アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜   作:池ポチャ

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第31話です。

アヴァロン第三試練、決着回です。

前回、リオナと萌亜は恐怖の王の中心へ辿り着きました。

恐怖の王は、ただの破壊衝動ではありませんでした。

痛がり、怖がり、壊したくないと思っている存在でした。

だからリオナと萌亜は、切除ではなく対話を選びました。

しかし、選定機関はそれを許しません。

恐怖の王との対話経路が生まれれば、萌亜を危険個体として処理しづらくなる。

だから選定機関は、最後の白い刃を振り下ろします。

今回、萌亜は恐怖の王に名前を与えます。

怖いものを消すためではなく。

支配されるためでもなく。

一緒に生きていくために。

アヴァロン編、最終試練です。



霧の王冠

 

怖い夜にも、朝は来る

 

 

 

 白い刃が、世界を裂くように振り下ろされた。

 

 リオナは、反射的に萌亜の前へ出た。

 

 萌亜も、幼い自分を庇うように腕を広げた。

 

 その背後で、黒い輪が震える。

 

 恐怖の王。

 

 目覚めたばかりの、痛みと恐怖を抱えた王。

 

 選定機関の声が、冷たく響く。

 

『王性中核、直接処理』

 

『危険性安定化前に切除』

 

『対話経路、破棄』

 

『接続因子、退避不可』

 

 白い刃が迫る。

 

 速い。

 

 重い。

 

 けれど、リオナは逃げなかった。

 

 萌亜も逃げなかった。

 

 いや、正確には違う。

 

 逃げるなら、一緒に逃げる。

 

 戻るなら、一緒に戻る。

 

 そう決めたから、二人は同じ場所に立っていた。

 

「萌亜!」

 

「うん!」

 

 二人の手が重なる。

 

 金色の火。

 

 赤い火。

 

 白金の火。

 

 銀の霧。

 

 青い深層の水。

 

 夢の花びら。

 

 茶葉の香り。

 

 エリの家へ続く帰還場所。

 

 それらが、二人の足元に集まった。

 

 リオナは叫ぶ。

 

「受け止めない!」

 

 萌亜も叫ぶ。

 

「誰かに流さない!」

 

 二人の声が重なる。

 

「「迷わせる!」」

 

 アヴァロンの霧が開いた。

 

 白い刃は、二人へ届く直前で、ほんの少しだけ道を外れた。

 

 刃そのものは強い。

 

 選定機関本流が放つ、処理のための因果。

 

 真正面から受ければ、二人の接続も、恐怖の王との対話経路も、幼い萌亜の影も、すべて切り裂かれる。

 

 だが、アヴァロンは受け止める防衛ではない。

 

 届くはずだった道筋を、霧の中へずらす防衛。

 

 白い刃は、霧の中へ滑った。

 

 しかし、完全には消えない。

 

 刃は霧の中で暴れ、無数の白い線となって再び二人へ向かってくる。

 

『休眠位相への逸らし、不完全』

 

『処理継続』

 

 リオナの腕に痛みが走った。

 

 萌亜の胸が軋む。

 

 恐怖の王が吼えかける。

 

 紫の光が膨れ上がる。

 

 その瞬間、萌亜は叫んだ。

 

「暴れないで!」

 

 黒い輪が止まる。

 

 萌亜は涙を流しながら、王を見上げた。

 

「痛いよね。怖いよね。でも、暴れたら、選定機関の思うつぼだから!」

 

 王の瞳が揺れる。

 

『ならば、どうする』

 

 萌亜は答えられなかった。

 

 けれど、隣でリオナが言った。

 

「一緒に考える」

 

 その言葉は、何度も繰り返してきた答えだった。

 

 眠りの時も。

 

 逃げ道の時も。

 

 切断契約の時も。

 

 そして今も。

 

「王だけで決めない。萌亜だけで決めない。私だけでも決めない」

 

 リオナは、白い刃の破片を睨んだ。

 

「みんなで、少しずつ決める」

 

『遅い』

 

 選定機関の声が響く。

 

『危険に対して遅い判断は不適切』

 

 リオナは即答した。

 

「急がせて切らせる方が不適切」

 

 萌亜も続ける。

 

「チョベリグ判断保留!」

 

 白い線が乱れる。

 

『不要語彙』

 

「いる!」

 

