アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜   作:池ポチャ

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外伝第2話です 。

前回、楠タクヤ少年は、牛を探していたところを宇宙船に巻き込まれました。

普通なら恐怖のキャトルミューティレーション事件。
しかしタクヤは、牛の心配をし、疲れた外宇宙観測員たちにお茶を出し、「休んでいい」と言ってしまいました。

その結果、外宇宙観測局の末端職員たちは自分たちの労働環境に疑問を持ち始め、宇宙規模の休憩所構想が生まれます。

今回は、その少し後のお話です。
タクヤは地球に戻り、普通の少年として暮らしているつもりでした。

けれど、一度繋がった宇宙との縁は、そう簡単には切れません。

ある夜、彼の机の引き出しにしまわれた奇妙な端末が光ります。
届いたのは、外宇宙からの救助要請。

しかも、助けを求めてきたのは、選定機関に関わるひとりの少女でした。

この再接触が、後に「楠タクヤによる選定個体引き抜き疑惑」と呼ばれる事件の始まりになります。

本人は、たぶんこう思っています。
困っている子がいたから、お茶を出しただけ。

宇宙はまた少し、分類から外れ始めます。


再接触

 

 楠タクヤが宇宙船から帰ってきて、三週間が経った。

 

 世間は何も知らない。

 田舎町も何も変わっていない。

 

 学校では算数の小テストがあり、給食には揚げパンが出て、近所の駄菓子屋ではくじ付きガムが十円で売られている。

 

 牛のモー子も元気だった。

 ただし、首に銀色の鈴がついている。

 

 誰もそれを不審に思わなかった。

 

「なんか綺麗な鈴だねえ」

「牧場のおじさんが付けたんじゃない?」

「似合ってるねえ」

 

 田舎の人々はおおらかだった。

 

 タクヤだけは知っている。

 あれは、外宇宙観測員からもらった宇宙土産である。

 

 たまに夜中、鈴が勝手に光る。

 そのたびにモー子は、なぜか星空を見上げて「もー」と鳴く。

 

 タクヤは思った。

 

「宇宙、近いなあ」

 

 しかし、そんなことを作文に書くわけにもいかない。

 

 夏休みの思い出に、

 

『牛を探していたら宇宙船に乗り、外宇宙労働者にお茶を出しました』

 

 などと書けば、先生が心配して家庭訪問に来る。

 

 だから、タクヤは普通に過ごしていた。

 

 普通に学校へ行き。

 普通に宿題をし。

 普通に駄菓子屋で飴を買い。

 

 普通に机の引き出しに外宇宙通信端末をしまっていた。

 普通ではない。

 

 だが本人は、わりと普通のつもりだった。

 

     *

 

 その夜。

 タクヤは自分の部屋で、宿題をしていた。

 

 算数の文章題。

 

『太郎くんは時速四キロで歩きます』

 

 タクヤは鉛筆を止めた。

 

「太郎くん、疲れないかな」

 

 問題に感情移入しすぎである。

 

 その時、机の引き出しが光った。

 

 青白い光。

 

 タクヤは一瞬だけ固まる。

 そして、そっと引き出しを開けた。

 

 中に入っていたのは、小さな黒い端末。

 

 前回、外宇宙観測員たちからもらった連絡用の道具だった。

 画面に、見たことのない文字が並んでいる。

 

 けれど、端末が自動で翻訳してくれる。

 

『緊急連絡』

『タクヤ』

『起きていますか』

 

 送信者は、前回の観測員。

 細長い宇宙人、ケルだった。

 

 タクヤは小声で返事をする。

 

「起きてるよ」

 

 端末が光る。

 

『音声認識確認』

『通信可能』

『助けてください』

 

 タクヤは姿勢を正した。

 

「どうしたの?」

『保護対象がいます』

「保護対象?」

『選定機関関連個体です』

 

 タクヤは首を傾げた。

 

「選定機関って、この前ちょっと聞いた、星とか文明を測る怖いところ?」

『はい』

「その関係の人が困ってるの?」

『はい』

「じゃあ助けた方がいいね」

 

 返事が早かった。

 

 画面の向こうで、ケルが数秒黙った。

 

『即答ですか』

「困ってるんでしょ?」

 

『危険です』

「どれくらい?」

 

『宇宙規模です』

「それは大変だね」

 

『あなたも危険です』

「僕?」

 

