アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜 作:池ポチャ
第23話です。
前回、リオナと萌亜はエルドラド第三試練――白金の扉、継承の火を越えました。
欲望の火。
代価の火。
継承の火。
三つの火を通して、萌亜の物質側固定は大きく進み、太陽炉系統との同期も完了しました。
しかし、それは楽な勝利ではありませんでした。
リオナがいない未来。
萌亜が一人で残る未来。
未来の子どもに火種を押しつけてしまう可能性。
あまりにも重いものを見た二人は、すぐに次へ進める状態ではありません。
今回は、エルドラド編の後始末と休息回です。
エリからの声。
タクヤからの茶会。
GTGの支援。
そして、萌亜の中に灯った三つの火。
その一方で、選定機関も次の動きを始めています。
エルドラドで「物質」と「太陽炉」が固定されたことで、次に必要になるのは、因果と位相の防衛。
攻撃そのものを受け止めるのではなく、攻撃が届く道筋を霧の中へずらす防衛網。
その名は、アヴァロン。
霧の島。
届くはずだった刃を、届かなかったことにする場所。
しかし、因果をずらすということは、別の可能性を切り捨てることにも繋がります。
次の試練は、静かに始まっています。
休むことも、次へ進むための準備
エルドラドから戻った夜、姫咲リオナはほとんど眠れなかった。
身体は疲れている。
頭も重い。
目を閉じれば、すぐ眠れそうなほど消耗している。
それなのに、眠れなかった。
白金の扉の向こうで見た未来が、まぶたの裏に残っている。
永遠に保存された教室。
老いた自分の病室。
リオナがいなくなった後も、今の姿のまま泣き続ける萌亜。
未来の子どもが、火種を抱えて震えていた灰色の街。
全部、確定した未来ではない。
番人もそう言っていた。
でも、嘘でもない。
あり得る未来。
そう言われたからこそ、心に残って離れなかった。
ベッドの上で、リオナはスマホを握っていた。
画面には、母からのメッセージ。
『今日は無理に話さなくていいから、ちゃんと休みなさい。帰ってきたら顔を見せてね』
短い文章だった。
絵文字はない。
タクヤのようなおじさん構文でもない。
でも、その一文だけで、リオナの胸は少しだけ痛くなった。
「……お母さん」
エルドラドの途中、茶葉缶から母の声が届いた。
怖いと思っていい。
泣いていい。
一人で決めなくていい。
帰ってきたら顔を見せなさい。
リオナは、その声を聞いた時、泣きそうになった。
実際には泣く余裕もなかった。
でも今、静かな部屋で一人になると、その言葉が遅れて利いてきた。
自分は、母に心配されている。
当たり前のことなのに、最近忘れかけていた。
自分は接続因子で。
萌亜の隣に立つ者で。
選定機関と戦う立場で。
シャンバラやエルドラドの試練を越えてきた。
けれど、それ以前に。
自分は、母の娘だった。
スマホを胸に抱く。
その時、ベッドの横の小さな茶葉缶が淡く光った。
GTGから渡された正式連絡媒体。
緊急時に開けるものだが、最近はほとんど普通の通信機のようにもなってきている。
缶の表面に、文字が浮かんだ。
『休息状態確認』
『姫咲リオナ、睡眠不足傾向』
『安藤萌亜も同様』
リオナは眉をひそめた。
「寝てるかどうかまで見てるの……?」
茶葉缶から、エックスの声が聞こえた。
『正確には、茶葉缶周辺の情動揺れを観測しています。無断監視ではありません』
「そこ、毎回気にしますね」
『茶会規定です』
リオナは小さく息を吐いた。
「萌亜は?」
『あなたへ連絡しようとして、三回やめています』
「……そっか」
『お互いに気を遣いすぎています』
「言われると耳が痛いです」
