アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜 作:池ポチャ
第30話です。
アヴァロン第三試練、三話構成の第二幕です。
前回、選定機関は萌亜の中の恐怖の王を強制的に目覚めさせました。
眠らせられないなら、起こして暴走させる。
暴走させたうえで、危険個体として処理する。
それが選定機関の狙いです。
萌亜は、自分の中にある恐怖の王と向き合わされます。
リオナは、恐怖の王だけを切り離せば萌亜が救われるのではないか、という誘惑を見せられました。
けれど、それは萌亜本人の意思を聞かない一方的な保護です。
今回は、リオナが萌亜の中心へ向かいます。
竜宮城で得た深層へ潜る力。
シャンバラで得た夢と精神への接続。
エルドラドで得た欲望、代価、継承の火。
アヴァロンで得た霧の撤退路。
茶会で得た判断保留。
エリの家で得た帰る場所。
それら全部を使って、リオナは恐怖の王の中心にいる萌亜へ手を伸ばします。
怖いものを怖いと言いながら。
それでも、名前を呼ぶために。
怖いから、呼ぶ
紫の光が消えた後、リオナは暗い空間に倒れていた。
身体が重い。
息がうまく吸えない。
目を開けると、そこには空も地面もなかった。
ただ、黒い宇宙のような空間が広がっている。
遠くには、巨大な黒い輪。
その内側で、紫の星雲が渦巻いている。
輪の中心には、小さな影がいた。
膝を抱えて泣いている少女。
萌亜。
けれど、その周囲には巨大な王の気配がある。
恐怖の王。
アンゴルモア。
世界を終わらせるかもしれない力。
リオナは唇を噛んだ。
怖い。
目を逸らしたくなるほど怖い。
近づくだけで、心の奥を掴まれるような圧がある。
その王は、ただ巨大なだけではなかった。
リオナの中にある恐怖を、正確に映してくる。
萌亜が暴走する未来。
自分が巻き込まれる未来。
母が泣く未来。
タクヤの茶会が壊れる未来。
地球が、白と紫の光に呑まれる未来。
そういうものが、黒い輪の内側で何度も点滅している。
選定機関の声が響いた。
『姫咲リオナ』
『恐怖を確認』
『接続継続は非合理』
『対象から離脱せよ』
リオナは、震える手で身体を起こした。
「……うるさい」
『恐怖の王は危険』
『安藤萌亜と分離不能ならば、安藤萌亜ごと隔離すべき』
『分離可能ならば、王を切除すべき』
『いずれにせよ、接近は非推奨』
「だから、うるさいって言ってる」
リオナは立ち上がろうとした。
膝が笑う。
足元が崩れそうになる。
それでも、立った。
手首を見る。
白金の接続補助紐は、まだ残っている。
細く、傷だらけで、何度も切れかけた痕がある。
そこには、エリのハンカチの切れ端が結ばれている。
白金の糸に、銀の霧。
そして、ほんの少し、茶葉の香り。
リオナはそれを握りしめた。
「萌亜」
声は小さかった。
黒い輪には届かない。
それでも、呼んだ。
「萌亜」
もう一度。
すると、遠くの少女の影が、ほんの少し揺れた。
*
萌亜は、自分がどこにいるのか分からなかった。
黒い輪の中心。
紫の星雲の奥。
何もかもが大きすぎる場所。
自分の身体があるのかも分からない。
ただ、怖かった。
恐怖の王が目覚めた。
自分の中の一番怖いもの。
ずっと見ないようにしていたもの。
それが、今はすぐ隣にいる。
いや、隣ではない。
自分の内側にいる。
王の声が響く。
『我は恐怖』
萌亜は耳を塞ぐ。
でも、耳を塞いでも聞こえる。
『我は終わり』
「違う……」
『我は選定』
「違う……!」
『我は、お前だ』
萌亜は息を呑んだ。
違うと言いたかった。
でも、言えなかった。
恐怖の王は、自分の中にいる。
完全な他人ではない。
だからこそ、怖い。
自分が本当に危ない存在なのではないか。
リオナのそばにいる資格なんてないのではないか。
そう思ってしまう。
選定機関の白い線が、黒い輪へ刺さっている。
王は痛がっている。
痛がっているのに、怒りへ変えられている。
