アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜 作:池ポチャ
第29話です。
ここから、アヴァロン第三試練に入ります。
アヴァロン第一試練では、萌亜は「霧の寝台に閉じ込められる眠り」を拒みました。
第二試練では、リオナと萌亜は「相手のために一人で逃げること」を拒みました。
眠るなら、帰れる場所で。
逃げるなら、一緒に逃げて、一緒に戻る。
そうして二人は、アヴァロンの霧を少しずつ防衛網として整えてきました。
しかし、選定機関はそこで止まりません。
眠らせられないなら、無理やり起こす。
逃げ道を切れないなら、内側から壊す。
次に選定機関が狙うのは、萌亜の奥底にいる「恐怖の王」です。
アンゴルモア。
文明選定個体。
恐怖の大王。
萌亜自身がずっと怖がってきた、自分の中の巨大な力。
今回は、その王が強制的に目覚めさせられます。
リオナの声が届かない場所。
茶会の香りも薄れる場所。
エリの家の布団も、クレープも、手のぬくもりも、遠くなる場所。
そこで萌亜は、自分が本当に世界を壊すかもしれない恐怖と向き合うことになります。
第三試練は三話構成。
今回は、その第一幕です。
その王は、誰の中にいるのか
アヴァロン第二試練の翌朝。
安藤萌亜は、姫咲家の布団の中で目を覚ました。
最初に見えたのは、天井。
次に、隣で眠る姫咲リオナの横顔。
それから、窓の外の朝の光。
霧はない。
白い寝台もない。
離脱門もない。
接続因子切断契約もない。
ただ、普通の朝だった。
「……帰ってる」
萌亜は小さく呟いた。
昨日、自分は霧の奥へ消えようとした。
リオナを守るため。
リオナを危険から遠ざけるため。
そう思っていた。
けれど、それはリオナに聞かないまま決めた「置き去り」だった。
一緒に逃げる。
一緒に戻る。
二人は、そう決めて帰ってきた。
だから今、萌亜は布団の中にいる。
リオナの隣にいる。
それだけで胸の奥がじんわり温かくなる。
だが。
その温かさの奥に、別のものがあった。
黒い影。
紫の星。
巨大な輪。
前よりもはっきりしている。
前回、霧の寝台に閉じ込めるのではなく、萌亜の中で休ませると決めたもの。
恐怖の王。
それが、眠っている。
眠っているはずだった。
「……王様?」
萌亜は胸元に手を当てる。
返事はない。
ただ、暗く大きな気配がある。
怖い。
けれど、前よりは少しだけ遠くない。
自分の外にある怪物ではなく、自分の中にいる何か。
そう思えるようになっていた。
その時、隣のリオナが薄く目を開けた。
「萌亜……?」
「あ、起こした?」
「ううん」
リオナは眠そうに目をこすり、それからすぐに萌亜の顔を見た。
「大丈夫?」
最近、リオナはその言葉をよく言う。
そして最近、萌亜はその言葉に嘘をつかない練習をしている。
「ちょっと怖い」
「うん」
「胸の奥に、王様がいる感じがする」
リオナの表情が引き締まる。
だが、手はすぐに萌亜へ伸びた。
布団の上で、二人は手を繋ぐ。
「暴れそう?」
「まだ。寝てる。でも、前より近い」
「そっか」
「リオナっち、怖い?」
リオナは少し黙った。
それから、ちゃんと答えた。
「怖い」
「うん」
「でも、萌亜が言ってくれたから、もっと怖くなくなった」
「言ったから?」
「うん。黙って一人で抱えられる方が怖い」
萌亜は、少し目を伏せた。
「昨日のこと?」
「昨日のこと」
「ごめん」
「説教は昨日した」
「はい」
「だから今日は、言ってくれてありがとう」
