アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜   作:池ポチャ

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第24話です。

今回は、アヴァロン編へ本格的に入る前の家庭訪問回です。

エルドラドで重い試練を越えたリオナと萌亜。

欲望、代価、継承。

そのどれもが、二人にとって簡単に消化できるものではありませんでした。

そんな二人が向かうのは、霧の島アヴァロンではなく、まずはリオナの母・エリの家です。

待っているのは、母の言葉。

クレープ。

お茶。

そして、久しぶりに姉の家へ顔を見せる楠タクヤ。

さらに、エックスも同行します。

選定機関へのカウンターであり、GTG最上級顧問であるエックスにとって、エリはかつて「家族」や「姉」という関係を教えてくれた人でもあります。

宇宙規模の組織でも、選定機関でも、神話防衛網でもない。

普通の家。

普通のお茶。

普通の母と娘。

しかし、その普通こそが、霧の中へ進む前の一番大切な足場になります。



家族訪問、霧の前のクレープ

ただいまと言える場所

 

 日曜日。

 

 姫咲リオナは、玄関の前で少し立ち止まっていた。

 

 見慣れた扉。

 

 見慣れた表札。

 

 見慣れた家。

 

 何度も出入りしてきた、自分の家。

 

 それなのに、今日は少しだけ緊張していた。

 

 隣には安藤萌亜がいる。

 

 いつもより少し大人しい。

 

 だが、手には小さな紙袋を持っている。

 

 中身は、途中で買ったクッキーだ。

 

「リオナっち」

 

「何?」

 

「これ、ちゃんと手土産っぽい?」

 

「うん。ちゃんとしてる」

 

「チョベリグ?」

 

「チョベリグ」

 

 萌亜は少し安心したように頷いた。

 

 その後ろには、楠タクヤが立っている。

 

 黒髪の穏やかな男。

 

 いつもの柔らかい微笑み。

 

 だが、今日は少しだけ苦笑が混じっていた。

 

「久しぶりだなあ」

 

 リオナは叔父を見る。

 

「叔父さん、そんなに来てなかったんですか」

 

「うん。少し忙しくて」

 

「少し?」

 

「かなりかな」

 

「お母さんに怒られますよ」

 

「もう電話で怒られたよ」

 

 タクヤは苦笑した。

 

 そして、その横にはエックスがいた。

 

 白い髪。

 

 黒を基調としたスーツ。

 

 首元には白い布。

 

 きちんと両手で手土産の箱を持っている。

 

 その顔はいつも通り冷静に見える。

 

 しかし、リオナには分かった。

 

 緊張している。

 

 かなり。

 

「エックスさん、大丈夫ですか?」

 

「問題ありません」

 

「本当に?」

 

「地球家庭訪問規定を、ケル、ポム、グラウ、ギギ、法務統括官と共に確認しました」

 

「大げさすぎる」

 

「玄関での挨拶、靴の向き、手土産の渡し方、長居しすぎないこと、茶菓子を断らないこと、家庭内で選定機関関連用語を多用しないこと、すべて確認済みです」

 

「最後は大事ですね」

 

 萌亜がそっと聞いた。

 

「モー子は?」

 

 タクヤが答える。

 

「牧場で待機」

 

「来たがってた?」

 

「かなり」

 

「チョベリバ」

 

 エックスが真面目に言う。

 

「守衛モー子の家庭訪問同行希望は記録済みです」

 

「記録しなくていいやつです」

 

 リオナは苦笑した。

 

 それから、玄関のチャイムを押す。

 

 すぐに足音が近づいた。

 

 扉が開く。

 

 そこに立っていたのは、姫咲エリだった。

 

 リオナの母。

 

 かつては楠エリ。

 

 タクヤの姉。

 

 幼い頃、弟を心配して夜中の裏山まで後をつけた少女。

 

 今は、落ち着いた雰囲気の大人の女性になっている。

 

 だが、その目元には、リオナとよく似た強さがあった。

 

「いらっしゃい」

 

 エリは、まずリオナを見た。

 

 次に萌亜。

 

 そしてタクヤ。

 