『エルドラド第三試練後としては自然な反応です』
リオナは、ベッドの上で膝を抱えた。
「エックスさん」
『はい』
「未来を見た後って、どうすればいいんですか」
少し沈黙があった。
エックスは、すぐには答えなかった。
彼女もまた、選定機関にいた頃、未来を切る側だった。
見てしまった未来。
切るはずだった未来。
笑っている子どもたちの未来。
きっと、彼女にとっても簡単な問いではない。
『見た未来を、すぐ結論にしないことです』
やがて、エックスは言った。
『未来候補は、命令ではありません。警告でもありますが、同時に選択肢です』
「選択肢……」
『はい。恐れるためだけではなく、変えるために見るものです』
リオナは、ゆっくり息を吐いた。
「でも、怖いです」
『怖くて当然です』
「萌亜が一人で残る未来が、一番きつかった」
『はい』
「私が死んだ後のことなんて、考えたくなかった」
『はい』
「でも、考えないといけないんですよね」
エックスの声は、少しだけ柔らかかった。
『今すぐではありません』
「え?」
『リオナ。あなたは今、疲れています。疲れた状態で未来の全てを考えようとすると、判断が歪みます』
「……それ、茶会っぽいですね」
『茶会ですので』
リオナは、少しだけ笑った。
その笑いは小さく、弱かった。
でも、確かに笑えた。
エックスは続ける。
『明日、GTG地球支部で休息茶会を行います。参加者は、あなた、安藤萌亜、楠タクヤ、私、必要最小限の古参メンバーです』
「休息茶会?」
『はい。議題はありません』
「議題なし?」
『泣く、食べる、寝る、話す。必要なら黙る。それだけです』
リオナは、胸の奥が少しほどけるのを感じた。
「行きます」
『では、明日。今は眠れなくても、横になってください』
「はい」
『それから』
「はい」
『安藤萌亜へ、一言だけでも連絡することを推奨します』
リオナは、スマホを見る。
萌亜とのトーク画面を開く。
何を書けばいいのか、少し迷った。
長文は無理だった。
でも、何も送らないのも違う。
リオナは短く打った。
『起きてる?』
すぐに既読がついた。
返事。
『起きてる。リオナっちも?』
リオナは少し笑った。
『うん。眠れない』
『萌亜も』
『明日、茶会行こう』
『行く』
少し間。
萌亜から、もう一通届いた。
『今日、手握ってくれてありがと』
リオナの目が熱くなる。
返す。
『こっちこそ』
そして、もう一文。
『明日も握る』
萌亜から、すぐに返事が来た。
『チョベリグ』
リオナは、泣きながら少しだけ笑った。
*
翌日。
GTG地球支部、星茶室。
秋田県八幡平ドラゴンアイの奥にあるその茶室は、前回来た時よりもずっと静かだった。
畳。
障子。
炉。
障子の向こうには、秋田の山と星海が重なって見えている。
床の間には、いつもの言葉。
『疲れたら、お茶を飲んで休む場所』
リオナと萌亜は、並んで座っていた。
萌亜はいつもより静かだった。
目元が少し赤い。
たぶん、あまり眠れていない。
リオナも同じだ。
向かいにはタクヤが座っている。
その横にエックス。
少し離れて、ケル、ポム、グラウ、ギギ。
入口にはモー子。
エクスキューショナーも、少し離れた位置に静かに座っていた。
今日は、誰も大げさな挨拶をしなかった。
タクヤが穏やかに言った。
「来てくれてありがとう」
萌亜は、少しだけ笑おうとした。
「師匠、今日はチョベリグ元気ないかも」
「うん。そういう日もあるよ」
「いいの?」
「もちろん」
タクヤは、二人の前に湯呑みを置いた。
中身は、ほうじ茶だった。
香ばしくて、温かい。
エルドラドの太陽炉の熱とは違う。
焼き尽くす火ではなく、身体の中からほぐしてくれる熱。