 萌亜は涙目で叫んだ。

 

「萌亜たちにはいる!」

 

     *

 

 湖畔では、霧が渦巻いていた。

 

 タクヤは茶葉缶を両手で包み、静かに目を閉じている。

 

 エックスは白い幾何学紋を展開し、選定機関本流の処理記録へ問い返しを続けていた。

 

 エクスキューショナーも通信越しに介入している。

 

『処理正当性、未確定』

 

『理由、対象との対話経路が仮形成済』

 

『理由、強制覚醒は危険性誘発行為』

 

『理由、怖いと申告した王性個体への直接処理は茶会規定に抵触』

 

 選定機関本流が激しく反応する。

 

『上位選定個体エクスキューショナー』

 

『命令逸脱』

 

『即時復帰せよ』

 

『処理を補助せよ』

 

 エクスキューショナーは、わずかに沈黙した。

 

 そして、静かに告げた。

 

『拒否』

 

 エックスが目を見開いた。

 

「今、拒否と言いましたか」

 

『言いました』

 

「判断保留ではなく?」

 

『はい』

 

 一瞬、湖畔の空気が止まった。

 

 タクヤが小さく笑う。

 

「悪くないね」

 

 エックスは少しだけ口元を緩めた。

 

「非常に、悪くありません」

 

 選定機関の白い線が、空で歪む。

 

『エクスキューショナー、再分類』

 

『異常』

 

『逸脱』

 

『茶会汚染』

 

 エクスキューショナーの声は揺れない。

 

『分類は拒否』

 

『私は、現在、茶会側臨時判断を採用する』

 

『強制処理補助を行わない』

 

 その言葉は、完全な離反ではない。

 

 だが、初めての明確な拒絶だった。

 

 エックスは白い線へ向き直る。

 

「本流へ追加照会」

 

『照会拒否』

 

「拒否の根拠を提示してください」

 

『不要』

 

「不要の根拠を提示してください」

 

 いつかタクヤから始まった問い返しが、今、選定機関本流の喉元に突き刺さっていた。

 

 カナメが湖を睨む。

 

「二人は?」

 

 ギギの電子音が響く。

 

『白刃処理、逸らし中。ただし負荷高』

 

 グラウが叫ぶ。

 

『共同撤退経路、帰還場所、茶会休息網、すべて接続維持!』

 

 ポムが泣きながら祈るように言う。

 

『王様も、萌亜さんも、リオナさんも、帰ってきてください……!』

 

 ゼルヴァードが低く呟く。

 

「王に名を与えるか」

 

 タクヤが目を開ける。

 

「たぶん、そこだね」

 

 エリの電話は、まだ繋がっている。

 

『名前?』

 

「うん。怖がられるために付けられた名前じゃなくて、萌亜ちゃんが一緒に生きるための名前」

 

 エリは少し黙った。

 

 それから、静かに言った。

 

『リオナは、名前を大事にする子よ』

 

「うん」

 

『萌亜ちゃんも、きっとそうね』

 

 タクヤは頷く。

 

 茶葉缶から、ほうじ茶の香りがさらに深く広がった。

 

     *

 

 黒い輪の中心。

 

 萌亜は、王と向き合っていた。

 

 白い刃の破片は、まだ霧の中を泳いでいる。

 

 いつまた戻ってくるか分からない。

 

 それでも、萌亜は目を逸らさなかった。

 

「王様」

 

『我は、恐怖の王』

 

「うん」

 

『我は、終わり』

 

「うん」

 

『我は、選定』

 

「うん」

 

 萌亜は、ひとつずつ受け止めた。

 

 否定しない。

 

 でも、それだけで終わらせない。

 

「でも、それは外から呼ばれた名前だよね」

 

 黒い輪が揺れる。

 

「ノストラダムスの予言とか、選定機関とか、外宇宙とか、そういうのが怖がって呼んだ名前」

 

『それが、我だ』

 

「それだけじゃない」

 

 萌亜は胸に手を当てた。

 

「萌亜、ずっと自分が怖かった。アンゴルモアって呼ばれるのも、恐怖の王って呼ばれるのも、怖かった」

 

 リオナは、隣で手を握っている。

 

 その手があるから、萌亜は言えた。

 

「でも、怖いってことは、壊したくないってことでもあるんだと思う」

 

 王の紫の瞳が、萌亜を見た。

 