萌亜の胸がまた熱くなる。
怖いことを言っても、リオナは手を離さなかった。
それが嬉しくて、申し訳なくて、少し泣きそうになった。
その時。
窓の外が、白く曇った。
朝の光に混じって、霧が滲む。
リオナが起き上がる。
「また?」
萌亜も身体を起こした。
霧は、昨日までよりも静かだった。
呼び声はない。
誘導もない。
ただ、遠くから見つめているような気配。
だが、その奥に、白い線が走った。
選定機関の白。
冷たい。
分類する白。
萌亜の胸の奥で、黒い影がぴくりと動いた。
「っ……!」
「萌亜!」
リオナが肩を支える。
萌亜は胸を押さえた。
痛いわけではない。
けれど、内側を叩かれたような衝撃があった。
眠っていたものを、外から棒で突かれたような。
無理やり、起こされるような。
窓の外に、白い文字が浮かぶ。
『第三試練、準備開始』
『恐怖の王、覚醒誘導』
リオナの顔色が変わった。
「覚醒誘導……?」
霧の奥から、選定機関の声が響いた。
『眠りによる隔離、失敗』
『接続切断による分離、失敗』
『次段階』
『対象内部王性の強制覚醒』
『暴走確認後、危険個体として処理』
萌亜の呼吸が乱れた。
「暴走……確認?」
リオナが怒りを滲ませる。
「わざと暴走させて、危険だから切るつもり?」
『肯定』
あまりにも冷たい返答だった。
『安藤萌亜の危険性を立証する』
『接続因子、姫咲リオナの判断不適格を証明する』
『アヴァロン防衛網を隔離機構へ再定義する』
霧が濃くなる。
布団も、部屋も、朝の光も、少しずつ遠くなっていく。
リオナは萌亜の手を強く握った。
「行かせない」
だが、霧は二人を包む。
今回は、小舟も湖もない。
アヴァロンが開く前に、選定機関が内側から引きずり込もうとしている。
萌亜の胸の奥が、どん、と鳴った。
心臓ではない。
もっと深い場所。
文明選定個体としての核。
そこに眠る王が、無理やり揺さぶられていた。
「リオナっち……!」
「萌亜!」
次の瞬間、白い霧が部屋を塗り潰した。
*
姫咲家のリビングで朝食の準備をしていたエリは、すぐに異変に気づいた。
空気が冷えた。
霧の匂いがした。
そして、二階から何かが軋むような気配がした。
「リオナ!」
エリは階段へ向かおうとした。
その瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
返事を待たず、ドアの向こうからタクヤの声がする。
「姉さん、入っていい?」
「早く!」
タクヤとエックスが入ってきた。
タクヤの表情は、普段よりずっと硬い。
エックスの瞳には白い光が浮かんでいる。
「選定機関が動いたのね」
エリが言うと、エックスが頷いた。
「はい。第三試練を待たず、萌亜の内部王性へ直接干渉しています」
「内部王性?」
エリの眉が寄る。
「恐怖の王、という表現が近いです」
「それを起こそうとしているの?」
「はい。強制的に」
エリの顔が強張った。
「寝ている子を無理やり起こすのも最低だけど、心の奥にいるものを無理やり起こすのはもっと最低ね」
タクヤは苦笑しなかった。
ただ静かに頷いた。
「うん。かなり悪質だよ」
二階から、微かな声が聞こえた。
萌亜の声。
リオナの声。
すぐに遠ざかる。
エリは階段を駆け上がろうとした。
しかし、エックスが手を伸ばした。
「待ってください。今入ると、あなたも巻き込まれます」
「娘がいるのよ」
「分かっています」
エックスの声は鋭かった。
けれど、震えてもいた。
