暗闇の森を、ただ歩く。行く当てなどなく気の向くままに。この森がどこか知らないのだから仕方がない。
先程の少女の後を追うのは気が引けるし、かと言って逃げて行った少女達を追うのも怖がらせるだけだろうからやめておく。
とは言うものの、誰かを追っておけば良かったと言う、後悔の念が湧き上がってくる。後悔後先に立たず、だったか?
暗闇に包まれた森は、月が出ていると言うのに一寸先も見通せない。もしかしたら、同じ場所をぐるぐると回っているのかもしれない。周りが似た様な木々ばかりで、方向感覚が失われている気がする。印でもつけておけば良かったか? 後悔ばかりが乱立する。
そんな調子で小一時間ほど歩き続けているが、私自身の呼吸音と足音以外の音が聞こえてこない。森というのは数多く野生動物が屯する、生態系の縮図の様なものだと考えていたのだが、その考えは改めないといけない様だ。
襲われる心配をしなくても良いのは助かるが、野生動物などより恐ろしいモノがこの森にいるのを知っているから、なんの気休めにもならない。野生動物がいないのは彼女のせいなのではないか?
そんなことを考えながらも、歩き続けていると、どうしてもお腹が空いてくる。腹の虫は静かだが、それはただ空腹に慣れているからに過ぎない。最後に腹が鳴ったのは、四日間食事にありつけなかった時だ。
何か食べれそうなものを探していると、いつか交わした会話を思い出す。都市に来る前の話だ。
──なぁ、都市に行けば美味い食事に毎日ありつけるんだってな
都市へ向かう道中、友人が話しかけてきた。顔も思い出せない友人、覚えているのはこんなくだらない会話だけだ。
──そうらしいけどね、でもこんなご時世にそんなの噂じゃないの?
今思えば、この時が一番楽しかった時かもしれない。退屈な故郷から去り、まだ見ぬ都市への期待を膨らませて、電車に揺られている中で友人と話した時間。
──いいや、実際テレビで見る様なお偉いさんはぶくぶく太っているじゃないか
テレビで見る都市の統治者は大体豚の様に太っていた。
──でもそれは、その人が偉いからでしょう?
実際その通りだった。金持ちは永遠に金持ちで、貧乏人は一生貧乏人。そんな格差社会が都市の本質だった。
──だったら自分達が偉くなりゃ良いだろ?
そう語る友人は眩しく見えた。叶うはずのない理想を自信満々に語る友人。そんな友人が面白くて、彼とは友人だったのだ。
──なれると良いね
そう返す自分も大概だったが。
やがて二人は都市に着く。現実を知る。
そして、片方は死んだ。それだけの事だ。
嫌なことを思い出した。頭の中の思い出を振り払い、歩き続ける。
それにしても、果物はおろか食べれそうな葉っぱすら見つからない。キノコならそこらじゅうに生えているのだが、余りにも毒々しく、そして食欲がなくなる様な色をしている。とても食べようとは思えない。
そのくせして、この森は自分の縄張りとばかりに木の周りを埋め尽くしている。
こんなキノコが視界を飾るなら、食欲など無くなって然るべきだと思うのだが、依然として頭の中は食料を求め続けている。腐っても三大欲求、本能に逆らう事など人間には出来はしないのか。
食料の話で思い出したが、最後に腹が鳴ったのは昨日だ。つまり私は五日間絶食中ということになる。ハンガーストライキでも起こしておけば、要求が通ったに違いない。勿論、要求は食料の提供だ。本末転倒ではないか?
