アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜 作:池ポチャ
前回までで、萌亜とリオナはシャンバラの試練を三つ越えました。
過去輪では、萌亜の過去を無理に暴かず、知らない部分ごと今の萌亜を受け入れること。
現在輪では、選定機関の最適解に乗らず、今ここにいる萌亜を友達として選ぶこと。
未来輪では、破滅の可能性を見せられながらも、未来はまだ決まっていないと手を離さないこと。
そして、まさかの楠タクヤ叔父さんが未来輪をバグらせました。
今回は、最後の試練。
無時輪です。
担当は、ぽやぽや眠そうなリン。
けれど、無時輪が扱うのは、過去でも現在でも未来でもない時間。
忘れられた時間。
記録されなかった時間。
誰にも選ばれなかった時間。
そして、本人たちさえ覚えていない、けれど確かに心に残っている時間です。
萌亜とリオナが向き合うのは、忘れていた出会い。
名付けられる前の想い。
そして、記録にも予言にも残らなかった、小さな「好き」の始まりです。
シャンバラ試練、最終段階です。
シャンバラの空が、黒紫に染まった。
未来輪の青い光が薄れ、無数に枝分かれしていた可能性の線が、ゆっくりとほどけていく。
過去でもない。
現在でもない。
未来でもない。
時間の外側。
時計の針が進む前。
あるいは、止まった後。
誰にも覚えられず、記録されず、けれど確かに存在した一瞬。
それが、無時輪だった。
姫咲リオナは、安藤萌亜の手を握ったまま、黒紫の空を見上げていた。
「……雰囲気、急に静かになったね」
「うん」
萌亜も小さく頷く。
「なんか、眠い」
「寝ちゃダメなやつ?」
「たぶん」
「たぶんは怖い」
少し離れた場所で、白と金のカーラ、赤いラチャ、青いチャクラが黙って立っている。
そして、最後の一人。
黒紫の薄衣をまとい、小さな枕のようなものを抱えた女性――リンが、ふわふわと前へ出た。
眠そうな目。
柔らかい声。
今にも「おやすみなさい」と言いそうな雰囲気。
だが、リオナはもう知っている。
シャンバラの試練は、見た目の雰囲気で油断するとだいたい刺さる。
「無時輪の試練を始めますぅ……」
リンは、のんびりと言った。
ラチャが小声で言う。
「寝るなよ、人の娘」
「寝ないです」
チャクラが淡々と補足する。
「無時輪は、通常の時間軸に属さない停止点、忘却領域、未記録の情動、選択されなかった可能性の残滓を扱います」
リオナは顔をしかめた。
「つまり?」
リンが、ふわっと微笑んだ。
「忘れてるけど、大事だったものを見ますぅ……」
「一番嫌なやつじゃん」
萌亜が小さく呟く。
「チョベリバの気配」
リンは、ふわふわと首を横に振った。
「怖いだけじゃないです……忘れたものは、怖いこともありますけど、優しいこともあります……」
カーラが静かに言う。
「過去輪は記録された過去を扱います。無時輪は、記録されなかった時間を扱います」
チャクラが続ける。
「選定機関は、記録された危険性を元に切除します。ルルイエは、言語化されない孤独や渇きへ染み込みます。無時輪は、そのどちらにも狙われやすい領域です」
リオナは思わず息を呑む。
「記録されてないから、守りにくい?」
「はい」
チャクラが頷く。
「忘れた時間は、本人が価値を説明できません。ゆえに、不要と判断されやすい」
リンは、枕を抱きしめたまま言った。
「でも、心は覚えてたりしますぅ……」
萌亜の手に、少しだけ力が入った。
「萌亜、何か忘れてる?」
「人は、たくさん忘れますぅ」
リンは、萌亜を見る。
「終末の王さまも、たくさん忘れています……忘れさせられたものも、忘れたふりをしているものも、名前がつく前に消えたものも……」
萌亜の表情が強張った。
リオナはすぐに握り返す。
「大丈夫」
「うん」
「でも、怖いなら怖いって言っていいから」
「怖い」
「よし」
「よしなの?」
「言えたから」
萌亜は、少しだけ笑った。
「リオナっち、マブ」
「今は受け取る」
リンは、二人を見て穏やかに微笑んだ。
「では、見ましょう……忘れられた、最初の波を」
リンが枕をそっと胸に抱いた。
その瞬間、シャンバラの広場が消えた。
*
そこは、夜の東京だった。
雨が降っている。
大きな通りではない。
細い路地。
コンビニの光。
濡れたアスファルト。
