新しい名前が決まって一人浮かれていると、いきなり部屋の扉が開く。できればノックして欲しい。
入ってきたのはお姉さんと、お粥を持つ悪魔、違う、人形。夕飯まで作ってくれたらしい。こんな居候の為に、有難い限りである。これで悪魔、人形さえいなければ、天国だったのだが。一旦悪魔の事は忘れよう。私は、都市が、嫌いだ。オーケー? オウケイ。
しかし人というのは、昔の事よりも今の事を優先するものであり、最早戻る事の無い都市の事よりも、目の前に待ち受ける悪魔の事の方が
その警報に従い、これから待ち受ける地獄の時間に対して身構え、そしてすぐ諦める。矮小なる人の身なる私ができるのは、精々目の前の出来事を受け入れる事だけである。私は悟りの領域に到達したのだ。敬うが良い。
「そう言えば、貴方の名前聞いてなかったわね。なんて言うのかしら」
どうにかして精神を身体の外に出そうとしていた時、おねーさんが語りかけてきた。まるで示し合わせたかのように、タイミングが良い。真逆、聞いていたのでは…
だとしたら恥ずかしすぎる。ダサい名前をぶつぶつ呟く姿とか、とても人に見せられるものでは無い。絶対変な奴って思われただろうなぁ…
今すぐに叫び出したい衝動を、どうにか理性で押し留め、お姉さんに疑問をぶつける。これで、貴方が名前考えていたから、って言われたら絶対に叫ぶ。窓割るぐらい大声で叫ぶ。
「えっと、どうしてです?」
「貴方とは長い付き合いになりそうだから」
良かった、叫ばなくて済んだ。あと、窓を割るのは、音の大きさじゃなくて、周波数の問題だ。
そんな事よりも、これは自立するまで面倒を見ると言う宣言では無いだろうか。そうだとしたら天国と同時に地獄でもある。美人で推定金持ちのお姉さんが面倒を見てくれるのは天国だが、それは同時にあの悪魔と過ごす期間が長くなると言うことでもある。本当に悪魔さえいなければ。落ち着け、私は悟ったのだ、こんな事を気にする必要などない。私は、都市が、嫌いだ。オウケイ。
そんな馬鹿な事を考えていると、何か勘違いしたのかお姉さんは、
「まあ、名前も知らない奴に、名前教えてって言われても警戒するわよね」
そう言ってお姉さんは、こちらを見据える。その真剣な眼差しに射止められ、ちょっとだけ緊張してしまう。
「私の名前はアリス・マーガトロイド、七色の人形使いで魔法使い。以降、お見知り置きを」
そう言って綺麗な
そんな姿に少し見惚れているとお姉さん、アリスさんが顔を上げる。
そうだ名前。えっと確か、
「えっと、私は、アルミスって言います」
「アルミス…、アルテミスから?」
「あ、そうです、そうです」
察しが良すぎないか? やっぱり、聞いていたのではなかろうか。この部屋には人形がいるし有り得る。きっと
悪魔より先に、この部屋に地獄を齎そうと深く息を吸っていた私は、アリスさんからの問いかけを受け、それを只の深呼吸に変える。
「その名前は誰が決めたの?」
「自分で?」
「そう…」
その答えを聞いて、少し俯きながら考え込むアリスさん。月明かりに照らされる姿は余りにも様になっていた。やっぱり美人は得だ。私もあんな美しい大人になりたいものである。ついでにあんな金持ちにも。
でもなんで考え込んでいるのだろうか。何か癇に障った? それともアルテミスが何か特別な名前だったのだろうか。だとしたら自分から地雷を踏みに行って、この場所から追い出される羽目になる。良い名前だと思ったんだけど。
まあ、自分の感性が此処に合わないのかもしれない。化け物も月が綺麗とは思ってなさそうだったし。
「うん」
結論が出たのだろうか、顔を上げた。どうかその口から出ていけの一言が出ないことを祈る。とは言っても、私は無神論者だ。何に祈るつもりだったというのか。仏様かな?