 その瞬間、少しだけ目を細める。

 

「タクヤ」

 

「姉さん、久しぶり」

 

「本当に久しぶりね」

 

「うん」

 

「うん、じゃないの」

 

 タクヤは苦笑した。

 

 リオナは思った。

 

 叔父さんが本当に弱い。

 

 宇宙規模の人材保護ネットワークの中心人物。

 

 GTGの原点。

 

 選定機関から分類不能の危険因子扱いされる人。

 

 そのはずなのに、姉の前では完全に弟だった。

 

 エリはため息をつき、それから萌亜へ視線を向けた。

 

「あなたが萌亜ちゃんね」

 

「は、はい! 安藤萌亜です! リオナっちのマブやってます!」

 

「マブ」

 

「えっと、親友です!」

 

 エリはふっと笑った。

 

「聞いてるわ。来てくれてありがとう」

 

「こちらこそ! クッキー持ってきました!」

 

「ありがとう。あとで一緒に食べましょう」

 

 萌亜の顔がぱっと明るくなる。

 

「チョベリグ!」

 

「リオナから聞いてたけど、本当に言うのね」

 

「はい!」

 

 リオナは顔を赤くした。

 

「お母さん、そこは流して」

 

 エリは笑ってから、エックスを見る。

 

 少しだけ、表情が変わった。

 

 懐かしさと、驚きと、静かな優しさが混ざった顔。

 

「エックスさん」

 

 エックスは、深く頭を下げた。

 

「お久しぶりです。楠エリ」

 

「今は姫咲エリだけど、楠エリでもいいわ」

 

「はい。では、エリ」

 

「うん。それでいいわ」

 

 エックスは、手土産の箱を差し出した。

 

「本日はお招きいただき、ありがとうございます。これはGTG推奨茶菓子詰め合わせです」

 

「ありがとう。そんなにかしこまらなくていいのよ」

 

「家庭訪問礼儀規定に従っています」

 

「相変わらず真面目ね」

 

「相変わらず、でしょうか」

 

「ええ。昔から」

 

 エックスは一瞬だけ目を伏せた。

 

 昔。

 

 夜の裏山。

 

 麦茶。

 

 おにぎり。

 

 姉という関係を知らなかった頃。

 

 エリは、その時と同じように言った。

 

「入りなさい。お茶、淹れてあるから」

 

 エックスは、小さく答えた。

 

「ありがとうございます」

 

     *

 

 リビングには、すでにお茶と甘いものが用意されていた。

 

 クレープ。

 

 紅茶。

 

 ほうじ茶。

 

 小皿に分けたクッキー。

 

 そして、なぜか麦茶もある。

 

 萌亜は、テーブルを見た瞬間に固まった。

 

「クレープ……!」

 

 エリは笑った。

 

「好きって聞いたから」

 

「好きです! マンモス好きです!」

 

「マンモス」

 

「すみません、死語です」

 

「いいのよ。楽しそうだから」

 

 リオナは隣で少し顔を覆った。

 

「お母さんが受け入れ早い」

 

 エリはさらりと言う。

 

「タクヤで慣れてるもの」

 

「叔父さん、何してきたんですか」

 

「色々よ」

 

 タクヤは苦笑する。

 

「昔の話だよ」

 

「現在進行形でしょう」

 

「そうだね」

 

 エリはタクヤにお茶を出しながら、じっと見た。

 

「ちゃんと食べてる?」

 

「食べてるよ」

 

「寝てる?」

 

「それなりに」

 

「それなり禁止って言ったわよね」

 

「はい」

 

 タクヤは素直に頷いた。

 

 エックスが横で静かに記録するように呟く。

 

「姉権限、即時効果あり」

 

 リオナは笑いそうになった。

 

 エリはエックスへお茶を出した。

 

「エックスさんも、どうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 エックスは両手で湯呑みを受け取った。

 

 麦茶ではない。

 

 今日はほうじ茶。

 

 湯気が立っている。

 

 エックスはしばらくそれを見つめていた。

 

「熱いから、ゆっくりね」

 

「はい」

 

