アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜 作:池ポチャ
今回は外伝です。
本編でたびたび名前が出てくる、姫咲リオナの叔父――楠タクヤ。
リオナにおじさん構文を送りつけ、萌亜からはなぜか「師匠」と呼ばれ、ゼルヴァードを戦慄させ、選定機関を処理停止させる謎の男。
その彼が、まだ少年だった頃のお話です。
きっかけは、田舎町で起きた一件のキャトルミューティレーション。
牛を探していた少年タクヤは、うっかり宇宙船に乗せられてしまいます。
普通なら恐怖の宇宙拉致事件です。
ですが、相手は楠タクヤ。
牛の心配をし、宇宙人の疲労を心配し、なぜか船内でお茶会を始めます。
そしてその小さなお茶会が、後に外宇宙交流、選定個体引き抜き疑惑、超科学機関設立、さらには全宇宙戦争の遠因へと繋がっていきます。
本人は、たぶん何も悪いことをしているつもりはありません。
ただ、疲れている人に「休んでいい」と言っただけ。
ただ、お茶を出しただけ。
ただ、困っている相手を放っておけなかっただけ。
それが宇宙規模で一番危険だった。
そんな、全宇宙接触禁止個体のはじまりの物語です。
本編のタクヤ叔父さんを見る目が、少しだけ変わるかもしれません。
それでは、楠タクヤ少年の、ちょっと遠すぎる宇宙旅行をどうぞ。
楠タクヤと宇宙人
あるいは、全宇宙接触禁止個体のはじまり
楠タクヤは、普通の少年だった。
少なくとも、本人はそう思っていた。
田舎町に住んでいて、学校帰りに駄菓子屋へ寄り、夏休みには虫取りをして、冬にはこたつから出たくなくなる。
好きなものは、甘いお菓子と温かいお茶。
苦手なものは、怒鳴る大人と、無理をしている人を見ること。
少し変わっているところがあるとすれば、困っている人を見ると放っておけないことくらいだった。
道に迷ったおばあさんがいれば家まで送る。
いじめられている子がいれば間に入る。
泣いている同級生がいれば、理由を聞く前にまず飴を渡す。
大人たちは言った。
「タクヤくんは優しいねえ」
タクヤは、よく分からない顔で笑った。
「困ってたら、助けた方がいいでしょ?」
その程度の認識だった。
それが後に、外宇宙規模の大問題になるとは、誰も知らない。
本人でさえ、知らなかった。
*
その夜、楠タクヤは牛を探していた。
近所の牧場で、一頭だけ牛がいなくなったのだ。
大人たちは探していたが、夜も遅く、雨が降りそうだった。
タクヤは懐中電灯を持ち、畑のあぜ道を歩いていた。
「モー子ー」
牛の名前である。
「出ておいでー。怒られないから」
返事はない。
田んぼの向こうでは、蛙が鳴いている。
空には星が多かった。
都会では見えないほどの星空。
タクヤは少しだけ立ち止まる。
「きれいだなあ」
その時だった。
空の星が、ひとつ動いた。
いや、星ではなかった。
光。
白く、青く、妙に規則正しい光。
それが音もなく降りてきた。
タクヤは目を瞬いた。
「……流れ星?」
次の瞬間、畑の向こうから牛の鳴き声がした。
「モー子?」
タクヤが走る。
すると、そこにいた。
牛。
正確には、空中に浮いている牛。
モー子は、ふわふわと宙に浮かびながら、白い光に包まれていた。
その上には、銀色の円盤。
古典的なほど分かりやすい、未確認飛行物体だった。
タクヤはしばらくそれを見上げた。
そして言った。
「……あ、これ宇宙人だ」
普通なら逃げる。
叫ぶ。
腰を抜かす。
だが、楠タクヤは少し違った。
彼は、宙に浮かんで不安そうに鳴く牛を見て、眉をひそめた。
「モー子、怖がってるじゃん」
それが、彼の第一声だった。