怒りが破壊へ変わる。
破壊が危険性の証明にされる。
萌亜は分かっていた。
このままでは、選定機関の思い通りになる。
でも、止め方が分からない。
「リオナっち……」
声にした瞬間、王が反応した。
『呼ぶな』
「え……」
『呼べば傷つく』
王の声は、怒りだけではなかった。
恐怖。
警告。
そして、拒絶。
『近づけば、あの娘は傷つく』
萌亜の胸が痛んだ。
「リオナっちを、傷つけたくない」
『ならば呼ぶな』
「でも……」
『王は孤独』
「違う……」
『孤独であれば、誰も巻き込まない』
それは、前回の霧の言葉と似ていた。
でも、少し違う。
選定機関の冷たい計算ではない。
恐怖の王自身が、そう信じている。
誰かを傷つけるくらいなら、一人でいるべきだと。
自分は怖いものだから、誰にも近づかない方がいいと。
萌亜は、黒い輪を見上げた。
「王様も……怖いの?」
黒い輪が止まった。
紫の瞳が、萌亜を見る。
その圧に、萌亜は泣きそうになった。
でも、逃げなかった。
「リオナっちを傷つけるの、怖い?」
王は答えなかった。
しかし、白い線が刺さるたび、輪は苦しそうに震えた。
萌亜は、少しだけ分かった気がした。
この王は、壊したいだけではない。
壊してしまうことを知っている。
だから、恐れられてきた。
だから、孤独を選ぼうとしている。
萌亜と同じだった。
「……萌亜も怖いよ」
萌亜は呟いた。
「リオナっちを傷つけるの、怖い」
王の瞳が、わずかに揺れた。
*
リオナは、黒い輪へ向かって歩き始めた。
一歩進むたびに、景色が変わる。
最初に現れたのは、深い海だった。
竜宮城。
青い光。
深層へ潜る水の道。
リオナは思い出す。
萌亜の奥へ潜った時のこと。
水圧のような記憶の重さ。
呼吸ができないほど深い場所で、それでも手を伸ばしたこと。
足元に水が広がり、黒い宇宙の中に海の道ができる。
リオナは呟いた。
「深いなら、潜ればいい」
竜宮城の記憶が、リオナの足元を支えた。
次に、夢の花が咲いた。
シャンバラ。
夢と精神の領域。
現実では届かない言葉が、夢の中なら届くことを知った場所。
リオナは息を整える。
「声が届かないなら、夢の方から回り込む」
花びらが霧に混ざり、黒い輪へ続く道を柔らかく照らした。
次に、金色の火が灯る。
エルドラド。
欲望の火。
代価の火。
継承の火。
リオナは、自分の胸に問う。
萌亜を救いたい。
それは欲望だ。
萌亜の隣にいたい。
それも欲望だ。
怖い力だけ消えてくれればいいと、一瞬思った。
それも、自分の中にある願いだった。
リオナは逃げずに認めた。
「私は、萌亜に普通の女の子でいてほしいって思った」
金色の火が揺れる。
「恐怖の王がいなければ、って思った」
赤い火が灯る。
「でも、その願いの代価を萌亜に勝手に払わせない」
白金の火が灯る。
「私の安心のために、萌亜の一部を勝手に切らない」
三つの火が、リオナの手元に集まる。
そして、アヴァロンの霧が足元に流れ込んだ。
逃げ道。
撤退路。
帰還経路。
リオナは黒い輪を見上げる。
「怖かったら逃げてもいい。でも、萌亜を置いていくためには使わない」
銀の霧が、紫の嵐を少しだけ逸らした。
リオナは一歩ずつ近づく。
そのたびに、選定機関の声が強くなった。
『接続因子、危険領域へ接近』
『損傷リスク増大』
『安藤萌亜の危険性を認めよ』
『恐怖の王を切除せよ』
『眠らせろ』
『殺せ』
リオナの足が止まった。
殺せ。
その言葉だけ、異様に冷たかった。
白い文字が、リオナの目の前に浮かぶ。
『恐怖の王の完全消去により、安藤萌亜の人格安定可能性、上昇』
『接続因子の安全性、上昇』
『地球防衛網の制御性、上昇』
リオナは、拳を握った。
「萌亜に聞いてない」
『聞く必要なし』
「ある」
『王は危険』
「それでもある」
『恐怖は不要』
リオナは顔を上げた。
「恐怖がなかったら、怖いって言えない」
白い文字が止まる。
「怖いって言えなかったら、助けてって言えない」
