アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜   作:池ポチャ

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外伝第5話です。

今回は、楠タクヤの家族側の話です。

これまでタクヤは、夜中に裏山へ向かい、宇宙交流茶会を開き、外宇宙人や選定個体候補エックス、星間企業から逃げた技術者たちと関わってきました。

本人としては、困っている人にお茶を出しているだけです。

しかし、家族から見れば、最近のタクヤは少し変です。

夜中にこっそり家を出る。

朝に眠そうにしている。

自由研究のノートに「守衛は牛」と書く。

机の引き出しがたまに光る。

普通に心配されます。

そこで登場するのが、タクヤの姉、楠エリ。

未来の姫咲リオナの母です。

この時点では中学生。

弟のことをとても可愛がっている、しっかり者のお姉ちゃんです。

最近、弟が夜中に家を出ていることに気づき、危ないことに巻き込まれているのではないかと心配して、後をつけることにします。

そして彼女は見てしまいます。

裏山の茶会。

外宇宙人。

選定個体候補エックス。

守衛モー子。

そして、弟が宇宙の疲れた者たちから「暫定会頭」と呼ばれている光景を。

今回は、楠家にとっても大きな分岐点になる話です。



お姉ちゃん、弟の夜遊びを心配する

楠エリ、弟を追って裏山へ行く

 

 

 楠エリは、最近の弟がおかしいと思っていた。

 

 弟。

 

 楠タクヤ。

 

 小学生。

 

 少しぼんやりしているが、優しい子。

 

 牛のモー子が好きで、駄菓子屋のくじ付きガムをよく買い、夏休みの宿題を毎年ギリギリまで残す、どこにでもいる普通の弟。

 

 そのはずだった。

 

 だが、最近おかしい。

 

 まず、夜中に部屋の明かりがついている。

 

 夏休みだから夜更かししたいのは分かる。

 

 エリも中学生なので、多少は理解がある。

 

 しかし、タクヤの場合は違った。

 

 夜中に、こそこそ家を出ている。

 

 しかも一度ではない。

 

 何度も。

 

 翌朝、妙に眠そうな顔で朝ごはんを食べている。

 

 母に「夜更かししたの?」と聞かれると、「ちょっとお茶会があって」と答える。

 

 お茶会。

 

 夜中に。

 

 裏山で。

 

 小学生が。

 

 怪しすぎる。

 

 さらに、自由研究のノートもおかしい。

 

 エリは、ある日の昼、弟の机の上に開きっぱなしのノートを見つけた。

 

 見てはいけないと思った。

 

 でも、姉として心配だった。

 

 少しだけ覗いた。

 

『いろいろな休み方について』

 

 題名は普通だった。

 

 しかし、中身が普通ではなかった。

 

『疲れたら座る』

 

『温かいものを飲む』

 

『すぐに答えを出さなくてもいい』

 

『誰かを無理やり連れて行かない』

 

『子どもが笑っている場所は大事にする』

 

『守衛がいると安心する』

 

『できれば牛』

 

 エリは、しばらくノートを見つめた。

 

「……できれば牛?」

 

 意味が分からない。

 

 いや、タクヤらしいと言えばタクヤらしい。

 

 モー子が好きなのは知っている。

 

 けれど、自由研究の最後に牛を守衛として推す小学生は、かなり珍しい。

 

 さらに、机の引き出しからたまに青白い光が漏れている。

 

 これが一番まずい。

 

 エリは最初、懐中電灯か何かだと思った。

 

 しかし違う。

 

 引き出しの中から、明らかに機械音がしている。

 

 そして、タクヤが小声で話しているのを聞いた。

 

「うん、土曜日なら大丈夫」

 

「おにぎりは多めに持っていくね」

 

「モー子にも聞いてみる」

 

 誰と話しているのか。

 

 友達か。

 

 でも、友達なら電話でいい。

 

 それに、なぜ牛に予定を聞く。

 

 エリは決めた。

 

 今夜、弟を尾行する。

 

 姉として。

 

 家族として。

 

 そして、何より。

 

 大事な弟が、何か危ないことに巻き込まれているなら、止めなければならない。

 

     *

 

 その夜。

 

 楠家は静かだった。

 

 父も母も寝ている。

 

 タクヤの部屋の明かりは消えている。

 

 しかし、エリは眠っていなかった。

 

 自室の布団の中で、制服ではなく動きやすい服を着て待機していた。

 

 時計は午後十一時過ぎ。

 