「貴方、暫く此処にいなさい。その間の衣食住は私が面倒を見るわ」
得体の知れない存在に祈っていた私は、アリスさんの口から飛び出したその言葉を聞いて、その存在を信仰する事に決めた。うんたらさま万歳! なんたらさま最高! 今日から私は有神論者だ!
そんな脳内大歓喜パーリナイな心情が顔に滲み出ていたのか、アリスさんは不審気にこちらに向かい問いかける。
「嫌なら別にそれでも良いわよ。回復するまでは面倒みるつもりだし」
「あ、いえ! ぜひ此処にいさせてください!」
「そう。それなら良いけれど」
嫌だと思っているとは思われたくなかったので、反射的に答えを返す。これで晴れて正式な居候だ。
ホームレス→成り行きの居候→正式な居候、と着実にランクアップしていっている。この調子じゃ自分の家を持つことも夢じゃないぞ。
しかし、そんな夢物語よりも、早急に解決すべき課題が目の前に待ち構えている。
「それじゃあ、お粥、食べておいてね」
そう言ってアリスさんは部屋から出て行った。後に残ったのは、まだまだ湯気の立つお粥を持つ悪魔と私だけである。
悪魔はスプーンを構え、お粥を掬う。
さあ、受け入れよう。
────────────────────────
一週間ぐらい後、
どうにか普通に歩けるくらいには回復し、固形物も食べれるようになり、悪逆非道で筆舌に尽くしがたい悪魔の所業にも慣れてきて、口の中で熱さを感じなくなった頃、アリスさんが私を家の外に呼び出した。
何かあったのだろうか、それとも遂に家を出ていけと言われるのか?
一抹の不安を抱きながら、この家の玄関から外に出る。
「何かあったんでしょうか」
そんな、何かに怯えるような私を見て、アリスさんは少しだけ優しく喋りかける。
「別に追い出そうとかそういうわけじゃ無いから安心して」
その言葉を聞いて、胸を下ろす。でもそうじゃ無いとしたら何なんだろう。内職でもするのか?
「貴方、魔法って知ってる?」
頭の中でうんうん唸っていると、ちょっとばかし信じ難い言葉がアリスさんの口から飛び出してきた。そうだった、この人自称魔法使いだった。
でも、そんな胡散臭い職業もなぜか似合う程、この人は"そういう"雰囲気が漂っている。周りに人形を侍らせていたら、人里離れた森の中に住む一人の魔女、みたいな風景が頭の中に浮かび上がってきてもおかしくない。と言うか、実際浮かんだ。
でもよく考えなくとも、魔法使いだなんて怪しすぎる。失礼だが、まだ魔術師の方が、ニュアンスの違いだ、占い師の方が信用できるってもんである。
そんな不審さが顔に出ていたのか、少し微笑みながら自称魔法使いさんは口を開く。
「まあ、胡散臭いって思うでしょうね」
Yes! そう大声で叫びたい気分だったが、やめておく。流石にそのくらいの分別はある。つもりである。
「それじゃあ、見ていて」
そう言ってアリスさんは左手を上げる。胸の上あたりに掌を持ってくると、
「魔法っていうのは、」
そこから、水が溢れ出す。さながら大瀑布の様に勢いよく大量にその手から噴き出す水は、不思議な事に彼女の方には向かわず、地面に落ちた水も彼女とは反対方向に流れ、その為、彼女の衣服が濡れることはなかった。
「モノを生み出したり、」
次の瞬間溢れる水は、遍く物を燃やし尽くさんとする炎へと変わる。その炎はとても人が耐えれるような熱量と規模になく、それを手に宿しながら涼しい顔をして見ている"魔法使い"の姿は、とても異様に見えた。
「モノのあり方を変化させたり、」
アリスさんがほんの少しだけ手を動かすと、轟々と燃え盛る炎が、一瞬で槍の姿へと
「モノの形を変えたり、」
槍が向けられた木に向かって、手首だけで物を放る様な動きをすると、炎の槍は一直線に的となった木へ向かい、跡形も残らず焼き尽くす。その際、炎は一瞬で木全体へと広がり、それ以外の木に燃え移ることはなかった。
「モノを動かすことができる」
その一連の流れは、まるで一つのマジックショーを見ている様で、唯一それと違うのは、多分これにはタネがないという事だけだ。本当に魔法なのか?