「王様も、壊したくないんでしょ」

 

『……壊せば、恐れられる』

 

「うん」

 

『恐れられれば、近づかれない』

 

「うん」

 

『近づかれなければ、傷つけない』

 

 萌亜の目から涙が落ちた。

 

「それ、萌亜も思った」

 

 王が沈黙する。

 

「リオナっちから離れれば、リオナっちを傷つけないって思った。霧の奥へ行けばいいって思った」

 

 萌亜は、自分の痛みを言葉にする。

 

「でも、それはリオナっちを置いていくことだった」

 

 リオナが静かに頷く。

 

「怒った」

 

「うん。怒られた」

 

「まだ少し怒ってる」

 

「はい……」

 

 こんな場所で、二人は少しだけ笑った。

 

 その笑いが、黒い輪の中心に小さな温度を生む。

 

 王は理解できないように、その温度を見ていた。

 

 萌亜は続ける。

 

「王様。萌亜、あなたを消したくない。でも、暴れさせたくもない。怖いまま放っておくのも違う」

 

『では、どうする』

 

 萌亜は、少し考えた。

 

 長い沈黙だった。

 

 選定機関の白い刃が、その沈黙を待てずに震える。

 

『名称付与を阻止』

 

『王性再定義、危険』

 

『処理を再開』

 

 だが、リオナが前へ出た。

 

「黙って待って」

 

『非効率』

 

「名前を決めるのに急かすな」

 

『名称に意味なし』

 

「あるって言ってるでしょ」

 

 リオナの声に、アヴァロンの霧が応える。

 

 霧は、白い刃の再接近を少しずつ逸らし続ける。

 

 萌亜は、王を見上げた。

 

「夜」

 

 その一文字を、萌亜は静かに口にした。

 

 黒い輪が止まった。

 

「ヨル」

 

 紫の星雲が揺れる。

 

「怖い夜。暗い夜。ひとりぼっちに思える夜」

 

 萌亜は、震える声で続けた。

 

「でも、夜は眠れる時間でもある。怖かったら布団に入って、誰かを呼べる時間でもある。夜が終われば、朝ごはんもある」

 

 リオナが小さく笑う。

 

「朝クレープも」

 

「そう、朝クレープも」

 

 萌亜は涙を拭って、笑った。

 

「だから、恐怖の王じゃなくて、ヨル」

 

 王の瞳が、大きく揺れた。

 

『ヨル』

 

「うん」

 

『我は、恐怖の王』

 

「それもある」

 

『我は、終わり』

 

「それもあるかもしれない」

 

『我は、選定』

 

「でも、萌亜の中ではヨル」

 

 萌亜は、手を伸ばした。

 

「怖い夜。でも、朝に帰れる夜」

 

 黒い輪が、ゆっくりと小さくなる。

 

 星を飲み込むような巨大さが、少しずつ収まっていく。

 

 完全に消えるのではない。

 

 弱くなるのでもない。

 

 形が変わる。

 

 萌亜の背後に、黒紫の輪として収まっていく。

 

 それは王冠に似ていた。

 

 霧をまとった、夜色の王冠。

 

 リオナは息を呑んだ。

 

「霧の王冠……」

 

 アヴァロンの声が響く。

 

『名称付与、確認』

 

『恐怖の王、外部恐怖名から内部呼称へ部分移行』

 

『ヨル』

 

『恐怖を否定せず』

 

『孤独王性を拒否』

 

『帰還可能な夜として再定義』

 

 選定機関の白い刃が激しく震えた。

 

『不適切』

 

『危険性低下ではない』

 

『王性安定化』

 

『処理困難化』

 

 リオナは言った。

 

「だから困るんでしょ」

 

 萌亜も、涙を浮かべたまま笑う。

 

「処理できなくてチョベリバですね」

 

 白い刃が、最後の一撃として振り下ろされた。

 

 今度は、ヨルを直接狙っている。

 

 萌亜は逃げなかった。

 

 リオナも逃げなかった。

 

 ヨルも、吼えなかった。

 

 代わりに、萌亜の背後の霧の王冠が静かに回転した。

 

 アヴァロンの霧が、王冠から広がる。

 

 白い刃の道筋が、ずれる。

 

 だが今回は、ただの回避ではなかった。

 

 竜宮城の深層が、刃の根を沈める。

 

