アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜 作:池ポチャ
外伝第5話です。
今回は、楠タクヤの家族側の話です。
これまでタクヤは、夜中に裏山へ向かい、宇宙交流茶会を開き、外宇宙人や選定個体候補エックス、星間企業から逃げた技術者たちと関わってきました。
本人としては、困っている人にお茶を出しているだけです。
しかし、家族から見れば、最近のタクヤは少し変です。
夜中にこっそり家を出る。
朝に眠そうにしている。
自由研究のノートに「守衛は牛」と書く。
机の引き出しがたまに光る。
普通に心配されます。
そこで登場するのが、タクヤの姉、楠エリ。
未来の姫咲リオナの母です。
この時点では中学生。
弟のことをとても可愛がっている、しっかり者のお姉ちゃんです。
最近、弟が夜中に家を出ていることに気づき、危ないことに巻き込まれているのではないかと心配して、後をつけることにします。
そして彼女は見てしまいます。
裏山の茶会。
外宇宙人。
選定個体候補エックス。
守衛モー子。
そして、弟が宇宙の疲れた者たちから「暫定会頭」と呼ばれている光景を。
今回は、楠家にとっても大きな分岐点になる話です。
楠エリ、弟を追って裏山へ行く
楠エリは、最近の弟がおかしいと思っていた。
弟。
楠タクヤ。
小学生。
少しぼんやりしているが、優しい子。
牛のモー子が好きで、駄菓子屋のくじ付きガムをよく買い、夏休みの宿題を毎年ギリギリまで残す、どこにでもいる普通の弟。
そのはずだった。
だが、最近おかしい。
まず、夜中に部屋の明かりがついている。
夏休みだから夜更かししたいのは分かる。
エリも中学生なので、多少は理解がある。
しかし、タクヤの場合は違った。
夜中に、こそこそ家を出ている。
しかも一度ではない。
何度も。
翌朝、妙に眠そうな顔で朝ごはんを食べている。
母に「夜更かししたの?」と聞かれると、「ちょっとお茶会があって」と答える。
お茶会。
夜中に。
裏山で。
小学生が。
怪しすぎる。
さらに、自由研究のノートもおかしい。
エリは、ある日の昼、弟の机の上に開きっぱなしのノートを見つけた。
見てはいけないと思った。
でも、姉として心配だった。
少しだけ覗いた。
『いろいろな休み方について』
題名は普通だった。
しかし、中身が普通ではなかった。
『疲れたら座る』
『温かいものを飲む』
『すぐに答えを出さなくてもいい』
『誰かを無理やり連れて行かない』
『子どもが笑っている場所は大事にする』
『守衛がいると安心する』
『できれば牛』
エリは、しばらくノートを見つめた。
「……できれば牛?」
意味が分からない。
いや、タクヤらしいと言えばタクヤらしい。
モー子が好きなのは知っている。
けれど、自由研究の最後に牛を守衛として推す小学生は、かなり珍しい。
さらに、机の引き出しからたまに青白い光が漏れている。
これが一番まずい。
エリは最初、懐中電灯か何かだと思った。
しかし違う。
引き出しの中から、明らかに機械音がしている。
そして、タクヤが小声で話しているのを聞いた。
「うん、土曜日なら大丈夫」
「おにぎりは多めに持っていくね」
「モー子にも聞いてみる」
誰と話しているのか。
友達か。
でも、友達なら電話でいい。
それに、なぜ牛に予定を聞く。
エリは決めた。
今夜、弟を尾行する。
姉として。
家族として。
そして、何より。
大事な弟が、何か危ないことに巻き込まれているなら、止めなければならない。
*
その夜。
楠家は静かだった。
父も母も寝ている。
タクヤの部屋の明かりは消えている。
しかし、エリは眠っていなかった。
自室の布団の中で、制服ではなく動きやすい服を着て待機していた。
時計は午後十一時過ぎ。
普通の中学生なら寝ている時間だ。
だが、姉は強い。
特に、弟が心配な姉は強い。
廊下で、きしり、と小さな音がした。
エリは起き上がる。
そっと部屋のドアを開けると、廊下の先にタクヤの姿があった。
リュックを背負っている。
手には水筒。
もう片方の手には、何か包み。
たぶんおにぎり。