心なしかアリスさんがドヤ顔をしている様な気がする。気の所為だ、私は幻想を壊さない主義である。クールな人は私の中では一生クールなままなのだ。
「これが魔法よ」
流石にこんなのを見せられたら信じざるを得ない。水を出したり、炎を出したりはともかく、素手で、若しくは超小型の装置で炎の形を変えるのは都市でもできないのではないか? ましてやそれに指向性を持たせて発射するのは、創作の領域に近い。だからこそ魔法なのだろう。機械とか、化学とかで再現出来る領域に無い。
それにこの家で暫く過ごして気づいたが、此処には機械といった物が存在しない。
気づいた時は不思議だったが、台所では普通に火がついていたし、なんかもうよくわからなくなって考えるのを放置していたのだ。
今考えてみると、あの人形たちも魔法を使って、アリスさんが動かしていたのだろう。
ん? だとしたらあの悪魔もアリスさんが動かしていたと言う事に…
深く考えるのはよしておこう。再度言うが、私は幻想は壊さない主義なのだ。
「貴方も使いたい?」
「はい!」
使えるもんなら使いたい、なんか楽しそうだし。昔、テレビで見た魔法使いに憧れていた時期があったし、今から夢を叶えるのも悪くはないだろう。私にできるんだったら。
「それじゃあ、家に入りなさい、早速始めるわよ」
「わかりました」
座学。個人的には苦手な部類だ。教わってもらっておいて何様だとは思うが、苦手なものは苦手だ。話を聞く事自体は苦ではないが、なんと言うか話している相手が目の前にいると、私はどうやらにやついてしまっているらしい。
短時間なら大丈夫だし、私的にはそんなつもりはないのだが、その笑みがなんだか気味が悪いとか言われるから、精神的ダメージが大きいのだ。友人に言わせるのなら、心の底を見透かしてきそうな虚ろな瞳に、一部の物好きが好きそうな、見る者に胡散臭さを抱かせる邪悪な笑み、らしい。なんだそれ。
単純な罵倒なら慣れているのだが、こうも心の底から思ってそうな声音で具体的に言われるとなんか悲しい。アリスさんなら口に出す事はないだろうが、そう思われたくはない。どうしよ。
まあ、それは後で考えるとして、スタスタ歩くアリスさんの跡をついていき、家の扉を潜る。人形にでも準備させていたのか、テーブルの上には湯気の立つカップが二つと、クッキーの乗った皿が用意されていた。良い香りが漂ってくる、美味しそうだ。
「取り敢えず座って」
椅子に座ったアリスさんに示された通り、向かい側の椅子に座る。
そこに一体の人形が飛んできて、一枚の紙と鉛筆を目の前に置く。
「魔法を使うには、四つの段階がある」
鉛筆を手に取り、紙に炎の絵を描く。…絵、上手いな。
「先ずは魔法を"見る"事。魔法があることを認識し、具体的なイメージを持つこと。さっきやったことね」
今度は、炎の絵から矢印を伸ばし、虫眼鏡の絵を描く。
「次は魔法を"知る"事。魔法という物がどういった物なのか、どういうために使う物なのかを、知る。これが、これからやる事」
また矢印を伸ばし、その先に炎の槍を描く。
「その後に魔法を"学ぶ"。魔法を使って起こしたい現象について学ぶ。これができないと魔法は使えないわ」
炎の槍に手を付け足す。
「それが終わってやっと魔法を"使う"。学んだ事を、実際に行う。これと"学ぶ"事は、何回も繰り返す事になる」
そう言って、炎の槍の絵を囲む様に円を描く。
「簡単に言ってしまえば、魔法というのはこれだけよ」
案外簡単な物らしい。なんか大袈裟な儀式に、星の並びだとか、生贄だとかが関係している物だと思っていた。