タクヤは懐中電灯を宇宙船へ向けて振った。
「すみませーん! その牛、うちの近所の子なんですけどー!」
宇宙船は止まった。
光も止まった。
牛も宙で止まった。
数秒後、光が広がる。
タクヤの身体が、ふわりと浮いた。
「あ」
落ちるのではなく、上へ引っ張られる。
田んぼ。
畑。
あぜ道。
懐中電灯。
全部が遠ざかる。
タクヤは空へ吸い上げられながら、少し困った顔で言った。
「これ、お母さんに怒られるやつだ」
*
宇宙船の中は、意外と寒かった。
白い壁。
銀色の床。
見たことのない機械。
透明な管。
光る文字。
そして、牛。
モー子は近くの浮遊台の上で、ぷかぷか浮いていた。
どうやら眠っているらしい。
タクヤはほっとした。
「よかった。怪我はしてない」
その時、壁が開いた。
中から、三体の宇宙人が出てきた。
一体目は、細長い。
二体目は、丸い。
三体目は、妙に疲れた顔をしている。
全員、目が大きく、肌は青灰色で、頭には透明なヘルメットのようなものをつけていた。
細長い宇宙人が、機械を通じて言った。
『地球原住個体。なぜ観測対象領域に侵入した』
タクヤは首を傾げた。
「牛を探してました」
『牛』
「はい。モー子です」
『モー子』
宇宙人たちは顔を見合わせた。
丸い宇宙人が言う。
『本作戦の対象は、地球生体サンプル一体。人類個体の回収は予定外』
疲れた顔の宇宙人が頭を抱えた。
『また報告書が増える……』
タクヤは、その声に反応した。
「大変なんですか?」
宇宙人たちは止まった。
『何?』
「いや、今、すごく疲れた声だったので」
疲れた顔の宇宙人は、ぎょっとしたように身を引いた。
『地球個体が我々の疲労を認識した?』
「見れば分かりますよ。目の下、すごいですし」
『これは種族特徴だ』
「でも疲れてますよね?」
『……疲れている』
なぜか正直に答えてしまった。
タクヤは少し考えた。
そして、宇宙船の中を見回す。
「お茶、あります?」
『茶』
「温かい飲み物です。落ち着くので」
『地球式嗜好液体は搭載していない』
「じゃあ、お湯は?」
『滅菌水ならある』
「それで大丈夫です。あと、葉っぱっぽいもの」
『葉っぱ?』
「飲めそうなやつ」
宇宙人たちは困惑した。
普通、拉致された地球人は叫ぶ。
泣く。
暴れる。
記憶処理を受ける。
だが、この少年は牛の心配をしたあと、宇宙人にお茶を出そうとしている。
理解不能だった。
しかし、数分後。
宇宙船の一角には、簡易的な休憩スペースができていた。
タクヤは滅菌水を温め、宇宙植物の乾燥葉を使い、妙な香りのするお茶を作った。
味は、ほうじ茶と昆布茶と湿った金属を混ぜたようだった。
おいしいかと言われると微妙だった。
だが、温かかった。
疲れた顔の宇宙人は、カップを両手で持ち、ぽつりと言った。
『……温度がある』
「温かいと、ちょっと安心しますよね」
『安心』
宇宙人は、初めて聞く概念のように繰り返した。
タクヤは彼の向かいに座った。
「お仕事、大変なんですか?」
その一言で、宇宙船の空気が変わった。
*
宇宙人たちは、外宇宙観測局の下請け調査員だった。
地球の牛を調べる仕事。
地球の土を調べる仕事。
地球人の睡眠時脳波を調べる仕事。
地球の麦畑に謎の模様を描く仕事。
実際には観測任務というより、雑務に近かった。
上層部は無茶を言う。
選定機関からはデータ提出を急かされる。
星間企業からは予算を削られる。
報告書の形式は毎月変わる。
休暇は三周期前から申請しているのに、まだ承認されていない。
『我々は地球の牛を三百七十二体観測した』
細長い宇宙人が、疲れた声で言う。