タクヤは、そろそろと玄関へ向かっていた。
エリは小声で呟く。
「やっぱり……」
タクヤは玄関で靴を履き、静かに外へ出た。
エリも急いでスニーカーを履く。
母に気づかれないよう、扉をそっと開けた。
夜の空気は、少し冷たかった。
夏の夜。
虫の声。
遠くで犬が鳴く。
田舎町は、暗い。
街灯も少ない。
タクヤは懐中電灯を持って、慣れた様子で歩いていく。
エリはその後ろを、少し距離を取ってつけた。
「タクヤ……何してるの」
弟は、牧場の方へ向かっている。
やがて、モー子のいる柵の前で止まった。
エリは物陰に隠れる。
タクヤは柵の向こうへ声をかけた。
「モー子、こんばんは」
「もー」
モー子が普通に返事した。
いや、牛だから返事ではない。
鳴いただけ。
ただ、妙に会話が成立しているように見える。
「今日は裏山だけだから、宇宙までは行かないよ」
エリは固まった。
宇宙。
今、宇宙と言った。
「でも、もし何かあったら来てくれる?」
「もー」
「ありがとう」
エリは、さらに固まった。
弟が牛に護衛依頼をしている。
そして牛が了承しているように見える。
「……何これ」
タクヤは再び歩き出した。
行き先は裏山。
エリは、怖くなってきた。
夜中の裏山。
普通に危ない。
不審者かもしれない。
変な大人がいるのかもしれない。
弟が脅されているのかもしれない。
エリは胸の奥に不安を抱えたまま、タクヤを追った。
*
裏山の開けた場所に近づくと、エリは異変に気づいた。
空気が違う。
虫の声が遠い。
星が、妙に明るい。
そして、草地の奥に薄い光が見えた。
青白い光。
エリは木の陰に隠れ、そっと覗き込んだ。
そこには、ありえない光景があった。
草地の中央に、透明な膜のようなものが張られている。
その内側だけ、空間が少し広がって見えた。
切り株や岩を使った席。
光るシート。
謎の湯沸かし装置。
そして、そこに集まる人々。
いや、人々ではない。
細長い宇宙人。
丸い宇宙人。
金属の身体を持つ小さな機械生命体。
水槽に入ったクラゲのような存在。
炎のように揺れる生き物。
三つ目の事務官らしき存在。
そして、白い髪の少女。
エリは息を止めた。
叫びそうになった。
だが、声が出なかった。
タクヤは、その中心へ普通に歩いていく。
「こんばんは」
細長い宇宙人が頭を下げる。
『こんばんは、タクヤ』
丸い宇宙人が嬉しそうに手を振る。
『お待ちしていました』
金属生命体が電子音を鳴らす。
『おにぎり補給確認』
三つ目の事務官が書類を整える。
『本日の議題は、夏の星休み処の追加補修、漂流文明未成年個体の滞在規定、星間企業への異議申し立て進捗です』
エリは、木の陰で口を押さえた。
何を言っているのか分からない。
だが、ひとつだけ分かる。
弟が、明らかに変な集会の中心にいる。
そして。
「暫定会頭、こちらへ」
誰かがそう言った。
暫定会頭。
エリの頭が真っ白になった。
タクヤが。
自分の弟が。
宇宙人らしき存在たちから、暫定会頭と呼ばれている。
「……は?」
思わず声が漏れた。
小さな声だった。
しかし、白い髪の少女がぴくりと反応した。
エックス。
選定個体候補だった少女。
彼女の瞳のバツ印が淡く光る。
「未登録地球人類個体、接近」
ケルたちが一斉に振り返る。
タクヤも振り返った。
「え?」
エリは逃げようとした。
だが、その時。
背後で、もー、という声がした。
振り返る。
モー子がいた。
いつの間にか。
首の銀色の鈴を光らせて、堂々と立っている。
エリは固まった。
「モ、モー子……?」
「もー」
逃げ道を牛に塞がれた。
人生で、なかなかない経験である。
タクヤが慌てて駆け寄ってきた。
「姉ちゃん!?」
エリは弟を見る。
「タクヤ」
「なんでここに」
「それはこっちの台詞!」
エリは小声で怒鳴った。
「夜中に家を出て、何してるの!? 宇宙人!? 牛!? 暫定会頭って何!?」
「えっと」
「えっとじゃない!」
エリの声に、茶会の参加者たちがざわめく。
ポムが小声で言う。
『会頭の姉君ですか』
グラウが背筋を伸ばす。
『地球家庭規則の上位存在』
ケルが青ざめる。
