俺も覗いていると、人の声に混じって、よく通る声が聞こえてきた。
「おおー、応援にも気合が入ってますなあ! その声、選手まで届いちゃうぞー!」
ナンジャモさんだった。少し離れた通路でスマホロトムを浮かべ、観客と話している。声を掛けられた人がカメラへ手を振ると、その隣へ並び、同じように袖を振った。
食事を終えたキルリアが立ち上がった。俺の膝へ手をつき、ナンジャモさんの方を見ている。俺も目を向けたところで、ちょうど視線が合った。
「あっ、ユア氏発見! ちょっとお邪魔してもよろしいかな?」
ナンジャモさんがこちらへ来て、スマホロトムを自分の方へ向けたまま声を落とした。
「今、会場を配信してるんだけど、さっきの試合のお話、聞かせてもらっていい?」
「はい。食べ終わったところなんで」
空の器を片づけて立つと、アイも鞄を持った。
「ボク、これ捨ててくるね。キルリアの器は鞄に入れとくよ」
「ありがと。頼む」
俺がベンチの横へ出ると、スマホロトムが顔の高さへ浮かんだ。ナンジャモさんはその画面を確かめ、俺の隣へ身体を寄せる。
「皆の者、お待たせ! ピーニャ選手との大接戦を制したユア氏に来てもらいましたー! いやあ、最後の力比べ、ボクも実況しながら力入っちゃったよ!」
「俺、まだ喉が痛いです。最後、ずっと叫んでたから」
「分かるー! クチート氏が押し返したときなんて、会場もすごい声だったもんねえ。あの勝負、最初から狙ってたの?」
「クチートが乗り気だったんで、やってみようかなって。途中で投げられたときは――」
スマホロトムが俺の顔から外れた。
ナンジャモさんが目で追う。そのままゆっくりと向きが変わり、ベンチの脇へカメラが向いた。淡い光がスマホの縁を包んでいる。目を落とすと、キルリアが片腕を上げていた。
「キルリア、引っ張りすぎるなよ」
『うん。向きを変えたかっただけ』
キルリアが腕を下ろすと、念力の光が消えた。スマホロトムは一度小さく揺れ、キルリアへ向いたまま浮かんでいる。その前で細い足が一歩引かれ、白い身体がくるりと回った。
「えっ、ちょっと待って。キルリア氏、自分から画角取りにきたぁ!?」
ナンジャモさんが声を弾ませ、膝を曲げて画面を覗いた。キルリアは両腕を広げ、身体を左右に揺らしている。足先で小さく弾み、向きを変えるたびに、腰の周りの白いひだが広がった。
スマホロトムも少し下がり、カメラをキルリアの高さに合わせた。キルリアはそれを見ると、もう一歩離れて回り始める。
「ユア氏、今の見た? ボクが呼ぶ前に来てくれたんだけど!」
「さっきから、そっち見てましたよ。カメラが来るの待ってたんじゃないですか」
「ニッシッシ! そんなに楽しみにしてくれてたとはねえ! 皆の者、キルリア氏の飛び入り出演でーす!」
ナンジャモさんが袖を振ると、キルリアもそちらへ顔を向けた。広げた腕を下げ、爪先を揃えて一度止まる。ナンジャモさんの拍手に合わせて、今度は反対へ身体を回した。
通りがかった子供が足を止め、その連れもこちらを見た。俺はベンチの方へ寄り、人が通れる場所を空けた。
「キルリア、踊るならこっち。通路に出ないようにな」
キルリアは足元を確かめてから、俺が空けた場所へ移った。ナンジャモさんも移動し、スマホロトムへ手招きする。
「では、ユア氏にも続きを聞いちゃいましょう! さっき、クチート氏が投げられたときのお話だったよね?」
カメラが俺へ戻る。ナンジャモさんに頷き、どこまで話したか思い返した。
「そうです。離れようとしたんですけど、顎をつかまれてたから間に合わなくて――」
ナンジャモさんの目が、俺の肩の向こうへ動いた。
振り向くと、キルリアが両腕を伸ばしたまま、俺の後ろを横切っていた。回りながら反対側へ抜け、スマホロトムの方を見てから、また身体の向きを変える。
「キルリア氏、後ろで踊ってる! ユア氏、ちょっと横に……ああっ、ごめん、インタビュー中だった!」
「いいですよ。俺、避けますから」