リオナは一歩進んだ。
「恐怖の王が危険なのは分かってる。でも、恐怖そのものを消したら、萌亜が何を怖がってるのかも消える」
白い線が、リオナの前に壁を作る。
『情動保護は非合理』
「非合理で結構」
リオナは、手首の紐を握る。
「萌亜は怖がってる。王もたぶん怖がってる。だから私は、まず名前を呼ぶ」
『呼称に意味なし』
「選定機関にはないかもね」
リオナは、白い壁へ手を伸ばした。
「でも、私たちにはある」
*
湖畔では、タクヤたちが必死に支援を続けていた。
霧は黒紫に染まり、湖面には巨大な輪の影が映っている。
空には白い線が走り、選定機関の記録領域とアヴァロンが無理やり接続されていた。
エックスはその白い線を見上げる。
「本流が処理正当性を確定しようとしています」
カナメが問う。
「止められるか」
「通常手段では不可能です」
ゼルヴァードが険しい顔で言う。
「通常でない手段なら?」
エックスは少し黙った。
そして、白い瞳の奥にかすかな怒りを浮かべた。
「問い返します」
彼女の背後に、白い幾何学紋が開く。
選定機関由来の構造。
かつて、未来を切るために使われていた力。
だが今は違う。
エックスは、その力を刃ではなく問いとして放つ。
「選定機関本流へ照会」
白い線が震える。
「強制覚醒により発生した暴走を、対象固有の危険性として記録する根拠は何か」
『照会拒否』
「拒否理由を提示してください」
『不要』
「不要の根拠を提示してください」
白い線が乱れる。
エックスは続ける。
「痛覚刺激を与えた個体が暴れた場合、その暴走は刺激者の責任を含むか」
『非該当』
「非該当の根拠を提示してください」
タクヤが小さく笑った。
「エックス、強いね」
「問い返しは、悪くありません」
エクスキューショナーの通信が、そこへ割り込んだ。
『選定機関本流へ追加照会』
エックスの表情が変わる。
「エクスキューショナー?」
『強制覚醒手順の処理正当性確定は、現在遅延中』
『理由。上位選定個体である私が、完了報告を保留しているため』
白い線が激しく揺れる。
『エクスキューショナー』
『命令違反』
『報告せよ』
『補助せよ』
エクスキューショナーの声は静かだった。
『判断保留を継続』
『加えて、強制覚醒により発生した損傷を対象危険性として扱うことに論理破綻を確認』
エックスは目を見開いた。
「あなたが、それを言いますか」
『言っています』
「悪くありません」
『評価保留』
ポムの泣き声が通信越しに混じる。
『二人とも、とても悪くありません……!』
グラウが叫ぶ。
『法務異議、準備完了! 未成年個体の内的存在を強制覚醒させる行為は茶会規定複数条項に抵触!』
ギギの電子音が鳴る。
『処理正当性確定プロセスへノイズ注入』
法務統括官が告げる。
『選定機関本流の記録文言へ異議申し立て。危険性確認ではなく、危険性誘発と表記すべき』
白い線が、さらに乱れた。
タクヤは茶葉缶を両手で持つ。
「今なら、声が少し通る」
エリの電話が繋がったままだった。
『リオナ』
エリの声が、霧へ流れ込む。
『萌亜ちゃん』
その声は、強くない。
戦う声ではない。
でも、帰る場所の声だった。
『朝ごはん、冷める前に帰ってきなさい』
タクヤは苦笑した。
「姉さんらしい」
『あと、無茶をしたなら説教です』
カナメが頷く。
「適切だ」
ゼルヴァードも言う。
「生還後の叱責は有効な帰還誘導だ」
遠くで、モー子が鳴いた。
「もー」
銀色の鈴の音が、霧を震わせる。
『牛倫理協定、内的王性強制起床禁止条項、暫定発動』
『名誉終身守衛モー子、遠隔勤務中』
『休息中の王性個体を同意なく起床させる行為、重大倫理審査対象』
『危険性誘発後の処理正当化、審査対象』
ゼルヴァードが一瞬沈黙した。
「王性個体の寝起きまで守るのか、牛は」
タクヤは真顔で言った。
「寝起きは大事だからね」
「否定しづらい」
*
萌亜は、王と向き合っていた。