『保護者に近い権限を持つ可能性があります』
三つ目の事務官が書類を取り出す。
『姉権限について確認が必要です』
エリは混乱していた。
「姉権限って何!?」
タクヤは困り果てた顔で言った。
「姉ちゃん、とりあえず座る?」
「この状況で座れるわけないでしょ!」
その時、エックスが前へ出た。
白い髪。
白い服。
薄い瞳の奥のバツ印。
エリは、その少女を見て息を呑んだ。
怖い。
きれいで、怖い。
けれど、同時にどこか寂しそうだった。
エックスは、静かに頭を下げた。
「楠エリ」
「私の名前……」
「タクヤの姉」
「そうだけど」
「私はエックス。選定個体候補でした」
「でした?」
「現在は判断保留中です」
「……何?」
エリは、もう何が何だか分からない。
エックスは続けた。
「タクヤは、私に麦茶とおにぎりをくれました。帰るか逃げるか分からない私に、分かるまで休もうと言いました」
エリは、思わずタクヤを見た。
タクヤは気まずそうにしている。
「その結果、私はここにいます」
「ちょっと待って」
エリは頭を抱えた。
「タクヤ、あんた、何をしたの?」
「お茶を出した」
「それだけじゃないでしょ!」
「おにぎりも出した」
「そういう意味じゃない!」
ケルが申し訳なさそうに頭を下げる。
『楠エリ殿。説明します。我々は外宇宙観測局の元末端職員です』
「外宇宙」
『はい。最初にタクヤと接触したのは、牛のキャトルミューティレーション案件でした』
「キャトル……モー子!?」
「もー」
モー子は平然としている。
ポムが補足する。
『その際、我々はタクヤにお茶を提供されました』
グラウが言う。
『そして、休んでもいいと言われました』
ギギが電子音を鳴らす。
『その後、複数の外宇宙労働倫理問題、選定機関関連個体保護、星間企業契約問題が発生』
三つ目の事務官が書類を広げる。
『結果として、宇宙交流茶会が発足しました』
エリは、タクヤを見た。
「宇宙交流茶会」
「うん」
「暫定会頭」
「うん」
「守衛モー子」
「うん」
エリは深く息を吸った。
そして、タクヤの両肩を掴んだ。
「なんで言わないの!」
「言ったら怒られると思って」
「怒るに決まってるでしょ! でも言わない方がもっと怒る!」
「ごめん」
タクヤは素直に謝った。
その顔を見て、エリはさらに怒りにくくなった。
ずるい。
昔からそうだ。
弟は、自分が大変なことをしている自覚が薄い。
困っている人がいたら手を伸ばす。
牛が迷子なら探す。
転んだ子がいれば手を貸す。
宇宙人が疲れていればお茶を出す。
たぶん、本人の中では全部同じなのだ。
だからこそ、危なっかしい。
*
エリは、結局座らされた。
タクヤが持ってきた座布団に。
目の前には麦茶。
横にはモー子。
周りには宇宙人。
状況はおかしい。
だが、麦茶は普通においしかった。
「……おいしい」
ポムが少し嬉しそうにする。
『地球麦茶は、茶会の基礎飲料です』
「基礎飲料……」
エリは疲れた顔で湯呑みを見る。
「私、夢見てる?」
タクヤが答える。
「たぶん見てない」
「たぶんって言うな」
エックスは、エリの向かいに座っていた。
エリは彼女を見る。
「あなた、タクヤと同じくらいの年?」
「外見年齢は近いです」
「外見年齢……」
「実年齢、製造年、調整期間、選定機関内時系列を含むと複雑です」
「そっか。聞かない方がいいやつね」
「判断保留を推奨します」
「便利な言葉ね、それ」
エックスは少し考えた。
「はい。便利です」
エリは、思わず少しだけ笑った。
怖い子だと思った。
でも、話してみると妙に不器用だ。
タクヤが放っておけなかった理由が、少し分かってしまった。
ケルが説明を続ける。
『我々は、タクヤを危険に巻き込むつもりはありません』
エリは即座に言った。
「もう巻き込んでる」
『はい』
ケルは深く頭を下げた。
『申し訳ありません』
ポムも頭を下げる。
『本当に』
グラウも言う。
『我々は、タクヤに依存しすぎています』
その正直さに、エリは少し黙った。
もっと怪しい集団なら、誤魔化すかと思った。
だが、彼らはちゃんと申し訳なさそうにしている。