「だからこそ、外から帰還場所を固定してください」
エリは止まった。
「帰還場所」
「はい。前回、二人はここを戻る場所にしました。今回、内側の王性が暴走すれば、霧も帰還経路も破壊されます。外側から“ここへ帰る”という目印が必要です」
タクヤが茶葉缶を出す。
「姉さん、朝ごはんを続けて」
「は?」
「いつもの朝みたいに。ご飯でも、お味噌汁でも、お茶でも。二人が帰ってきた時に、朝が続いているように」
エリは、一瞬だけタクヤを見た。
その目は厳しかった。
「こんな時に、朝ごはん?」
「こんな時だから」
タクヤは言う。
「選定機関は、萌亜ちゃんを危険個体として切り離したい。アヴァロンを隔離に変えたい。なら、こっちは普通の朝を残す」
エリは黙った。
リオナと萌亜が霧の中へ引きずり込まれている。
今すぐ二階へ行きたい。
抱きしめたい。
呼び戻したい。
でも、ここで自分がすべきことがある。
エリは深く息を吸った。
「分かった」
そして、台所へ戻った。
「朝ごはん、冷めないようにするわ」
エックスが小さく呟いた。
「家庭由来帰還固定、開始」
タクヤは茶葉缶を開いた。
ほうじ茶の香りが、家の中に広がった。
*
萌亜は、暗い宇宙に立っていた。
いや、立っているというより、浮いていた。
上下がない。
地面もない。
空もない。
ただ、黒い空間が広がっている。
その中心に、巨大な輪があった。
黒い輪。
星を飲み込むほど大きい。
輪の内側には、紫の星雲が渦巻き、無数の白い線が突き刺さっている。
その白い線が、輪を揺さぶっていた。
眠っている獣を、槍で突くように。
萌亜は息を呑んだ。
「あれ……」
言わなくても分かった。
恐怖の王。
自分の中の、一番怖いもの。
それが目の前にいる。
大きすぎる。
怖すぎる。
見ているだけで、身体が震える。
リオナの手はない。
手首の紐も見えない。
声も聞こえない。
完全に、一人。
萌亜は自分の腕を抱いた。
「リオナっち……?」
返事はない。
かわりに、選定機関の声が響く。
『安藤萌亜』
『対象内部王性を確認』
『恐怖の王、覚醒段階へ移行』
白い線が、黒い輪へ深く突き刺さる。
黒い輪が震えた。
宇宙全体が軋む。
萌亜は耳を塞いだ。
「やめて!」
『やめる理由なし』
『危険性の立証が必要』
『暴走が確認されれば、処理は正当化される』
「暴走させたいだけじゃん!」
『危険は存在する』
『起こすことで確認する』
あまりにも無機質な理屈。
萌亜は怒りを覚えた。
でも、怒った瞬間、黒い輪が反応した。
紫の光が増す。
萌亜の怒りを燃料にするように。
胸の奥が熱くなる。
怖い。
怒れば怒るほど、王が近づいてくる。
泣きそうになる。
泣けば、悲しみが王へ流れる。
叫べば、叫びが王を揺らす。
何をしても、王が起きる。
『感情反応、王性へ流入』
『覚醒率、上昇』
選定機関の声が冷たく告げる。
萌亜は、口を押さえた。
怒ってはいけない。
泣いてはいけない。
怖がってはいけない。
そう思うほど、感情が大きくなる。
黒い輪の奥で、巨大な瞳が開きかけた。
紫の瞳。
星雲のような、終末のような目。
萌亜は後ずさる。
「起きないで……」
けれど、その言葉すら刺激になった。
黒い輪の内側から、声がした。
『なぜ』
萌亜の呼吸が止まる。
王の声。
低く、遠く、宇宙全体の底から響くような声。
『なぜ、我を眠らせる』
「ち、違う……閉じ込めたいわけじゃ……」
『なぜ、恐れる』
「怖いから……」
『なぜ、我を呼ばない』
萌亜は言葉を失った。
呼ばない。