 エリのその言葉に、エックスの瞳が少し揺れた。

 

 リオナはそれに気づいた。

 

 何気ない言葉。

 

 けれど、エックスにとっては、きっと特別なのだ。

 

 かつてタクヤに麦茶とおにぎりをもらった少女。

 

 今はGTG最上級顧問。

 

 それでも、こうして誰かに「熱いからゆっくり」と言われることは、きっとまだ新しい。

 

 エックスは、少し冷ましてからお茶を飲んだ。

 

「……おいしいです」

 

 エリは柔らかく笑った。

 

「よかった」

 

 その瞬間、エックスの顔に、ほんの少しだけ安堵が浮かんだ。

 

     *

 

 しばらくは、本当に普通の時間だった。

 

 萌亜がクレープを食べる。

 

 リオナがそれを見て少し笑う。

 

 タクヤがエリに近況を聞かれる。

 

 エックスが茶菓子の食べ方を真面目に観察する。

 

 普通。

 

 ただの家族訪問。

 

 ただの休日。

 

 ただの甘いものの時間。

 

 でも、リオナには分かっていた。

 

 この普通が、今はとても大事なのだと。

 

 エリはリオナを見た。

 

「リオナ」

 

「何?」

 

「ちゃんと休めた?」

 

 リオナは少しだけ黙った。

 

 嘘をつこうとは思わなかった。

 

「まだ、あんまり」

 

「そう」

 

「でも、昨日よりはマシ」

 

「それならよかった」

 

 エリは深く追及しなかった。

 

 それがありがたかった。

 

 話せることだけ話せばいい。

 

 電話の声と同じだった。

 

 萌亜が、クレープを少し置いて言う。

 

「あの、エリさん」

 

「なあに?」

 

「リオナっち、すごく頑張ってます」

 

 リオナが驚く。

 

「萌亜?」

 

「いっぱい怖いのに、萌亜の手握ってくれます。萌亜が怖いって言っても、逃げません。未来のことも、泣きながら一緒に見てくれました」

 

 リオナの胸が詰まる。

 

「ちょっと、萌亜」

 

「言いたかった」

 

 萌亜は、エリをまっすぐ見た。

 

「だから、リオナっちを産んでくれてありがとうございます」

 

 部屋が静かになった。

 

 リオナは、顔が熱くなるのを感じた。

 

 エリは少し目を見開いた後、ゆっくり微笑んだ。

 

「こちらこそ」

 

 萌亜が首を傾げる。

 

「こちらこそ?」

 

「リオナのそばにいてくれて、ありがとう」

 

 萌亜の目が揺れた。

 

 エリは続けた。

 

「この子、昔から強がりだから。誰かのために怒るのは得意だけど、自分がつらいって言うのは苦手なの」

 

「分かります」

 

「でしょう?」

 

「リオナっち、すぐ平気な顔します」

 

「萌亜もするでしょ」

 

 リオナが思わず言う。

 

 萌亜は目を泳がせた。

 

「萌亜は、チョベリグ顔でごまかすだけです」

 

「それを平気な顔って言うの」

 

 エリは少し笑った。

 

「じゃあ、お互い様ね」

 

 リオナと萌亜は顔を見合わせた。

 

 そして、少しだけ笑った。

 

     *

 

 話が落ち着いた頃、エリはタクヤへ視線を戻した。

 

「それで、タクヤ」

 

「はい」

 

「あなたは、リオナたちをどこまで巻き込むつもり?」

 

 空気が少し変わった。

 

 責める声ではない。

 

 だが、軽くもない。

 

 タクヤは湯呑みを置いた。

 

「巻き込みたいわけじゃないよ」

 

「分かってる」

 

「でも、もうリオナちゃんも萌亜ちゃんも、自分で選んで進んでる」

 

「それも分かってる」

 

 エリは静かに言う。

 

「だからこそ、あなたに聞いてるの。あなたは、あの子たちが進む道の危なさを知ってる側でしょう」

 

「うん」

 

「なら、ちゃんと大人として見てあげて」

 

 リオナは、母を見る。

 

 エリの声は穏やかだった。

 

 でも、強い。

 