ベンチへ腰を下ろすと、キルリアが俺のいた場所へ出た。スマホロトムがそちらへ向き、ナンジャモさんもついていく。俺は膝に肘を置き、水のボトルを開けた。
手を叩く人が増えると、キルリアの足取りも弾んだ。ナンジャモさんは画面を覗き、流れていく文字へ目を走らせながら笑っている。
「あれ、もう終わったの?」
戻ってきたアイが、俺の隣で足を止めた。俺はボトルを膝へ下ろし、キルリアを指す。
「あいつに代わった」
アイはカメラの前を見て、笑いながら腰を下ろした。
「楽しそう。ナンジャモさんも」
目の前で、ナンジャモさんがキルリアの動きを真似して腕を広げた。長い袖が身体へ巻きつき、慌てて広げ直す。キルリアが足を止めて見上げると、ナンジャモさんはその場で笑い出した。
「ボクにはちょーっと難しかったかな! キルリア氏、お手本もう一回お願いしてもいい?」
キルリアは頷き、今度はゆっくり身体を回した。ナンジャモさんも袖を持ち上げて続くが、後ろへ回した腕が追いつかず、途中で足を止める。周りから拍手と笑い声が起こった。
俺も手を叩いた。キルリアが振り向いたので、そのまま手を上げて見せる。キルリアは俺を見て身体を弾ませ、それからカメラへ戻っていった。
しばらく踊ったあと、キルリアの動きが小さくなった。両腕を下ろし、俺の方へ歩いてくる。ベンチの前で足を止めると、ナンジャモさんもしゃがんだ姿勢から立ち上がった。
「飛び入り参加、ありがとー! 皆の者、キルリア氏に拍手ー!」
キルリアは拍手のする方を向き、一度身体を傾けた。そのまま俺の膝へ手を置いたので、隣を空ける。ベンチに上がると、足を投げ出して座った。
「お疲れ。水、飲むか?」
『飲みたい。ユアも見ててくれた?』
「見てたよ。ナンジャモさん、回るの大変そうだったな」
「聞こえておりますぞ、ユア氏! ボクも練習しとくから、次は一緒に踊ってもらおっかな!」
キルリアが頷くと、ナンジャモさんは嬉しそうに袖を振った。スマホロトムを自分へ向け直し、会場を歩く人たちへ身体を向ける。
「それじゃ、ボクたちは会場巡りの続きへ! ユア氏、アイ氏もありがとねー!」
俺たちが手を振ると、ナンジャモさんは歩きながら、もう配信へ話しかけていた。人の間を黄色い袖が遠ざかっていく。
器へ水を注いでキルリアに渡したあと、俺も残りを飲んだ。アイが隣から顔を寄せる。
「試合の話、できた?」
「投げられたところまで。勝ったところは、まだ話してない」
アイが笑い、俺も蓋を閉めながら笑った。足元では、スマホロトムを追っていた子供が連れと一緒に歩き出していた。キルリアは水を飲み終えると、ベンチの背へ身体を預けた。
ーー
そのあとは観客席へ移り、アイと試合を見て過ごした。
自分が立っていたコートを上から見ると、端まで思ったより遠い。選手の指示に身を乗り出し、攻撃がぶつかると周りと一緒に声が出た。隣のアイも拍手をしていて、試合が終わると、俺たちは空いた背もたれへ揃って寄りかかった。
途中でキルリアが目をこすったので、ボールへ戻した。屋台へ飲み物を買いに行き、戻ってきたときには日陰の場所が変わっていた。さっきまで眩しかった席にも座れるようになり、俺は鞄を足元へ置いて、またコートへ顔を向けた。
夕方、その日の最後の判定が響いた。立ち上がった選手たちへ拍手が送られ、ナンジャモさんが今日の試合の終了を告げる。
観客席から人が下り始め、俺たちも荷物を持った。階段を下りると、朝から出ていた屋台の旗が一つ外されている。通路には空の箱が重ねられ、その横を係の人が台車を押して通っていった。
「明日の相手、見て帰ろう」
アイに声を掛け、掲示の方へ向かった。新しく張られた対戦表の前には、まだ選手が何人も残っている。確認を終えた人が離れるのを待ち、俺も自分の名前を探した。
予選第2戦の欄に、ユアとある。隣へ目を移すと、よく知っている名前が書かれていた。
「明日、ジニア先生だ」
アイも掲示へ顔を上げた。俺は集合時刻を確かめてから、スマホで対戦表を撮った。
ユア対ジニア。その行を画面の中央に収め、写真を保存した。