時計じかけのジュリエット 作:メルクルD
ミレニアムサイエンススクールの象徴・ミレニアムタワーを一望できる空きビル──その一室に、ユリは佇んでいた。
「タワー内の警備ロボット、9割の所在を特定」
ボロな卓の上にあるモニターへポツポツと灯る赤い斑点を見つめながら、ユリはインカムのマイクに声を投げる。
ヘッドホンの向こうからいくつかの「了解」の声が響いたあと、ユリへの個人通話の回線が開かれた。
『こちらハレ。タワー内のロボットの周波数を特定したよ』
「よし、ではいきましょう」
インカム越しの指示──小鈎ハレの声を受け、ユリはコンピューターの操作を始める。そこからコードをいくらか繋いだ、平べったい箱を思わせる大型ユニットは、ジェガンへの搭載が予定されていた装備を家電大にまでダウンサイジングしたものだ。偵察任務、または電子戦への対応が考慮されたそれは、機能の一端として敵機へのジャミングも含まれていた。
「……これで私も危険人物入り確定かな」
決意と葛藤のすべてを込めた中指を、エンターキーへ思いきり叩きつける。
すぐさま自前の望遠鏡で窓の向こうのタワー内部へ目を凝らすと、明らかに動きが鈍った警備ロボットたちが確認できた。
「これでどうです」
『大丈夫だ、ありがとう』
ハレのものと異なるその声は、少し前にキヴォトスを訪れた大人──シャーレの先生のものだった。
「多分、私が見つかるまでそう時間はかかりません。なるべく早く済ませてください」
そう言うとユリは一方的に通信を切った。敵に傍受される危険性がある状況で長話はしたくなかった。このあと、他のセクションでも別のメンバーが撹乱活動を入れたところで、目的地目がけ才羽姉妹が先生を伴って駆け足で向かう算段となっている。機能を止められるだけで破壊ができる訳ではないので、ユリが行動不能になるなどで警備ロボットが再起動する可能性についても考慮した上の作戦だ。
「ジェガンの量産が認可されなくてよかった、と思ったのは初めてかも」
そう独りごちると再びモニターに意識を集中させる。もし有人制御が前提のジェガンが相手ならこうはいかなかった。交戦の判断をセンサーやカメラのみに頼らざるを得ない警備ロボットだからこそ、無力化の策がここまで嵌まったのだ。特にドローン型の機体は、誘導ミサイルを飛ばすことさえも苦労するはずだ。こうなれば脅威の大半は排除できたといっていい。ここからは現場にいるメンバーの仕事だ。
残す問題は、ユリ自身の身の安全についてだった。ジャミングの範囲内にミレニアムタワーを収めるべく、付近の建物に単身で忍び込んだため、もしここに敵が来れば一人で応戦するしかない。三階に位置するこの部屋の侵入口は、窓を除けば後ろの扉かしかないので、敵が何人いようが取り囲まれる恐れはないものの、その始末をしなければならないのが自分である以上は有効なアドバンテージといえなかった。
なんでこんなことに付き合ってしまったのやら、とユリは少し前の出来事を思い返す。それはある日、エンジニア部をゲーム開発部とシャーレの先生が訪れたときのことだった。
──うん、分かった。協力しよう──
──え、部長……!?──
頼み事にやってきたのだというゲーム開発部と先生に、ウタハはすぐさま了承を示した。内容は生徒会の差押品保管所にあるという「鏡」なる代物の奪取への協力であり、はっきりいってクリーンとはいえない依頼だったのだが、ウタハはおののくユリに一瞥もくれないままだ。
──良いんですか? エンジニア部は実績もたくさんありますし、メイド部と戦うなんて危ない橋を渡る必要は……──
おずおずと最大の懸念を引き合いに出して訊き返すのはミドリだった。メイド部──C&Cと呼称されるミレニアム随一の武力集団との交戦も想定されるという奪取作戦に、ウタハが躊躇なく参加を表明したのが不思議なのだろう。尤も、それはユリも同じだったのだが。