「子ども扱いして隠すんじゃなくて、危ないことは危ないと言う。無理なら止める。泣くなら待つ。帰ってきたら迎える」

 

 タクヤは黙って聞いていた。

 

「昔、あなたにも言ったわよね。家族に心配をかけすぎないこと」

 

「うん」

 

「今度は、リオナにも必要なの。萌亜ちゃんにも」

 

 タクヤは、少し目を伏せた。

 

「そうだね」

 

「あなたは何でも受け止めようとするけど、受け止めるだけじゃなくて、ちゃんと帰す場所も作りなさい」

 

 エックスが、小さく呟いた。

 

「帰す場所」

 

 エリはエックスを見た。

 

「茶会って、そういう場所でもあるんでしょう?」

 

 エックスは、静かに頷いた。

 

「はい。疲れたら、お茶を飲んで休む場所です」

 

「なら、休んだ後に帰る場所もいるわ」

 

 その言葉は、リオナの胸にも落ちた。

 

 休む場所。

 

 帰る場所。

 

 進む場所。

 

 それぞれ違う。

 

 茶会は休む場所。

 

 エリの家は帰る場所。

 

 そしてアヴァロンは、次に進む場所。

 

 萌亜はクレープを見つめながら言った。

 

「萌亜にも、帰る場所ある?」

 

 エリは即答した。

 

「あるわよ」

 

 萌亜が顔を上げる。

 

「ここも?」

 

「来たいなら、いつでも」

 

 萌亜の目が潤んだ。

 

「本当に?」

 

「もちろん。リオナの大事な友達なんでしょう?」

 

「はい」

 

「なら、うちに来ていい子よ」

 

 萌亜は、泣きそうな顔で笑った。

 

「……チョベリグ」

 

 リオナはそっと萌亜の手を握った。

 

 エックスは、その光景を黙って見ていた。

 

 家族。

 

 血だけではない。

 

 帰ってきていいと言われる場所。

 

 そういう関係。

 

 選定機関には分類しづらいもの。

 

 だからこそ、強いもの。

 

     *

 

 その時だった。

 

 窓の外が、白く曇った。

 

 昼間のはずなのに、急に霧が出たように景色がぼやける。

 

 リオナが立ち上がる。

 

「霧……?」

 

 エックスの表情が鋭くなる。

 

「アヴァロン反応」

 

 タクヤも静かに窓を見る。

 

 エリはすぐにリオナと萌亜を自分の側へ寄せた。

 

「何?」

 

 窓ガラスの向こう。

 

 白い霧の中に、細い影が見えた。

 

 島のようなもの。

 

 湖のようなもの。

 

 そして、遠くで眠る誰かの輪郭。

 

 萌亜が胸を押さえる。

 

「呼んでる」

 

 リオナがその手を握る。

 

「今?」

 

「ううん。まだ遠い。でも、見てる」

 

 霧の中に、白い文字が浮かんだ。

 

 選定機関のものとは違う。

 

 もっと古い。

 

 もっと柔らかい。

 

 だが、同時に恐ろしいほど静かな文字。

 

『王よ』

 

『疲れたなら眠れ』

 

『刃が届かぬ霧の奥へ』

 

『痛みも』

 

『恐怖も』

 

『別れも』

 

『すべて霧に沈めてやろう』

 

 萌亜の顔が青ざめる。

 

「これ……」

 

 タクヤが低く言った。

 

「アヴァロンの呼び声に、選定機関が混ざってる」

 

 エックスが頷く。

 

「はい。本来のアヴァロンは休息と位相防衛の系統です。しかし、選定機関が“隔離”として利用しようとしている」

 

 白い文字が揺れる。

 

『恐怖の王を眠らせよ』

 

『眠れば傷つかない』

 

『眠れば奪わない』

 

『眠れば選ばなくていい』

 

 萌亜の手が震えた。

 

 リオナはすぐに握り返す。

 

「萌亜、聞きすぎないで」

 

「うん、でも……ちょっと、楽そうって思っちゃった」

 

 リオナの胸が痛む。

 

 疲れている。

 