遠くで電車の音がする。
リオナは周囲を見回した。
「ここ……どこ?」
萌亜も首を傾げる。
「渋谷じゃないね」
「うん。もっと普通の街」
そこに、人影があった。
ひとりの少女。
中学生くらいのリオナだった。
今より少し幼い。
髪も今ほど派手ではない。
傘を差し、スマホを見ながら歩いている。
リオナは息を呑んだ。
「私……?」
幼いリオナは、どこか疲れた顔をしていた。
学校帰りだろうか。
制服姿。
スマホには、SNSの画面が映っている。
まだフォロワーは少ない。
投稿もぎこちない。
それでも、彼女は何かを発信しようとしていた。
画面には短い文章。
『今日の雨、ちょっと綺麗』
投稿ボタンを押す。
すぐに反応は来ない。
幼いリオナは、少しだけ寂しそうに笑った。
「……まあ、いっか」
リオナは、その姿を見て胸が痛くなった。
「これ、覚えてない」
リンの声が、空からふわりと響く。
『忘れている時間ですぅ……でも、心は覚えています……』
その時。
雨の向こうに、もうひとつの影があった。
金髪に近い明るい髪。
制服でも私服でもない、どこか浮いた格好。
ひどく無表情な少女。
今の萌亜より、ずっと人間らしさが薄い。
安藤萌亜。
いや。
まだ、安藤萌亜と名乗る前の存在。
アンゴルモア。
地球に降りて、まだ間もない頃の終末存在だった。
萌亜が息を止めた。
「……萌亜?」
幼いリオナは、その少女に気づいていない。
だが、アンゴルモアは彼女を見ていた。
雨の中、じっと。
幼いリオナがスマホに向かって小さく呟く。
「誰か一人でも見てくれたらいいんだけどな」
その言葉を、アンゴルモアは聞いた。
聞いてしまった。
彼女は、まだ人間の感情をよく知らなかった。
祈りと欲望。
恐怖と争い。
文明の成熟度。
破壊指数。
観測するべきものは多かった。
だが、その少女の呟きは、どの分類にも入りにくかった。
誰か一人でも見てくれたらいい。
それは要求ではない。
命令でもない。
祈りに近いが、神へ向けたものでもない。
ただ、誰かへ向いた小さな光だった。
アンゴルモアは、雨の中でスマホを取り出した。
どこで手に入れたのか分からない端末。
使い方も、まだぎこちない。
彼女は、幼いリオナの投稿を見つけた。
そして、初めて「いいね」を押した。
幼いリオナのスマホが震える。
「え?」
画面を見る。
通知がひとつ。
知らないアカウントからの、いいね。
名前は、文字化けしていた。
プロフィール画像もない。
明らかに怪しい。
それでも、幼いリオナは少しだけ笑った。
「……ありがと」
その小さな声を聞いた瞬間。
アンゴルモアは、ほんの少しだけ目を見開いた。
感謝。
それは知識としては知っていた。
だが、自分に向けられたのは初めてだった。
文明選定個体。
終末執行存在。
恐怖の王。
それらに向けられるのは、畏怖か敵意か祈りの悲鳴がほとんどだ。
けれど、その少女は言った。
ありがと。
たった一つの通知に。
たった一人の誰かに。
リオナは、呆然とそれを見ていた。
「私……萌亜に、前から見られてたの?」
萌亜も混乱している。
「覚えてない…でも、これ……」
アンゴルモアは、雨の中で端末を見ていた。
そして、ぽつりと呟く。
「……人間、変」
その声は、今の萌亜よりずっと平坦だった。
だが、ほんの少しだけ温度があった。
「ひとつの信号で、表情が変わる」
彼女は、遠ざかる幼いリオナの背中を見ていた。
「非合理」
そして、少し遅れて。
「……でも、悪くない」
雨音が強くなる。
景色が揺れる。
リオナは言葉を失っていた。
最初の出会いは、渋谷のタピオカではなかった。
正確には、互いに出会ったとは言えない。
名前も知らない。
顔も覚えていない。
会話もしていない。
ただ、雨の日の投稿に、誰かがいいねを押した。
それだけ。
記録にも残っていない。
予言にもない。
超対課の資料にもない。
萌亜自身も忘れていた。
でも、その小さな一瞬が、確かに今へ繋がっていた。
リンの声が響く。
『無時輪は、そういう時間を覚えていますぅ……』
萌亜は、震える声で言った。
「リオナっち」
「うん」
「萌亜、リオナっちのこと、最初からちょっと見てたんだ」
「うん」
「ストーカー?」
「違うと思う。たぶん」
「たぶん」
「そこは今つっこまない」
リオナは、雨の中の幼い自分を見ていた。