 普通の中学生なら寝ている時間だ。

 

 だが、姉は強い。

 

 特に、弟が心配な姉は強い。

 

 廊下で、きしり、と小さな音がした。

 

 エリは起き上がる。

 

 そっと部屋のドアを開けると、廊下の先にタクヤの姿があった。

 

 リュックを背負っている。

 

 手には水筒。

 

 もう片方の手には、何か包み。

 

 たぶんおにぎり。

 

 タクヤは、そろそろと玄関へ向かっていた。

 

 エリは小声で呟く。

 

「やっぱり……」

 

 タクヤは玄関で靴を履き、静かに外へ出た。

 

 エリも急いでスニーカーを履く。

 

 母に気づかれないよう、扉をそっと開けた。

 

 夜の空気は、少し冷たかった。

 

 夏の夜。

 

 虫の声。

 

 遠くで犬が鳴く。

 

 田舎町は、暗い。

 

 街灯も少ない。

 

 タクヤは懐中電灯を持って、慣れた様子で歩いていく。

 

 エリはその後ろを、少し距離を取ってつけた。

 

「タクヤ……何してるの」

 

 弟は、牧場の方へ向かっている。

 

 やがて、モー子のいる柵の前で止まった。

 

 エリは物陰に隠れる。

 

 タクヤは柵の向こうへ声をかけた。

 

「モー子、こんばんは」

 

「もー」

 

 モー子が普通に返事した。

 

 いや、牛だから返事ではない。

 

 鳴いただけ。

 

 ただ、妙に会話が成立しているように見える。

 

「今日は裏山だけだから、宇宙までは行かないよ」

 

 エリは固まった。

 

 宇宙。

 

 今、宇宙と言った。

 

「でも、もし何かあったら来てくれる?」

 

「もー」

 

「ありがとう」

 

 エリは、さらに固まった。

 

 弟が牛に護衛依頼をしている。

 

 そして牛が了承しているように見える。

 

「……何これ」

 

 タクヤは再び歩き出した。

 

 行き先は裏山。

 

 エリは、怖くなってきた。

 

 夜中の裏山。

 

 普通に危ない。

 

 不審者かもしれない。

 

 変な大人がいるのかもしれない。

 

 弟が脅されているのかもしれない。

 

 エリは胸の奥に不安を抱えたまま、タクヤを追った。

 

     *

 

 裏山の開けた場所に近づくと、エリは異変に気づいた。

 

 空気が違う。

 

 虫の声が遠い。

 

 星が、妙に明るい。

 

 そして、草地の奥に薄い光が見えた。

 

 青白い光。

 

 エリは木の陰に隠れ、そっと覗き込んだ。

 

 そこには、ありえない光景があった。

 

 草地の中央に、透明な膜のようなものが張られている。

 

 その内側だけ、空間が少し広がって見えた。

 

 切り株や岩を使った席。

 

 光るシート。

 

 謎の湯沸かし装置。

 

 そして、そこに集まる人々。

 

 いや、人々ではない。

 

 細長い宇宙人。

 

 丸い宇宙人。

 

 金属の身体を持つ小さな機械生命体。

 

 水槽に入ったクラゲのような存在。

 

 炎のように揺れる生き物。

 

 三つ目の事務官らしき存在。

 

 そして、白い髪の少女。

 

 エリは息を止めた。

 

 叫びそうになった。

 

 だが、声が出なかった。

 

 タクヤは、その中心へ普通に歩いていく。

 

「こんばんは」

 

 細長い宇宙人が頭を下げる。

 

『こんばんは、タクヤ』

 

 丸い宇宙人が嬉しそうに手を振る。

 

『お待ちしていました』

 

 金属生命体が電子音を鳴らす。

 

『おにぎり補給確認』

 

 三つ目の事務官が書類を整える。

 

『本日の議題は、夏の星休み処の追加補修、漂流文明未成年個体の滞在規定、星間企業への異議申し立て進捗です』

 

 エリは、木の陰で口を押さえた。

 

 何を言っているのか分からない。

 

 だが、ひとつだけ分かる。

 

 弟が、明らかに変な集会の中心にいる。

 

 そして。

 

「暫定会頭、こちらへ」

 

 誰かがそう言った。

 

 暫定会頭。

 

 エリの頭が真っ白になった。

 

 タクヤが。

 

 自分の弟が。

 

 宇宙人らしき存在たちから、暫定会頭と呼ばれている。

 

「……は?」

 