確かにそうだった。
萌亜は、恐怖の王を自分の中の危険なものとしてしか見てこなかった。
眠らせようとした。
休ませようとした。
暴れないでと願った。
でも、名前を呼んだことはなかった。
ちゃんと話しかけたこともなかった。
黒い輪がさらに震える。
白い線が、王を刺す。
王の声が、怒りに近づく。
『痛い』
萌亜は目を見開いた。
「え……?」
『痛い』
その声は、巨大で恐ろしくて。
でも、確かに苦しんでいた。
白い線が刺さっている。
眠っていたところを無理やり起こされている。
王は暴れようとしているのではない。
痛がっている。
萌亜の胸が震えた。
「痛いの……?」
『白が刺す』
『白が測る』
『白が切る』
『白が、我を証拠にする』
萌亜は、選定機関の白い線を見た。
危険性を立証するために、王を傷つけている。
萌亜を危険だと示すために、萌亜の中の一番怖いものを痛めつけている。
恐怖の王が暴れたら、萌亜は処理対象になる。
リオナは判断不適格になる。
アヴァロンは隔離機構に変えられる。
すべて、そのため。
萌亜の中で、怒りが湧いた。
その怒りに、王が反応する。
紫の光が膨れ上がる。
「だめ……怒っちゃだめ……!」
萌亜は必死に抑えようとする。
だが、選定機関の声が囁く。
『抑制失敗』
『王性覚醒率、上昇』
『危険性、確認中』
白い線がさらに突き刺さる。
黒い輪が大きく開いた。
*
リオナは、白い廊下にいた。
病院のようでもあり、学校の廊下のようでもあり、選定機関の記録領域のようでもある場所。
壁には、無数の映像が並んでいる。
萌亜が笑っている映像。
萌亜が泣いている映像。
萌亜がクレープを食べている映像。
萌亜がリオナの手を握っている映像。
そして、その隣に、黒い輪が映っている。
恐怖の王。
選定機関の声が響く。
『姫咲リオナ』
『対象の危険性を確認せよ』
リオナは壁の映像を睨む。
「萌亜を見せて」
『表示中』
「違う。分類じゃなくて、萌亜本人」
『安藤萌亜と恐怖の王の分離表示は困難』
リオナの胸が冷える。
その言い方。
まるで、萌亜と恐怖の王が同一であり、だから危険だと言いたいようだった。
廊下の奥に、白い扉が現れる。
扉には文字。
『処理提案』
『恐怖の王切除』
『安藤萌亜の人格部分保護』
『接続因子への負荷軽減』
リオナは息を呑んだ。
萌亜の中から、恐怖の王だけを切り離す。
一見、救いに見える。
怖い力だけを消して、萌亜だけを残す。
それができるなら、と一瞬思ってしまった。
思ってしまったことに、リオナ自身が傷ついた。
「……っ」
選定機関の声が響く。
『あなたも望んでいる』
『安藤萌亜から危険性を除去したい』
『恐怖の王を切り離せば、彼女は安全』
『あなたも安全』
リオナは拳を握る。
違う。
そう言いたい。
でも、本当に一瞬も思わなかったか。
萌亜が普通の女の子になれたら。
恐怖の王がいなければ。
世界を壊すかもしれない力がなければ。
そう思ったことが、ないと言えるか。
言えなかった。
だから、苦しかった。
白い扉が開く。
中には、手術台のようなものがある。
その上に、萌亜が眠っている。
穏やかな顔。
その胸元から、黒い影が引き剥がされようとしている。
白い器具。
白い糸。
白い刃。
選定機関の声が優しくなる。
『恐怖だけを除去する』
『彼女は笑える』
『あなたは安心できる』
リオナの足が一歩、前へ出た。
その瞬間、遠くで萌亜の声が聞こえた気がした。
『痛いの……?』
リオナは足を止めた。
痛い。
誰が?