あの頃の自分は、誰にも見られていないと思っていた。
でも、一人だけ見ていた。
終末の王が。
まだ名前も、友達も、地球への愛着も持たない存在が。
自分の小さな投稿に、いいねを押していた。
それは、あまりにも小さい。
世界を救う理由としては、弱すぎる。
でも、リオナは思った。
もしかしたら、世界を変えるきっかけなんて、それくらい小さいものなのかもしれない。
*
景色が変わる。
今度は、白い空間だった。
いや、白い空間になりかけた場所だった。
選定機関の観測室。
そこに、アンゴルモアが立っている。
まだ安藤萌亜ではない。
地球へ降下する前。
あるいは、降下した直後の報告記録。
白い声が響く。
『地球文明、情動ノイズ多数』
『破壊性、矛盾、信仰分裂、娯楽過多』
『選定継続』
アンゴルモアは答える。
「選定継続」
『情動偏向の兆候あり』
「否定」
『地球個体への関心、検出』
「観測対象」
『姫咲リオナ』
萌亜の肩が小さく揺れた。
リオナは息を呑む。
白い声が続ける。
『該当個体への接触を制限』
『記憶領域の軽度整理を実行』
『不要情動を保留領域へ移行』
「……了解」
リオナは、思わず声を上げた。
「これ、まさか」
チャクラの声が遠くから響く。
『選定機関による軽度記憶整理です。危険な情動偏向を防ぐため、安藤萌亜の初期地球観測記録の一部が保留領域へ移行されました』
萌亜は、唇を噛んだ。
「だから、覚えてなかった」
リンが静かに言う。
『完全に消えたわけじゃありません……忘れた時間の底に、沈んでいただけですぅ……』
アンゴルモアは白い空間で、無表情のまま立っている。
だが、その指先だけが、少しだけ動いた。
まるで、スマホの画面を探すように。
誰かの投稿を。
雨の日の小さな「ありがと」を。
白い声が告げる。
『不要情動、整理完了』
アンゴルモアは、目を閉じた。
その瞬間、彼女の中から小さな光がこぼれた。
ほんの小さな記憶。
雨。
投稿。
いいね。
ありがと。
それは消えずに、どこかへ落ちていった。
時間の外側。
無時輪の底へ。
リオナは、拳を握った。
「選定機関……」
怒りが湧いた。
過去を暴くとか、未来を計算するとか、現在を最適化するとか。
それだけではない。
彼らは、名前もついていない気持ちまで「不要」として整理しようとする。
まだ恋でも友情でもない。
信頼でも絆でもない。
ただ、少し気になった。
ただ、悪くないと思った。
そんな小さなものまで、危険なら消す。
「チョベリバ」
萌亜が呟いた。
声は静かだった。
「マジで、チョベリバ」
リオナは萌亜の手を握った。
「取り返そう」
「うん」
「今度は忘れないように」
「うん」
その時、白い空間に亀裂が走った。
選定機関の声が響く。
『保留領域へのアクセスを確認』
『不要情動の復元を阻止』
『無時輪、切除対象』
白い仮面が現れる。
だが、その形は不安定だった。
無時輪は記録されない時間。
選定機関にとっても、完全に捉えきれない場所だ。
それでも、白い腕が伸びてくる。
その先は、雨の日の記憶。
幼いリオナの投稿。
アンゴルモアの最初のいいね。
消そうとしている。
リオナは叫んだ。
「消させない!」
萌亜の瞳が紫に光る。
だが、リンが静かに手を上げた。
「ここで強く壊すと、記憶も一緒に割れちゃいますぅ……」
「じゃあどうすれば!」
リンは、ぽやぽやしたまま言った。
「忘れたものは、思い出すより先に……名前をつけてあげると、帰ってきますぅ……」
「名前?」
リオナは、雨の日の記憶を見る。
あれは何だろう。
出会いではない。
約束でもない。
友情と呼ぶには早すぎる。
でも、無意味ではない。
萌亜も同じ記憶を見つめていた。
「リオナっち」
「うん」
「あれ、何だったんだろ」
「分からない」
「でも、嬉しかった?」
「うん」
「萌亜も、たぶん嬉しかった」
「うん」
白い仮面が近づく。
雨の記憶が揺れる。
リオナは、必死に考える。
あの小さな時間に、何と名前をつければいいのか。
誰か一人でも見てくれたらいい。
見ていたよ。
ありがと。
悪くない。
その一瞬。
「……最初のマブ未満」
リオナが言った。
萌亜が目を丸くする。
「何それ」
「友達になる前の、友達未満」
「マブ未満?」
「そう」
「死語と現代語のハイブリッド?」