 思わず声が漏れた。

 

 小さな声だった。

 

 しかし、白い髪の少女がぴくりと反応した。

 

 エックス。

 

 選定個体候補だった少女。

 

 彼女の瞳のバツ印が淡く光る。

 

「未登録地球人類個体、接近」

 

 ケルたちが一斉に振り返る。

 

 タクヤも振り返った。

 

「え?」

 

 エリは逃げようとした。

 

 だが、その時。

 

 背後で、もー、という声がした。

 

 振り返る。

 

 モー子がいた。

 

 いつの間にか。

 

 首の銀色の鈴を光らせて、堂々と立っている。

 

 エリは固まった。

 

「モ、モー子……?」

 

「もー」

 

 逃げ道を牛に塞がれた。

 

 人生で、なかなかない経験である。

 

 タクヤが慌てて駆け寄ってきた。

 

「姉ちゃん!?」

 

 エリは弟を見る。

 

「タクヤ」

 

「なんでここに」

 

「それはこっちの台詞!」

 

 エリは小声で怒鳴った。

 

「夜中に家を出て、何してるの!? 宇宙人!? 牛!? 暫定会頭って何!?」

 

「えっと」

 

「えっとじゃない!」

 

 エリの声に、茶会の参加者たちがざわめく。

 

 ポムが小声で言う。

 

『会頭の姉君ですか』

 

 グラウが背筋を伸ばす。

 

『地球家庭規則の上位存在』

 

 ケルが青ざめる。

 

『保護者に近い権限を持つ可能性があります』

 

 三つ目の事務官が書類を取り出す。

 

『姉権限について確認が必要です』

 

 エリは混乱していた。

 

「姉権限って何!?」

 

 タクヤは困り果てた顔で言った。

 

「姉ちゃん、とりあえず座る?」

 

「この状況で座れるわけないでしょ!」

 

 その時、エックスが前へ出た。

 

 白い髪。

 

 白い服。

 

 薄い瞳の奥のバツ印。

 

 エリは、その少女を見て息を呑んだ。

 

 怖い。

 

 きれいで、怖い。

 

 けれど、同時にどこか寂しそうだった。

 

 エックスは、静かに頭を下げた。

 

「楠エリ」

 

「私の名前……」

 

「タクヤの姉」

 

「そうだけど」

 

「私はエックス。選定個体候補でした」

 

「でした?」

 

「現在は判断保留中です」

 

「……何?」

 

 エリは、もう何が何だか分からない。

 

 エックスは続けた。

 

「タクヤは、私に麦茶とおにぎりをくれました。帰るか逃げるか分からない私に、分かるまで休もうと言いました」

 

 エリは、思わずタクヤを見た。

 

 タクヤは気まずそうにしている。

 

「その結果、私はここにいます」

 

「ちょっと待って」

 

 エリは頭を抱えた。

 

「タクヤ、あんた、何をしたの?」

 

「お茶を出した」

 

「それだけじゃないでしょ!」

 

「おにぎりも出した」

 

「そういう意味じゃない!」

 

 ケルが申し訳なさそうに頭を下げる。

 

『楠エリ殿。説明します。我々は外宇宙観測局の元末端職員です』

 

「外宇宙」

 

『はい。最初にタクヤと接触したのは、牛のキャトルミューティレーション案件でした』

 

「キャトル……モー子!?」

 

「もー」

 

 モー子は平然としている。

 

 ポムが補足する。

 

『その際、我々はタクヤにお茶を提供されました』

 

 グラウが言う。

 

『そして、休んでもいいと言われました』

 

 ギギが電子音を鳴らす。

 

『その後、複数の外宇宙労働倫理問題、選定機関関連個体保護、星間企業契約問題が発生』

 

 三つ目の事務官が書類を広げる。

 

『結果として、宇宙交流茶会が発足しました』

 

 エリは、タクヤを見た。

 

「宇宙交流茶会」

 

「うん」

 

「暫定会頭」

 

「うん」

 

「守衛モー子」

 

「うん」

 

 エリは深く息を吸った。

 

 そして、タクヤの両肩を掴んだ。

 

「なんで言わないの!」

 

「言ったら怒られると思って」

 

「怒るに決まってるでしょ! でも言わない方がもっと怒る!」

 

「ごめん」

 

 タクヤは素直に謝った。

 

 その顔を見て、エリはさらに怒りにくくなった。

 

 ずるい。

 

 昔からそうだ。

 

 弟は、自分が大変なことをしている自覚が薄い。

 

