アンゴルモア、令和ギャルになる。 〜地球滅ぼしに来た終末存在だけど、人間おもろすぎて守ることにした〜   作:池ポチャ

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第34話です。

前回、リオナと萌亜は都内の水族館でムーの浅い記憶層に触れました。

美しい大水槽の向こうに見えた、沈む前のムー。

選定機関に観測され、測られ、有用資産として扱われた文明。

そして、閉じる前の会議。

ムーはただ滅んだのではありません。

守るために閉じました。

選ばれないために、見られないために、沈むことを選びました。

しかし、すべてを忘れることはしなかった。

美しさも、恐怖も、迷いも、罪も、未来へ残すことを選んだ者がいました。

今回は、第一門の先。

ムーが沈んだ夜を見に行きます。

綺麗な海だけでは終わらない。

怖い記憶だけでも終わらない。

リオナと萌亜、そしてヨルは、沈んだ文明の本当の記憶へ降りていきます。



文明が沈む夜

忘れないために、海に沈んだ

 

 

 水族館のイルカショー用プールは、閉館後の静けさの中にあった。

 

 昨日とは違い、今日は完全に貸し切りだ。

 

 観客席には誰もいない。

 

 売店の照明も落ちている。

 

 水槽の奥で機械が低く唸り、青い非常灯だけが水面を照らしていた。

 

 プールの中央には、青い円が浮かんでいる。

 

 ムー第一門。

 

 その奥には、昨日見た光の階段が続いている。

 

 深海へ降りる階段。

 

 現実の海ではない。

 

 記憶の海。

 

 沈んだ文明の夜へ続く道。

 

 萌亜は、黒紫色の小さなウツボぬいぐるみ――ヨルボを胸に抱いていた。

 

「リオナっち」

 

「何?」

 

「ヨルボ持っていっていいかな」

 

「水族館で買ったぬいぐるみを、失われた大陸の記憶門に持ち込む女子高生」

 

「情緒安定です」

 

「たぶん大事」

 

 リオナはそう言って、萌亜の手を握った。

 

 萌亜の背後に、淡く霧の王冠が浮かぶ。

 

 ヨルも起きている。

 

 暴れてはいない。

 

 ただ、青い門を見つめている。

 

 怖がっている。

 

 けれど、逃げてはいない。

 

 少し離れた場所には、御門征十郎、黒瀬カナメ、タクヤ、エックス、ゼルヴァードが立っていた。

 

 エクスキューショナーは通信参加。

 

 モー子は相変わらず牧場から遠隔勤務。

 

 御門はタブレットを見ながら、低い声で言った。

 

「確認する。今回の目的はムー第一門の記憶確認だ。現実海域への転移ではない。深層接続が不安定になった場合、即時撤退しろ」

 

 萌亜が頷く。

 

「了解です」

 

 御門はじろりと萌亜を見る。

 

「あと、ぬいぐるみを落とすな。拾いに行こうとして余計な接続を踏むな」

 

「ヨルボのことまで心配してくれる御門さん、チョベリグ」

 

「君の行動パターンを警戒しているだけだ」

 

 リオナは少し笑った。

 

 御門はため息をつき、すぐに表情を戻す。

 

「今回見るのは、滅亡記憶だ。気を抜くな」

 

 その言葉に、空気が沈む。

 

 滅亡記憶。

 

 ムーが沈んだ夜。

 

 ただの映像ではない。

 

 記憶層に入るということは、その恐怖と迷いを体験するということだ。

 

 エックスが続ける。

 

「ムーの記憶は、観測されることに強い拒絶を持っています。選定機関由来の白い観測線が混入した場合、ムー側の閉鎖反応が再発する可能性があります」

 

 カナメが腕を組む。

 

「再発するとどうなる」

 

「記憶門そのものが沈みます。最悪の場合、接続中の二人も記憶層へ閉じ込められる」

 

「相変わらず最悪の説明が早いな」

 

「必要な情報です」

 

 ゼルヴァードがプールを見つめる。

 

「ムーは外からの観測を恐れて沈んだ。ならば、こちらが見ること自体も刺激になる」

 

 タクヤは静かに頷いた。

 

「だから、見るんじゃなくて聞きに行く。昨日、記憶体も言っていたからね」

 

 沈んだ声を聞きに来い。

 

 その言葉が、リオナの胸に残っている。

 

 綺麗な海だけ見て帰るな。

 

 怖い記憶だけで断罪するな。

 

 覚えろ。

 

 リオナは萌亜の手を握る力を少し強めた。

 

「行ける?」

 

 萌亜はヨルボを抱え直し、頷いた。

 

「怖い」

 

「うん」

 