リオナは、両手で湯呑みを包む。
萌亜も同じようにした。
しばらく、誰も話さなかった。
ただ、お茶を飲んだ。
それだけで、なぜか涙が出そうになった。
ポムはすでに泣いていた。
グラウが小声で注意する。
「今日は泣いてもよい茶会ですが、先に参加者本人を優先してください」
「はい……」
リオナは、少しだけ笑った。
その小さな笑いに、萌亜もつられて笑った。
タクヤが言う。
「昨日は、きつかったね」
その言葉だけで、二人の空気が揺れた。
リオナは頷く。
「はい」
萌亜も、小さく言った。
「めちゃくちゃキツかった」
「うん」
「リオナっちがおばあちゃんになって、萌亜だけそのままで……」
声が震える。
リオナは、そっと萌亜の手を握った。
萌亜は握り返す。
「それ、今すぐ答えを出さなくていいよ」
タクヤが言った。
「でも、いつか来るかもしれないんだよね」
萌亜が聞く。
「うん。来るかもしれない」
「師匠、そこは否定してよ」
「ごめんね」
タクヤは、静かに言った。
「嘘で安心させるのは、たぶん違うから」
萌亜の唇が震える。
でも、彼女は頷いた。
「うん」
タクヤは続けた。
「でもね、未来って、一回見たらもうそれしかないってものじゃないよ」
エックスが頷く。
「未来候補は、選択によって変動します」
ケルが補足する。
「特にリオナさんと萌亜さんは、すでに複数の大きな分岐を変えています」
ギギが電子音を鳴らす。
『竜宮城、シャンバラ、エルドラド。三系統同期により、当初想定より選定機関の確定力は低下』
リオナは顔を上げる。
「じゃあ、昨日見た未来も変えられる?」
エックスは答える。
「はい。ただし、完全に消えるわけではありません」
「……ですよね」
「ですが、備えることはできます」
タクヤが湯呑みを置く。
「昨日、二人は未来を止めるんじゃなくて、選択肢を残す方を選んだ」
萌亜は頷く。
「未来の子が、火を持つか選べるように」
「うん」
「でも、怖い」
「怖くていいよ」
タクヤは言う。
「怖いから、茶会がいるんだと思う」
リオナは、その言葉を静かに受け取った。
茶会。
疲れたら、お茶を飲んで休む場所。
すぐに答えを出さなくていい場所。
未来の誰かにも、それを残す。
エルドラドで選んだ答えは、ここに繋がっている。
*
しばらくして、タクヤが小さな端末を取り出した。
「リオナちゃん」
「はい」
「姉さんから、預かってる声がある」
リオナは目を見開いた。
「お母さんから?」
「うん。昨日、電話が来てね」
「電話?」
リオナは驚く。
「叔父さんに?」
「うん。最近顔を見せに来ないって叱られた」
萌亜が少しだけ目を輝かせる。
「師匠、怒られたの?」
「怒られたね」
「チョベリグレア」
「レアかな」
エックスが静かに言う。
「楠エリは、タクヤに対して現在も強い影響力を持ちます」
エクスキューショナーが記録する。
「姉権限、継続」
リオナは、少しだけ笑った。
母らしい。
叔父さんがどれだけ宇宙規模になっても、母にとっては弟なのだ。
タクヤは端末を操作した。
「聞く?」
リオナは、少し迷った。
怖かった。
でも、聞きたかった。
「はい」
端末から、母の声が流れる。
『リオナ』
その一言で、リオナの喉が詰まった。
『あなたがどこで何を見ているのか、私は全部は分かりません。たぶん、あなたは私に言えないこともたくさん抱えているんだと思います』
リオナは、湯呑みを握る手に力を込める。
『でも、これだけは覚えていて。怖いと思っていい。迷っていい。泣いていい。全部一人で決めなくていい』
萌亜が、そっとリオナの手を握った。
『あなたは強い子だけど、強いからって一人で立たなくていいの。誰かの手を握っていい。萌亜ちゃんの手を握っていい。タクヤにも怒っていい』