 困っている人がいたら手を伸ばす。

 

 牛が迷子なら探す。

 

 転んだ子がいれば手を貸す。

 

 宇宙人が疲れていればお茶を出す。

 

 たぶん、本人の中では全部同じなのだ。

 

 だからこそ、危なっかしい。

 

     *

 

 エリは、結局座らされた。

 

 タクヤが持ってきた座布団に。

 

 目の前には麦茶。

 

 横にはモー子。

 

 周りには宇宙人。

 

 状況はおかしい。

 

 だが、麦茶は普通においしかった。

 

「……おいしい」

 

 ポムが少し嬉しそうにする。

 

『地球麦茶は、茶会の基礎飲料です』

 

「基礎飲料……」

 

 エリは疲れた顔で湯呑みを見る。

 

「私、夢見てる?」

 

 タクヤが答える。

 

「たぶん見てない」

 

「たぶんって言うな」

 

 エックスは、エリの向かいに座っていた。

 

 エリは彼女を見る。

 

「あなた、タクヤと同じくらいの年?」

 

「外見年齢は近いです」

 

「外見年齢……」

 

「実年齢、製造年、調整期間、選定機関内時系列を含むと複雑です」

 

「そっか。聞かない方がいいやつね」

 

「判断保留を推奨します」

 

「便利な言葉ね、それ」

 

 エックスは少し考えた。

 

「はい。便利です」

 

 エリは、思わず少しだけ笑った。

 

 怖い子だと思った。

 

 でも、話してみると妙に不器用だ。

 

 タクヤが放っておけなかった理由が、少し分かってしまった。

 

 ケルが説明を続ける。

 

『我々は、タクヤを危険に巻き込むつもりはありません』

 

 エリは即座に言った。

 

「もう巻き込んでる」

 

『はい』

 

 ケルは深く頭を下げた。

 

『申し訳ありません』

 

 ポムも頭を下げる。

 

『本当に』

 

 グラウも言う。

 

『我々は、タクヤに依存しすぎています』

 

 その正直さに、エリは少し黙った。

 

 もっと怪しい集団なら、誤魔化すかと思った。

 

 だが、彼らはちゃんと申し訳なさそうにしている。

 

 それがかえって、話を複雑にした。

 

「タクヤ」

 

「はい」

 

「危ないことはしてない?」

 

 タクヤは答えに詰まった。

 

「……たぶん」

 

「たぶん禁止」

 

「ちょっと危ないことはあった」

 

「何」

 

「選定機関の回収官とか、星間企業の回収部隊とか」

 

 エリの顔から血の気が引いた。

 

「回収?」

 

 エックスが静かに言う。

 

「私が回収されそうになりました」

 

 ギギが続く。

 

『私も契約回収対象でした』

 

 ポムが震える。

 

『漂流文明の子どもたちも提出物扱いされました』

 

 エリは、言葉を失った。

 

 危ない。

 

 想像以上に危ない。

 

 弟は、そんなものに関わっていた。

 

 だが、同時に。

 

 もしタクヤが関わっていなかったら、この人たちはどうなっていたのだろう。

 

 エックスは再調整されていたかもしれない。

 

 ギギは百九十八年の契約に戻されていたかもしれない。

 

 子どもたちは提出物扱いされていたかもしれない。

 

 それを考えると、ただやめろとは言えなかった。

 

 でも。

 

「だからって、タクヤが一人で何とかしようとするのは違う」

 

 エリは、はっきり言った。

 

 茶会の参加者たちが静かになる。

 

 エリはタクヤを見る。

 

「困っている人を助けたいのは分かる。タクヤがそういう子なのも知ってる。でも、あんたが危ない目に遭っていい理由にはならない」

 

「姉ちゃん……」

 

「それに、家族に黙って夜中に出るのはダメ」

 

「うん」

 

「お母さんたちに全部言えとは言わない。言えないこともあるんでしょ」

 

「うん」

 

「でも、私には言って」

 

 タクヤが目を丸くする。

 

「姉ちゃんに?」

 

「そう」

 

「危ないよ」

 

「危ないから言いなさいって言ってるの」

 

 エリは、少し怒った顔で続けた。

 

「私はタクヤのお姉ちゃんなんだから」

 

 その言葉に、タクヤは黙った。

 

 エックスが、静かに問う。

 

「姉とは、保護者ですか」

 

 エリは少し考えた。

 

「保護者じゃないけど、近いかな」

 