『しかし上層部は、サンプル数が足りないと言う』
丸い宇宙人も続ける。
『麦畑図形も、もっと芸術性を高めろと言われた』
「麦畑に模様を作ってるの、あなたたちなんですか?」
『一部は我々だ』
「上手いですよね」
『そうか?』
「はい。あれ、けっこう綺麗です」
丸い宇宙人は、少しだけ嬉しそうにした。
『評価されたのは初めてだ』
疲れた顔の宇宙人が、カップを見つめる。
『私は、もう帰りたい』
「帰れないんですか?」
『任務が終わらない』
「休めないんですか?」
『休暇申請が通らない』
「それ、ひどくないですか?」
宇宙人たちは一斉に黙った。
誰も言わなかったことを、地球の少年が言った。
ひどくないですか。
その一言が、宇宙船の中に落ちた。
タクヤは続ける。
「だって、みんな疲れてるし。牛も怖がってるし。お仕事なら、ちゃんと休まないと」
『しかし、我々は下位観測員だ』
「下位でも、休んでいいと思います」
『任務が』
「任務より先に、寝た方がいいです」
『寝る』
「はい」
タクヤは当たり前のように言った。
「眠い時は寝た方がいいです」
それは、宇宙を揺るがす思想だった。
少なくとも、外宇宙観測局の末端職員にとっては。
その夜、三体の宇宙人は交代で眠った。
タクヤはその間、モー子のそばにいた。
牛は目を覚まし、タクヤを見ると安心したように鼻を鳴らした。
「大丈夫。帰してもらおうね」
モー子は、もぐもぐと何かを噛んでいた。
宇宙船の観測用植物だった。
タクヤは少し焦った。
「それ食べて大丈夫かな」
だが、モー子は元気そうだった。
*
翌朝、という概念が宇宙船にあるのかは分からないが、とにかく数時間後。
宇宙船の状況は変わっていた。
観測員たちは明らかにすっきりした顔をしている。
そして、会議を始めた。
『我々は休暇を要求すべきではないか』
『その前に、未払い概念残業の記録を整理するべきだ』
『麦畑図形部門にも声をかけよう』
『牛観測班だけでは弱い。睡眠時脳波班も巻き込むべきだ』
タクヤは横でお茶を淹れていた。
「みんな、ちゃんと話し合っててえらいですね」
疲れた顔だった宇宙人が、真剣な顔で言う。
『タクヤ。君はどう思う』
「僕?」
『我々は、上層部へ改善要求を出すべきか』
「出した方がいいと思います」
『拒否されたら?』
「その時は、もっと偉い人に言うとか」
『もっと偉い者も同じだったら?』
「じゃあ、別の場所で働くとか」
宇宙人たちが衝撃を受けた。
『別の場所』
『転属ではなく』
『離脱』
タクヤは少し困った顔をした。
「でも、いきなり辞めるのは大変ですよね。休める場所があった方がいいと思います」
『休める場所』
「はい。疲れた人が、とりあえずお茶を飲める場所」
その言葉は、宇宙船の記録に残された。
後に外宇宙側では、こう呼ばれる。
『第一次茶会思想』
もちろん、タクヤはそんなこと知らない。
*
宇宙船は地球へ戻るはずだった。
タクヤとモー子を元の場所へ返し、記憶処理をして終わり。
その予定だった。
しかし、船内通信に割り込みが入った。
『観測艇G-772、予定航路逸脱を確認』
『任務継続を命令』
『地球生体サンプルを提出せよ』
『人類個体の記憶処理を実行せよ』
宇宙人たちの表情が強張る。
上層部だ。
タクヤは通信の声を聞き、眉をひそめた。
「怒ってるんですか?」
『上層部は常に怒っている』
「大変ですね」
『我々がだ』
「じゃあ、僕が話しましょうか?」
宇宙人たちは固まった。
『君が?』
「はい。たぶん、言い方がきついだけかもしれないし」
『違うと思う』
「でも、話してみないと」
『タクヤ、相手は外宇宙観測局上級管理官だ』
「偉い人?」