「でも、ヨルも覚えるって言ってる」

 

「そっか」

 

「だから、行く」

 

 リオナは頷いた。

 

「一緒に」

 

「一緒に」

 

 二人が水面へ一歩踏み出すと、青い円が広がった。

 

 水が濡らす感覚はない。

 

 足元に、青い階段が浮かぶ。

 

 水族館のプールの底が、あり得ないほど深くなる。

 

 そこから、遠い海鳴りが聞こえた。

 

 御門の声が背後から届く。

 

「安藤、姫咲。通信は維持する。異常があれば即時報告しろ」

 

 リオナが振り返る。

 

「了解です」

 

 萌亜も敬礼する。

 

「国家機密とヨルボ、守ります」

 

「余計なものを増やすな」

 

 そのやりとりを最後に、二人は青い階段を降りた。

 

     *

 

 階段を一段降りるたび、水族館の音が遠ざかっていった。

 

 機械の唸り。

 

 御門たちの気配。

 

 空調の音。

 

 すべてが青い水の向こうへ沈んでいく。

 

 かわりに聞こえてきたのは、人々の声だった。

 

 ざわめき。

 

 祈り。

 

 泣き声。

 

 怒号。

 

 遠くで鳴る鐘。

 

 リオナと萌亜は、階段の先に広がる光景を見た。

 

 ムー。

 

 沈む前のムー。

 

 夜だった。

 

 青い水路の上に、白い塔がいくつも立っている。

 

 空には月が二つあるように見えた。

 

 いや、ひとつは月ではない。

 

 巨大な青い結晶塔の反射光だ。

 

 都市全体が海上に浮かんでいる。

 

 水路を光の舟が走り、人々が広場に集まっている。

 

 けれど、その表情は明るくない。

 

 空には、白い線が無数に降りていた。

 

 選定機関の観測線。

 

 ムーの夜空を、格子のように覆っている。

 

 萌亜は息を呑んだ。

 

「綺麗なのに……怖い」

 

 リオナは頷く。

 

「見られてる」

 

 その言葉通りだった。

 

 都市のすべてが、見られている。

 

 窓辺で眠る子ども。

 

 祈りの場で涙を流す老人。

 

 水路の舟で抱き合う恋人。

 

 議場で怒鳴り合う人々。

 

 青い石に触れて何かを記録する研究者。

 

 そのすべてへ、白い線が降りている。

 

 攻撃ではない。

 

 まだ刃ではない。

 

 ただ、見ている。

 

 測っている。

 

 分類している。

 

 それが、何よりも気持ち悪かった。

 

 萌亜の胸の奥で、ヨルが低く唸る。

 

『見るな』

 

 萌亜は胸に手を当てる。

 

「ヨル……」

 

『見るな』

 

 ヨルの声は怒っていた。

 

 だが、その奥に恐怖がある。

 

 見られ続ける恐怖。

 

 自分を危険性や有用性で測られる恐怖。

 

 萌亜自身が受けてきたものと、ムー文明全体が受けてきたもの。

 

 それが重なっている。

 

 リオナは、萌亜の手を握った。

 

「ヨル、暴れないで」

 

 萌亜が小さく頷く。

 

「うん。見てる。聞いてる」

 

 その時、青い鐘の音が響いた。

 

 都市の中心。

 

 巨大な結晶塔の前に、人々が集まっている。

 

 昨日、水槽の記憶で見た青い石の女性がいた。

 

 長い髪。

 

 額の大きな青い石。

 

 静かな目。

 

 彼女の周囲には、ムーの議員らしき人々、研究者、兵士、巫女、そして子どもを抱いた母親たちがいた。

 

 青い女性が声を上げる。

 

『閉鎖結晶を起動する』

 

 広場がざわめいた。

 

『観測遮断は成功するだろう』

 

『だが、完全遮断はムーを現行世界から切り離す』

 

『我々は沈む』

 

 誰かが叫ぶ。

 

『それでも、見られ続けるよりはいい!』

 

 別の誰かが反論する。

 

『沈めば終わりだ!』

 

『終わるのではない。守るのだ』

 

『何を守る? 名か? 血か? 技術か?』

 

『子どもたちだ!』

 

『ならば子どもたちの未来を海底に閉じるのか!』

 

 議論は悲鳴に近かった。

 

 誰も簡単に正しくない。

 

 誰も完全に間違っていない。

 

 見られ続ける恐怖に耐えられない者。

 

 それでも外と繋がるべきだと叫ぶ者。

 

 技術だけでも残そうとする者。

 

 子どもたちを眠らせて未来へ送ろうとする者。

 

 全部が、切実だった。

 