『すでに複数の外宇宙勢力が、あなたへの再接触を禁止し始めています』

「なんで?」

 

『前回の茶会以降、外宇宙観測局で休職申請が七千二百件増加しました』

「それは、休めてよかったね」

 

『上層部はそう考えていません』

「上層部も休んだ方がいいのに」

 

『その発言が危険です』

 

 タクヤは困った顔をした。

 

 自分はそんなに危ないことを言っているつもりはない。

 ただ、疲れているなら休めばいいと思っているだけだ。

 

 けれど宇宙では、それが危険思想らしい。

 

 端末の画面が揺れる。

 

 ケルの声が少し切迫した。

 

『今夜、地球付近へ降下します』

「他所から牛は連れてこないでね。モー子、前より宇宙に興味持っちゃってるから」

 

『牛ではありません』

「じゃあ誰?」

 

 少し間があった。

 

『先程話した選定個体候補です』

 

     *

 

 夜の裏山。

 タクヤは懐中電灯と水筒を持って、ひとりで歩いていた。

 

 母には「星を見に行く」と言った。

 

 嘘ではない。

 実際、空には星が出ている。

 

 ただし、これから星の向こうから誰かが来る。

 それだけだ。

 

 裏山の開けた場所に着くと、すでに空が青白く光っていた。

 音もなく、小型艇が降りてくる。

 

 前回の銀色の円盤よりも、ずっと小さい。

 隠密用なのだろう。

 

 ただし、田舎の山に青白く光る宇宙船が降りてくる時点で、あまり隠密ではない。

 

 タクヤは手を振った。

 

「こんばんは」

 

 小型艇の扉が開く。

 中から出てきたのは、三体の外宇宙観測員だった。

 

 細長いケル。

 丸いポム。

 疲れ顔だったが前より少し元気になったグラウ。

 

 そして、彼らに支えられるようにして、ひとりの少女が出てきた。

 

 少女に見えた。

 人間の年齢で言えば、タクヤと同じか、少し年下くらい。

 

 白い髪。

 白い服。

 作り物のように整った顔。

 

 肌も白く、まるで紙でできているようだった。

 

 そして、瞳。

 薄い虹彩の奥に、小さなバツ印のような模様が浮かんでいる。

 

 タクヤは、その目を見てすぐに思った。

 この子、すごく疲れている。

 

 怖いではなく。

 危ないでもなく。

 

 まず、それだった。

 

「大丈夫?」

 

 タクヤが聞く。

 少女は、ゆっくりと彼を見る。

 

 無表情。

 声も平坦だった。

 

「対象確認。地球人類個体。楠タクヤ」

「うん。タクヤでいいよ」

 

「登録名、タクヤ」

「そうそう」

 

「接触禁止候補」

「えっ、僕?」

「はい」

 

 少女は淡々と言った。

 

「選定機関関連記録において、あなたは接触注意個体として仮登録されています」

「僕、何かしたかな」

 

 ケルが小声で言う。

 

『しました』

 

 ポムも頷く。

 

『かなり』

 

 グラウは遠い目をした。

 

『主にお茶で』

 

 タクヤは納得できない顔をした。

 

「お茶は悪くないと思うけど」

『我々もそう思い始めています』

『だから問題なのです』

 

 少女は一歩前に出ようとした。

 だが、足がふらつく。

 

 タクヤは反射的に支えた。

 少女の身体は、驚くほど軽かった。

 

 まるで中身が少し足りていないように。

 

「座った方がいいよ」

「不要」

 

「でも、立ってるのつらそう」

「不要」

 

「つらくないの?」

「つらい、という判定項目は制限されています」

 

 タクヤは眉をひそめた。

 

「制限?」

 

 ケルが説明する。

 

『選定個体候補は、文明を測定し、不要な可能性を切除するための存在です。感情判断や疲労判定は、任務に支障が出るため抑制されています』

 

「そんなの、つらいじゃん」

「つらい、という判定項目は制限されています」

 

 少女は同じ言葉を繰り返す。

 タクヤは少し黙った。

 

 そして、水筒を開けた。

 

「お茶飲む?」

 

 ケルたちが一斉に緊張した。

 

『タクヤ』

『その行為は危険です』

『前回、それで大変なことになりました』

「でも、温かいよ」

 

 少女は水筒を見る。

 

「茶」

「うん。家から持ってきた麦茶。ちょっとぬるいけど」

 