 シャンバラの夢が、刃の意味を眠らせる。

 

 エルドラドの代価の火が、他者への転嫁を封じる。

 

 アヴァロンの霧が、刃の到達先を誰もいない夜の休眠位相へ迷わせる。

 

 茶会の香りが、その迷った刃へ湯気をかける。

 

 エリの声が、帰る場所を固定する。

 

『帰ってきなさい』

 

 モー子の鈴が鳴る。

 

『牛倫理協定、霧の王冠初回使用見守り条項、暫定発動』

 

『未同意処理刃の帰還場所侵害、重大倫理審査対象』

 

 白い刃は、二人にも、ヨルにも、誰か別の人にも当たらなかった。

 

 霧の奥にある、誰もいない夜へ迷い込み、静かにほどけた。

 

 選定機関の声が乱れる。

 

『処理失敗』

 

『王性切除失敗』

 

『接続因子分断失敗』

 

『アヴァロン最終応答、阻止不能』

 

 アヴァロンの霧が、白金色に輝いた。

 

『第三応答、成立』

 

『恐怖を否定せず』

 

『王性切除を拒否』

 

『強制覚醒を退ける』

 

『名称付与、成立』

 

『ヨル』

 

『霧の王冠、形成』

 

『安藤萌亜、アヴァロン系統最終承認』

 

『姫咲リオナ、接続因子として最終同期』

 

『帰還場所保持』

 

『共同撤退経路保持』

 

『王性対話経路、形成』

 

 萌亜の背後に、霧の王冠が浮かんだ。

 

 黒紫の夜。

 

 銀の霧。

 

 白金の火。

 

 それは、世界を支配する王冠ではなかった。

 

 恐怖を知り、壊したくないと願い、帰る場所を覚えた王冠だった。

 

 萌亜は胸に手を当てる。

 

「ヨル」

 

 胸の奥で、低い声が返った。

 

『……萌亜』

 

 初めて、王が萌亜の名前を呼んだ。

 

 萌亜は泣いた。

 

 リオナも泣きそうになった。

 

 でも、その時、萌亜がぽつりと言った。

 

「ヨル、声低くてチョベリバかっこいい……」

 

 リオナは吹き出した。

 

「そこで?」

 

「だって、ちょっと思っちゃった」

 

 黒い輪――ヨルが、少しだけ困惑したように揺れた。

 

 その反応すら、もうただの恐怖ではなかった。

 

     *

 

 湖畔の霧が晴れた。

 

 黒紫の光が収まり、白金の霧が静かに水面へ降りる。

 

 小舟はなかった。

 

 リオナと萌亜は、桟橋の上に直接倒れ込むように現れた。

 

 萌亜の背後には、一瞬だけ霧の王冠が浮かんだ。

 

 すぐに淡く消える。

 

 リオナは萌亜の手を握ったまま、息を切らしていた。

 

 タクヤが駆け寄る。

 

「おかえり」

 

 萌亜は、涙と鼻声で答えた。

 

「ただいま……」

 

 リオナも小さく言う。

 

「ただいま」

 

 カナメが二人の状態を確認する。

 

「外傷は軽微。精神負荷は極大。すぐ休ませる」

 

 ゼルヴァードは萌亜を見つめた。

 

「雰囲気が変わったな」

 

 萌亜は胸に手を当てる。

 

「ヨルがいる」

 

 エックスが静かに問う。

 

「ヨル」

 

「うん。恐怖の王の、萌亜の中での名前」

 

 エックスは、その名を反復した。

 

「ヨル。悪くありません」

 

 エクスキューショナーの通信が入る。

 

『名称登録を確認』

 

 エックスが即座に言う。

 

「選定機関へ送る記録ではありません」

 

『送信しません』

 

 その返答に、エックスは少し驚いた。

 

「本当に?」

 

『はい。茶会側記録として保持します』

 

「……かなり、悪くありません」

 

 タクヤが穏やかに笑った。

 

「これで、アヴァロンは繋がったね」

 

 茶葉缶に白金の文字が浮かぶ。

 

『アヴァロン最終承認完了』

 

『霧状位相防衛網、開通』

 

『攻撃到達経路の霧中迷走、形成』

 

『休眠位相逸らし、形成』

 

『共同撤退経路、保持』

 

『王性対話経路、形成』

 