 萌亜は疲れている。

 

 エルドラドであんな未来を見たばかりだ。

 

 眠ってしまえば、考えなくていい。

 

 恐怖の王を眠らせてしまえば、誰も傷つけない。

 

 そう囁かれたら、惹かれてしまうのも当然だった。

 

 エリが、静かに窓の前へ立った。

 

「エリさん?」

 

 萌亜が戸惑う。

 

 エリは霧を見て言った。

 

「眠るのは悪いことじゃないわ」

 

 白い霧が止まる。

 

「疲れたら寝なさい。泣き疲れたら寝なさい。怖い夢を見たら、誰かを起こしてもいい」

 

 エリの声は、母の声だった。

 

「でも、眠らせるって言葉で閉じ込めようとするなら、それは休息じゃない」

 

 霧が揺れる。

 

『母性因子』

 

『接続因子支援』

 

『干渉』

 

 選定機関の白い線が、霧の中に一瞬混ざった。

 

 タクヤが立ち上がる。

 

 エックスも前に出る。

 

 だが、エリは手で制した。

 

「まだ大丈夫」

 

 そして、窓の向こうへ言った。

 

「この子たちは、今日は休みに来たの。次へ行くかどうかを今決めるためじゃない」

 

 リオナは母の背中を見た。

 

 強い。

 

 やはり強い。

 

 宇宙の力はない。

 

 神話防衛網の権限もない。

 

 でも、母として、ここは休む場所だと言い切っている。

 

 萌亜が小さく呟く。

 

「エリさん……」

 

 エリは振り返らずに言った。

 

「萌亜ちゃん」

 

「はい」

 

「眠りたい時は、ちゃんと布団で寝なさい。霧の中じゃなくて」

 

 萌亜の目が大きくなる。

 

 そして、少しだけ笑った。

 

「……はい」

 

「リオナも」

 

「うん」

 

「怖いからって、霧に全部預けない。怖いなら、ここに持って帰ってきなさい」

 

 リオナの胸が熱くなる。

 

「うん」

 

 タクヤが、静かに微笑んだ。

 

「姉さんは、昔から強いね」

 

「あなたが危なっかしいからでしょ」

 

「そうだね」

 

 その時、窓の外に銀色の光が走った。

 

 遠く、牧場の方角。

 

 もー、という声が聞こえた気がした。

 

 霧が一瞬だけ退く。

 

 茶葉缶が淡く光る。

 

『牛倫理協定、家庭休息時間保護条項、暫定発動』

 

『名誉終身守衛モー子、遠隔勤務中』

 

『家庭訪問中の過剰霧誘導、倫理審査対象』

 

 リオナは思わず声を上げた。

 

「モー子、遠隔で!?」

 

 萌亜が涙目で笑う。

 

「チョベリグ牛!」

 

 選定機関の白い線が乱れる。

 

『牛』

 

『家庭』

 

『休息時間』

 

『再計算』

 

 エックスが一歩前へ出る。

 

「アヴァロン系統への不正混入を確認。GTGとして記録します」

 

 霧の中の白い線が薄れていく。

 

 だが、アヴァロンそのものの霧は完全には消えない。

 

 ただ、遠くへ退いた。

 

 優しい霧と、危険な霧。

 

 その違いを、リオナは少しだけ感じた。

 

 窓の外に、最後の文字が浮かぶ。

 

『霧は待つ』

 

『王が眠るか』

 

『王が目覚めたまま休むか』

 

『答えを持って来い』

 

 霧は消えた。

 

 窓の外には、普通の昼の景色が戻っていた。

 

     *

 

 リビングは静かだった。

 

 萌亜は少し震えている。

 

 リオナはその肩に手を置く。

 

 エリは、何事もなかったかのように言った。

 

「クレープ、まだ残ってるわよ」

 

 萌亜が目を瞬かせる。

 

「え?」

 

「こういう時は、食べられるなら食べる。泣きたいなら泣く。眠いなら寝る」

 

 タクヤが苦笑した。

 

「姉さんらしいね」

 

「あなたにも言ってるの」

 

「はい」

 