──……その方が面白そうだから、だよ──
──そうです! それに私たちも、もっと先生と仲良くなりたいですから!──
乗り気らしいヒビキとコトリの声を受け、部が関与しない道はないと悟ったユリはため息をつくしかなかった。
──ユリ、君はどうする?──
──……自分が意地張ったって、お三方は行かれるのでしょう? なら、せめて成功してもらわないと困ります──
こうして、「鏡」奪取作戦にユリは首を突っ込むことになった。
ハッカー集団・ヴェリタスの拠点のもと、ヴェリタス、エンジニア部、ゲーム開発部が一堂に会した作戦会議が行われたのは、行動開始の2時間前のことだ。
──セミナーは、基本的にミレニアムタワーの最上階を専用スペースとして使用してる──
会議を主導したのはハレだった。彼女は続けて、デジタルの図面で「鏡」があるという差押品保管所の場所を指差す。
──調べた感じ、入り口からそこへ辿り着くには、結構な数の監視カメラとロボットを突破しないといけないみたい──
そうタワーの警備に言及するのは、ハレと同じくヴェリタスに属する赤髪の生徒で、名を小塗マキといった。彼女の後ろには、ヘッドホンとメガネが特徴的な生徒・音瀬コタマが控えている。
──正確に口にするなら監視カメラが442台、警備ロボットたちが3種に分類されて計52体だね──
ウタハがマキの発言をそう補足した。エンジニア部はタワーのセキュリティシステムの構築に協力した過去があるので、その経験を基にしたのだろう。
警備ロボットの対処についてユリへ話題が振られたのは、そのすぐ後だ。
──だが、彼らとの交戦については、そのほとんどをパスできるはずだ。ユリ、例の装備を──
ウタハの問いかけに応じてユリが部室へ運びこんだのは、「EWACユニット」と題したジェガンの偵察用の追加装備案だ。写真撮影が趣味の知人によってもたらされた草案が基となっており、「EWAC」とは「Early」(早期)、「Warning」(警戒する)「And」(〜と)、「Control」(管制する)、これらの頭文字をとったものである。
──このユニットには電子戦を想定して妨害電波を放てる機能がある。そうだね?──
──ええ。まぁホントは設計段階でお蔵入りにしたものなんですけど──
レイアウトの関係で大型化した容積からして頭部、またはそれに近しい部位への積載が望ましいと結論が出たその装備はしかし、現状のジェガンの肩部の可動と干渉する点を無視できなかった。そのために開発が始まる前に終わりを告げた代物だったのだが、前述の電子戦に特化した仕様に目をつけたウタハの指示と協力をもって、スケールを縮小したうえでの実体化がなされている。
──ロボットといっても所詮は無人制御。センサーという目を奪えば、カカシとそう変わりません──
タワー潜入作戦の分担が決められたのは、そうしてEWACユニットのお披露目をしたあとだ。ユリはタワーをジャミング可能範囲に収められるギリギリのポイントの建物にて身を隠しつつ、ハレのバックアップのもと警備ロボットを足止めすることに決まり、人的な防衛戦力への対処は主に他のエンジニア部メンバーやゲーム開発部の面々で行われるという形になったのだった。
唐突に響いた物音に、回想を断ち切られた。ガサゴソ、といった調子な音の方へ振り向くと、瓦礫から這い出るように現れた鼠が扉のある壁の穴から潜り出ていくのが見えた。ほっと胸を撫で下ろし、愛銃のグリップから手を放す。もしも人間が出した音であったなら、制圧か逃走かに動き出さなければならないところだった。愛銃『Romeo-IE』の他にも、ダガーナイフやジェガンのグレネード・ラックのレプリカも装備してきたので、仮に銃を使わずともハンド・グレネードで隙を作ったところでナイフを首元にあてがえば事が済む。人は弾丸で頭を撃ち抜かれるよりも、刃物で首を斬られる痛みの方が恐怖を覚えやすい生き物だ。