アリスさんは人形に紙を片づけさせ、こちらを見ると、途端に顔を顰める。
「それ、癖?」
どうやら、にやついてしまっていたらしい。でもこちらを見る様子は、気味が悪いといった感情というよりは、何か嫌なことでも思い出したかの様な表情だった。何というか、うへぇーって感じの。嫌いな奴の顔でも思い出したらこの表情になりそうである。案外顔に出る人なんだな。
「あ、まあ、たぶん」
「治せるの?」
「無理です」
「そう…」
少し考え込むと、さっきの人形を使って、何か器のような物を持ってくる。真っ黒な平皿みたいな物。
「これ、つけておきなさい。
そういって差し出してきたのは、さっきの黒い平皿みたいな物、よく見たら仮面だ。
有り難く貰っておく。嫌われたいわけじゃないし。というかどんだけ気味悪いんだこの顔。
取り敢えず付けてみると、なんとサイズはぴったりだった、不思議なこともあるもんである。これでフードを被れば不審者の完成だ。赤い頭巾ならセーフかな。
「どうでしょう」
「…まあ、似合ってるわ」
気になる間が挟まったが、アリスさんがいうなら多分似合っているのだろう。人から貰った物だし、大切にしよう。黒だから汚れも目立たないだろうし、手入れも楽そうだから、大切にしやすそうだ。取り敢えず撫でてみる。つるつるすべすべ、触っていて気持ち良い。
「それじゃ、話の続きね」
仮面を撫でる私を無視して、アリスさんは話を戻す。私も撫でるのをやめて、アリスさんを見つめる。
「魔法とはなんだと思う?」
「モノを出したり、形を変えたりする方法じゃないんですか?」
「よく話を聞いているわね」
そう言って、優しく頭を撫でてくれた。まるで先生である。実際、今は先生か。
「でもそれは魔法で出来る事の一部に過ぎない」
あれが一部? モノを自在に生み出せるだけでも、魔法を学ぶ価値は数トンの金塊よりも高く、モノの形を自在に変えられるのならば、街は大量の失業者で溢れ返る。それが一部というのだから、魔法というの本当に凄まじいものなのだろう。
「魔法というのは、願いを叶える為の方法。その過程にあるもの」
何というか凄まじいというか、有り得ない。
それがその言葉を聞いて最初に抱いた印象だった。願いを叶える方法なんて、大量のお金しか思いつかない。そんな貧しい感性が、私が貧乏たる所以かな? いや違う、都市のせいだ、きっとそうだ。
「願いを叶える為の方法の一部だけを使う事で、人の身でも扱える様にしたもの」
さっきから、何処かに引き込まれる様な感じがする。この言葉を聞いているせいなのか、それともアリスさんの話が上手いだけなのかはわからない。けれど魔法に対して惹かれているのは事実だ。
「そして、魔法使いと共にあるもの」
そして、話が終わった途端、何かが私の中に入ってきた。実際に物体が入ってきたわけではないのだが、そのせいで私の身体のどこかが変わってしまった様に感じる。
あまり良い変化とは思えない。
「何か感じた?」
「はい。何かが入ってくる様な…」
「なら良いわ」
「これなんなんです?」
「魔法について知ったということよ」
「これでですか?」
「ええ、それだけ」
なんだったんだろうか。魔法とは違う気がする。さっき聞いたような、願いを叶える為の方法とも違うような。変わってしまった部分はわからなくとも、意識すれば変わってしまったことがわかる。
「それじゃあ、今日はおしまい。明日は魔法について学ぶから、しっかり寝なさい」
そう言って、椅子から立ち上がり、奥の部屋に入っていった。
結局一口も手をつけられなかったクッキーを手に取り、口に運ぶ。
うまっ。
今日の日記
まほうの ちからって すげー!