そもそもハンガーストライキというものは、普段から比較的裕福な暮らしをしている人物が起こしてこそでり、貧乏人がしたならばただの物乞いでしかない。つまりは私がやったところで、得られるのは少しの同情と大量の侮蔑の視線だけだろう。無視されないだけマシか。無視された方がマシだな。
腹が減ると無駄に頭が回る。走馬灯と同じ原理か? 今までの知識から生き残る術を探そうとするから、見えるらしいし。見たことないからよくわからないけど。まあ、せっかくの都市から出たのだ。本能が生き残ろうとするのも当然かもしれない。だが、少なくとも都市では飯に困ることは少なかった。本能的にはそっちの方が良かったのかもしれない。
只今絶賛絶食中の私が言うのもなんだが、味と見た目と安全性にさえ目を瞑れば、比較的簡単に食料は手に入ったのだ。友人が言っていた噂も、ある意味では正しかったと言える。
安全性に関しても、死ぬことは無い分、周りに生えているキノコよりはマシだ。そう思いたい。
運が悪いと私みたくなるが、食料調達という点に関して言えば、此処は都市よりも劣悪だ。
そんな悪態を吐きたくなる程、この森は生きている物の気配も、食べれそうな物の気配もなかった。匂いすらしないってどう言うことだ。
ああ、なんか視界が霞む。なんかじゃない、腹が減っている所為だ。耳鳴りが煩い、空腹で耳鳴りなんてするのか? 初めて知った。この知識は走馬灯に出るのだろうか。
脚がもつれる。近くの木につかまり顔面から倒れ込むことは防ぐが、結局のところ、遅いか早いかの違いに過ぎなかった。
膝から倒れ込んで、地面に手をつく。力が入らない。次の瞬間、視界いっぱいに土塊が映り込んだ。息をすると、口の中に土が入り込む。
どうにかひっくり返りたいが、そんな力すら湧き上がってこない。今までどうやって歩いていたのか不思議なくらいに、身体は動いてくれなかった。
視界が暗闇に染まる。
腹減った。
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目を覚まして最初に見た光景は、知らない天井だった。木材が使われた、シックな天井。
背中に感じる感触は、柔らかいクッションの様な感触。そして柔らかい布が体の上にかかっている。ベッドの上か?
周りを見渡してみると、テレビや窓の中に見た様な、"世間一般的な"洋風の内装。棚があったり、その中にしまわれている本だったり、部屋の中心にはテーブルと椅子がある。左手側は壁になっていて、それについている窓から太陽の光が差し込む。これを世間一般的と言うには、些かメルヘンチックな気もするが。
ベットの脇にあるテーブル──なんて言うんだったか、には、ベルと書き置きが残されている。
小さな四角い紙は、こちらから見える様に立てかけて置かれており、流れる様な筆記体で、目を覚ましたら鳴らすこと、と書いていた。
お腹が減って腕が動かない、無理^_^
早速詰んだが、都合の良い事にこの部屋のドアが開いて、一人の女性が入ってきた。すらっとしていて背が高く、金髪に白磁の陶器と見紛う程の白い肌も相まって、まるで作り物の高級人形の様に思える。
「起きていたのなら、鳴らしてくれれば良かったのだけれど」
そうは言っても、身体が動かないんじゃどうしようも無い。顔を上げることすら出来ないのである。身体を起こし、腕をベルの上へ動かして、ベルを掴んで、手を振る、などという高等動作なんて不可能に近い。
仕方ないので口を動かす。
「えっと、月が、綺麗、ですね?」
「もう朝よ、それともあなたの住んでいる場所の挨拶かしら。まさか告白だなんて言わないわよね?」
言いません。呂律は怪しかったが、意味は伝わった様だ。呆れながら片手でドアを閉め、ベッドの横に椅子を持ってきてそこに座る女性。その姿には気品があった。
無表情のまま、こちらの顔を見つめながら、
「調子はどう?」
そう問いかけてきた。此処で腹の虫が鳴れば完璧だったというのに。都合の悪い虫だ。
「お腹空きました」
初対面の人にこう言うのは大変失礼だとは思うが、そもそもこうやってベッドに居座る居候の身である。失礼だなんて今更だろう。
恥の上塗りだなんて気にする性分でもないし、大体此処から動けないのだから暫くお世話になることを覚悟で、ぐいぐい行こう。
「そう、何か希望はある?」
「お腹に優しい物?」
「お粥でいいかしら」
「はい」
渾身の疑問系ギャグは華麗にスルーされた。クール系おねーさんである。でも面倒見は良さそうだ。美人のおねーさんに介抱されるとか勝ち組か?