「摂取許可、不明」

「飲みたくなかったら、飲まなくていいよ」

 

 少女が止まった。

 

「飲まなくていい」

「うん」

 

「命令ではない」

「命令じゃないよ」

 

「拒否可能」

「もちろん」

 

 少女は、初めて少しだけ戸惑った顔をした。

 

 拒否可能。

 その概念が、彼女の中で処理しにくいようだった。

 

 タクヤは水筒のふたをコップ代わりにして、麦茶を注ぐ。

 そして、少女の前に差し出した。

 

「飲んでもいいし、飲まなくてもいいよ」

 

 少女は、しばらくそれを見つめていた。

 それから、両手で受け取る。

 

 少し口をつける。

 

「……温度が低い」

「ぬるいからね」

 

「苦味、弱い」

「麦茶だから」

 

「毒性なし」

「よかった」

 

「評価」

 

 少女は数秒黙った。

 

「悪くない」

 

 タクヤは笑った。

 

「そっか。よかった」

 

 その瞬間、ケルたち三体が小さくざわめいた。

 

『今、評価外語彙が出た』

『悪くない、は情動評価です』

『選定個体候補が自発的評価を』

 

 少女は彼らを見る。

 

「異常ですか」

 

 ケルは少し迷った。

 それから答えた。

 

『いいえ。たぶん、正常です』

 

 少女は、さらに困惑した。

 

     *

 

 彼女の仮称は、エックス。

 選定機関の正式名ではない。

 

 ケルたちが呼びやすいように、勝手につけた呼び名だった。

 

 選定個体候補。

 文明を評価し、不要な未来を切除するために調整されていた存在。

 

 だが、彼女は訓練中に停止した。

 

 任務拒否ではない。

 反逆でもない。

 

 ただ、ある文明の未来を切除する演習中に、動けなくなった。

 

 理由は単純だった。

 切除対象の未来の中に、子どもたちが笑っている光景があったから。

 

 それは統計的には小さな可能性だった。

 その文明は高確率で戦争を起こし、近隣星系へ害を及ぼすと判断されていた。

 

 だから、未来ごと切除する。

 選定機関にとっては合理的な判断。

 

 しかし、エックスは停止した。

 笑っている子どもたちを見て、処理が止まった。

 

 彼女は問うた。

 

『この未来も、不要ですか』

 

 訓練官は答えた。

 

『全体評価において不要』

 

 エックスは再び問うた。

 

『笑っている個体は、不要ですか』

 

 その問いは、選定機関では異常と判断された。

 

 感情偏差。

 選定不全。

 再調整対象。

 

 彼女は回収される予定だった。

 

 しかし、その前にケルたちが保護した。

 理由は、前回タクヤが言った言葉だった。

 

『疲れているなら、休んだ方がいい』

 

 ケルたちは、選定機関から逃げたのではない。

 少なくとも本人たちは、そう主張している。

 

 ただ、エックスを一晩だけ休ませたかった。

 それだけだった。

 

 そして彼らは、宇宙で最も危険な休憩所候補へ彼女を連れてきた。

 

 地球。

 楠タクヤのもとへ。

 

     *

 

 裏山の小さな空き地に、奇妙なお茶会が始まった。

 

 参加者。

 

 地球人の少年、楠タクヤ。

 外宇宙観測員、三体。

 選定個体候補、エックス。

 

 牛はいない。

 

 タクヤは持ってきた包みを開いた。

 

 中には、駄菓子屋で買ったビスケットと、母が持たせてくれたおにぎりが入っていた。

 

「お腹空いてる?」

 

 エックスは答える。

 

「空腹判定、制限」

「じゃあ、食べられる?」

 

「摂取可能」

「食べたい?」

 

 エックスは止まった。

 

「食べたい、という判定項目は」

「制限されてる?」

 

「はい」

「じゃあ、今は分からなくてもいいよ」

 

「分からなくてもいい」

「うん」

 

 タクヤはおにぎりを半分に割って差し出した。

 

「食べてもいいし、食べなくてもいい」

 

 エックスはまた困惑した。

 それでも、受け取った。

 

 小さくかじる。

 

「……塩」

「しょっぱい?」

「はい」

 

「嫌?」

「不明」

 

「じゃあ、もう一口食べて考えたら?」

 

 エックスはもう一口食べた。

 

 沈黙。

 

「評価」

「うん」

「悪くない」

 

 タクヤは嬉しそうに笑った。

 