「今はそれでいいの!」
リンが、ふわっと笑った。
「いい名前ですぅ……」
リオナは叫ぶ。
「あれは不要情動じゃない! 最初のマブ未満!」
萌亜も続ける。
「萌亜が地球をちょっとだけ悪くないって思った、チョベリグ未満!」
「増やした!」
「だって萌亜の名前もいるかなって!」
その瞬間、雨の日の記憶が光った。
白い仮面の腕が弾かれる。
『名称付与を確認』
『不要分類、失敗』
『情動値、再定義』
『保留領域からの復元、進行』
雨の音が戻る。
幼いリオナの「ありがと」が、もう一度響く。
アンゴルモアの「悪くない」も。
小さな、小さな時間。
世界を救うには小さすぎる。
けれど、今の萌亜とリオナにとっては確かに大事な時間。
それが、無時輪の底から戻ってきた。
萌亜の目から、ぽろっと涙が落ちた。
「萌亜、泣いてる?」
リオナが聞く。
「泣いてない」
「泣いてる」
「これは、無時輪の湿気」
「それは無理ある」
「マンモス湿気」
「もっと無理ある」
リオナも笑いながら、少し泣いていた。
忘れていた時間が戻ってくる。
それは、怖いことだけではなかった。
優しい痛みだった。
*
だが、選定機関は諦めなかった。
白い亀裂が、さらに広がる。
『未記録情動の復元、危険』
『文明選定個体の地上定着率、上昇』
『接続因子との非公式接点、確認』
『無時輪ごと切除』
白い光が、空間そのものを切ろうとする。
リンの表情が、初めて少しだけ曇った。
「無時輪を切られると、忘れていた優しい時間も、忘れたままで終わりますぅ……」
ラチャが拳を握る。
「殴るか?」
チャクラが首を振る。
「無時輪内では高出力干渉は危険です。対象記憶への損傷率が高い」
カーラが厳かに言う。
「守るには、記録ではなく、想起でもなく、保持が必要です」
リオナは、白い亀裂を見る。
「保持って」
リンが優しく言った。
「覚えていなくても、大事だったと認めることですぅ……」
リオナは頷いた。
萌亜も頷く。
二人は手を繋いだまま、雨の日の記憶の前に立った。
白い光が迫る。
リオナは言った。
「私は、覚えてなかった」
萌亜も言う。
「萌亜も、忘れてた」
「でも、なかったことにはしない」
「うん」
「あの日、誰かが見てくれた」
「あの日、人間がちょっと悪くないって思った」
「それだけでいい」
「それだけがいい」
白い光が、二人に触れようとする。
その瞬間、萌亜とリオナの手から、白金、赤、青、そして黒紫の光が同時に広がった。
過去輪。
現在輪。
未来輪。
無時輪。
四つの時輪が、二人の周囲で重なる。
シャンバラの空に、巨大な曼荼羅が浮かび上がった。
カーラが静かに告げる。
「過去輪、承認済」
ラチャが拳を突き上げる。
「現在輪、承認済!」
チャクラが淡々と言う。
「未来輪、承認済。不明要素込みで」
リンが、ふわっと微笑む。
「無時輪……承認ですぅ」
白い亀裂が、四つの光に押し戻される。
選定機関の文字が乱れる。
『四輪承認、確認』
『地上定着核、精神領域同期』
『文明選定個体、地球側存在としての再定義進行』
『阻止』
『阻止』
『阻止』
だが、もう遅かった。
シャンバラの金色の山が光る。
巨大な時輪が回る。
萌亜の胸元に、竜宮城で刻まれた地上定着核の光が浮かび上がった。
そこに、シャンバラの四輪が接続される。
白金。
赤。
青。
黒紫。
四つの光が、萌亜の中へ流れ込む。
だが、それは彼女を縛る光ではなかった。
地球側へ引き戻す、優しい重さ。
過去を暴かず。
現在を選び。
未来を決めつけず。
忘れた時間まで、なかったことにしない。
それが、シャンバラの同期だった。
萌亜が小さく息を呑む。
「リオナっち」
「何?」
「地球、近い」
「今までより?」
「うん。なんか、足元ある感じ」
「よかった」
「あと、雨の日のリオナっち、かわいかった」
「急に何」
「中学生リオナっち、マブい」
「やめて。恥ずかしい」
「投稿、チョベリグだった」
「もう覚えてない投稿を褒められても困る!」
リンがくすくす笑った。
「忘れた時間が、帰ってきましたぁ……」
その時、門の外から黒い海が大きく揺れた。
九頭龍瑠々の潮夢廻廊。
そこから、瑠々の声がかすかに届く。
『まあ……シャンバラが、ずいぶん綺麗に光っていますわね』
リオナは振り返った。
黒い海の向こうに、瑠々の影が見える。