タクヤが小さく苦笑する。
「そこ、僕なんだよね」
リオナは泣きながら少し笑った。
『それから、帰ってきたら顔を見せなさい。話せることだけでいいから、話して。甘いもの用意して待ってるから』
母の声は、そこで少し柔らかくなった。
『あなたは、私の大事な娘です。どんなに遠くへ行っても、それは変わりません』
記録が終わった。
リオナは、もう泣いていた。
静かに涙を流していた。
萌亜も泣いていた。
「リオナっちのお母さん、チョベリグ……」
「うん」
「帰ったら、顔見せに行こう」
「うん」
「萌亜も行っていいかな」
タクヤが微笑む。
「姉さん、クレープ用意するって言ってたよ」
萌亜は涙目のまま目を輝かせた。
「行く」
リオナは泣きながら笑った。
「即答」
「クレープとお母さんの声は強い」
「それはそう」
エックスは、その光景を静かに見ていた。
家族の声。
命令ではない。
縛るものでもない。
ただ、戻ってきていい場所があると伝える声。
それは、未来の火種とよく似ていた。
選択肢として残るもの。
エックスは小さく呟く。
「悪くありません」
*
休息茶会の後半、リオナたちはようやく次の話を聞くことになった。
タクヤが水鏡を展開する。
そこに映ったのは、霧だった。
白い霧。
海の上に漂う、深く濃い霧。
霧の奥には、島の影が見える。
城のようにも、森のようにも、湖のようにも見える。
だが、見ようとするたびに形が変わる。
リオナは目を細めた。
「これが、次の防衛網?」
エックスが頷く。
「はい。霧状位相系統。通称、アヴァロン」
萌亜が首を傾げる。
「アヴァロンって、なんか聞いたことある」
ゼルヴァードがいれば、神話解説を始めていただろう。
今回はエックスが説明した。
「地球側神話における霧の島、癒しと隔離の場所、王が眠る場所として語られる領域です」
「王が眠る場所……」
リオナは、少し緊張した。
王。
その言葉は、萌亜にどうしても重なる。
恐怖の王。
アンゴルモア。
エックスは続ける。
「シャンバラは精神領域を接続しました。エルドラドは物質側と太陽炉を接続しました」
「はい」
「次に必要なのは、因果と位相の防衛です」
リオナは眉を寄せる。
「因果と位相?」
ギギが立体図を表示した。
『選定機関の切除攻撃は、対象へ到達するまでに因果経路を必要とします』
ケルが補足する。
「簡単に言うと、攻撃が“当たる理由”と“当たる道筋”です」
ポムが続ける。
「アヴァロンは、その道筋を霧でずらします」
グラウが真面目に言う。
「攻撃を防ぐというより、攻撃が届く場所に対象がいなかったことにする防衛です」
萌亜は目を瞬かせた。
「回避?」
エックスが頷く。
「近いです。ただし、普通の回避ではありません。因果の位置をずらす」
リオナは少し考えた。
「つまり、選定機関が萌亜を切ろうとしても、霧の中で道がズレて、届かなくなる?」
「はい」
「すごく便利そうですけど……」
エックスの表情が少し重くなる。
「便利な防衛ほど、代償があります」
リオナは胸が冷える。
「また代価ですか」
「エルドラドとは違います。アヴァロンの問題は、ずれた因果がどこへ行くのか、です」
茶室が静かになる。
ギギの表示が変わる。
一つの矢印が萌亜へ向かう。
その矢印が霧に入り、横へずれる。
萌亜には当たらない。
だが、その先には、別の可能性がある。
空白。
別の誰か。
別の未来。
リオナは息を呑む。
「まさか……萌亜への攻撃が、他の誰かに行く?」
「それを防ぐために、アヴァロンとの同期が必要です」
エックスは静かに言った。