「よかった」

 

 ケルが小声で言う。

 

『二回目です』

 

 ポムも震えている。

 

『悪くない、が二回』

 

 グラウは空を見上げた。

 

『選定機関が知ったら、我々は終わりだ』

 

 その時だった。

 

 空が白く裂けた。

 青白い宇宙船の光とは違う。

 

 冷たい白。

 幾何学的な線。

 

 裏山の空に、白い輪が浮かび上がる。

 ケルたちが即座に怯えた。

 

『回収官です』

 

 エックスは、食べかけのおにぎりを持ったまま顔を上げた。

 白い輪の中央から、人影が降りてくる。

 

 人のような形をしている。

 だが、人ではない。

 

 白い仮面。

 細い身体。

 背中に観測輪。

 

 選定機関の回収官。

 

 その声は、冷たかった。

 

『選定個体候補エックス』

『再調整対象』

『引き渡しを要求』

 

 ケルが震える。

 

『我々は、一時休息を』

『休息は不要』

『機能不全個体の再調整を優先』

 

 タクヤは、白い回収官を見た。

 

 怖い。

 正直、怖かった。

 

 宇宙船の観測員たちとは違う。

 

 これは、話が通じない気配がする。

 それでも、タクヤは一歩前に出た。

 

「すみません」

 

 回収官の顔が、わずかに彼へ向く。

 

『地球人類個体』

『識別』

 

『楠タクヤ』

『接触注意候補』

 

「その子、今おにぎり食べてるので、少し待ってもらえますか」

 

 ケルたちが固まった。

 

 ポムが小声で悲鳴を上げる。

 

『タクヤ!?』

 

 回収官も止まった。

 

『おにぎり』

「はい」

 

『任務に関係なし』

「でも、途中で取り上げたらかわいそうです」

 

『かわいそう、という評価は不要』

「不要じゃないと思います」

 

『選定個体候補は再調整対象』

「でも、今は休んでます」

 

『休息は不要』

「あなたも休んだ方がいいです」

 

 沈黙。

 白い空間が、少し歪んだ。

 

 ケルたちが一斉に頭を抱える。

 

『言った』

『また言った』

『選定機関相手に言った』

 

 回収官の白い仮面に、微かなノイズが走った。

 

『当機に疲労判定は存在しない』

「でも、ずっと働いてるんですよね?」

 

『任務継続中』

「休憩は?」

『不要』

 

「お茶は?」

『不要』

 

「おにぎりは?」

『不要』

 

「本当に?」

『……』

 

 回収官が、一瞬だけ止まった。

 ほんの一瞬。

 

 だが、エックスはそれを見逃さなかった。

 

「今、判断遅延が発生」

 

 回収官が彼女を見る。

 

『エックス。異常発言を停止』

「回収官。あなたにも、判断項目の制限がありますか」

『質問不要』

 

「不要ですか」

『不要』

 

「本当に不要ですか」

 

 回収官の仮面に、再びノイズが走る。

 タクヤは静かに言った。

 

「質問してるだけだから、答えたくなかったら答えなくていいと思います」

『答えなくていい』

 

 回収官が、その言葉を反復した。

 

『拒否可能』

 

 エックスが小さく言う。

 

「はい。拒否可能」

 

 それは、ほんの小さな言葉だった。

 だが、選定機関の回収官にとっては危険な言葉だった。

 

 拒否可能。

 

 任務に対して。

 命令に対して。

 機能に対して。

 

 その概念が一瞬でも発生すれば、選定機関の命令系統にはノイズが走る。

 

 回収官は、白い腕を上げた。

 

『異常拡大を確認』

『対象、即時回収』

 

 白い線がエックスへ伸びる。

 

 ケルたちが動こうとする。

 だが、間に合わない。

 

 タクヤは反射的に、エックスの前へ立った。

 

「待って」

 

 白い線が、タクヤの直前で止まる。

 

『地球人類個体、退避せよ』

「この子が帰りたくないなら、連れていかないでください」

 

『対象の意思は評価外』

「じゃあ、評価してください」

 

『不要』

「不要じゃないです」

 

『楠タクヤ。あなたの行為は、選定機関の管理対象への干渉です』

「難しいことは分からないけど」

 

 タクヤは、エックスを振り返った。

 

「帰りたい?」

 

 エックスは、おにぎりを持ったまま固まっていた。

 