白い線はまだ刺さっている。
王は痛がっている。
怒っている。
怖がっている。
萌亜も同じだった。
「王様」
萌亜が呼ぶと、黒い輪が揺れた。
『呼ぶな』
「呼ぶ」
『恐れよ』
「怖いよ」
『ならば逃げろ』
「逃げたいよ」
『ならば一人で逃げろ』
「それは、しない」
萌亜は涙を拭った。
「リオナっちと、一緒に逃げて、一緒に戻るって決めたから」
『あの娘は傷つく』
「うん」
『お前が近くにいれば、傷つく』
「うん」
『ならば離れよ』
「その話は昨日やった!」
萌亜は泣きながら叫んだ。
「萌亜、また同じ罠にはまるほどチョベリバじゃない!」
王の瞳が、少しだけ瞬いた。
意味が分からなかったのかもしれない。
萌亜は息を吸う。
「王様も、怖いんでしょ」
黒い輪が黙る。
「自分が誰かを壊すの、怖いんでしょ」
『王は恐れぬ』
「嘘」
『王は孤独』
「それも嘘」
『王は終わり』
「終わりだけじゃない」
萌亜は、白い線を見る。
「痛いって言ったじゃん」
王の輪郭が震える。
「痛いって言えるなら、ただの終わりじゃないよ」
『……』
「怖いなら、怖いって言っていいんだよ」
その言葉は、タクヤがいつかエックスに言った言葉と似ていた。
怖い時は、怖いと言っていい。
分からない時は、分かるまで休んでいい。
萌亜は、その言葉を今、恐怖の王へ渡していた。
「王様」
『呼ぶな』
「呼ぶ」
『名はない』
「じゃあ、まだ名前がないだけ」
黒い輪が、大きく揺れた。
『我は恐怖の王』
「それ、怖がられるための名前でしょ」
『それが我だ』
「でも、萌亜は違う名前で呼びたい」
白い線が反応する。
『名称再定義を阻止』
『王性安定化を阻止』
選定機関の白い線が、萌亜へも伸びる。
だが、その瞬間、どこかからリオナの声が届いた。
「萌亜!」
萌亜は顔を上げた。
「リオナっち!」
声が近い。
でも、まだ姿は見えない。
リオナは、白い壁の向こうにいる。
選定機関が、二人を隔てている。
*
リオナは、白い壁の前に立っていた。
壁の向こうから、萌亜の声が聞こえる。
王の気配もある。
あと少し。
あと少しで届く。
しかし、白い壁には無数の文字が浮かぶ。
『恐怖の王は安藤萌亜の危険性中核』
『接続因子の接近は危険』
『切除、隔離、消去を推奨』
『名称付与は王性安定化を招くため禁止』
リオナは深く息を吸った。
怖い。
壁の向こうへ行くのが怖い。
王を見るのが怖い。
王に名前を与えることが、正しいのかも分からない。
でも。
分からないから、切るのではない。
分からないから、呼ぶ。
「エックスさん」
リオナは呟いた。
「判断保留、借ります」
白い壁が少し揺れる。
「恐怖の王を切るか切らないか。消すか消さないか。今ここで選定機関に決められることを、私は拒否する」
リオナは手を壁に当てた。
「判断保留」
壁に亀裂が入る。
「そして、確認する」
もう片方の手に、金色の火が灯る。
「萌亜の願いを」
赤い火が灯る。
「その代価を」
白金の火が灯る。
「未来へ残す形を」
銀の霧が足元から立ち上がる。
「危なくなったら、一緒に逃げる道を」
青い海が背後に広がる。
「深いところまで潜る力を」
シャンバラの花が咲く。
「夢の中でも届く声を」
茶葉の香りが広がる。
「休む場所を」
エリの声が響く。
『帰ってきなさい』
リオナは、涙を浮かべながら笑った。
「帰る場所を」
手首の紐が強く輝く。
白い壁が砕けた。
*
壁の向こう。
そこに、萌亜がいた。
紫の光に包まれ、涙を流しながら立っている。
その背後に、巨大な黒い輪。
恐怖の王。
リオナは、思わず息を呑んだ。
近くで見ると、なおさら怖かった。
あまりにも大きい。
あまりにも暗い。
その輪が開けば、世界の端が見えるような気がする。
紫の瞳が、リオナを見下ろした。
心が震える。
逃げたい。
でも、逃げるなら萌亜と一緒だ。
リオナは、萌亜へ手を伸ばした。
「萌亜」
萌亜が泣きながら答える。
