復讐とは、何も生まないものなのだろうか?

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第1話

 

 復讐とは、何も生まないものなのだろうか?

 

 夜の繁華街、嬌声と怒号、肉を殴る音に、下品な笑い声、そんな人の欲望の音を集めて煮詰めたような野蛮な世界。

 

 誰かが潰れ、踏みつけ、値踏みし、唾棄する。

 

 人の欲とは底知れず、こんなにも醜いものなのか。

 自分のために誰かを蹴落として、殺して、忘れる。被害者の思いは無かったことになり、涙を堪えて、憎しみのこもった目をする子供が大人を睨みつける。

 そんな負の循環は、形を変え、時代に適応を続けた結果、より醜悪な罪悪へと転じ続ける。

 

 そんな繁華街の裏路地で、1人の男と1人の女がいた。

 男は、黒のパーカーを着ており、深くフードを被り、俯いているせいで表情が見えない。左の袖が不自然に揺れている。

 

 女は煌びやかなドレスを身に纏い、体のラインがよく出ていた。その顔はおよそ40半ば頃だろうか。

 

 尻餅をついて、恐怖に顔を歪め、後ずさるように後退する女に対して、男は追いつけないようにゆっくりと歩みを進めている。

 

 いつしか女の背が壁に触れ、逃げ道が無くなった。女は手に触れたあらゆる物をゆっくりと近づいてきている男に投げた。

 

 塵ゴミや、腐った生物、外壁の欠片など。フォームがキチンとできていないため、投げた物は大した威力をしているはずもなく、男の腹部に優しく当たって、地面に落ちる。

 

 「誰よ!!!誰なのよ!!!あんた.....なんなのよ!!!!」

 

 女はそれでも気にせずに物を投げ続ける。

 いつしか、投げた石が男のこめかみ部分に当たり、男の顔が少し後ろに逸れる。

 それと同時にフードがとれた。

 

 その顔が月明かりに照らされて、男の顔を露わにする。顔全体にケロイド状の火傷跡が広がっており、その瞳はモノクロで、一切の光を感じられず、表情は虚無そのもの。

 まるで死人のような様相。それでも男は確かに地に立ち、向かってくる。

 

 女は、その顔に見覚えがあった。

 

 しかしあり得ない。あり得ないのだ。この男がここにいるなんて、存在しているなんてあり得ないのだ。

 

 だって子供が1人で、この残酷な世界を生き抜けるわけがないのだから。

 

 「なんで.....なんであんた生きて.....なんで!!なんでよ!!」

 

 男は女の質問に返答することなく、歩みを進める。ゆっくり、ゆっくりと、しかし確実に距離を0に近づける。

 まるで恐怖を植え付けるように

 

 「来ないで!!来るな!!くるなぁ!!!!」

 

 いつしか女の目の前に立ち、見下ろした。

 女はブルブルと情けなく体を震わせ、恐怖に歪んだ顔をより一層色濃くした。

 

 女の股座から湯気が立ち昇り、液体が円状に広がった。

 

 何よりも長く感じる沈黙が続き、どれほど時が経ったのだろうか。

 数分のようにも、数時間のようにも感じる静寂が続く。

 

 男は瞳を閉じて、火傷跡を右手で触れた。

 

 「.........なんでだ」

 

 女の声は出ない。出そうとしているのに声が出ない。体ももう動かない。脳の逃げろと言う命令を体が受理しない。

 

 男が言葉を続ける。

 

 「なんで俺達を捨てた。」

 

 「なんで逃げた。」

 

 男の問いかけが続く。火傷をなぞりながら、目を開いた。

 

 「なんで俺達に油をかけて逃げた」

 

 男は女を見下ろし続けた。その表情は以前と虚無のままだ。

 だと言うのに、男の瞳からは雫が静かに滴った。頬を線状に伸びていく。

 

 「答えろよ。母さん」

 

 女は答えない。答えることができない。

 

 男は数十秒解答を待ち、それでも答えない女に懐から取り出した"鈍色のクロユリ"を向けた。

 

 「もういいよ」

 

 静かな裏路地に、乾いた音が響きわたった。

 

 

 ◇

 

 

 男は、赤い水溜りの上で、ただ立って上を見上げた。

 足元には、その赤い水の発生源が横たわっている。

 

 「明香........コレでいいのか?」

 

 

 復讐とは、何も生まないのだろうか。

 

 恨みを可視化した刃で人を刺した瞬間、人は何を思うのだろうか?

 

 憎しみの果てに辿り着いた結果、人はどんな行動を取るのだろうか?

 

 そんなこと、誰も答えられない。答えない。

 知っているのは当事者だけなのだから。

 

 男の心は空っぽで、全ての物に色も、匂いも、味も、感触も何もかもが感じることができない。

 感情を向けられた何かは、とっくの昔に燃やして灰にした。

 

 遠い昔の記憶故、その顔すらも思い出すことができなくなってしまった。

 

 正直、コレに対する恨みなんざ感じていなかった。どうでもよかった。どうでもよかったのだ。 

 それでも、彼女は最後にこう言った。

 

 ___ゆるせない。殺してやりたい。お兄ちゃん.....私の代わりにかな....らず........

 

 それだけを残して事切れた少女の亡骸を、ただ抱きしめた。

 

 何があったのかは思い出せる。何を言われたのかも思い出せる。何を食べたのかも思い出せる。

 

 それでも、その少女の顔だけが、破られた写真のように見ることができない。

 

 

 この虚無感だけが、この世界で唯一感じられる物になっていた。


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