 萌亜は震える声で言う。

 

「リオナっち……これ、きつい」

 

「うん」

 

「誰を責めればいいのか分かんない」

 

「うん」

 

 リオナも同じだった。

 

 ムーは愚かだった、と言い切るのは簡単だ。

 

 閉じなければよかった、と後から言うのも簡単だ。

 

 でも、この夜の中に立つと分かる。

 

 彼らは本当に怖かった。

 

 本当に守りたかった。

 

 その結果、沈む選択へ進んでしまった。

 

 青い女性が、広場に集まる人々へ向き直る。

 

『私たちは恐れている』

 

 その声に、広場が静まった。

 

『選定機関を恐れている』

 

『見られることを恐れている』

 

『利用されることを恐れている』

 

『子どもたちが有用資産と呼ばれることを恐れている』

 

『祈りが異常信仰として分類されることを恐れている』

 

『愛が繁殖効率と記録されることを恐れている』

 

 萌亜の手が震えた。

 

 リオナも息を詰める。

 

 青い女性は続ける。

 

『恐れることを、恥じるな』

 

『だが、恐れたことを忘れるな』

 

『我々は今日、閉じる』

 

『我々は今日、沈む』

 

『これは勝利ではない』

 

『これは逃避でもある』

 

『これは防衛でもある』

 

『これは罪でもある』

 

 広場で、誰かが泣き出した。

 

 青い女性は、涙をこらえるように目を閉じた。

 

『だから記憶を残す』

 

『美しいムーだけを残さない』

 

『賢いムーだけを残さない』

 

『正しかったムーだけを残さない』

 

『恐れたムーを残す』

 

『迷ったムーを残す』

 

『閉じることで誰かの未来を奪ったムーを残す』

 

 彼女の声が震える。

 

『未来の誰かが、同じ恐怖に立った時』

 

『私たちを笑え』

 

『私たちを責めろ』

 

『私たちを悼め』

 

『そして、私たちと同じ海へ落ちるな』

 

 萌亜の目から涙がこぼれた。

 

「責めてもいいって……」

 

 リオナも胸が詰まった。

 

 その言葉は、あまりにも重かった。

 

 自分たちが正しかったと残すのではない。

 

 間違いも、罪も、恐怖も、全部残す。

 

 未来の誰かが同じところへ落ちないために。

 

 ムーの記憶は、宝ではない。

 

 戒めだった。

 

     *

 

 空の白い線が、急に濃くなった。

 

 選定機関の観測が、ムーの閉鎖を察知したのだ。

 

『文明防衛機構、異常起動』

 

『観測遮断の兆候』

 

『ムー文明、自己閉鎖を選択』

 

『資産凍結前に記録強化』

 

 白い文字が夜空に浮かぶ。

 

 ムーの人々には見えていない。

 

 だが、リオナと萌亜には見える。

 

 エックスの通信がかすかに届いた。

 

『注意してください。過去記憶層に現在の選定機関観測線が混入しています』

 

 リオナが顔を上げる。

 

「今の選定機関も見てるってこと?」

 

『はい。過去の観測痕に便乗して、現在の本流が再観測を試みています』

 

 御門の低い声が混じる。

 

『まずいな。ムーがまた閉じるぞ』

 

 その通りだった。

 

 空の白い線が増えた瞬間、青い結晶塔が激しく震え始めた。

 

 ムーの記憶そのものが、恐怖で閉じようとしている。

 

 青い女性が空を見上げた。

 

 過去の彼女ではない。

 

 記憶体としての彼女が、リオナと萌亜を見た。

 

『また見ている』

 

『また測っている』

 

『ならば沈める』

 

 広場の景色が暗くなる。

 

 記憶層が急速に閉じ始める。

 

 萌亜の胸の奥で、ヨルが吼えかけた。

 

『見るな』

 

 黒紫の霧の王冠が浮かぶ。

 

 青い結晶の光と、ヨルの夜が混ざり合う。

 

 だが、ヨルの反応は危険だった。

 

 恐怖で閉じる。

 

 見られたくないから、全部沈める。

 

 それは、ムーが選んだ道と同じだ。

 

 リオナは萌亜の肩を掴む。

 

「萌亜!」

 

「分かってる!」

 

 萌亜は叫んだ。

 

「ヨル、沈めない!」

 

『見られる』

 

「うん!」

 

『測られる』

 

「うん!」

 

『守るには閉じる』

 

「閉じてもいい! でも全部沈めない!」

 

 ヨルが大きく揺れる。

 

 萌亜は涙を流しながら続けた。

 

「怖いなら隠していい! 見られたくないものは隠していい! でも、覚えておく場所まで沈めちゃダメ!」

 