 エックスは、エリを見つめていた。

 

「エリ」

 

「何?」

 

「あなたは、アヴァロンの霧に対しても家庭規則を適用しました」

 

「そうなの?」

 

「はい」

 

「難しいことは分からないけど、休みに来た子を変な霧に連れていかれたら困るでしょう」

 

 エックスは、ゆっくり頷いた。

 

「非常に、悪くありません」

 

 エリは笑った。

 

「ありがとう」

 

 萌亜は、少し震えながらクレープを手に取った。

 

 一口食べる。

 

 甘い。

 

 ちゃんと甘い。

 

 霧の中へ沈む眠りではなく、今ここで食べる甘さ。

 

 それが、萌亜を現実へ戻してくれた。

 

「おいしい」

 

 エリは優しく言う。

 

「よかった」

 

 萌亜は、少し泣きながら笑った。

 

「萌亜、霧で寝るより、ここで寝たい」

 

「それでいいのよ」

 

 リオナは萌亜の手を握った。

 

「今日は泊まってく?」

 

 萌亜が驚く。

 

「いいの?」

 

 エリが即答する。

 

「いいわよ。布団出すから」

 

 萌亜の目が潤む。

 

「……チョベリグ」

 

 リオナは笑った。

 

 タクヤも微笑んだ。

 

 エックスは静かに湯呑みを持った。

 

 その光景は、宇宙規模の戦いとは思えないほど普通だった。

 

 けれど、その普通が、アヴァロンの霧に対する最初の答えでもあった。

 

 眠りたいなら、霧ではなく布団で眠る。

 

 逃げたいなら、誰かに怖いと言う。

 

 休むことと、閉じ込められることは違う。

 

 その違いを、リオナと萌亜はこの家で知った。

 

     *

 

 夕方。

 

 タクヤとエックスは、帰る準備をしていた。

 

 リオナと萌亜は、そのままエリの家に泊まることになった。

 

 萌亜はすでに少し眠そうだった。

 

 エルドラドの疲れも、アヴァロンの霧の呼び声も、まだ身体に残っているのだろう。

 

 エリがタクヤを玄関まで見送る。

 

「タクヤ」

 

「何?」

 

「また来なさい」

 

「うん」

 

「今度は、こんな大きな用事がなくても」

 

「分かった」

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

 エリはじっと弟を見る。

 

 タクヤは苦笑した。

 

「姉さんには敵わないね」

 

「昔からでしょ」

 

「うん」

 

 エックスが丁寧に頭を下げる。

 

「本日は、ありがとうございました」

 

「こちらこそ。来てくれてありがとう」

 

「お茶、おいしかったです」

 

「また淹れるわ」

 

 エックスの瞳が、少し揺れた。

 

「また」

 

「ええ。また」

 

 その言葉を、エックスは大事そうに受け取った。

 

 タクヤは玄関の外へ出る。

 

 夕方の空に、ほんの少し霧が漂っていた。

 

 まだ遠い。

 

 でも、確実に近づいている。

 

 タクヤはその霧を見て、静かに言った。

 

「アヴァロンは、休ませる場所でもある。でも、休ませ方を間違えると、閉じ込める場所になる」

 

 エックスが頷く。

 

「次の試練は、逃避と休息の区別になる可能性が高いです」

 

「うん」

 

「萌亜は、霧の眠りに引かれています」

 

「疲れてるからね」

 

「危険です」

 

「だから、休ませよう。霧じゃなくて、ちゃんと帰れる場所で」

 

 エックスは、エリの家を振り返った。

 

 窓の向こうに、リオナと萌亜の影が見える。

 

 エリが二人に何かを言っている。

 

 たぶん、布団の話か、夕食の話か、風呂の順番の話。

 

 宇宙規模ではない。

 

 でも、とても大切な話。

 

「帰れる場所」

 

 エックスは静かに繰り返した。

 

「悪くありません」

 

     *

 

 その夜。

 

 リオナと萌亜は、同じ部屋に布団を並べて寝ることになった。

 

 修学旅行のようだと萌亜が言った。

 

 リオナは少し笑った。

 