『とても偉い』
「じゃあ、お茶も必要ですね」
通信画面に、上級管理官が映った。
巨大な頭部。
鋭い目。
威圧的な触角。
明らかに怖い。
彼は低い声で言った。
『下位観測員。任務を継続せよ。地球個体は記憶処理後、返却。牛は解剖――』
「すみません」
タクヤが割り込んだ。
上級管理官が止まる。
『何だ、この小型地球人は』
「楠タクヤです」
『なぜ通信に出ている』
「お茶、飲みますか?」
『……何?』
「怒ってる時って、喉が乾くので」
宇宙船内は静まり返った。
上級管理官も、画面の向こうで固まった。
『我は怒ってなどいない』
「でも、声が怖いです」
『これは威厳だ』
「威厳がある人も、お茶は飲んだ方がいいと思います」
『不要だ』
「甘いものもありますよ」
『不要――』
上級管理官の背後から、別の声がした。
『管理官、糖分摂取は推奨されています』
『黙れ』
『しかし、ここ五周期、休憩を取っておられません』
タクヤは心配そうに画面を見た。
「五周期って、長いんですか?」
観測員が小声で答える。
『地球換算で、およそ三週間』
「寝てください」
タクヤは即答した。
上級管理官は目を見開いた。
『小型地球人。貴様、我に命令するのか』
「命令じゃないです。お願いです」
『お願い』
「はい。寝ないと倒れます」
上級管理官は、なぜか黙った。
画面の向こうで、彼の部下たちがざわめいている。
『管理官が心配されています』
『地球人に』
『管理官、顔色が悪いのは事実です』
『黙れと言っている』
だが、その声には先ほどほどの力がなかった。
タクヤは画面越しに言った。
「お仕事、ちゃんとするのはえらいと思います。でも、みんな疲れてるなら、少し休んだ方がいいです」
『宇宙は休んでいる間にも動く』
「でも、動いてる宇宙を見てる人が倒れたら困ります」
その言葉は、外宇宙観測局上級管理官の記録にも残された。
後に、管理官はこの時のことをこう述懐している。
『あの小型地球人は、我々の任務価値を否定しなかった。ただ、我々自身も任務と同じくらい大事だと言った。それが最も危険だった』
*
タクヤとモー子は、その日のうちに地球へ返される予定だった。
しかし、宇宙船はなぜか別の航路へ入った。
「帰らないんですか?」
タクヤが聞くと、細長い観測員は気まずそうに答えた。
『少しだけ、寄り道をする』
「寄り道」
『休暇申請が通らないなら、先に休暇を取る』
「いいと思います」
『ついでに、君を地球外休憩施設へ案内する』
「僕、帰らなくて大丈夫かな」
『地球時間では、ほとんど経過しないよう調整する』
「すごい」
『すごい技術だ』
丸い観測員が誇らしげに言う。
『ただし予算不足で、時々誤差が出る』
「どれくらい?」
『数分から数年』
「大きいですね」
『努力する』
「お願いします」
こうして楠タクヤ少年の宇宙旅行が始まった。
最初の目的地は、外宇宙労働者用休憩ステーションだった。
そこには、さまざまな星の生き物がいた。
水槽の中で寝ているクラゲ状生命体。
金属の身体で肩こりに悩む機械知性体。
重力が合わずに天井に張り付いている爬虫類型外交官。
ひたすら書類を書いている三つ目の事務官。
全員、疲れていた。
タクヤは、その光景を見て言った。
「みんな、お茶飲んだ方がいいですね」
その日、休憩ステーションに臨時茶会が開かれた。
飲み物は種族ごとに違った。
水分が毒になる種族には、温かい光。
光合成型には、柔らかい赤外線。
金属生命体には、潤滑油に近い香りのする飲料。
地球人のタクヤには、相変わらず微妙な味の宇宙茶。
けれど、みんな少しだけ落ち着いた。
そして、話し始めた。