私の答えを聞いたおねーさんは、椅子をテーブルに戻し部屋を出て行った。
木の板が軋む音が聞こえる。お粥を作りに行ったのだろう。
もう一度、部屋の中を見渡してみると、この部屋には人形が多いことがわかる。棚の上に数体、テーブルの上に一体、扉の上にも一体いる。扉で閉められた棚の中にも、あるんじゃないか? 扉の間から服の様な布が飛び出している。
おねーさんの趣味なのか。まぁ、印象と数からして作る方だろう。人形の雰囲気がおねーさん自身に似ている。人形は作った人の生き写しって聞いたことがあるし、あのおねーさんからは器用そうな印象を受けた。肌も白いし引き篭もって作り続けているのではなかろうか。
おねーさん、おねーさん煩いな。名前聞いておけば良かった。
自然に名前を聞く展開にするにはどうすれば良いかと考えていると、かなりの時間が立っていた様で、ドアを叩く音が聞こえた。
「入ってもいいかしら」
「良いですよ」
扉が開く。そこにはおねーさんと、湯気の立っているお粥をトレーに乗せて持つ、宙に浮く小さな人形の姿があった。
と言うことは、おねーさんは製作者なのだろうか。こんな自然の多いところに住居を構えているのだ、相当腕が良いに違いない。そして金持ちに違いない。美人で金持ちとか勝ち組やんけ。
「身体、動かせる?」
「動かせません」
実際こうやって喋るのすらきつい。息をするだけで精一杯である。
「じゃあ、身体起こすわね」
おねーさんがほんの少しだけ指を動かすと、部屋にあった人形が一斉に動き出す。その動きは、まるで一つの生命体の様に同調していて、掛け布団をめくり、私の上半身を起こして壁にもたれさせるまでに、無駄な動きは一切なかった。
私が、まるで初めて人形劇を見る子供のように、人形たちの動きを食い入る様に見つめていると、おねーさんが少し微笑んだ気がした。気の所為だ、そちらに意識を向けても無表情の別嬪さんの姿しか見えない。
頬をちょっと硬いものでつつかれた。そちらを見ると、木のスプーンを槍の様に持ち頬をつつき続ける人形と、まだ湯気の立つお粥の器を持つ人形がいた。
スプーンを持つ人形は、はよ食べろとばかりにぺちぺちと頬を叩いてくる。痛い。一方、お粥を持つ人形はプルプルと震えていた。心なしか瞳も潤んでいる様に見える。気の迷いか?
すると、いつのまにか元の場所へと戻っていた人形のうちの一体がぴゅーっと飛んできて、お粥の器の片方を支え二人がかりで持ち始めた。優しいね。
その様子を見つめている間もずっと頬を叩いてくる人形だったが、諦めたのかスプーンを降ろした。
これでやっとこさ頬の痛みから解放されると思ったが、現実はそう甘くなく、持っていたスプーンでお粥を掬うと、なんとそのまま口に突っ込んできた!
散々頬を叩いてきてこの所業である。こいつは悪魔に違いない。飛んできた人形を見習え! 爪の垢を煎じて飲め! 機械に爪などあるわけもないが。
戦う相手が痛みから熱さに変わった所で、何かから解放されるわけもなく、寧ろ非道くなっているまである。熱さに慌てふためく私を見て、こいつは笑っているのではなかろうか。
まあ実際の私は、さながら殺虫スプレーをかけられた昆虫が如く身悶えており、例え目の前の悪魔でなくとも笑うしかない様な状況だったのだが。
まあ、吹き出すクールビューティーを見られたから良しとしよう。命拾いしたな! 何処かの誰か!
その後も、悪魔に弄ばれながらお粥を食べ切った私は、初めて立った赤ちゃんぐらいには動ける様になった。要は大して回復していないと言うことだ。おねーさんにも暫くの間安静にしとけと言われた。かなり乱暴だが、要約すればそんな意味だ。
結局名前は聞けないまま、おねーさんは部屋を出て行った。残念。
そう言えば人に名前を聞くときは自分から名乗るのが礼儀だったか。
でも自分の名前は知らない。と言うか覚えていない。故郷にいた時のことは思い出せないし、都市にいた時は名前が必要な時などなかった。
これではおねーさんの名前が聞けないではないか。これは大問題だ、早急に解決しなくては。
とは言っても私のネーミングセンスは壊滅的で、とても人前で名乗れる様なものは生まれ出なかった。響きだけなら良いのはたくさんあるのだが、折角なら意味があるものが欲しい。高望みしすぎか?
ベットの上であーでもない、こーでもないと首を捻っていると、いつの間にか眠ってしまった様だ。目を覚ますと、窓の向こうの空には月が浮かんでいた。
手を伸ばしたら届きそうなほど近い月。
それをぼーっと見ていると、唐突にある名前が浮かんできた。遠い国の神話で狩猟の女神も兼ね備える一人の女神。その女神の名前を少し、いや大分借りて、自分の名前にする。
いつか月へと手を伸ばし、星空に願うために。
手は自分で伸ばすから、テはいらない。
アルミス、それが新しい私の名前だ。
今日の日記
私の名前が決まった。アルミス、私にしては良い名前では無いだろうか、