 部屋の灯りを消す前、エリが二人に声をかけた。

 

「何かあったら呼びなさい」

 

「うん」

 

「夜中でも?」

 

 萌亜が聞く。

 

「夜中でも」

 

「エリさん、チョベリグ……」

 

「ありがとう」

 

 エリが部屋を出ていく。

 

 灯りが消える。

 

 暗い部屋。

 

 窓の外には、普通の夜。

 

 霧はない。

 

 リオナは布団の中で、萌亜の方を向いた。

 

「萌亜」

 

「何?」

 

「眠れそう?」

 

「うん。たぶん」

 

「怖くなったら起こして」

 

「リオナっちもね」

 

「うん」

 

 少し沈黙。

 

 萌亜が小さく言った。

 

「霧の中で寝るより、こっちの方がいい」

 

「うん」

 

「布団、あったかい」

 

「うん」

 

「リオナっち、いる」

 

「いるよ」

 

 萌亜は、安心したように目を閉じた。

 

「チョベリグ……」

 

 その声は、すぐに寝息に変わった。

 

 リオナは、しばらく萌亜を見ていた。

 

 霧の島。

 

 アヴァロン。

 

 恐怖の王を眠らせようとする場所。

 

 でも、今日分かった。

 

 眠りは悪ではない。

 

 逃げることも、時には必要かもしれない。

 

 ただし、戻れない眠りは違う。

 

 誰かを置いていく逃避も違う。

 

 休むなら、帰ってこられる場所で。

 

 眠るなら、起きた時に誰かがいる場所で。

 

 リオナは、ゆっくり目を閉じた。

 

 久しぶりに、少し眠れそうだった。

 

 窓の外。

 

 遠くの夜空の向こうで、白い霧が静かに揺れている。

 

 アヴァロンは待っている。

 

 選定機関もまた、霧の中で次の手を準備している。

 

 だが今夜だけは。

 

 リオナと萌亜は、母の家で眠る。

 

 クレープとお茶の匂いが残る部屋で。

 

 帰ってきていい場所で。

 

 次に進むための、本当の休息を知りながら。

 

 そして、霧の向こうにある試練は、静かに二人を待っていた。

 





第24話を読んでいただき、ありがとうございました。

今回は、アヴァロン編へ入る前の家庭訪問回でした。

エルドラドで重い試練を越えたリオナと萌亜に必要だったのは、次の戦いではなく、まず帰る場所でした。

そこで登場したのが、リオナの母・エリの家です。

エリは、外伝ではタクヤを心配して夜中に後をつけた姉でした。

今はリオナの母になっていますが、「心配する役」であることは変わっていません。

タクヤに対しては今でも姉として叱ります。

リオナには母として待っています。

萌亜には、リオナの大事な友達として「来ていい」と言います。

この普通の家庭の温度が、今回の中心です。

また、エックスにとっても今回は大切な回です。

かつて麦茶とおにぎりをもらった少女だったエックスが、今度はエリからお茶を出される。

しかも「また来ていい」と言われる。

選定機関にはなかった「家族」や「帰る場所」の感覚を、エックスが少しずつ理解していく話にもなっています。

そして、アヴァロンの霧が少しだけ現れました。

アヴァロンは、休息と隔離の境界にある防衛網です。

疲れた王を眠らせる場所。

刃が届かない霧の島。

しかし、選定機関はそこへ干渉し、「眠れば傷つかない」「選ばなくていい」という形で萌亜を閉じ込めようとしています。

今回エリが言ったように、眠ること自体は悪くありません。

疲れたら眠っていい。

泣き疲れたら休んでいい。

けれど、眠らせるという言葉で閉じ込めるなら、それは休息ではありません。

アヴァロン編のテーマは、そこになります。

休息と逃避。

眠りと隔離。

守るための霧と、置き去りにする霧。

萌亜の中の恐怖の王を、どう休ませるのか。

そしてリオナは、霧の中で誰かを置いていかずにいられるのか。

次回から、いよいよアヴァロン編に入ります。

それではまた次回。

霧の前に、家でクレープを食べるのは悪くない。
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