『私は、戦争に行きたくない』
『私は、選定機関の補助業務を辞めたい』
『私は、未来を計算するのに疲れた』
『私は、自分の星へ帰れない』
『私は、誰かに大丈夫と言ってほしかった』
タクヤは、全部聞いた。
解決できるわけではない。
宇宙の制度も、戦争も、選定機関も、星間企業も、少年一人でどうにかできるはずがない。
それでも、タクヤは聞いた。
「大変だったんですね」
「休んでいいと思います」
「逃げる場所、あった方がいいですよね」
「じゃあ、みんなで作ります?」
それは、ほんの思いつきだった。
だが、外宇宙の疲れた者たちにとっては違った。
逃げる場所。
休める場所。
追われた時に匿ってくれる場所。
肩書きや種族や時間軸に関係なく、お茶を出してくれる場所。
その構想は、瞬く間に広がった。
観測員が技術を出した。
亡命希望の技官が設計した。
未来から来た研究者がリスクを計算した。
過去から逃げてきた記録者が歴史を整理した。
誰かが資金を用意した。
誰かが隠れ家を作った。
誰かが星間通信網を開いた。
タクヤは、その中心で何をしていたか。
お茶を淹れていた。
*
数日後。
地球時間では、たぶん数分後。
楠タクヤは、元の畑に戻ってきた。
モー子も一緒だった。
宇宙船の光が消える。
夜の田んぼ。
蛙の声。
懐中電灯。
すべてが、何事もなかったかのように戻っていた。
タクヤは畑のあぜ道に立ち、空を見上げた。
「宇宙って、大変なんだなあ」
モー子が、もー、と鳴いた。
その首には、なぜか小さな銀色の鈴がついていた。
宇宙土産である。
タクヤはそれを見て笑った。
「似合ってる」
家へ帰ると、母に叱られた。
「どこ行ってたの!心配したんだから!」
タクヤは少し考えた。
宇宙船。
牛。
観測員。
お茶会。
外宇宙労働問題。
休憩ステーション。
未来の研究者。
選定機関。
全宇宙規模の保護ネットワークの芽。
いろいろありすぎた。
でも、母を心配させたのは事実だった。
「ごめんなさい。牛を探してたら、ちょっと遠くまで」
「どこまで行ってたの?」
タクヤは空を見た。
星が瞬いている。
「けっこう遠く」
母は呆れたようにため息をついた。
「もう、早くご飯食べなさい」
「うん」
その日の夕飯は、普通の味噌汁だった。
宇宙茶より、ずっとおいしかった。
*
その後、宇宙では大変なことになった。
外宇宙観測局では、末端職員による休暇要求が相次いだ。
麦畑図形部門は芸術性の正当評価を求めた。
牛観測班は動物への配慮を求めた。
睡眠時脳波班は、観測対象の夢を勝手に覗くことへの倫理審査を求めた。
上級管理官は、一度だけ睡眠を取った。
その結果、判断力が回復し、上層部に改善案を提出した。
上層部は激怒した。
すると、外宇宙のあちこちから、同様の改善要求が噴き出した。
星間企業が揺れた。
軍事勢力が動いた。
逃げ出す人材が増えた。
選定機関は異常を検知した。
保護ネットワークは拡大した。
やがて、それは非公式な宇宙規模の混乱へ繋がる。
後の一部記録における、全宇宙茶会戦争の遠因である。
だが、地球の少年タクヤは、そんなことを知らない。
彼はただ、学校へ行き、駄菓子屋へ寄り、家でお茶を飲み、時々空を見上げるだけだった。
ただひとつ変わったことがある。
彼の机の引き出しに、奇妙な端末が入っていた。
宇宙船の観測員たちからもらったものだ。
画面には、たまに連絡が来る。
『今日は休暇申請が通りました』
『麦畑図形が評価されました』
『追われている研究者を匿ってほしい』
『未来から来た者です。助けてください』
『選定機関に戻りたくありません』