「リオナっち……来ちゃだめって言おうとしたけど、来てほしかった」
「うん」
「ごめん」
「私も怖い」
「うん」
「でも、来た」
「うん……!」
萌亜はリオナの手を取った。
その瞬間、黒い輪が大きく震えた。
『近づくな』
王の声が響く。
『我は壊す』
リオナは王を見た。
「怖いです」
萌亜が息を呑む。
リオナは続けた。
「正直、めちゃくちゃ怖いです。あなたが暴れたら、私じゃ止められないかもしれない」
王の瞳が細まる。
『ならば離れろ』
「でも、萌亜があなたを怖がってるだけじゃなくて、あなたも怖がってるなら、話したい」
『王と話すな』
「話します」
『我は恐怖』
「知ってます」
『我は終わり』
「それだけじゃないかもしれない」
『我は名を持たぬ』
リオナは、そこで少し黙った。
名前。
今回の試練の核心。
恐怖の王。
アンゴルモア。
それは、予言や選定機関や外宇宙が与えた名だ。
でも、萌亜が呼びたい名前は、まだ決まっていない。
ここでリオナが勝手に名を与えるのは違う。
また、本人抜きの決定になる。
リオナは萌亜を見る。
「萌亜」
「何?」
「私が勝手に決めない」
萌亜の目が揺れる。
「王様の名前?」
「うん」
「でも、分かんない」
「じゃあ、今は分からないでいい」
リオナは王を見上げた。
「でも、呼び方がなくても、呼ぶことはできる」
王が沈黙する。
リオナは、震える声で、それでもはっきり言った。
「萌亜の中の、怖がっている王」
黒い輪が大きく揺れた。
「私たちは、あなたを今すぐ切らない」
白い線が激しく乱れる。
『不適切』
『危険性中核の保護を確認』
『処理正当性、再計算』
リオナは続けた。
「眠らせっぱなしにもしない。暴れさせもしない。消せるかどうかで決めない」
萌亜も、リオナの手を握りながら言った。
「一緒に、どう休むか考える」
王の瞳が、萌亜を見る。
「怖いなら、怖いって言っていい」
萌亜は泣きながら言った。
「萌亜も怖いから」
リオナが続ける。
「怖いもの同士で、まず判断保留」
王は答えない。
だが、紫の光がほんの少しだけ弱まった。
白い線の刺さっていた部分が、痛々しく揺れている。
リオナはそれに気づく。
「萌亜。白い線を抜ける?」
「抜いたら暴れるかも」
「なら、抜き方を考える」
「安全フィルター?」
「うん。エルドラド代価制限、アヴァロン霧道、シャンバラ精神接続、竜宮深層潜行、全部乗せ」
萌亜が泣きながら笑う。
「名前が長すぎてチョベリバ」
「後で考え直す」
リオナは、王の前へ一歩出た。
「今から、刺さってる白い線を少しずつ外します」
『触れるな』
「痛いなら、痛いって言って」
『……』
「嫌なら、嫌って言って」
『……』
「暴れそうなら、怖いって言って」
長い沈黙。
そして。
王の声が、低く響いた。
『怖い』
その一言に、萌亜の涙が溢れた。
「王様……」
リオナも、目を伏せた。
恐怖の王が、怖いと言った。
その瞬間、選定機関の白い線が激しく反応した。
『王性弱体化』
『名称再定義阻止』
『情動接続遮断』
『強制覚醒継続』
白い線が再び王へ深く刺さろうとする。
リオナは叫んだ。
「エックスさん!」
*
湖畔。
エックスはその声を聞いた。
かすかに。
しかし、確かに。
「届きました」
タクヤが頷く。
「今だね」
エックスは白い幾何学紋を展開する。
エクスキューショナーの通信も重なる。
『強制覚醒継続命令、遮断試行』
エックスが少し驚く。
「あなたが遮断するのですか」
『判断保留を越えた可能性があります』
「それは」
『評価は後で』
「悪くありません」
二人の白い力が、選定機関の白い線へ干渉した。
切るのではない。
問い返す。
遅延する。
処理正当性を曇らせる。
完了報告を不成立にする。
選定機関の命令系統に、判断保留という霧を流し込む。
グラウが法務文書を叩きつけるように送信する。
『強制覚醒手順に対する倫理異議、正式提出!』
ギギが電子音を鳴らす。