「ただずらすだけでは危険です。霧の中で、攻撃を迷わせ、迷ったまま消散させる。あるいは、誰もいない位相へ落とす。その制御が必要になります」
萌亜は自分の胸元に手を当てた。
「また、萌亜の力が関係する?」
「はい。あなたの存在はすでに複数の防衛網と接続されています。竜宮城、シャンバラ、エルドラド。次にアヴァロンが加われば、選定機関の直接切除はさらに難しくなります」
リオナは聞いた。
「試練は、どんな内容になりますか」
エックスは少し黙った。
「推測ですが」
「はい」
「アヴァロンは、“逃げること”と“置いていくこと”を問うはずです」
萌亜の顔が強張る。
「置いていく……」
「霧の防衛は、危険から離れる力です。しかし、離れるということは、誰かを置いていく可能性もあります」
リオナの胸に、昨日の未来が蘇る。
リオナがいなくなった後の萌亜。
未来へ火種を残す話。
今度は、逃げることと、残されること。
また重い。
タクヤが、二人を見る。
「今日は、ここまででいいと思う」
「でも」
リオナが言いかけると、タクヤは首を振った。
「次の試練の説明だけで十分。今すぐ心の準備までしようとしなくていい」
エックスも頷く。
「賛成です」
萌亜は、小さく息を吐いた。
「今日は、もう重い話お腹いっぱい」
「うん」
リオナも頷いた。
「私も」
タクヤは微笑んだ。
「じゃあ、次は軽い話をしよう」
「軽い話?」
「日曜、姉さんの家に行く話」
リオナは目を瞬かせた。
「え?」
「僕、顔を見せに行くことになったから。リオナちゃんと萌亜ちゃんも、都合が合えば一緒にって」
萌亜の目が輝く。
「クレープ!」
「そこ?」
「大事!」
リオナは少し戸惑った。
「お母さん、何て言ってました?」
「さっきと同じ。甘いもの用意して待ってるって」
その言葉に、リオナの表情が少しだけ崩れた。
安心と、照れと、申し訳なさが混ざった顔。
「行きます」
タクヤは頷いた。
「うん」
エックスが控えめに言った。
「私も、招待されています」
リオナは驚く。
「エックスさんも?」
「はい。楠エリが、今度は自分がお茶を出す番だと」
リオナは、少し笑った。
「お母さんらしい」
ケルたちがざわめく。
「家庭訪問計画を最終化しなければ」
「玄関寸法は」
「手土産は」
「モー子同行可否は」
タクヤがすぐに言う。
「モー子は牧場で待っててね」
「もー」
モー子は不満そうだった。
萌亜が笑った。
「モー子も行きたいんだ」
リオナも笑った。
久しぶりに、少し自然に。
*
茶会が終わる頃、障子の外の星海に霧が漂い始めた。
最初は薄かった。
だが、少しずつ濃くなっていく。
白い霧。
アヴァロンの気配。
エクスキューショナーが、静かに顔を上げた。
「選定機関本流、アヴァロン系統への干渉準備を開始」
エックスの表情が鋭くなる。
「早いですね」
「エルドラド第三承認により、選定機関は猶予を短縮」
ケルが端末を確認する。
「外宇宙側でも、霧状位相反応が増えています」
ギギが電子音を鳴らす。
『因果経路にノイズ発生』
ポムが不安そうに言う。
「もう始まっているのですか?」
グラウが答える。
「次の防衛網が目覚め始めている」
リオナと萌亜は、障子の外の霧を見た。
霧の奥で、何かが揺れている。
島。
城。
湖。
剣。
棺。
眠る王。
そして、遠くで誰かが呼ぶ声。
その声は、はっきりとは聞こえない。
けれど、萌亜は小さく呟いた。
「……行かなきゃ」
リオナが萌亜を見る。
「聞こえた?」
「うん。たぶん、萌亜を呼んでる」
エックスが言う。
「アヴァロンは、王を眠らせる場所でもあります」
「王……」
萌亜の顔が、少し不安に揺れる。
「恐怖の王を、眠らせる場所?」
誰もすぐには答えなかった。
タクヤが静かに言う。