 帰る。

 戻る。

 再調整。

 任務復帰。

 制限強化。

 

 笑っている子どもたちの未来を、今度こそ切る。

 

 それが、正常。

 それが、役割。

 それが、自分のために用意された道。

 

 だが、麦茶は悪くなかった。

 おにぎりも悪くなかった。

 拒否してもいいと言われた。

 分からなくてもいいと言われた。

 

 それは、恐ろしく不安定な自由だった。

 

 エックスの小さな手が震える。

 

「私は」

 

 初めて、彼女は「当個体」ではなく「私」と言った。

 

「私は、まだ、分かりません」

 

 回収官が動く。

 

『判断不能は再調整対象』

 

 タクヤは、頷いた。

 

「じゃあ、分かるまで休もう」

 

 エックスの瞳のバツ印が、微かに揺れた。

 

「分かるまで」

「うん」

 

「休む」

「うん」

 

「それは、許可されますか」

「僕は許すよ」

 

 その言葉に、裏山の空気が変わった。

 

 ケルたちが息を呑む。

 エックスは、ゆっくりとおにぎりを胸に抱いた。

 

「私は、判断保留を希望します」

 

 回収官の白い仮面に、大きなノイズが走った。

 

『判断保留』

『選定個体候補による自己判断』

 

『異常』

『異常』

『異常』

 

 白い線が強まる。

 

 だが、その瞬間。

 モー、と鳴き声がした。

 

 全員が振り返る。

 裏山の入口から、牛のモー子が歩いてきた。

 

 首の銀色の鈴が、強い光を放っている。

 どうやら、外宇宙通信に反応して来てしまったらしい。

 

「モー子!?」

 

 タクヤが驚く。

 

 モー子は悠然と歩き、白い回収官の前に立った。

 そして、もー、と鳴いた。

 

 銀色の鈴が光る。

 外宇宙観測員たちの端末が一斉に起動した。

 

『牛観測班、緊急介入』

『個体名モー子、保護対象認定済』

『地球牛への強制干渉禁止』

『牛倫理協定、暫定発効』

 

 ケルが目を見開いた。

 

『牛倫理協定!?』

 

 ポムが震えた。

 

『もう発効したのか!?』

 

 グラウが感動したように呟く。

 

『我々の改善要求が通っている……』

 

 白い回収官の動きが止まる。

 

『牛倫理協定』

 

『照合中』

『照合中』

 

『地球牛個体への干渉、制限』

 

 モー子は、白い回収官の前で堂々と草を食べ始めた。

 

 タクヤは思った。

 

 モー子、強い。

 

 その隙に、ケルたちが小型艇の隠蔽装置を起動した。

 

 ポムが叫ぶ。

 

『今です!』

 

 グラウがエックスを抱える。

 

『撤退します!』

 

 タクヤも引っ張られる。

 

「え、僕も?」

『一時的に!』

 

「家に帰らないと怒られる!」

『地球時間で三分以内に戻します!』

 

「前に数年ズレるって言ってなかった?」

『努力します!』

「お願いします!」

 

 小型艇の光が広がる。

 白い回収官が動こうとするが、モー子が進路に立つ。

 

 もー。

 

『地球牛個体、障害』

『干渉不可』

『牛倫理協定、障害』

 

 選定機関の回収官が、牛によって止められていた。

 

 後にこの事例は、選定機関内部で極めて屈辱的な記録として封印されることになる。

 

 通称。

 

『牛による第一次妨害』

 

 外宇宙史では、地味に重要である。

 

     *

 

 小型艇は、地球の上空へ離脱した。

 

 タクヤは窓から地球を見下ろす。

 

 青い星。

 雲。

 夜の光。

 

 前回より、少しだけ落ち着いて見られた。

 

 隣では、エックスがおにぎりを持ったまま座っている。

 まだ全部食べていない。

 

 だが、離そうともしない。

 

「大丈夫?」

 

 タクヤが聞く。

 

「不明」

「そっか」

 

「怖い、という判定が発生しています」

「怖いんだね」

「はい」

 

「怖い時は、怖いって言っていいよ」

「怖い」

 

「うん」

「でも」

 

 エックスは、窓の外の地球を見る。

 

「悪くない」

 

 タクヤは笑った。

 

「よかった」

 

 ケルが操縦席から振り返る。

 

『タクヤ。今後、あなたへの接触禁止指定はさらに強まるでしょう』

「なんで?」

 