このナイフも、EWACユニットと同じくジェガンに搭載を検討していた装備を人間用に縮小したものだった。ジェガンの戦闘シミュレーターを扱った者たちのフィードバックのひとつである、「射撃兵装やビーム・サーベルのリソースが切れれば攻撃手段がなくなる」という意見によって、稼働にエネルギーを必要としない実体型の格闘兵装として考案されたものだ。奇しくも、こちらもEWACユニットと同じく積載箇所と目された肩部周囲にジョイントを作る見通しが立たず棚上げになった代物だった。もし実際に装備させるには、肩部前面の姿勢制御スラスターを塞ぐか、構造そのものに手を入れるしかないだろう──などといま考えたところで、いま目の前の作戦に活かせる訳ではないのだが。
「さて、いつまで足がつかずにいられるか……」
相手も間抜けではない。下手人の居場所を特定することは決して難しいことではないだろう。だが一方で、ここに大人数が押しかけてくる可能性はないともユリは楽観していた。そもそもゲーム開発部というタワー内部の侵入者を前に、まさか本陣の守りを薄くしてまで敷地外のユリを叩きにくる遠回りな真似はしないはずだ。
「C&Cを送られるのが一番辛いけど、さすがに自惚れすぎだろうね」
可能性があるとすれば、C&Cで最も狙撃に秀でた角楯カリンが遠距離からスナイプしてくるくらいだろう。特殊部隊の事情に詳しい知人──先ほどのダガーナイフの搭載を進言したのと同じ人物だ──によれば、C&Cの中核を担う生徒のうち、超遠距離射撃を行えるのはカリンしかいないらしい。つまり、他の主要メンバーがユリを叩くなら、直接この場に向かうしか方法がないことになる。
「ハレさん、こっちの近くにC&Cの人たちは来てるんですか?」
一応ユリは無線機に、そう敵の所在を問う言葉を投げた。すると、すぐさまこんな返答がなされた。
『今のところ大丈夫のはず。アカネはマキたちがタワー内で分断したし、カリンの狙撃ポイントもウタハ先輩たちが抑えてくれてる』
事前の想定通りな状況を報せるハレに、ひとまず胸を撫で下ろす。どうやら他メンバーは、C&Cの両名を滞りなく対処することに成功したようだ。
『でも、アスナ先輩だけ、まだ居場所が見つからない。もしかしたらミレニアムの外にいるのかも』
え、と横たわった不安要素に洩らす。「神出鬼没」で知られるその生徒──一之瀬アスナについては、いまは不在だというリーダー・美甘ネルを除けばC&Cで最も警戒されていた人物だった。
「……なんとか見つけてください」
ハレへ声援にもならないだろう言葉を飛ばすやいなや、ユリはやり取りを終えた。用途と積載量の関係から、対ロボットに通信機能を特化させたEWACユニットでは、人間を探し出すことはできない。こうなると、ハレの索敵技能を信じるしかなかった。
おもむろに、ユリは懐に忍ばせたあるスイッチを手に取る。いざというとき、EWACユニットを自爆させるためのものだ──ちなみにスイッチはウタハの手製である──。いつもは突飛に余る自爆癖を見せる他の部員の様子を見て呆れていたものだが、実際に役に立つ場面になると、それはそれでなんともいえない感情になる。
「もともと無事に持って帰れるとは思ってないけど……」
せっかく作ったものだ、木っ端微塵とさせずに済むなら、当然そちらの方が好ましい。だが件の機器は、ユリが行動不能となるに値する事態が発生し次第、自爆させることを前提にしていた。尤もユリの戦闘能力を考えれば、おおよそ接敵した瞬間にスイッチを押すくらいの気構えでいなければならなかったのだが。
「このパソコン諸共って思うと気が重──」
この作戦のために仕立てたコンピューターへ目をやりながら呟かれたユリの声は、突如響いた打撃音によって遮られた。先ほど鼠が起こしたものとは比較にならない音量──それを奏でた入り口の方に視線を向ければ、床に倒され粉塵を巻き上げる扉が目に入る。何者かによって破られたに違いなかった。