「上位命令権限?」

 

「そこまで偉くない」

 

「では何ですか」

 

 エリはタクヤを見た。

 

 小さい頃から、よく後ろをついてきた弟。

 

 転んで泣いた時も、モー子に近づきすぎて母に怒られた時も、宿題が終わらなくて半泣きになった時も、放っておけなかった。

 

「心配する役」

 

 エリは答えた。

 

 エックスは、その言葉を反復する。

 

「心配する役」

 

「そう」

 

「タクヤを?」

 

「うん」

 

「悪くない役です」

 

 エリは、少しだけ笑った。

 

「ありがとう」

 

     *

 

 その時だった。

 

 茶会空間の外側に、白い線が走った。

 

 エリはすぐに気づいた。

 

 空気が冷たくなる。

 

 タクヤの表情も変わる。

 

 ケルたちが緊張する。

 

 エックスが立ち上がる。

 

「選定機関の観測線」

 

 エリの背筋が冷えた。

 

「選定機関……」

 

 空に、白い文字が浮かぶ。

 

『未登録地球人類個体』

 

『楠エリ』

 

『楠タクヤ血縁個体』

 

『茶会接触を確認』

 

『楠タクヤ周辺影響拡大』

 

『記録』

 

『分類』

 

『必要なら接触制限』

 

 エリは、白い文字を見上げた。

 

 意味は分かる。

 

 完全には分からないが、よくないことだけは分かる。

 

 自分まで、何かに分類されようとしている。

 

 タクヤが前に出ようとした。

 

 だが、エリはその腕を掴んだ。

 

「姉ちゃん?」

 

「下がって」

 

「でも」

 

「下がって」

 

 エリは、タクヤの前に立った。

 

 自分でも驚くほど、自然に身体が動いた。

 

 怖い。

 

 とても怖い。

 

 宇宙人より、この白い線の方がずっと怖い。

 

 人を人として見ていない。

 

 名前ではなく、分類で見ている。

 

 弟を、危険度や影響や接触制限として見ている。

 

 それが、無性に腹立たしかった。

 

「うちの弟を、勝手に分類しないでください」

 

 茶会が静まり返った。

 

 タクヤが目を丸くする。

 

 ケルたちも固まる。

 

 エックスの瞳が揺れた。

 

 白い文字が止まる。

 

『楠エリ』

 

『干渉権限なし』

 

「権限とか知らないです」

 

『対象、楠タクヤは危険接触個体』

 

「私の弟です」

 

『血縁情報確認済』

 

「なら分かるでしょ」

 

 エリは、震える声で、それでも言った。

 

「弟が危ないことをしてるなら、まず姉が心配するんです」

 

 白い線が揺れる。

 

『心配』

 

『非効率情動』

 

「非効率でもいいです」

 

『楠タクヤの行動は外宇宙秩序へ影響』

 

「それでも、家では宿題をサボる小学生です」

 

 タクヤが小さく言う。

 

「姉ちゃん、そこは言わなくても」

 

「黙って」

 

「はい」

 

 エリは白い線を睨んだ。

 

「この子が何をしてるのか、まだ私は全部分かってません。でも、勝手に連れて行ったり、勝手に分類したり、勝手に危険って決めつけたりするなら、私は怒ります」

 

『怒り』

 

『家族防衛反応』

 

『記録』

 

 エックスが、はっとしたように呟く。

 

「家族防衛反応……」

 

 白い線が、さらに伸びる。

 

『楠エリ』

 

『茶会影響個体として登録』

 

『接触制限候補』

 

 その瞬間、モー子が鳴いた。

 

「もー」

 

 銀色の鈴が光る。

 

 茶会入口に牛の紋章が浮かび上がる。

 

『牛倫理協定、家族心配権保護条項、暫定発動』

 

『守衛モー子、勤務中』

 

『弟を心配する姉への過剰観測、倫理審査対象』

 

『未成年地球人類個体への接触制限検討、家庭規則干渉の恐れ』

 

 エリは思わず振り返った。

 

「モー子、何それ!?」

 

「もー」

 

 モー子は堂々としている。

 

 ケルが感動したように言う。

 

『家族心配権……新条項です』

 

 ポムが涙ぐむ。

 

『温かい条項です』

 

 グラウが深く頷く。

 

『家庭規則との整合性が重要です』

 

 選定機関の白い線が乱れた。

 

『牛』

 

『家族』

 

『心配権』

 

『倫理審査』

 

『再計算』

 