彼女は微笑んでいた。
嬉しそうに。
少し寂しそうに。
『忘れた時間まで抱きしめるなんて、人の娘さまは本当に欲張りですわ』
「瑠々さん」
『その欲張りさ、嫌いではありません』
萌亜が言う。
「瑠々、今は入ってこないで」
『入りませんわ。今入ったら、四姉妹さまに怒られてしまいますもの』
ラチャが拳を鳴らした。
「当然だ!」
リンが小さく手を振る。
「今はだめですぅ……」
瑠々は、楽しそうに笑った。
『では、今回はここまで。選定機関の追跡も、そろそろ限界ですから』
チャクラが空を見る。
「確かに、選定機関本流の再接続反応が増大しています」
カナメが即座に構える。
「来るか」
ゼルヴァードが顔を険しくする。
「四輪同期で座標が強くなった。隠しきれない」
リオナは、萌亜の手を握った。
「もうちょっとで終わりじゃないの?」
カーラが静かに言う。
「試練は終わりました。しかし、同期完了には中枢への登録が必要です」
「つまり?」
ラチャが笑う。
「最後に、シャンバラの中枢まで走れ!」
「やっぱりそうなる!」
白い空が割れる。
選定機関の巨大な観測輪が、遠くに現れた。
同時に、門の外の黒い海も荒れ始める。
白い切除。
黒い海。
その両方が、シャンバラの同期完了を阻止しようとしている。
リンが、眠そうな顔のまま言った。
「忘れた時間を取り戻したら、次は……忘れないように、ちゃんと刻みに行きましょう……」
リオナは深く息を吸った。
怖い。
疲れた。
頭も痛い。
でも、手は離していない。
「萌亜」
「何?」
「走れる?」
「余裕のよっちゃん」
「その言い方、不安だけど」
「でも、走れる」
「じゃあ行こう」
「うん」
萌亜は笑った。
リオナも笑った。
シャンバラの四輪が、二人の足元に道を作る。
その先には、金色の中枢殿。
選定機関の白い光が迫る。
黒い海がうねる。
カーラチャクラ四相が並び立つ。
カナメが銃を構え、ゼルヴァードが術式を展開する。
遠くで瑠々が、潮夢廻廊を維持している。
そして、リオナと萌亜は走り出した。
過去でも。
現在でも。
未来でも。
忘れられた時間でも。
繋がっていたものを、今度こそ刻むために。
シャンバラ中枢へ。
地球側存在としての登録を、完了させるために。
第17話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、シャンバラ試練の最後、無時輪でした。
過去輪は、記録された過去。
現在輪は、今この瞬間の選択。
未来輪は、これから起こり得る可能性。
そして無時輪は、そのどれにも属さない時間です。
忘れられた時間。
記録されなかった時間。
本人たちですら覚えていないけれど、心のどこかには残っていた時間。
今回は、萌亜とリオナが実は本編開始前に一度だけ接点を持っていたことが明かされました。
まだ安藤萌亜と名乗る前のアンゴルモアが、雨の日に幼いリオナの投稿へ「いいね」を押していた。
リオナは覚えていない。
萌亜も、選定機関による記憶整理で忘れていた。
でも、その小さな一瞬は、無時輪の底に残っていました。
世界を救う理由としては、あまりにも小さい出来事です。
でも、この作品ではそういう小さな出来事こそ大事です。
誰か一人でも見てくれたらいい。
見ていたよ。
ありがと。
悪くない。
それだけのやり取りが、終末存在をほんの少しだけ地球へ傾けていた。
その小さな「マブ未満」の時間を、リオナと萌亜は取り戻しました。
選定機関は、それを不要情動として切ろうとします。
でも、リオナたちは名前をつけることで守りました。
記録されていなくても、覚えていなくても、大事だったと認める。
それが無時輪の承認条件でした。
これで、過去輪、現在輪、未来輪、無時輪の四つが承認されました。
萌亜の地上定着核は、シャンバラとの精神領域同期へ進みます。
ただし、まだ完全登録は終わっていません。
試練は突破しましたが、最後にシャンバラ中枢へ到達し、登録を完了させる必要があります。
そして当然、選定機関も黙っていません。
瑠々の黒い海も動いています。
次回は、シャンバラ中枢への突入。
白い切除、黒い海、カーラチャクラ四相、萌亜とリオナの地上定着核登録。
シャンバラ編のクライマックスへ入ります。
それではまた次回。
忘れた時間でも、マブ未満はチョベリグ。