それがかえって、話を複雑にした。
「タクヤ」
「はい」
「危ないことはしてない?」
タクヤは答えに詰まった。
「……たぶん」
「たぶん禁止」
「ちょっと危ないことはあった」
「何」
「選定機関の回収官とか、星間企業の回収部隊とか」
エリの顔から血の気が引いた。
「回収?」
エックスが静かに言う。
「私が回収されそうになりました」
ギギが続く。
『私も契約回収対象でした』
ポムが震える。
『漂流文明の子どもたちも提出物扱いされました』
エリは、言葉を失った。
危ない。
想像以上に危ない。
弟は、そんなものに関わっていた。
だが、同時に。
もしタクヤが関わっていなかったら、この人たちはどうなっていたのだろう。
エックスは再調整されていたかもしれない。
ギギは百九十八年の契約に戻されていたかもしれない。
子どもたちは提出物扱いされていたかもしれない。
それを考えると、ただやめろとは言えなかった。
でも。
「だからって、タクヤが一人で何とかしようとするのは違う」
エリは、はっきり言った。
茶会の参加者たちが静かになる。
エリはタクヤを見る。
「困っている人を助けたいのは分かる。タクヤがそういう子なのも知ってる。でも、あんたが危ない目に遭っていい理由にはならない」
「姉ちゃん……」
「それに、家族に黙って夜中に出るのはダメ」
「うん」
「お母さんたちに全部言えとは言わない。言えないこともあるんでしょ」
「うん」
「でも、私には言って」
タクヤが目を丸くする。
「姉ちゃんに?」
「そう」
「危ないよ」
「危ないから言いなさいって言ってるの」
エリは、少し怒った顔で続けた。
「私はタクヤのお姉ちゃんなんだから」
その言葉に、タクヤは黙った。
エックスが、静かに問う。
「姉とは、保護者ですか」
エリは少し考えた。
「保護者じゃないけど、近いかな」
「上位命令権限?」
「そこまで偉くない」
「では何ですか」
エリはタクヤを見た。
小さい頃から、よく後ろをついてきた弟。
転んで泣いた時も、モー子に近づきすぎて母に怒られた時も、宿題が終わらなくて半泣きになった時も、放っておけなかった。
「心配する役」
エリは答えた。
エックスは、その言葉を反復する。
「心配する役」
「そう」
「タクヤを?」
「うん」
「悪くない役です」
エリは、少しだけ笑った。
「ありがとう」
*
その時だった。
茶会空間の外側に、白い線が走った。
エリはすぐに気づいた。
空気が冷たくなる。
タクヤの表情も変わる。
ケルたちが緊張する。
エックスが立ち上がる。
「選定機関の観測線」
エリの背筋が冷えた。
「選定機関……」
空に、白い文字が浮かぶ。
『未登録地球人類個体』
『楠エリ』
『楠タクヤ血縁個体』
『茶会接触を確認』
『楠タクヤ周辺影響拡大』
『記録』
『分類』
『必要なら接触制限』
エリは、白い文字を見上げた。
意味は分かる。
完全には分からないが、よくないことだけは分かる。
自分まで、何かに分類されようとしている。
タクヤが前に出ようとした。
だが、エリはその腕を掴んだ。
「姉ちゃん?」
「下がって」
「でも」
「下がって」
エリは、タクヤの前に立った。
自分でも驚くほど、自然に身体が動いた。
怖い。
とても怖い。
宇宙人より、この白い線の方がずっと怖い。
人を人として見ていない。
名前ではなく、分類で見ている。
弟を、危険度や影響や接触制限として見ている。
それが、無性に腹立たしかった。
「うちの弟を、勝手に分類しないでください」
茶会が静まり返った。
タクヤが目を丸くする。
ケルたちも固まる。
エックスの瞳が揺れた。
白い文字が止まる。
『楠エリ』
『干渉権限なし』
「権限とか知らないです」
『対象、楠タクヤは危険接触個体』
「私の弟です」
『血縁情報確認済』
「なら分かるでしょ」
エリは、震える声で、それでも言った。
「弟が危ないことをしてるなら、まず姉が心配するんです」
白い線が揺れる。
『心配』
『非効率情動』
「非効率でもいいです」
『楠タクヤの行動は外宇宙秩序へ影響』
「それでも、家では宿題をサボる小学生です」
タクヤが小さく言う。