 エックスが前に出る。

 

「選定機関。ここは茶会です。楠エリは招かれざる観測対象ではありません。タクヤを心配して来た家族です」

 

『エックス』

 

『帰還拒否個体』

 

「はい」

 

『異常拡大』

 

「いいえ」

 

 エックスは、エリを見た。

 

 そして、静かに言った。

 

「これは、タクヤを守る地球側の関係性です」

 

 その言葉に、エリは少し驚いた。

 

 守る。

 

 自分がタクヤを守る。

 

 そんな大げさなつもりはなかった。

 

 ただ心配だっただけ。

 

 でも、もしかすると、それも守ることなのかもしれない。

 

 白い線はしばらく揺れた後、薄れていった。

 

『楠エリ、記録』

 

『楠タクヤ周辺家族因子、確認』

 

『直接介入、非推奨』

 

『守衛牛個体、再注意』

 

『撤退』

 

 白い光が消える。

 

 茶会場に、夜の虫の声が戻った。

 

 エリは、その場にへたり込みそうになった。

 

 タクヤが慌てて支える。

 

「姉ちゃん!」

 

「……怖かった」

 

「うん」

 

「何あれ」

 

「選定機関」

 

「ほんとに怖いじゃん!」

 

「うん」

 

「うんじゃない!」

 

 エリは弟の頭を軽く叩いた。

 

 痛くはない。

 

 でも、怒りと心配はこもっていた。

 

「こんなの相手に、あんた一人で何してたの!」

 

「一人じゃないよ。みんなもいるし、モー子も」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 タクヤは、しゅんとした。

 

 エリは大きく息を吐いた。

 

「……でも」

 

「でも?」

 

「さっきの白いの、あんたたちだけじゃ怖すぎる」

 

 エリは顔を上げた。

 

「私にも、できることある?」

 

 タクヤが驚く。

 

「姉ちゃん?」

 

「宇宙のことは分からない。法律も、選定機関も、星間企業も分からない。モー子の条項も分からない」

 

「僕もあんまり分かってない」

 

「そこは分かってなさいよ!」

 

 エリは呆れながら、それでも続けた。

 

「でも、タクヤが無茶してないか見ることはできる。夜中に出るなら、せめて私に言わせることはできる。おにぎりを多めに作るくらいならできる」

 

 ポムが感動して震えた。

 

『おにぎり支援』

 

 グラウが真剣に記録する。

 

『家庭側補給協力者』

 

 ケルが頭を下げる。

 

『大変ありがたいです』

 

 エリは慌てた。

 

「いや、まだ正式に協力するとは」

 

 三つ目の事務官が書類を出す。

 

『楠エリ殿を、茶会家庭側見守り協力者として仮登録してもよろしいでしょうか』

 

「登録って何!?」

 

 タクヤが言う。

 

「嫌なら断っていいよ」

 

 エリは弟を見る。

 

 そして、茶会場を見回した。

 

 疲れた外宇宙人たち。

 

 不器用な白い少女。

 

 金属の技術者。

 

 水槽のクラゲ。

 

 守衛の牛。

 

 みんな、どこか頼りない。

 

 そして、弟はその中心で、お茶を配っている。

 

 放っておけない。

 

 どう考えても放っておけない。

 

 エリは、深くため息をついた。

 

「仮なら」

 

 三つ目の事務官が即座に記録する。

 

『楠エリ、茶会家庭側見守り協力者、仮登録』

 

「早い!」

 

 エックスが静かに言う。

 

「悪くありません」

 

 エリは、まだ慣れない顔で答えた。

 

「……ありがとう」

 

     *

 

 その後、茶会は少し形を変えた。

 

 まず、タクヤが夜中に出る時は、必ずエリに伝えること。

 

 危険度が高い時は、エリが止める権限を持つこと。

 

 学校の宿題が終わっていない場合、茶会参加時間を短縮すること。

 

 帰宅時間を守ること。

 

 モー子を勝手に宇宙へ連れて行かないこと。

 

 おにぎりの数は、事前に相談すること。

 

 エリは、それらを厳しく決めた。

 

 ケルたちは真剣に記録した。

 

 ポムは感動した。

 

 グラウは「家庭規則は重要」と何度も頷いた。

 

 ギギは、エリ用の連絡端末を作ると言い出した。

 

 エリは即座に断った。

 

「まず普通のメモ帳でいいです」

 

『アナログ記録媒体』

 

「メモ帳」

 