そういえば、先ほどやり取りを回顧した特殊部隊通の知人はこうも言っていた。「01」のコールサインを戴くエージェントは、人知を超えた直感によって成果を呼び込む恐ろしい実力者であると。
「……蹴破るなら、一声かけてくれればいいものを」
例の知人が決まってよく言うセリフを捩りながら、ユリは振り返る。そこには、到来を危惧した通りの人物が姿を現していた。
「あーっ! ホントにいた!」
軽快な声色で叫ぶ彼女のメイド服の肩部には、「01」の表記がある。
「ハレさん、アスナ先輩が来ましたよ」
一応、無線機に報告した。ユリの目の前に現れたのは、間違いなくC&Cの誇るトリックスター・一之瀬アスナだった。首から下は右半身をアスナへ向けるようにして立ちながら、ユリは時間稼ぎがてら言葉を紡いだ。
「まさかこんなにすぐに来るとは思いませんでしたよ。タワーの守りはよろしかったので?」
「んー、そこはアカネたちがいるから大丈夫! それよりタワーのロボットがおかしくなっちゃったみたいだから、犯人を探してたの!」
ここに来たのは勘だけど、と添えながら笑うアスナに底知れぬ畏怖を覚えながら、ユリは腰部のベルト側面に引っ掛けたグレネード・ラックへ、アスナから見て死角となる左手をこっそり伸ばし、最も上部に取り付けられたハンド・グレネードを手に取る。羽織っているだけのミレニアム生専用のコートに視界を遮られたのもあってか、こちらが戦闘体勢を整えつつあることはまだ気取られていないらしかった。
「確かにあれをやったのは私ですが……ここに来たのは間違いでしたね」
そう言ってハンド・グレネードをアスナへ転がすようにして投げると、間もなく放出された煙幕が周囲を支配した。投げたのは三つ用意した中で、スモークグレネードの役割を持つものだった。残り二つのハンド・グレネードは、それぞれ通常弾、閃光弾といった配分としている。
わっ、と洩らし後ずさったアスナがいるはずの方向をしっかりと見据えながら、ユリは右腕の付け根といえる位置にくくりつけたダガーナイフのグリップを左の掌で掴む。すでにホルスターから取り出した『Romeo-IE』は右手に保持している状態だ。
すぐさま引き抜いたナイフを一度空中に留まらせるようにして放し、手首を捻って掴み直すことで逆手で持つ形をとると、一秒前の記憶を頼りに駆け出した。
まだアスナが混乱していることを願いながらナイフを構えていると、すぐさま記憶通りの場所に人型のシルエットが見えた。すぐさま両足で踏ん張って減速し、ナイフの刃渡りをその首元へ差し出すように持っていった。
「接近戦ならこっちの方が有利です」
やや晴れた煙の中で、ナイフが突きつけられたことに気づいたアスナが驚く顔がようやく目に映った。
「おー、やるね〜!」
「すみませんが、大人しくしてもらいます。あなたを野放しにはしておけない」
まるで感心しているかのように振る舞うアスナの胸元に、ナイフを持つ手と交差させるようにして、右腕の『Romeo-IE』を突きつける。予想外の交戦ではあったが、ここまで都合よく制圧できたのもはっきりいって予想外だった。ハレですら行方が追えない相手をこの場に縛りつけておけるなら、役割以上の戦果だ。
だが、銃を捨てて後ろを向け、と命じる直前に、アスナがこんなことをのたまった。
「へー、さっき投げてたやつってこんな形なんだ! アカネが珍しがりそうかも!」
首元のナイフはどこ吹く風、といった調子で、右手で何かをこねくり回しながら言うので訝ったが、よく見ればアスナが持っているのは、先ほどユリが投げたハンド・グレネードだった。
「いつの間に拾って……えっ!?」