「姉ちゃん、そこは言わなくても」
「黙って」
「はい」
エリは白い線を睨んだ。
「この子が何をしてるのか、まだ私は全部分かってません。でも、勝手に連れて行ったり、勝手に分類したり、勝手に危険って決めつけたりするなら、私は怒ります」
『怒り』
『家族防衛反応』
『記録』
エックスが、はっとしたように呟く。
「家族防衛反応……」
白い線が、さらに伸びる。
『楠エリ』
『茶会影響個体として登録』
『接触制限候補』
その瞬間、モー子が鳴いた。
「もー」
銀色の鈴が光る。
茶会入口に牛の紋章が浮かび上がる。
『牛倫理協定、家族心配権保護条項、暫定発動』
『守衛モー子、勤務中』
『弟を心配する姉への過剰観測、倫理審査対象』
『未成年地球人類個体への接触制限検討、家庭規則干渉の恐れ』
エリは思わず振り返った。
「モー子、何それ!?」
「もー」
モー子は堂々としている。
ケルが感動したように言う。
『家族心配権……新条項です』
ポムが涙ぐむ。
『温かい条項です』
グラウが深く頷く。
『家庭規則との整合性が重要です』
選定機関の白い線が乱れた。
『牛』
『家族』
『心配権』
『倫理審査』
『再計算』
エックスが前に出る。
「選定機関。ここは茶会です。楠エリは招かれざる観測対象ではありません。タクヤを心配して来た家族です」
『エックス』
『帰還拒否個体』
「はい」
『異常拡大』
「いいえ」
エックスは、エリを見た。
そして、静かに言った。
「これは、タクヤを守る地球側の関係性です」
その言葉に、エリは少し驚いた。
守る。
自分がタクヤを守る。
そんな大げさなつもりはなかった。
ただ心配だっただけ。
でも、もしかすると、それも守ることなのかもしれない。
白い線はしばらく揺れた後、薄れていった。
『楠エリ、記録』
『楠タクヤ周辺家族因子、確認』
『直接介入、非推奨』
『守衛牛個体、再注意』
『撤退』
白い光が消える。
茶会場に、夜の虫の声が戻った。
エリは、その場にへたり込みそうになった。
タクヤが慌てて支える。
「姉ちゃん!」
「……怖かった」
「うん」
「何あれ」
「選定機関」
「ほんとに怖いじゃん!」
「うん」
「うんじゃない!」
エリは弟の頭を軽く叩いた。
痛くはない。
でも、怒りと心配はこもっていた。
「こんなの相手に、あんた一人で何してたの!」
「一人じゃないよ。みんなもいるし、モー子も」
「そういう問題じゃない!」
タクヤは、しゅんとした。
エリは大きく息を吐いた。
「……でも」
「でも?」
「さっきの白いの、あんたたちだけじゃ怖すぎる」
エリは顔を上げた。
「私にも、できることある?」
タクヤが驚く。
「姉ちゃん?」
「宇宙のことは分からない。法律も、選定機関も、星間企業も分からない。モー子の条項も分からない」
「僕もあんまり分かってない」
「そこは分かってなさいよ!」
エリは呆れながら、それでも続けた。
「でも、タクヤが無茶してないか見ることはできる。夜中に出るなら、せめて私に言わせることはできる。おにぎりを多めに作るくらいならできる」
ポムが感動して震えた。
『おにぎり支援』
グラウが真剣に記録する。
『家庭側補給協力者』
ケルが頭を下げる。
『大変ありがたいです』
エリは慌てた。
「いや、まだ正式に協力するとは」
三つ目の事務官が書類を出す。
『楠エリ殿を、茶会家庭側見守り協力者として仮登録してもよろしいでしょうか』
「登録って何!?」
タクヤが言う。
「嫌なら断っていいよ」
エリは弟を見る。
そして、茶会場を見回した。
疲れた外宇宙人たち。
不器用な白い少女。
金属の技術者。
水槽のクラゲ。
守衛の牛。
みんな、どこか頼りない。
そして、弟はその中心で、お茶を配っている。
放っておけない。
どう考えても放っておけない。
エリは、深くため息をついた。
「仮なら」
三つ目の事務官が即座に記録する。
『楠エリ、茶会家庭側見守り協力者、仮登録』
「早い!」
エックスが静かに言う。
「悪くありません」
エリは、まだ慣れない顔で答えた。
「……ありがとう」
*
その後、茶会は少し形を変えた。
まず、タクヤが夜中に出る時は、必ずエリに伝えること。