「眠らせるって、消すこととは違うと思うよ」
萌亜はタクヤを見る。
「違う?」
「うん。疲れたら眠る。暴れそうなら休ませる。怖い力も、ずっと起きていたらしんどいから」
リオナは、その言葉を聞いて少しだけ納得した。
アヴァロン。
霧の島。
王が眠る場所。
それは、萌亜の中の恐怖の王を消すのではなく、休ませる場所なのかもしれない。
しかし、その休息が本当に優しいものなのかは分からない。
眠らせるという名で、閉じ込める可能性もある。
逃げるという名で、置き去りにする可能性もある。
次の試練は、きっとそこを突いてくる。
リオナは、萌亜の手を握った。
「行く時は、一緒に行こう」
萌亜が頷く。
「うん」
「でも、その前に」
「うん」
「お母さんのところに行こう」
萌亜は、少しだけ笑った。
「クレープ食べに?」
「それもある」
「チョベリグ」
タクヤが穏やかに笑う。
「じゃあ、次の予定は家族訪問だね」
エックスが真剣に頷く。
「家庭訪問は、アヴァロン前の重要休息行程として登録します」
リオナは思わず笑った。
「そんな大げさに」
ケルたちは真剣だった。
「大げさではありません」
「休息は重要です」
「家庭規律も重要です」
「クレープも安定因子です」
萌亜が力強く頷く。
「クレープは重要!」
モー子が、もー、と鳴いた。
茶室に笑いが戻る。
ほんの少しだけ。
それで十分だった。
*
同じ頃。
選定機関の白い記録領域では、次の対象が再分類されていた。
『安藤萌亜』
『エルドラド第三承認完了』
『地球側物質固定、進行』
『防衛変換回路、形成』
『継承型火種網、仮形成』
『直接切除成功率、低下』
『次段階干渉候補:アヴァロン系統』
『霧状位相防衛網』
『因果経路ずらし』
『対象捕捉困難化の恐れ』
『接続因子、姫咲リオナ』
『母系家族音声記録による情動安定を確認』
『楠タクヤ』
『茶会支援継続』
『GTG干渉拡大』
『エクスキューショナー応答不完全継続』
白い記録官たちが、静かに情報を並べる。
『アヴァロン同期前に干渉すべき』
『霧が成立すれば、対象への到達経路が不安定化』
『接続因子を分断する』
『対象個体を霧中へ誘導』
『恐怖の王を眠らせるという名目で隔離可能』
『検討』
『検討』
『検討』
その中に、一つだけ反応しない白い個体がいた。
エクスキューショナー。
選定機関本流からの問いが届く。
『上位選定個体エクスキューショナー』
『アヴァロン干渉計画への応答を求める』
沈黙。
そして、短い応答。
『判断保留』
『理由』
『現在、茶会規定および未成年個体休息権との整合性確認中』
『応答不完全』
『再提出』
『判断保留を継続』
白い記録領域に、ノイズが走る。
エクスキューショナーの中で、何かが確実に変わり始めていた。
*
その夜。
リオナと萌亜は、東京へ戻る車の中で並んで座っていた。
疲れていた。
でも、昨日よりは呼吸が楽だった。
萌亜は、リオナの肩に頭を預けている。
「リオナっち」
「何?」
「今日、ちょっとだけ寝れそう」
「よかった」
「でも、夢でまた未来見たらどうしよう」
リオナは、少し考えた。
そして言った。
「起きたら連絡して」
「夜中でも?」
「夜中でも」
「リオナっちも?」
「私も、怖くなったら連絡する」
「半分こ?」
「半分こ」
萌亜は小さく笑った。
「チョベリグ会議、夜間対応」
「その名前はまだ保留」
「まだかあ」
リオナは窓の外を見る。
夜の道路。
遠くの灯り。
見慣れた地球の景色。
エルドラドの太陽炉ではない。
アヴァロンの霧でもない。
普通の夜。
でも、その普通が今はありがたかった。
スマホが震える。
母からのメッセージ。