『霧の王冠、仮顕現』

 

『注意:無制限使用不可』

 

『条件:姫咲リオナとの接続、帰還場所、茶会休息回路、本人意思確認』

 

『条件不成立時、王性孤独反応の再上昇リスクあり』

 

 萌亜は、長い説明を聞いて、ぽつりと言った。

 

「要するに、一人で王冠使っちゃダメ?」

 

 エックスが頷く。

 

「その認識で概ね正しいです」

 

「チョベリグ分かりやすい」

 

 リオナが萌亜の手を握る。

 

「一人で使わないで」

 

「使わない」

 

「約束」

 

「約束」

 

 その瞬間、霧の王冠が一瞬だけ淡く光った。

 

 ヨルが、その約束を聞いていた。

 

     *

 

 選定機関の白い記録領域では、異常な量の警告が流れていた。

 

『アヴァロン最終承認、阻止失敗』

 

『安藤萌亜、霧状位相防衛網開通』

 

『恐怖の王、切除失敗』

 

『王性名称再定義、成立』

 

『ヨル』

 

『処理困難度、上昇』

 

『直接切除成功率、大幅低下』

 

『接続因子、姫咲リオナの影響力増大』

 

『GTG干渉拡大』

 

『エクスキューショナー、命令拒否を確認』

 

『再分類必要』

 

 白い記録官たちが、エクスキューショナーへ命令を送る。

 

『上位選定個体エクスキューショナー』

 

『即時帰還』

 

『再調整』

 

『茶会影響除去』

 

 沈黙。

 

 そして、返答。

 

『拒否』

 

 記録領域が軋む。

 

『理由』

 

『現在、茶会側臨時舵取り補助に移行中』

 

『選定機関本流の処理正当性に重大な疑義あり』

 

『帰還命令は判断保留』

 

『再調整は拒否』

 

 白い空間に、大きなノイズが走った。

 

 エクスキューショナーは、もう完全な道具ではなかった。

 

     *

 

 エリの家へ戻ると、朝ごはんは本当に温かいままだった。

 

 味噌汁。

 

 卵焼き。

 

 ご飯。

 

 そして、小さなクレープ。

 

 萌亜は食卓を見た瞬間、涙目になった。

 

「朝ごはん……」

 

 エリは当然のように言う。

 

「帰ってきたなら食べなさい」

 

「はい……」

 

 リオナも席につく。

 

 手が少し震えていた。

 

 エリはそれを見て、何も言わずに二人の前に湯呑みを置いた。

 

「まず、お茶」

 

 リオナは湯呑みを両手で包んだ。

 

 温かい。

 

 霧でも、紫の宇宙でも、選定機関の白い部屋でもない。

 

 ここは家だ。

 

 萌亜は味噌汁を一口飲んだ。

 

 そして、小さく笑った。

 

「ヨルも、たぶん味噌汁の湯気好き」

 

 リオナは瞬きする。

 

「分かるの?」

 

「なんとなく。怖い夜だけど、湯気は悪くないって感じ」

 

 エリが微笑んだ。

 

「それならよかったわ」

 

 萌亜は胸に手を当てる。

 

「エリさん」

 

「なあに?」

 

「萌亜、ヨルと一緒にいても、ここに来ていいですか」

 

 エリは即答した。

 

「もちろん」

 

 萌亜の目に涙が溜まる。

 

「怖い王様つきでも?」

 

「怖いなら、なおさら温かいものを飲みなさい」

 

 リオナは母を見る。

 

 やっぱり強い。

 

 宇宙規模の王性に対して、味噌汁とお茶で対応する母。

 

 たぶん、選定機関には一生分からない。

 

 タクヤは苦笑した。

 

「姉さんは本当に強いね」

 

「あなたが昔から危なっかしいからよ」

 

「うん」

 

 エックスは湯呑みを見つめながら言った。

 

「家庭由来帰還固定、極めて有効でした」

 

 エリは笑う。

 

「難しい言い方ね」

 

「簡単に言えば」

 

 エックスは少し考えた。

 

「朝ごはんは強いです」

 

 萌亜が力強く頷く。

 

「チョベリグ強い」

 

     *

 

 その夜。

 

 リオナと萌亜は、また同じ部屋に布団を並べて眠ることになった。

 

 アヴァロンは終わった。

 

 だが、疲れは残っている。

 