萌亜か。
恐怖の王か。
両方か。
リオナは、白い手術台を見た。
眠っている萌亜の頬に、涙が流れていた。
穏やかな顔のまま、泣いていた。
胸元から引き剥がされる黒い影も、震えていた。
リオナは悟った。
これは、萌亜を救う手術ではない。
萌亜の中にある怖いものを、萌亜の意思を聞かずに切る行為だ。
エルドラドで拒んだこと。
アヴァロンで拒んだこと。
全部と同じ。
本人抜きで、本人のために決めること。
「……ふざけないで」
リオナの声が低く響いた。
選定機関の白い器具が止まる。
「萌亜が怖い力を持ってるのは知ってる。私だって怖い。怖くないなんて言えない」
リオナは、白い部屋へ踏み込んだ。
「でも、怖いからって、萌亜の中のものを勝手に切らない」
『恐怖の王は危険』
「だから話す」
『会話不能』
「決めつけるな」
『王は破壊性を持つ』
「萌亜も傷ついてる」
『情動混同』
「そうだよ。混ざってるんだよ」
リオナは、眠る萌亜の手を取ろうとした。
だが、白い壁が遮る。
『接続因子、接近不可』
『危険性確認前の干渉を禁止』
「確認のために傷つけてるくせに!」
リオナは叫んだ。
その声に、廊下全体が揺れた。
*
湖畔の霧は、黒く染まり始めていた。
タクヤ、エックス、カナメ、ゼルヴァードは湖の前に立っている。
霧の中から、紫の光が漏れている。
エックスの端末が悲鳴のような警告音を鳴らした。
「恐怖の王、覚醒率四十七、五十二、六十一……上昇が早すぎます」
カナメが顔を強張らせる。
「リオナは?」
「分断空間にいます。接続は維持していますが、声が届きません」
ゼルヴァードが術式を展開する。
「外側から白い線を焼く」
「待って」
タクヤが止めた。
「焼いたら、王の怒りに燃料を足す」
ゼルヴァードは歯を食いしばった。
「では見ているだけか」
「違う。怒り以外の道を作る」
タクヤは茶葉缶を両手で持った。
だが、その表情は険しい。
今回、茶会の香りが届きにくい。
選定機関は、萌亜の内側を直接叩いている。
外側からのお茶や声だけでは届かない深さ。
シャンバラの精神接続も、エルドラドの火も、アヴァロンの霧も、すべて混ざって乱されている。
エックスが低く言う。
「このままでは、萌亜の内部で恐怖の王が防衛反応として暴れます」
カナメが問う。
「暴れたらどうなる」
「周辺位相が吹き飛びます。現実側にも影響する可能性があります」
ゼルヴァードが湖を見る。
「つまり、この湖ごと消し飛ぶかもしれないと」
「最悪の場合は」
沈黙。
その時、スマホ越しにエリの声が届いた。
『タクヤ』
「姉さん」
『リオナと萌亜ちゃんは?』
「かなり厳しい」
『そう』
エリは少し黙った。
そして言った。
『朝ごはん、できてるわ』
タクヤは目を閉じた。
「うん」
『味噌汁、温め直せる。卵焼きもある。クレープも少し残ってる』
エックスが顔を上げる。
その言葉は、戦術ではない。
術式でもない。
でも、帰る場所の固定にはなる。
エリは続けた。
『帰ってきたら食べる。それだけは決めておくわ』
タクヤは、小さく頷いた。
「ありがとう、姉さん」
茶葉缶が、わずかに温かくなった。
ほうじ茶の香りに、味噌汁の湯気のような記憶が混ざる。
エックスが驚いたように端末を見る。
「帰還固定、微弱に回復」
タクヤは言う。
「まだ届く」
*
萌亜の前で、恐怖の王が目を開いた。
巨大な紫の瞳。
それが黒い輪の内側から萌亜を見下ろす。
宇宙そのものに見られているようだった。
萌亜は震えた。
逃げたい。
でも、逃げたら王だけが白い線に刺され続ける。
眠らせたい。
でも、眠らせるだけでは痛みは消えない。
消したい。
でも、消すことが本当に救いなのか分からない。
王の声が響く。
『我は恐怖』
萌亜は息を呑む。
『我は終わり』
『我は選定』
『我は、恐れられるために名を与えられた』
黒い輪が広がる。