『強いです』

 

「強いかな……」

 

 エックスは、エリの隣に座っていた。

 

 エリは彼女に麦茶を注いだ。

 

「飲む?」

 

「はい」

 

 エックスは受け取る。

 

「ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 少し沈黙。

 

 エリは、ふと聞いた。

 

「エックスは、家族いるの?」

 

 聞いてから、少しまずかったかと思った。

 

 だがエックスは怒らなかった。

 

「不明です」

 

「不明……」

 

「選定機関では、家族という分類はありませんでした」

 

 エリは言葉に詰まった。

 

 エックスは続ける。

 

「でも、今日、少し理解しました」

 

「何を?」

 

「タクヤが危険な時に、前に出る人」

 

 エリは、少し恥ずかしくなった。

 

「それは、まあ、姉だから」

 

「姉」

 

 エックスは、その言葉を大事そうに反復した。

 

「悪くない分類です」

 

 エリは笑った。

 

「分類じゃなくて、関係かな」

 

「関係」

 

「うん。家族って、たぶんそういうもの」

 

 エックスは、麦茶を見つめた。

 

「関係」

 

 その言葉は、彼女の中にゆっくり沈んでいった。

 

     *

 

 帰り道。

 

 タクヤとエリは、モー子と一緒に牧場まで歩いていた。

 

 空には星が出ている。

 

 いつもと同じ田舎の夜。

 

 だが、エリにはもう、以前と同じ夜には見えなかった。

 

 星の向こうに、疲れた誰かがいる。

 

 選定機関という怖いものがいる。

 

 星間企業という面倒な相手もいる。

 

 そして、弟はそんな場所にお茶を出していた。

 

 エリは、隣を歩くタクヤを見た。

 

「タクヤ」

 

「何?」

 

「無茶しないで」

 

「うん」

 

「一人で抱えないで」

 

「うん」

 

「あと、宿題はちゃんとやって」

 

「うん……」

 

「今ちょっと声小さかった」

 

「やるよ」

 

 エリは、少し笑った。

 

「それならよし」

 

 タクヤは、少し迷ってから言った。

 

「姉ちゃん」

 

「何?」

 

「黙っててごめん」

 

 エリは、弟の頭に手を置いた。

 

「ほんとだよ」

 

「うん」

 

「でも、話してくれたから許す」

 

「見つかったからだけど」

 

「そこは黙ってなさい」

 

「はい」

 

 モー子が、もー、と鳴いた。

 

 銀色の鈴が、ちりんと鳴る。

 

 エリはモー子を見る。

 

「モー子も、タクヤを見ててね」

 

「もー」

 

「あと、勝手に宇宙行かないでね」

 

「もー」

 

「分かってないでしょ」

 

「もー」

 

 タクヤは笑った。

 

 エリも、少しだけ笑った。

 

     *

 

 翌朝。

 

 楠家の朝食は、いつも通りだった。

 

 父は新聞を読み、母は味噌汁をよそい、タクヤは少し眠そうにご飯を食べている。

 

 エリは、いつもより少しだけ弟を見張っていた。

 

 母が言う。

 

「タクヤ、昨日夜更かししてなかった?」

 

 タクヤが固まる。

 

 エリは、横から自然に言った。

 

「自由研究のことで相談してたの」

 

「あら、そうなの?」

 

「うん。私も少し手伝うことにした」

 

 タクヤがエリを見る。

 

 エリは何も言わず、ご飯を食べた。

 

 母は嬉しそうに笑う。

 

「エリは面倒見がいいわね」

 

「まあ、姉だから」

 

 タクヤは小さく言った。

 

「ありがとう、姉ちゃん」

 

 エリは、少しだけ照れた。

 

「宿題、ちゃんとやりなさいよ」

 

「うん」

 

 その後、タクヤは自由研究ノートを開いた。

 

『いろいろな休み方について』

 

 昨日までの内容に、新しい一文を加える。

 

『心配してくれる人には、ちゃんと話す』

 

 少し考えて、もう一文。

 

『姉は強い』

 

 エリが横から覗いて、赤面した。

 

「それ書かなくていい!」

 

「大事だと思う」

 

「消しなさい!」

 

「じゃあ、ちょっとだけ」

 

 タクヤは消しゴムで少し消して、書き直した。

 

『家族に心配をかけすぎない』

 

 エリは、それならまあいいかと思った。

 

     *

 

 その頃、選定機関の記録領域では、新しい項目が追加されていた。

 