 萌亜は布団に入る前、窓の外を見た。

 

 霧はもうない。

 

 ただ、夜空が広がっている。

 

 夜。

 

 ヨル。

 

 怖いもの。

 

 でも、眠れる時間。

 

 朝に帰るための時間。

 

 萌亜は布団に潜り込み、リオナの方を向いた。

 

「リオナっち」

 

「何?」

 

「ヨル、寝てる」

 

「そっか」

 

「でも、閉じ込めてない」

 

「うん」

 

「起きたら、話す」

 

「うん」

 

「怖いけど」

 

「怖かったら、一緒に聞く」

 

 萌亜は目を細めた。

 

「チョベリグ……」

 

 リオナは、萌亜の手をそっと握った。

 

 萌亜の背後に、淡い霧の王冠が一瞬だけ浮かぶ。

 

 それはすぐに消えた。

 

 見張るためではない。

 

 支配するためでもない。

 

 ただ、そこにいるという印。

 

 萌亜は小さく寝息を立て始めた。

 

 リオナはしばらく起きていた。

 

 アヴァロンは終わった。

 

 竜宮城。

 

 シャンバラ。

 

 エルドラド。

 

 アヴァロン。

 

 四つの防衛網が、萌亜と地球を少しずつ繋いでいる。

 

 けれど、選定機関はまだ終わっていない。

 

 次に目覚めるのは、さらに古い地球の記憶。

 

 海に沈んだ大陸。

 

 失われた文明。

 

 ムー。

 

 遠く、夢の底で、青く古い光が揺れた気がした。

 

 リオナは、萌亜の手を握ったまま目を閉じる。

 

 怖い夜でも、朝は来る。

 

 帰る場所があるなら、夜はただの終わりではない。

 

 アヴァロンの霧は静かに閉じた。

 

 そして、次の海が、深い場所で目を覚まし始めていた。

 





第31話を読んでいただき、ありがとうございました。

今回は、アヴァロン編の決着回でした。

第三試練の最後で、萌亜は恐怖の王に名前を与えました。

その名は、ヨル。

怖い夜。

暗い夜。

一人ぼっちに思える夜。

でも同時に、眠れる時間でもあり、朝へ繋がる時間でもある。

恐怖の王を消すのではなく、恐怖に支配されるのでもなく、帰る場所を持った夜として呼び直す。

それが、萌亜の出した答えです。

今回の重要な点は、恐怖を否定しなかったことです。

萌亜の中の恐怖の王は危険です。

その力は消えたわけではありません。

むしろ、名前を得たことで、存在ははっきりしました。

ただし、孤独な王として暴れるのではなく、萌亜の中で対話できる存在になりました。

これにより、アヴァロンの最終承認が成立しました。

形成された力は、霧の王冠。

攻撃を完全に無効化する力ではありません。

攻撃が届くはずだった因果経路を霧の中で迷わせ、誰もいない休眠位相へ逸らす防衛です。

ただし、無制限ではありません。

発動には、萌亜本人の意思、リオナとの接続、帰還場所、茶会の休息回路が必要です。

一人で使えば、ヨルの孤独反応が強まり、危険になります。

だからこそ、これは「一人で王になる力」ではなく、「一緒に帰るための王冠」です。

また、エクスキューショナーも大きく動きました。

これまでの判断保留から一歩進み、今回は選定機関本流の命令を明確に拒否しました。

まだ完全に茶会側へ移ったとは言い切れません。

ですが、選定機関本流から見れば、もはやただの保留ではなく、危険な逸脱です。

アヴァロン編で得たものは三つです。

眠りと隔離を分けること。

逃避と置き去りを分けること。

恐怖と破壊を分けること。

眠っていい。

逃げていい。

怖がっていい。

でも、閉じ込めない。

置いていかない。

壊すだけの王にしない。

これがアヴァロン編の答えでした。

次は、ムー編です。

竜宮城、シャンバラ、エルドラド、アヴァロンで作られた防衛網は、ここからさらに古い地球の記憶へ繋がっていきます。

失われた大陸。

海底に沈んだ文明。

地球そのものの古層に眠る、もうひとつの防衛機構。

選定機関との本格決戦へ向けて、地球側の防衛網はさらに広がっていきます。

それではまた次回。

怖い夜でも、朝に帰れるなら悪くない。
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