マイクを通した白髪頭の男の演説が、初夏の熱気と共に広場へ響き渡っている。男の身長の四倍はあると思われる巨大な白い石碑を背に、重々しく言葉を紡いでいた。
「――隣国、アドゥラーバ共和国との戦争から二年。我々はあの過酷な戦いで命を落とした英霊たちを悼み……」
石碑の後ろには、陽光を反射して煌めく広大な青い海が広がっている。
ストーンは腰を低くして来賓席の背後を通り抜け、整列した兵士たちの最後尾へ音もなく滑り込んだ。目深に被った軍帽のつばを引き下げ、大柄な将校の影に隠れるようにして息を潜める。通気性の悪い詰襟のせいで、首筋をじっとりと汗が伝わっていた。
それから幾度かの退屈な演説と、痛いほどの静寂に包まれた黙祷が続き、やがて式典は厳かに幕を下ろした。
解散の号令がかかるや否や、ストーンは直属の上官に、見つかる前に踵を返した。足早に、マシロと乗り捨てた軍用ビークルが待つ駐車場へと向かう。
「リリー少尉」
背後から、低く圧のある声が鼓膜を打った。
今日二度目だ。忌々しいファーストネームで呼ぶ馬鹿野郎の顔を拝んでやろうと、ストーンは苛立ち交じりに振り返り――息を呑んだ。
「だから名前で呼ぶなと――はぁ、デブロー提督」
そこに立っていたのは、つい先ほどまで壇上で白々しい美辞麗句を並べていた男。帝国軍務大臣にして、陸・海・空の全軍を統べる最高司令官、ルシアン=デブローその人だった。
豪奢な勲章を胸に提げた初老の男は、遠巻きに護衛たちを待たせ、あえて単身で後ろ手に腕を組んで立っていた。
「最高司令官に向かって第一声がため息か? 貴様は一体、いつまで子供のままでいるつもりだ。それに、式典に遅刻とは大した肝の据わりようだな」
咎めるような口調だが、その眼光は爬虫類のように冷え切っている。ストーンは無言で睨み返した。
「昨年の命令違反に続いて、本日の遅刻。自分自身の過ちで死なせた部下たちを悼む心さえないと見える。軍人である以前に、人間としての欠陥を疑うよ」
わざと古傷をえぐり、責任を擦り付けるような物言いに、ストーンの奥歯がギリッと鳴る。腹の底から這い上がってくる怒りを冷笑でねじ伏せ、あえて一歩前に出た。
「あんたこそ、部下を売って手に入れた最高司令官の椅子は、さぞかし座り心地がいいんだろうな?」
「……口の利き方に気をつけろ。本当に軍から追放されたいのか」
「どうぞご自由に。あんたの汚い裏工作の数々を、世間にばら撒いてから辞めてやりますよ」
「誰が信じる? 仲間殺しの戦闘機乗りの戯れ言を」
デブローは鼻で笑った。
「私が今なお、この椅子に座っていることこそが唯一の真実だ。指揮官の命令を無視し、独断で部隊を壊滅させたという事実以外に、一体どんな証拠があるというのかね?」
「俺は仲間を殺してないッ。あんたがそう嘯いているだけだろう!」
薄暗い駐車場に、見えない火花が散る。
デブローの冷徹な仮面は微動だにしなかったが、ストーンは彼が後ろ手に組んだ腕の筋肉を微かに強張らせたのを見逃さなかった。
その張り詰めた空気を破るように、軍靴の足音が駆け寄ってくる。
「ストーン……と、提督!? なぜ、こんな所に……」
息を切らしたマシロが数歩離れた位置で立ち止まり、慌てて軍帽を脱いで敬礼した。
「いや、たまたまリリー少尉を見かけてね。旧交を温めていたところさ」
デブローは先ほどまでの冷酷な貌を瞬時に消し去り、温和な司令官の顔を作ってみせた。一瞬だけストーンを一瞥すると、すぐにマシロへ向き直る。
「では、私はこれで――ああ、そうだ。リリー少尉」
立ち去ろうと踵を返したその時、思い出したように横顔だけを振り向ける。そのタイミングすらも、計算し尽くされたものだった。
「先ほどの無礼な態度は水に流そう。その代わり、君に辞令だ。来週から改修の済んだ帝国空母アイアンヴァルキリーが実戦配備につく。君を、その空母航空団の飛行隊に推薦しておいた。つまり、艦載機パイロットだ。――私に無礼を働いた分まで、せいぜい祖国のために命を懸けてくれたまえ」
そう言い残し、今度こそ背を向ける。遠ざかっていくその横顔に、隠しきれない嘲笑が張り付いていたのを、ストーンは奥歯を噛み締めて睨みつけた。
提督の姿が完全に見えなくなると、マシロが脱いだままの軍帽で頭を掻きながら、苦虫を噛み潰したような顔を向けてくる。
「……どう見ても、あれは私怨だな」
「ああ。空母への着艦資格訓練も受けてねぇのに、いきなり艦載機パイロットなんてありえねぇ。デブローの野郎、本気で俺を消したいらしいな」
「あの件、まだそこまで根に持ってんのか。アイアンヴァルキリーは改修後の実地演習から、そのまま最前線へ投入される予定ってことは……そこに放り込むってのは、そういうことだろうな」
「クソッ……どこまで俺の運命を狂わせりゃ気が済むんだ」
ストーンは苛立ちを隠しきれず、何度も舌打ちを繰り返した。
その夜。マシロのビークルでアパートまで送られたストーンは、窮屈な軍服を脱ぎ捨てるなり、崩れ落ちるようにベッドへ沈み込んだ。
泥のような疲労感に苛まれ、重い瞼を閉じる。だが、意識が暗闇に落ちかけたその瞬間――忘れたい記憶が、フラッシュバックとなって脳裏に焼き付いた。
『助けてくれよ!』
『ねぇ……っ!』
『俺たちを見捨てないでくれ!』
網膜を焼く赤黒い炎。むせ返るような、肉が焦げる臭い。木造家屋が密集する市街地が、降り注ぐ焼夷弾によって業火に飲み込まれていく。
瓦礫の下から伸びる、血に塗れた無数の手。後ろ髪を強く引きちぎられるような感覚が、いついかなる時も彼につきまとっていた。
忘れたい。いや、忘れてはいけないのだと、身体の奥底に刻み込まれた呪いが叫んでいる。
「はぁっ……!」
ストーンは弾かれたように上体を起こした。ひどい寝汗で、シャツが肌にべったりと張り付いている。
荒い息を吐き出しながら、暗い部屋の中で顔を覆った。無音のはずの静寂が、耳鳴りのようにガンガンと響いている。
「……また、同じ夢か……」
いつまでも鼓膜に張り付く幻聴を振り払うように、彼はベッド脇の小さな引き出しから睡眠薬の小瓶を取り出した。掌に転がり出た数錠の白い粒を、水も飲まずに勢いよく喉の奥へと流し込む。
どうか、このまま目が覚めなければいい。
そんな自暴自棄な弱音を腹の底へ飲み込むように、彼は再び重いシーツの中へと身を沈めた。