使用済みのスモークグレネードのものだろうか、と推測して間もなく、ユリは気づいた。ラックにあるグレネードが、残りひとつしかなかったのだ。まだ使っていない残りふたつのどちらかを、こうして至近距離に接近してから今までの間にくすね取られたのだろう。カバーが開いたまんまなのは、先ほどスモークグレネードを取り出した後にロックをかけるのを怠っていたか。
「なんで──」
驚きながらも、ユリはナイフと愛銃をアスナから離すと後ずさる。焦燥に満ちたいまの頭では通常弾と閃光弾のどちらを奪われたのか判断できないからだったが、どのみち至近距離で使われれば面白くないものであることは変わらない。
やがて先ほどユリがそうしたように投げ転がされたハンド・グレネードは、円筒型の外装から爆風を解放させ、本来の主たるユリを吹き飛ばした。ならば奪われたのは通常弾のほうか、などと今さら思い至ったところで、背後の窓を目がけ投げ出された事実は曲げられない。
「くそ……!」
そのまま建物から肉体を投げ出され、重力に従い落下する中で、何とかユリはEWACシステムの自爆スイッチを手に取る。アスナが機械工学にどれほど明るいかは定かではないが、いずれにせよあれが敵の手に渡ることは阻止しなければならない。
これみよがしに存在を主張する赤いボタンを連打といえる間隔で押しまくると、二度目の爆風が例の窓から飛び出した。どうやら自爆信号が届いてくれたらしい。それを知覚したところで、背中を強い衝撃が叩いた。地面に打ちつけられたようだ。
「痛っ……」
熱のように苦痛を訴える背中をさすりながらも、悶える暇すら与えられなかった。タタタタ、とかすかに物音が聞こえたのだ。一定のリズムで、かつ徐々に音が大きくなってきていることから、アスナがビル内の階段を駆け降りていく音なのではないかと思えた。
手近な瓦礫の影に、身体を引きずるようにして移動し、身を隠した。必死で息を潜めているうちに、アスナが外へ姿を現した。
「んー、この辺に落ちてったと思うんだけど……逃げたのかな?」
落下したユリを探しているらしいアスナは、しかしいくらか首を回したあと、なんでもないように笑った彼女はこう放った。
「……ま、いっか! あのよくわかんないシステムは爆発したっぽいし!」
すると彼女は、C&C用らしい無線機に声を投げ、ビルを後にしていく。かすかに聞こえたアスナの声から、通信相手が彼女に苦言を呈している様が想像できた。
安堵のため息をつき、ユリもまた無線機に安否を伝えようとする。あとは、あわよくばアスナがユリと交戦した事実を伝え損ねてくれることを祈るのみだった。
「こちらユリ。アスナ先輩と交戦しEWACユニットが……おや?」
だが、無線機はうんともすんとも言わなかった。表面に損傷があるのを見るに、どうやらアスナからハンド・グレネード返しを受けた際に故障してしまったようだ。仕方なくスマートフォンから、ヴェリタスのメンバー宛にメッセージを送った。
「もう荒事はこりごりだ……」
まだ肉体に叫ぶ痛みを背負いながら、ユリは付近に転がっていたナイフと『Romeo-IE』を回収し、よろよろとその場を後にする。
──ユリが「鏡」奪還作戦に関与したのは、それまでとなった。ゲーム開発部が「鏡」を無事にヴェリタスの部室へ持ち帰ったことをユリが知ったのは、他のメンバーよりも少しあとのことだった。
「部長、お疲れ様です」
あの「鏡」奪還作戦の翌日、エンジニア部の部室を訪れたユリは、先客のウタハにそう声をかけた。ああ、と応えた彼女は、二足歩行と化した椅子にカタパルトをつけたような装置をいじくっていた。ユリは以前に、ウタハがこれを「椅子」とも「雷の玉座」とも呼んでいたのを聞いたことがある。
「セミナーの方々からは何か?」
「……いや。小言のひとつもなかったとも。奇妙なほどに」
あれだけ派手に生徒会と事を構えたのだから、謹慎や部費減額程度は覚悟していたのだが、部長であるウタハが否定した以上は本当にお咎めなく済んだのだろう。