紫の星々が震える。
『ならば、恐れよ』
萌亜の足元が割れた。
無数の未来が見えた。
自分が暴走して、街が白く消える未来。
リオナが巻き込まれる未来。
エリの家が霧ごと吹き飛ぶ未来。
タクヤの茶会が壊れる未来。
エックスが白い瞳で何かを切ろうとする未来。
モー子の鈴が割れる未来。
「やめて……」
『恐れよ』
「やめて!」
『恐れるなら、我を閉じよ』
「閉じ込めたくない!」
『ならば、我は起きる』
王が、さらに大きくなる。
白い線が刺さるたび、怒りが増す。
痛みが怒りになる。
怒りが破壊性になる。
破壊性が、選定機関の証拠になる。
最悪の循環。
萌亜は泣きながら叫んだ。
「リオナっち!」
返事はない。
声が届かない。
孤独が広がる。
その孤独に、王がさらに反応する。
『一人だ』
王の声が響く。
『王は、一人だ』
「違う……」
『王は、選び、切り、終わらせる』
「違う!」
『ならば、お前は何だ』
萌亜は答えられなかった。
アンゴルモアではない、と言いたい。
でも、自分はアンゴルモアだ。
恐怖の王ではない、と言いたい。
でも、その王は自分の中にいる。
ただの女子高生だと言いたい。
でも、それだけではない。
何者なのか。
答えが出ない。
その隙を、選定機関は逃さなかった。
『自己定義不安定』
『王性覚醒率、八十一』
『強制覚醒、継続』
白い線が、黒い輪の中心へ突き刺さった。
王が吼えた。
宇宙が割れるような音。
萌亜の身体から、紫の光が爆発した。
*
リオナのいる白い部屋が、突然揺れた。
壁の映像が砕ける。
手術台の萌亜の影が消える。
かわりに、黒い輪が空間全体へ広がった。
恐怖の王が目を開いている。
リオナは息を呑んだ。
「萌亜……!」
白い声が響く。
『危険性、確認』
『暴走兆候、確認』
『処理正当性、上昇』
「違う! あんたたちが起こしたんでしょ!」
『危険は内在していた』
「痛めつけて暴れさせて、ほら危険ですって言うのが正しいわけない!」
リオナは走った。
白い部屋の奥。
黒い輪の中心へ。
だが、空間が歪む。
王の圧が強すぎる。
一歩踏み出すたび、身体が重くなる。
視界が紫に染まる。
耳元で声がする。
『怖いだろう』
リオナは歯を食いしばる。
「怖いよ!」
『ならば離れろ』
「嫌だ!」
『近づけば傷つく』
「知ってる!」
紫の衝撃波が走った。
リオナの頬をかすめる。
痛みは小さい。
だが、血の代わりに、白金の光が散った。
アヴァロンの位相が削れたのだ。
直撃ではない。
それでも、危うかった。
リオナは膝をつきかける。
その瞬間、手首の紐が光った。
エリのハンカチ。
茶葉の香り。
モー子の鈴。
帰ってきなさい。
それらが、一瞬だけ身体を支える。
リオナは立ち上がった。
「萌亜!」
声は、まだ届かない。
でも、リオナは呼ぶ。
「萌亜、怖いなら怖いって言って!」
紫の空間が揺れる。
「怒ってるなら怒っていい!」
さらに揺れる。
「でも、一人で王様にならないで!」
その言葉は、黒い輪の奥へかすかに届いた。
*
萌亜は、紫の光の中心で膝をついていた。
自分の身体から、力が溢れている。
止められない。
黒い輪が開く。
恐怖の王が起きる。
選定機関の白い線が壊れ始める。
それはよかった。
だが、同時に周囲の霧も壊れていく。
アヴァロンの防衛網が悲鳴を上げる。
遠くで、リオナの気配がある。
近づいている。
危ない。
来ないで。
来てほしい。
来ないで。
来て。
矛盾する気持ちが、さらに力を暴れさせる。
『王性覚醒率、九十三』
『危険性確定まで、残りわずか』
選定機関の声が、勝利を告げるように響いた。
萌亜は泣いた。
「嫌だ……」
王の声が重なる。
『我は恐怖』
「嫌だ……!」
『我は終わり』
「違う……」
『我は孤独』
「違う!」
萌亜は、胸を押さえて叫んだ。
「萌亜は、リオナっちのマブ!」