『白線刺入角度、解析。外部刺激経路を休眠位相へ逸らす補助開始』
ケルが叫ぶ。
『茶会休息網、最大安全域で展開!』
ポムが泣きながら言う。
『王様も、休んでいいんです!』
カナメが低く告げる。
「守る対象を、危険値だけで見るな」
ゼルヴァードが続ける。
「王であろうと、痛むなら交渉対象だ」
エリの声。
『怖いなら、帰ってきなさい』
モー子の鈴。
『牛倫理協定、怖いと言えた王性個体保護条項、暫定発動』
『怖いと申告した個体への追加刺激、重大倫理審査対象』
選定機関の白い線が、激しく乱れた。
『牛』
『王性個体』
『怖い申告』
『保護条項』
『再計算不能』
タクヤは、小さく言った。
「いいね。今までで一番、茶会っぽい」
*
萌亜とリオナの前で、白い線が弱まった。
完全には消えない。
でも、抜ける。
リオナは萌亜を見る。
「一緒に」
「うん」
二人は、王へ刺さった白い線に手を伸ばした。
触れた瞬間、激しい痛みが流れ込んできた。
王の痛み。
萌亜の恐怖。
選定機関に測られ、刺され、危険だと証明されようとした怒り。
リオナは歯を食いしばる。
萌亜は泣きながら耐える。
赤い火が灯る。
代価は、二人で持つ。
ただし、勝手に肩代わりしない。
リオナが言う。
「萌亜、持てる?」
「ちょっとなら」
「じゃあ、ちょっとずつ」
「リオナっちは?」
「私も、ちょっと」
「無理しないで」
「萌亜も」
「うん」
二人は、白い線を一本抜いた。
王が吼えた。
だが、それは破壊の咆哮ではなかった。
痛みが抜けた声だった。
紫の嵐が一瞬広がる。
リオナはアヴァロンの霧を呼ぶ。
「逸らして!」
霧が応える。
紫の衝撃は、誰もいない休眠位相へ流れていく。
ギギの支援が届く。
『他者転嫁なし』
エルドラドの赤い火が安定する。
もう一本。
さらに一本。
白い線を抜くたびに、王の怒りが少しずつ恐怖へ戻る。
恐怖が、言葉へ変わる。
『痛い』
「うん」
『怖い』
「うん」
『壊したくない』
萌亜が泣いた。
「うん……!」
リオナも目を潤ませた。
「壊したくないなら、壊さない方法を一緒に探そう」
『我は王』
「うん」
『王は、孤独』
「それは違う」
リオナははっきり言った。
「少なくとも、萌亜はもう一人じゃない」
萌亜も頷く。
「王様も、萌亜の中にいるなら、一人じゃない」
黒い輪が、震えた。
その中心にいた小さな萌亜が、顔を上げる。
泣いている。
けれど、その目に少しだけ光が戻る。
リオナは、ようやくその少女へ手を伸ばせる距離まで来た。
「萌亜」
小さな萌亜が、リオナを見る。
今の萌亜も、同じ方向を見る。
そこには、恐怖の王の中心にいた、幼い自分。
ずっと怖がっていた部分。
ずっと隠していた部分。
自分が恐怖の王だと名づけられた時から、膝を抱えていた自分。
萌亜は、震える声で呼んだ。
「萌亜」
幼い萌亜の瞳が揺れる。
「こっち来ていいよ」
黒い輪が大きく震える。
選定機関の声が遠くで叫ぶ。
『統合反応』
『危険』
『阻止せよ』
リオナは、すぐに言った。
「統合じゃない」
萌亜も頷く。
「無理やり一つにするんじゃない」
リオナは幼い萌亜へ手を伸ばす。
「まず、名前を呼ぶだけ」
萌亜も手を伸ばす。
「まず、怖かったねって言うだけ」
幼い萌亜が、ゆっくり立ち上がった。
黒い輪が、その背後で静かに揺れている。
恐怖の王は、まだ消えていない。
むしろ、はっきり存在している。
けれど、その瞳からは、さっきまでの破壊的な光が少しだけ薄れていた。
リオナは王を見上げる。
「あなたの名前は、まだ決めない」
萌亜も言う。
「第31話で決めるかも」
リオナが思わず見る。
「メタい」
「ごめん、緊張で変なこと言った」
こんな状況なのに、リオナは少し笑ってしまった。
その笑いに、紫の空間が少しだけ温度を取り戻す。
王が、低く呟いた。
『名を、呼ぶのか』
リオナは頷く。
「うん」
萌亜も頷く。
「怖がられるための名前じゃなくて、萌亜が一緒に生きるための名前を」