『楠タクヤ周辺因子』

 

『血縁個体:楠エリ』

 

『役割:姉』

 

『行動傾向:心配、叱責、前進、防衛』

 

『茶会接触確認』

 

『宇宙交流茶会への家庭規則導入を確認』

 

『楠タクヤの行動制限要因となる可能性』

 

『同時に、楠タクヤ保護因子となる可能性』

 

『分類困難』

 

『備考:守衛牛個体により家族心配権保護条項発動』

 

 記録官のひとつが問う。

 

『姉とは何か』

 

 答えは出なかった。

 

 外宇宙観測局も、星間企業も、未来管理局も、まだよく分かっていなかった。

 

 ただ、ひとつだけ確かなことがある。

 

 楠タクヤ少年の周囲には、またひとつ、選定機関が扱いにくい関係性が増えた。

 

 家族。

 

 姉。

 

 心配する役。

 

 それは、宇宙規模の分類から見れば小さなものだった。

 

 だが、タクヤにとってはとても大きい。

 

 そして、いつか未来で。

 

 その姉は母になり。

 

 その娘、姫咲リオナもまた、大切な誰かを守るために前へ出ることになる。

 

 その繋がりを、この時の誰も知らない。

 

 ただ、楠エリだけは思っていた。

 

 弟がどれだけ大きなことに巻き込まれていても。

 

 宇宙人に暫定会頭と呼ばれていても。

 

 牛が守衛でも。

 

 選定機関が怖くても。

 

 自分は、弟を心配する。

 

 それが姉だから。

 

 楠タクヤ少年の宇宙旅行記。

 

 第五話。

 

 お姉ちゃん、弟の夜遊びを心配する。

 

 この夜から、宇宙交流茶会には新しい規則が加わった。

 

『家族に心配をかけすぎないこと』

 

 宇宙規模の避難所にしては、ずいぶん家庭的な規則だった。

 

 けれど、茶会にはとてもよく似合っていた。

 





外伝第5話を読んでいただき、ありがとうございました。

今回は、楠タクヤの姉である楠エリの初登場回でした。

エリは、未来の姫咲リオナの母です。

この時点では中学生で、弟のタクヤをとても可愛がっている、しっかり者のお姉ちゃんです。

最近、タクヤが夜中に家を出ていることに気づき、心配して後をつけた結果、裏山の宇宙交流茶会を目撃してしまいました。

普通の姉からすれば、弟が夜中に宇宙人とお茶会をしていて、しかも暫定会頭と呼ばれている状況は、かなり衝撃です。

今回は、タクヤの「優しさ」の危なさを、家族側から見た話でもあります。

タクヤ本人は、困っている人にお茶を出しているだけです。

けれど、その結果として、選定機関や星間企業の問題に関わり、外宇宙人材保護ネットワークの中心になりつつあります。

本人が悪気なく危険な場所へ進んでいくからこそ、家族として心配する存在が必要になります。

そこで出てきたのが、楠エリです。

エリは、宇宙法も選定機関も星間企業も分かりません。

でも、弟が危ないことに巻き込まれているなら怒ります。

弟が黙って夜中に出ていれば叱ります。

白い選定機関がタクヤを分類しようとした時には、弟の前に立ちます。

それは宇宙規模の能力ではありません。

けれど、タクヤを地球側に繋ぎ止めるとても大切な関係性です。

今回、新しく「家族心配権保護条項」が発動しました。

もちろん守衛モー子経由です。

牛倫理協定はまた変な方向へ広がりましたが、茶会らしい条項でもあります。

また、エックスにとっても今回のエリとの出会いは重要です。

彼女は選定機関にいた頃、「家族」という関係を持っていませんでした。

だから、エリの「心配する役」という言葉を通じて、家族というものを少しだけ理解し始めています。

そして未来では、エリは姫咲リオナの母になります。

タクヤを心配して前に出たエリ。

その娘であるリオナもまた、安藤萌亜を守るために前に出る少女になります。

まだこの時点では誰も知りませんが、ここで生まれた「心配して、それでも前に出る」という家族の形は、未来のリオナにも繋がっていきます。

今回から、宇宙交流茶会には新しい規則が加わりました。

家族に心配をかけすぎないこと。

宇宙規模の茶会にしては、ずいぶん家庭的な規則です。

でも、タクヤの茶会にはこれくらいがちょうどいいのかもしれません。

それではまた次回。

お姉ちゃんに見つかっても、お茶会は悪くない。
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