紫の光が一瞬止まる。
「エリさんの家に帰る子!」
黒い輪が揺れる。
「師匠のお茶飲む子!」
白い線が軋む。
「エックスさんに判断保留教えてもらった子!」
霧の奥で、声が響く。
リオナの声。
今度は、少しだけ聞こえた。
『一人で王様にならないで!』
萌亜の目が見開かれる。
「リオナっち……」
届いた。
でも、その瞬間、選定機関の白い線が最後の一本を突き刺した。
『王性強制開放』
『危険性確認』
黒い輪が完全に開いた。
恐怖の王が、吼えた。
*
湖畔の霧が爆発した。
黒紫の光が、湖面を割る。
タクヤが茶葉缶を抱えて踏みとどまる。
エックスが防壁を展開する。
カナメが前に出て、リオナたちの方向へ走ろうとする。
ゼルヴァードが叫ぶ。
「下がれ!」
衝撃が来た。
湖畔の木々が大きく揺れ、桟橋が軋む。
現実側まで、位相の傷が届いた。
エックスの顔が青ざめる。
「覚醒率、九十九……!」
タクヤが低く言う。
「まだ百じゃない」
「しかし!」
「まだ、萌亜ちゃんが残ってる」
その声は静かだった。
だが、強い。
タクヤは茶葉缶に手を当てる。
「リオナちゃん、聞こえる?」
返事はない。
「萌亜ちゃん、聞こえる?」
返事はない。
それでも、タクヤは言う。
「お茶は、まだ冷めてないよ」
茶葉缶が、かすかに光った。
*
リオナは、紫の嵐の中で吹き飛ばされていた。
身体が軽い。
意識が遠い。
だが、手首の紐だけは切れていない。
その先に、萌亜がいる。
恐怖の王がいる。
白い選定機関が笑っているような気がする。
危険性確認。
処理正当性。
接続因子不適格。
そんな言葉が、嵐の中で回っている。
リオナは、必死に手を伸ばした。
「萌亜……」
声がかすれる。
届かない。
でも、呼ぶ。
それが目印だから。
相手を縛るためではなく。
ここにいると知らせるために。
「萌亜……!」
紫の嵐の奥に、黒い輪が見える。
その中心に、小さな影がいる。
泣いている少女。
萌亜。
いや。
もっと幼い萌亜。
恐怖の王の中心で、膝を抱えて泣いている。
リオナは、全身の力を振り絞った。
「見えた……」
まだ遠い。
まだ届かない。
でも、見えた。
その瞬間、黒い輪の巨大な瞳がリオナを見た。
圧倒的な恐怖。
足がすくむ。
心が折れそうになる。
それでも、リオナは目を逸らさなかった。
「怖いよ」
リオナは呟いた。
「でも、見る」
黒い輪が、さらに近づく。
紫の光がリオナへ迫る。
避けられない。
アヴァロンの霧が防ごうとするが、間に合わない。
リオナは手を伸ばしたまま叫んだ。
「萌亜!!」
紫の光が、リオナを飲み込んだ。
*
白い記録領域。
選定機関は、冷たく記録した。
『恐怖の王、強制覚醒成功』
『接続因子、姫咲リオナへの損傷確認中』
『安藤萌亜、自己崩壊反応誘導可能』
『次段階』
『恐怖の王と安藤萌亜の分離または統合破壊を提案』
『第三試練、継続』
その奥で、エクスキューショナーは沈黙していた。
命令が届く。
『上位選定個体エクスキューショナー』
『恐怖の王覚醒誘導補助、完了報告を行え』
沈黙。
『報告せよ』
さらに沈黙。
そして、返答。
『補助していない』
白い記録領域に、ノイズが走った。
『不適切応答』
『命令確認』
『補助せよ』
エクスキューショナーは、静かに答えた。
『判断保留を継続』
『加えて』
白い空間が軋む。
『現状の強制覚醒手順は、茶会規定、未成年個体休息権、共同撤退権、霧中迷子防止条項、家族心配権保護条項に抵触する可能性が高い』
『よって、報告を遅延する』
『よって、処理正当性の確定を遅延する』
『よって、接続因子損傷確認を遅延する』
選定機関の記録官たちが一斉に反応した。
『妨害行為』
『分類』
『分類』
『分類』
エクスキューショナーは、わずかに目を伏せた。
『分類は判断保留』
その声は、初めて明確に、選定機関本流へ逆らっていた。