「罰のひとつもないなだんて、そんなことありますか?」
「そうだね……例えば、最初からセミナーに仕組まれていた騒動だった、とかかな」
冗談めかして口にするウタハ共々、ユリは苦笑するしかなかった。もし本当に仕組まれていたとするならば、作戦を主導したヴェリタスに回し者がいたという線を疑わなければならないことになるのだから。
「それで、「鏡」は今どちらに?」
「ヴェリタスの部室さ。それを使って、ゲーム開発部の『G.Bible』を解析しているといった具合じゃないか?」
奪還目標の行方を問えば、想像した通りの答えが返ってきた。もとはといえば「鏡」とはヴェリタスの持ち物だというので、あるべき場所に帰ったといえるだろう。尤も、もとは差押品保管所にあったというのだから、また没収を喰らう可能性については否定できないが。
「それにしても、G.Bible……ですか」
昨日の作戦のきっかけといえるその代物の登場に、ユリはそう洩らした。
「もともと、ゲーム開発部がそれの解析を願うにあたって必要なのが「鏡」だ、という話だったからね」
「ええ。ある程度聞いてはいますよ。伝説のゲームクリエイターが記した、ゲーム制作のマニュアルだとか」
概要についてそれ以上は定かではないが、とにかくゲーム開発部がゲームを作るにあたって重要なものであるらしい。それが開発におけるどの分野のどの部分へ言及するものであるかはユリには微塵も想像できないが、ミレニアム随一のハッカー集団であるヴェリタスが「鏡」という外部ツールをわざわざ必要とするほど厳重に閲覧が制限されたものなのだから、さぞ卓越したテクニックが記されているのだろう。だがその一方で、ユリにはこんな疑問もあった。
「ですが、ゲーム……というか遊びを作ると言うなら、重要なのはシステム面よりも、プレイヤーを惹きつけるアイデアの話になるのではありませんか?」
「それはそうかもしれないが……つまり、何が言いたいのかな?」
どれほど物凄いプログラミングができたとて、それだけで面白いゲームができる訳ではないことはユリにも理解できる。そもそも、それは大元となるアイデアを実現するための手段に過ぎないのだから。
「これをすれば面白くなる、なんてはっきりとした答えが、そんなに都合よく存在するものなのか、と思って……」
そもそも扱うジャンルが星の数ほどに存在するゲーム界において、評価をよい方に左右する事柄が明確に規定されていることについて、ユリは懐疑的だった。ジェガン用のシミュレーターの参考にいくらか見漁った程度しか人生でデジタルゲームに触れていない身ではあるが、何人もの専門家が集まっても「つまらないゲーム」が誕生してしまうことがある世界だとも知っていたユリには、その難しさをパスする方法が何も思いつかなかったのだ。
「まぁ、内容がどうあれ、あの子たちならなんとかするだろう。ここ最近、結構な出来事を切り抜けてきている訳だし」
おどけるウタハに、そうですね、とユリも笑う。少女の形をしたロボットと出会い、タワーに隠された宝のためにメイド服のエージェントとやり合うという筋書きをまんま下敷きにするだけでも、何本かのゲームを作り出せそうだと思ったから。
そのあと、G.Bibleに何が書かれていたのかについて、結局ユリが知ることはなかった。だが、このすぐあとに開催された発明コンテスト「ミレニアムプライス」にて「特別賞」を獲得したゲーム開発部は部活動維持のための成果を手にすることに成功し、「鏡」奪還作戦の成果は──少なくともユリの視点から見て──結実することになったのだった。
ゲーム開発部視点については原作メインストーリーを見ていただければ。あそこからアスナ戦のちょっとばかしと警備ロボットをパスしたくらいのイメージです。
次々飛び出すオマージュキャラの影、名前と登場シーン込みで出せるのはいつの話になるのだろう。