危険度が高い時は、エリが止める権限を持つこと。
学校の宿題が終わっていない場合、茶会参加時間を短縮すること。
帰宅時間を守ること。
モー子を勝手に宇宙へ連れて行かないこと。
おにぎりの数は、事前に相談すること。
エリは、それらを厳しく決めた。
ケルたちは真剣に記録した。
ポムは感動した。
グラウは「家庭規則は重要」と何度も頷いた。
ギギは、エリ用の連絡端末を作ると言い出した。
エリは即座に断った。
「まず普通のメモ帳でいいです」
『アナログ記録媒体』
「メモ帳」
『強いです』
「強いかな……」
エックスは、エリの隣に座っていた。
エリは彼女に麦茶を注いだ。
「飲む?」
「はい」
エックスは受け取る。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
少し沈黙。
エリは、ふと聞いた。
「エックスは、家族いるの?」
聞いてから、少しまずかったかと思った。
だがエックスは怒らなかった。
「不明です」
「不明……」
「選定機関では、家族という分類はありませんでした」
エリは言葉に詰まった。
エックスは続ける。
「でも、今日、少し理解しました」
「何を?」
「タクヤが危険な時に、前に出る人」
エリは、少し恥ずかしくなった。
「それは、まあ、姉だから」
「姉」
エックスは、その言葉を大事そうに反復した。
「悪くない分類です」
エリは笑った。
「分類じゃなくて、関係かな」
「関係」
「うん。家族って、たぶんそういうもの」
エックスは、麦茶を見つめた。
「関係」
その言葉は、彼女の中にゆっくり沈んでいった。
*
帰り道。
タクヤとエリは、モー子と一緒に牧場まで歩いていた。
空には星が出ている。
いつもと同じ田舎の夜。
だが、エリにはもう、以前と同じ夜には見えなかった。
星の向こうに、疲れた誰かがいる。
選定機関という怖いものがいる。
星間企業という面倒な相手もいる。
そして、弟はそんな場所にお茶を出していた。
エリは、隣を歩くタクヤを見た。
「タクヤ」
「何?」
「無茶しないで」
「うん」
「一人で抱えないで」
「うん」
「あと、宿題はちゃんとやって」
「うん……」
「今ちょっと声小さかった」
「やるよ」
エリは、少し笑った。
「それならよし」
タクヤは、少し迷ってから言った。
「姉ちゃん」
「何?」
「黙っててごめん」
エリは、弟の頭に手を置いた。
「ほんとだよ」
「うん」
「でも、話してくれたから許す」
「見つかったからだけど」
「そこは黙ってなさい」
「はい」
モー子が、もー、と鳴いた。
銀色の鈴が、ちりんと鳴る。
エリはモー子を見る。
「モー子も、タクヤを見ててね」
「もー」
「あと、勝手に宇宙行かないでね」
「もー」
「分かってないでしょ」
「もー」
タクヤは笑った。
エリも、少しだけ笑った。
*
翌朝。
楠家の朝食は、いつも通りだった。
父は新聞を読み、母は味噌汁をよそい、タクヤは少し眠そうにご飯を食べている。
エリは、いつもより少しだけ弟を見張っていた。
母が言う。
「タクヤ、昨日夜更かししてなかった?」
タクヤが固まる。
エリは、横から自然に言った。
「自由研究のことで相談してたの」
「あら、そうなの?」
「うん。私も少し手伝うことにした」
タクヤがエリを見る。
エリは何も言わず、ご飯を食べた。
母は嬉しそうに笑う。
「エリは面倒見がいいわね」
「まあ、姉だから」
タクヤは小さく言った。
「ありがとう、姉ちゃん」
エリは、少しだけ照れた。
「宿題、ちゃんとやりなさいよ」
「うん」
その後、タクヤは自由研究ノートを開いた。
『いろいろな休み方について』
昨日までの内容に、新しい一文を加える。
『心配してくれる人には、ちゃんと話す』
少し考えて、もう一文。
『姉は強い』
エリが横から覗いて、赤面した。
「それ書かなくていい!」
「大事だと思う」
「消しなさい!」
「じゃあ、ちょっとだけ」
タクヤは消しゴムで少し消して、書き直した。
『家族に心配をかけすぎない』
エリは、それならまあいいかと思った。
*
その頃、選定機関の記録領域では、新しい項目が追加されていた。