『茶会は、まだ開いていますか』
タクヤは、そのたびに返信した。
『大丈夫だよ』
『まず休もう』
『お茶、用意しておくね』
それが、楠タクヤ少年の宇宙旅行記の始まりだった。
ただの少年が、牛を探して宇宙船に乗った夜。
ただ、お茶を出しただけの夜。
ただ、疲れている人に「休んでいい」と言っただけの夜。
その夜から、宇宙のどこかで、少しずつ何かがズレ始めた。
選定機関は、後にこの個体をこう分類する。
『全宇宙接触禁止個体』
理由。
『接触した者が、分類から外れ始めるため』
だが、その頃のタクヤはまだ知らない。
自分が宇宙規模で危険視されることも。
いつか姪におじさん構文を送って困らせることも。
その姪の友達が、文明選定個体アンゴルモアになることも。
全部、まだ知らなかった。
少年はただ、星空を見上げて呟いた。
「また会えるかな」
空の向こうで、小さな光が瞬いた。
それは星だったのか。
宇宙船だったのか。
それとも、助けを求める誰かの合図だったのか。
タクヤには分からなかった。
でも、もしまた誰かが来たら。
お茶くらいは出そう。
そう思って、少年は家の中へ戻った。
外伝「楠タクヤ少年の宇宙旅行記」を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、楠タクヤという人物の原点を描く話でした。
本編では、リオナにおじさん構文を送り、萌亜に師匠認定され、選定機関から全宇宙接触禁止個体として扱われているタクヤ。
彼は強大な戦闘力を持っているわけではありません。
神でも、外宇宙存在でも、終末兵器でもありません。
少なくとも本人の認識では、ただの人間です。
ですが、彼の恐ろしさはそこではありません。
タクヤは、相手を攻撃しません。
脅しません。
支配しません。
ただ、困っている相手にお茶を出し、話を聞き、「休んでいい」と言います。
それだけで、外宇宙の末端観測員たちは自分たちの労働環境に疑問を持ち始め、上級管理官まで休息の必要性を認識し、やがて外宇宙全体に小さな変化が広がっていきます。
選定機関にとって、これは非常に危険です。
なぜなら、選定機関は分類し、測定し、管理する存在だからです。
しかしタクヤと接触した者たちは、分類から少しずつ外れていきます。
任務より自分の疲れに気づく。
組織より誰かとの茶会を大事にする。
命令より、自分の意思で休む場所を選ぶ。
それは、選定機関から見れば一種の汚染です。
けれど、人間側から見れば、それは救いでもあります。
この外伝で起きた宇宙船の小さなお茶会は、後にさまざまな出来事の遠因になります。
外宇宙交流。
過去・現在・未来の人材保護。
超科学機関の設立。
選定個体の引き抜き疑惑。
そして、全宇宙茶会戦争。
とんでもないことが並んでいますが、始まりは本当に小さなものでした。
牛を探していた少年が、宇宙船に乗せられ、疲れた宇宙人にお茶を出した。
それだけです。
でも、この作品では、そういう小さな行動が宇宙を変えていきます。
萌亜とリオナの「最初のいいね」がそうだったように。
瑠々にとっての「おはよう」がそうだったように。
タクヤにとっては、「まず休もう」が宇宙を動かす言葉だったのかもしれません。
今後、本編でエルドラド編が進む中で、タクヤはさらに重要な存在になっていきます。
彼が何を知っているのか。
どこまで準備していたのか。
なぜリオナと萌亜を見守っているのか。
そして、上位選定個体エクスキューショナーとの関係は何なのか。
そのあたりも、少しずつ明かされていく予定です。
それではまた本編で。
全宇宙接触禁止個体の原点は、だいたいお茶と牛でした。