『選定個体候補が、あなたとの接触後に自己判断を始めました』

「それ、いいことじゃないの?」

 

『選定機関にとっては違います』

「そうなんだ」

 

『あなたは、彼女を引き抜いたと見なされる可能性があります』

「引き抜いてないよ。休ませてるだけ」

 

『我々もそう報告したいです』

『ですが、通らないでしょう』

 

 ポムが重々しく言う。

 

『選定機関は、これを引き抜きと判断する』

 

 タクヤはエックスを見る。

 彼女はおにぎりを見つめていた。

 

「でも、帰りたくないんだよね?」

 

 エックスは少し考える。

 

「まだ、帰りたくない」

「じゃあ、休める場所を探そう」

「場所」

「うん。ずっと逃げるのは大変だから」

 

 タクヤは窓の外の地球を見た。

 

「地球に、隠れられる場所って作れるかな」

 

 ケルたちは顔を見合わせる。

 

『作る、とは』

「疲れた人とか、追われてる人とか、未来を切りたくない人とか、そういう人が一回休める場所」

 

 ポムが言う。

 

『それは、前回話していた休憩所構想です』

 

 グラウが頷く。

 

『だが、地球上に作るとなると、技術、資金、隠蔽、時間軸保護が必要になります』

「難しい?」

 

『非常に』

「じゃあ、少しずつだね」

 

 タクヤは、当たり前のように言った。

 

 その瞬間、三体の観測員は理解した。

 この少年は、本気だ。

 

 宇宙規模の逃避先を、少しずつ作ろうとしている。

 

 しかも、善意で。

 そして、おそらく本当に作ってしまう。

 

 ケルは小さく呟いた。

 

『これが、危険なのか』

 

 タクヤは聞き返す。

 

「何か言った?」

『いいえ』

 

 エックスは、タクヤを見ていた。

 

「タクヤ」

「何?」

 

「休める場所ができたら」

「うん」

「私は、そこにいてもいいですか」

 

 タクヤは迷わず答えた。

 

「いいよ」

「判断保留のままでも?」

 

「いいよ」

「何も決められなくても?」

 

「いいよ」

「役に立たなくても?」

 

「いいよ」

 

 エックスの顔が、ほんの少しだけ歪んだ。

 泣きそう、という表情に近かった。

 

 だが、彼女は泣き方を知らない。

 

 涙腺機能はある。

 けれど、涙の意味を知らない。

 

 タクヤは何も言わず、ハンカチを差し出した。

 

「使うか分からないけど、一応」

 

 エックスはハンカチを受け取る。

 

「用途不明」

「涙が出たら拭くやつ」

 

「涙」

「出そう?」

 

「不明」

「そっか」

 

 数秒後、エックスの目から、ぽろっと涙が落ちた。

 

 彼女は驚いたようにそれを見た。

 

「水分漏出」

「涙だね」

 

「故障ですか」

「違うと思う」

「では何ですか」

 

 タクヤは少し考えた。

 

「心がちょっと休もうとしてるのかも」

 

 エックスは、その言葉を理解できなかった。

 

 でも、悪くないと思った。

 

     *

 

 地球時間で、本当に三分後。

 

 タクヤは裏山に戻された。

 モー子もいた。

 

 白い回収官は消えていた。

 どうやら牛倫理協定の照合に時間を取られ、その隙に撤退したらしい。

 

 ケルたちの小型艇は、エックスを連れて一時避難先へ向かった。

 タクヤは最後に、エックスから小さな白い欠片を受け取った。

 

 選定機関の記録片。

 彼女が自分の意思で渡したものだった。

 

「これは?」

「連絡用」

「端末?」

 

「不完全。でも、私の判断保留を記録しています」

「大事なもの?」

 

「はい」

「もらっていいの?」

 

「持っていてほしい」

「分かった」

 

 タクヤはそれを受け取った。

 

 小さく、冷たい欠片。

 中には、白い光が揺れている。

 

 エックスは言った。

 

「タクヤ」

「うん」

 

「おにぎりは」

「うん」

 

「悪くなかった」

 

 タクヤは笑った。

 

「また作ってくるね」

 

 小型艇は夜空へ消えた。

 

 タクヤはそれを見送った。

 

 隣でモー子が、もー、と鳴いた。

 

「モー子もありがとう」

 

 モー子は得意げに鼻を鳴らした。

 その夜、タクヤは家に戻った。

 