『楠タクヤ周辺因子』
『血縁個体:楠エリ』
『役割:姉』
『行動傾向:心配、叱責、前進、防衛』
『茶会接触確認』
『宇宙交流茶会への家庭規則導入を確認』
『楠タクヤの行動制限要因となる可能性』
『同時に、楠タクヤ保護因子となる可能性』
『分類困難』
『備考:守衛牛個体により家族心配権保護条項発動』
記録官のひとつが問う。
『姉とは何か』
答えは出なかった。
外宇宙観測局も、星間企業も、未来管理局も、まだよく分かっていなかった。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。
楠タクヤ少年の周囲には、またひとつ、選定機関が扱いにくい関係性が増えた。
家族。
姉。
心配する役。
それは、宇宙規模の分類から見れば小さなものだった。
だが、タクヤにとってはとても大きい。
そして、いつか未来で。
その姉は母になり。
その娘、姫咲リオナもまた、大切な誰かを守るために前へ出ることになる。
その繋がりを、この時の誰も知らない。
ただ、楠エリだけは思っていた。
弟がどれだけ大きなことに巻き込まれていても。
宇宙人に暫定会頭と呼ばれていても。
牛が守衛でも。
選定機関が怖くても。
自分は、弟を心配する。
それが姉だから。
楠タクヤ少年の宇宙旅行記。
第五話。
お姉ちゃん、弟の夜遊びを心配する。
この夜から、宇宙交流茶会には新しい規則が加わった。
『家族に心配をかけすぎないこと』
宇宙規模の避難所にしては、ずいぶん家庭的な規則だった。
けれど、茶会にはとてもよく似合っていた。
外伝第5話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、楠タクヤの姉である楠エリの初登場回でした。
エリは、未来の姫咲リオナの母です。
この時点では中学生で、弟のタクヤをとても可愛がっている、しっかり者のお姉ちゃんです。
最近、タクヤが夜中に家を出ていることに気づき、心配して後をつけた結果、裏山の宇宙交流茶会を目撃してしまいました。
普通の姉からすれば、弟が夜中に宇宙人とお茶会をしていて、しかも暫定会頭と呼ばれている状況は、かなり衝撃です。
今回は、タクヤの「優しさ」の危なさを、家族側から見た話でもあります。
タクヤ本人は、困っている人にお茶を出しているだけです。
けれど、その結果として、選定機関や星間企業の問題に関わり、外宇宙人材保護ネットワークの中心になりつつあります。
本人が悪気なく危険な場所へ進んでいくからこそ、家族として心配する存在が必要になります。
そこで出てきたのが、楠エリです。
エリは、宇宙法も選定機関も星間企業も分かりません。
でも、弟が危ないことに巻き込まれているなら怒ります。
弟が黙って夜中に出ていれば叱ります。
白い選定機関がタクヤを分類しようとした時には、弟の前に立ちます。
それは宇宙規模の能力ではありません。
けれど、タクヤを地球側に繋ぎ止めるとても大切な関係性です。
今回、新しく「家族心配権保護条項」が発動しました。
もちろん守衛モー子経由です。
牛倫理協定はまた変な方向へ広がりましたが、茶会らしい条項でもあります。
また、エックスにとっても今回のエリとの出会いは重要です。
彼女は選定機関にいた頃、「家族」という関係を持っていませんでした。
だから、エリの「心配する役」という言葉を通じて、家族というものを少しだけ理解し始めています。
そして未来では、エリは姫咲リオナの母になります。
タクヤを心配して前に出たエリ。
その娘であるリオナもまた、安藤萌亜を守るために前に出る少女になります。
まだこの時点では誰も知りませんが、ここで生まれた「心配して、それでも前に出る」という家族の形は、未来のリオナにも繋がっていきます。
今回から、宇宙交流茶会には新しい規則が加わりました。
家族に心配をかけすぎないこと。
宇宙規模の茶会にしては、ずいぶん家庭的な規則です。
でも、タクヤの茶会にはこれくらいがちょうどいいのかもしれません。
それではまた次回。
お姉ちゃんに見つかっても、お茶会は悪くない。