『我は、それを知らない』
「なら、判断保留」
エックスの言葉を、二人は同時に使った。
王は沈黙した。
そして、ほんの少しだけ、目を閉じた。
完全に眠るのではない。
閉じ込められたのでもない。
ただ、痛みと怒りの中から、一瞬だけ呼吸をした。
その瞬間、アヴァロンの霧が白金色に輝いた。
『第三応答、途中成立』
『恐怖を否定せず』
『王性切除を拒否』
『名称付与、保留』
『対話経路、仮形成』
リオナは息を吐く。
だが、次の瞬間。
空間の奥で、巨大な白い刃が形成された。
選定機関。
最後の強制処理。
『対話経路形成を危険と判断』
『恐怖の王の安定化は対象処理を困難化』
『接続因子および安藤萌亜の対話経路を切断』
『王性中核へ直接処理を実行』
白い刃が、王の中心にいる幼い萌亜へ向けられる。
萌亜の顔が青ざめる。
リオナが前に出る。
王が吼えかける。
だが、リオナは叫んだ。
「暴れない!」
王が止まる。
「次は、私たちで防ぐ!」
萌亜も手を握る。
「一緒に!」
白い刃が落ちる。
リオナ、萌亜、幼い萌亜、そして恐怖の王。
四つの影が、同じ場所でその刃を見上げた。
まだ答えは出ていない。
名前も、まだない。
けれど、もう一人ではない。
恐怖の王に、初めて対話の道ができた。
そして次の瞬間。
白い刃が、世界を裂くように振り下ろされた。
第30話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、アヴァロン第三試練の第二幕でした。
第29話で、選定機関は萌亜の中の恐怖の王を強制的に目覚めさせました。
今回は、その中心へリオナが向かう話です。
リオナは、これまで得てきたものをすべて使いました。
竜宮城で得た、深い場所へ潜る経験。
シャンバラで得た、夢と精神へ声を届ける力。
エルドラドで得た、欲望、代価、継承の火。
アヴァロンで得た、逃げても戻れる霧の道。
茶会で得た、判断保留。
エリの家で得た、帰る場所。
この全部があったからこそ、リオナは恐怖の王の中心へ辿り着けました。
今回の大きなポイントは、恐怖の王を「ただの怪物」として扱わなかったことです。
もちろん危険です。
暴れれば世界を壊しかねない力です。
しかし、選定機関に刺され、痛がり、怖がり、壊したくないと思っている存在でもあります。
萌亜自身が怖がっているように、王もまた怖がっていました。
だからリオナと萌亜は、切除ではなく対話を選びました。
ただし、完全に受け入れたわけではありません。
名前もまだ決めていません。
統合したわけでも、眠らせたわけでも、消したわけでもありません。
今回はあくまで、
恐怖を否定しない。
王性切除を拒否する。
名前をつけることは保留する。
対話経路を作る。
ここまでです。
エックスとエクスキューショナーも外側で大きく動きました。
エックスは選定機関の手順を問い返し、エクスキューショナーはついに処理正当性の確定を遅延させるだけでなく、強制覚醒手順そのものに論理破綻を指摘しました。
これは、かなり明確な反抗です。
まだ完全に離反したとは言い切れませんが、選定機関本流から見れば完全に危険な兆候です。
モー子の牛倫理協定も、ついに「怖いと言えた王性個体保護条項」まで発動しました。
恐怖の王ですら、怖いと言えたなら保護対象になる。
これが茶会側の思想です。
終盤、恐怖の王との対話経路が仮形成されました。
しかし、選定機関はそれを危険と判断し、最後の強制処理として白い刃を振り下ろします。
次回、第31話でアヴァロン編は決着です。
萌亜は恐怖の王にどんな名前を与えるのか。
リオナはその選択をどう支えるのか。
アヴァロンは最終的にどんな防衛網になるのか。
そして選定機関の白い刃を、二人と周囲の絆は止められるのか。
次回、霧の王冠。
恐怖を消さず、恐怖に支配されず、共に生きるための答えへ向かいます。
それではまた次回。
怖いものに、それでも名前を呼ぶのは、きっと悪くない。