『日曜、クレープとお茶を用意しておきます。萌亜ちゃんも来られるなら一緒にどうぞ』
リオナは、それを萌亜に見せた。
萌亜の目が輝く。
「行く!」
「即答」
「絶対行く!」
リオナは笑った。
そして、母に返信する。
『行く。萌亜も一緒に。話せることだけ話すね』
すぐに返事が来た。
『それでいいよ。待ってる』
リオナは、スマホを胸に抱いた。
待ってる。
その言葉は、強かった。
アヴァロンの霧がどれだけ深くても。
選定機関が因果をどう弄ろうとしても。
帰る場所があるという事実は、リオナの足元を少しだけ確かにしてくれる。
萌亜が、隣で小さく寝息を立て始めた。
リオナは、そっとその手を握った。
次はアヴァロン。
霧の島。
因果と位相の防衛網。
逃げること。
置いていくこと。
眠らせること。
そして、恐怖の王をどう休ませるのか。
きっと、また楽な道ではない。
でも今は。
少しだけ休む。
それが、次へ進むために必要なことだから。
車は夜の道を進んでいく。
白い選定機関は、霧の向こうで次の手を組み立てている。
黒い海は、遠くで夢を揺らしている。
金色の太陽炉は、萌亜の中で静かに燃えている。
そして、まだ見ぬ霧の島アヴァロンが、ゆっくりと目を覚まし始めていた。
第23話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、エルドラド編の直後に入る休息回兼、アヴァロン編への導入回でした。
前回の白金の扉はかなり重い試練でした。
リオナがいなくなった後の萌亜。
未来の子どもに火種を押しつけてしまう可能性。
現在を永遠に保存する誘惑。
どれもすぐに消化できる内容ではありません。
だから今回は、すぐに次の戦いへ行くのではなく、ちゃんと休む話にしました。
タクヤの茶会。
エックスたちGTGの見守り。
エリからリオナへ残された家族の声。
それらによって、リオナと萌亜はようやく少し泣いて、少し笑って、少し眠れる状態になりました。
エリの声は、外伝5.5話と繋がる要素です。
タクヤに電話をかけたエリが、リオナへ残した言葉。
怖いと思っていい。
泣いていい。
一人で決めなくていい。
帰ってきたら顔を見せなさい。
この言葉は、リオナにとって大きな支えになります。
宇宙規模の戦いの中でも、母が娘を待っている。
それは、リオナを地球側へ繋ぎ止める大事な要素です。
そして、次の防衛網としてアヴァロンが登場しました。
アヴァロンは、霧状位相系統の防衛網です。
シャンバラが精神。
エルドラドが物質と太陽炉。
アヴァロンは、因果と位相のずれを扱います。
簡単に言えば、攻撃を真正面から受け止めるのではなく、攻撃が届くはずだった道筋を霧の中でずらす防衛です。
ただし、ずらすということは危険もあります。
萌亜へ届くはずだった攻撃が、別の誰かへ流れてはいけない。
逃げることで、誰かを置いていってはいけない。
眠らせるという名目で、萌亜の中の恐怖の王を閉じ込めてしまってはいけない。
アヴァロン編では、そのあたりが試練になります。
また、エクスキューショナーは今回も判断保留を続けています。
選定機関本流からアヴァロン干渉計画への応答を求められていますが、茶会規定や未成年個体休息権との整合性を理由に保留しています。
彼女はまだ完全に味方ではありません。
ですが、確実に茶会側へ揺れています。
次回以降、アヴァロン編では、霧、逃避、隔離、眠り、因果のずれが中心になります。
そしてその前に、リオナ、萌亜、タクヤ、エックスたちがエリの家を訪ねる家庭訪問回を挟むこともできます。
重い試練の後だからこそ、家族と甘いものが必要です。
それではまた次回。
霧の向こうへ進む前に、お茶を飲んで休むのは悪くない。