*
紫の光が消えた時。
リオナは、暗い空間に倒れていた。
身体は重い。
意識はある。
だが、声が出ない。
手首の紐は、まだ繋がっている。
その先に、萌亜がいる。
恐怖の王の中心で、泣いている萌亜。
リオナは、震える手を伸ばした。
まだ届かない。
けれど、前より近い。
そして、萌亜がこちらを見た。
紫に染まった瞳。
涙に濡れた顔。
その唇が、わずかに動く。
『リオナっち……逃げて』
リオナは、声にならない声で答えた。
逃げない。
いや。
逃げるなら、一緒に逃げる。
戻るなら、一緒に戻る。
けれど今は、その前に。
名前を呼ばなければならない。
恐怖の王を。
萌亜を。
その中心にいる、泣いている小さな少女を。
リオナは、傷ついた手を伸ばしたまま、かすれた声で呟いた。
「萌亜……」
黒い輪が、ゆっくりと二人を見下ろしている。
アヴァロン第三試練。
恐怖の王は、目覚めた。
そして、試練はまだ始まったばかりだった。
第29話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回から、アヴァロン第三試練に入りました。
第三試練は三話構成です。
今回はその第一幕、「恐怖の王、目覚める」でした。
第一試練では、萌亜は恐怖の王を霧の寝台に閉じ込めることを拒みました。
第二試練では、リオナと萌亜は相手を守るために一人で逃げることを拒みました。
そこで選定機関が選んだ次の手は、眠らせることでも、切り離すことでもなく、無理やり起こすことでした。
恐怖の王を強制的に覚醒させる。
そして暴走の兆候を確認し、安藤萌亜はやはり危険個体であると証明する。
これは、選定機関らしい非常に悪質な手段です。
危険だから処理するのではなく、処理するために危険を引き出す。
その結果を「危険性の証明」として扱う。
萌亜にとっては、自分が本当に世界を壊すかもしれないという最大の恐怖を突かれる試練になっています。
今回、恐怖の王はただの破壊衝動としては描いていません。
白い線に刺され、痛がり、起こされ、証拠にされようとしている存在です。
もちろん危険です。
巨大で、怖くて、暴れれば周囲を壊す力を持っています。
でも、ただの悪ではない。
萌亜の中にいる、恐怖そのもの。
恐れられるために名を与えられた王。
それにどう向き合うかが、第三試練の中心になります。
リオナ側にも、かなり重い誘惑を入れました。
「恐怖の王だけを切り離せば、萌亜は救われるのではないか」
リオナは一瞬、その可能性を考えてしまいます。
これは自然なことです。
萌亜を苦しめているものを取り除けるなら、そうしたいと思ってしまう。
ですが、それを萌亜本人の意思を聞かずに行えば、これまで拒んできた一方的な保護と同じになります。
リオナはそこに気づき、拒みました。
終盤、恐怖の王はついに強制覚醒しました。
萌亜は自分の定義に揺らぎ、選定機関はそこを突いて王性を開かせます。
リオナも紫の光に飲み込まれ、損傷寸前の状態で萌亜の中心に近づきました。
ここから次回、第30話では、リオナが恐怖の王と萌亜の中心へ向かいます。
テーマは「それでも名前を呼ぶ」。
萌亜を怪物としてではなく、恐怖の王だけを切り離すのでもなく、怖い部分も含めて名前を呼ぶ回になります。
また、エクスキューショナーも今回は一歩進みました。
これまでの彼女は「判断保留」でした。
しかし今回は、処理正当性の確定や報告を遅延するという、明確な妨害に近い行動を取り始めています。
まだ完全な離反ではありません。
ですが、選定機関本流から見れば、明らかに危険な変化です。
アヴァロン第三試練はまだ続きます。
次回は、リオナと萌亜、そして周囲の声が、恐怖の王の中心へ届くかどうかが焦点になります。
それではまた次回。
恐怖の王が目覚めても、名前を呼ぶ声があるなら、まだ終わりではない。