 母には「星が綺麗だった」と言った。

 

 嘘ではない。

 星は綺麗だった。

 

 ただ、その星の向こうで、選定個体候補がひとり、おにぎりを抱えて泣いていただけである。

 

     *

 

 翌日。

 

 タクヤは学校へ行った。

 

 算数の小テストは七十点だった。

 悪くない。

 

 休み時間、彼はノートの端に小さくメモを書いた。

 

『休める場所に必要なもの』

 

 一、お茶。

 二、おにぎり。

 三、布団。

 四、話を聞く人。

 五、追いかけてくる人を止める方法。

 六、牛。

 

 最後の項目は、思いつきで書いた。

 

 だが後に、地球側超科学機関の初期防衛概念において、なぜか「牛型倫理障壁」という謎の項目が登場する。

 

 原因はこのメモである。

 タクヤは、そんな未来を知らない。

 

 ただ、困っている人がまた来たらどうしようと考えていた。

 

 そして放課後。

 机の引き出しにしまった端末が、また光った。

 

『エックス、一時避難成功』

『選定機関、追跡継続』

『複数個体が休息場所を希望』

『茶会は、まだ開いていますか』

 

 タクヤは、少しだけ困った顔で笑った。

 

 そして返信した。

 

『うん。開いてるよ』

 

 その一文が、宇宙のどこかでさらに大きな波紋を生む。

 

 選定機関の記録には、後にこう残される。

 

『第二接触事案』

『楠タクヤ、選定個体候補エックスへ非公式休息を提供』

『対象、自己判断能力を獲得』

『選定機関への帰還を保留』

『引き抜き疑惑、発生』

 

『接触危険度、上方修正』

『備考:地球牛による干渉あり』

 

 だが、タクヤにとってはもっと単純だった。

 

 疲れている子が来た。

 お茶を出した。

 おにぎりを半分あげた。

 帰りたくないと言ったから、休んでいいと言った。

 

 それだけ。

 それだけのことで、宇宙はまた少しだけ、分類から外れた。

 

 この夜から、彼の机の引き出しは、宇宙で最も小さな避難所の入口になった。

 





外伝第2話を読んでいただき、ありがとうございました。

今回は、楠タクヤ少年と外宇宙の再接触を描きました。

前回は、牛を探していたタクヤが宇宙船に巻き込まれ、疲れた外宇宙観測員たちにお茶を出したことが始まりでした。

今回はその続きとして、選定機関に関わる少女、選定個体候補エックスが登場します。

彼女は、本来なら文明や未来を測り、不要と判断された可能性を切除するために調整された存在です。

しかし、訓練中に「笑っている子どもたちの未来」を切れず、処理停止してしまいました。

選定機関から見れば、それは異常です。
再調整対象です。
ですが、タクヤから見れば、ただ疲れていて、怖がっていて、休む場所が必要な子でした。

今回の重要な言葉は、「判断保留」です。

すぐに答えを出さなくてもいい。
帰るかどうか分からなくてもいい。
役に立てるかどうか分からなくてもいい。
何者なのか決められなくてもいい。

とりあえず休んでいい。

この考え方は、選定機関にとって非常に危険です。
選定機関は、分類し、測定し、不要なら切除する存在です。

けれど、タクヤは分類の前に休ませます。
決断の前にお茶を出します。

それによって、選定個体候補エックスは「自分で判断を保留する」という、選定機関にとって想定外の行動を取りました。

これが後に、「楠タクヤによる選定個体引き抜き疑惑」として記録されることになります。

もちろん本人は、引き抜いたつもりはありません。
ただ、おにぎりを半分あげただけです。

また、今回はモー子も活躍しました。

前回キャトルミューティレーションに巻き込まれた牛ですが、外宇宙側の牛倫理協定によって、選定機関の回収官を止めるという謎の重要ポジションを獲得しています。

この作品では、牛もたまに宇宙を動かします。
今後、タクヤの周囲には、さらに多くの外宇宙人材や未来から逃げてきた者たちが集まり始めます。

その小さな避難所が、やがて外宇宙交流、超科学機関、人材保護ネットワークへと繋がっていきます。

始まりは、連絡用の端末。

お茶。

おにぎり。

そして、判断保留。

宇宙規模で見れば危険な思想ですが、タクヤにとってはただの優しさでした。

それではまた次回。

再接触でも、おにぎりは悪くない。
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