 リオナも声を重ねる。

 

「守ることと、記憶を消すことは違う!」

 

 青い結晶塔が震える。

 

 白い観測線が、ムーの空から降り注ぐ。

 

 選定機関の声が響く。

 

『ムー防衛機構再起動を確認』

 

『安藤萌亜のヨル反応と相関』

 

『閉鎖系防衛網として利用可能』

 

『恐怖による自己沈降、誘導可能』

 

 リオナの顔色が変わる。

 

「また誘導してる……!」

 

 選定機関は、ムーの恐怖を再現しようとしている。

 

 ヨルを使って、ムーの閉鎖を暴走させようとしている。

 

 そうなれば、ムーの記憶は再び沈む。

 

 リオナと萌亜も閉じ込められる。

 

 そして、選定機関は記録するだろう。

 

 恐怖の王は、文明を沈める危険性を持つ、と。

 

 萌亜は歯を食いしばる。

 

「それ、アヴァロンでやったやつ!」

 

 胸の奥でヨルが震える。

 

 怒り。

 

 恐怖。

 

 見られたくないという反応。

 

 それを、萌亜は押しつぶさない。

 

 名前を呼ぶ。

 

「ヨル」

 

 黒紫の王冠が揺れる。

 

「怖いね」

 

『怖い』

 

「見られたくないね」

 

『見られたくない』

 

「でも、ムーをまた沈めたくないね」

 

 沈黙。

 

 長い沈黙。

 

 そして、ヨルの低い声。

 

『沈めたくない』

 

 萌亜は頷いた。

 

「じゃあ、閉じ方を変える」

 

 リオナがすぐに理解した。

 

「全部沈めるんじゃなくて、選定機関の観測だけ閉じる」

 

「うん」

 

「記憶は残す」

 

「うん」

 

 二人は手を繋いだ。

 

 アヴァロンの銀の霧が広がる。

 

 エルドラドの赤い代価の火が、他者への転嫁を封じる。

 

 シャンバラの花が、ムーの記憶を優しく包む。

 

 竜宮城の深層が、記憶が流されないよう底を支える。

 

 そして、ヨルの夜が、ムーの青い結晶へ触れた。

 

 恐怖で閉じるのではない。

 

 恐怖で記憶を守る。

 

 青い女性の記憶体が、二人を見た。

 

『その閉じ方を、我々は知らなかった』

 

 萌亜は涙を拭った。

 

「萌亜たちも、今知ったばかり」

 

 リオナも言う。

 

「でも、今なら一緒に考えられる」

 

 青い女性は、少しだけ笑ったように見えた。

 

『ならば、見せよう』

 

『沈む夜の最後を』

 

     *

 

 青い結晶塔が起動した。

 

 都市全体に、深い青の光が広がる。

 

 人々が手を取り合う。

 

 泣いている者。

 

 祈る者。

 

 怒っている者。

 

 納得できない者。

 

 最後まで反対している者。

 

 それらすべてを抱えたまま、ムーは沈み始めた。

 

 海が割れるように都市を包む。

 

 白い塔がゆっくりと水へ沈む。

 

 光の舟が水路から浮き上がり、最後の避難路を探す。

 

 青い石を持つ子どもが、母親にしがみついて泣いている。

 

『お母さん、どこへ行くの』

 

『深いところよ』

 

『帰ってこられる?』

 

 母親は答えられなかった。

 

 リオナは目を閉じかけた。

 

 でも、閉じなかった。

 

 見なければならない。

 

 綺麗な海だけではない。

 

 沈む声を聞きに来たのだから。

 

 萌亜も震えながら見ていた。

 

 ヨルも見ていた。

 

 怖い夜が、沈む夜を覚えている。

 

 青い女性は、結晶塔の前で最後の記録を残していた。

 

『未来の誰かへ』

 

『私たちは閉じた』

 

『私たちは沈んだ』

 

『正しかったとは言わない』

 

『間違いだけだったとも言わない』

 

『守りたかった』

 

『恐ろしかった』

 

『忘れたかった』

 

『それでも、忘れてはならないと思った』

 

 青い結晶が、彼女の声を記録する。

 

『もし、これを聞く者がいるなら』

 

『どうか、私たちを美しい伝説にしないでほしい』

 

『どうか、私たちを愚かな滅亡例としてだけ扱わないでほしい』

 

『私たちは人だった』

 

『恐れて、迷って、守ろうとして、失敗した』

 

『それを覚えていてほしい』

 

 海が塔を飲み込む。

 

 女性の足元まで水が来る。

 

 それでも彼女は記録を続ける。

 

『ムー防衛機構を未来へ残す』

 

『閉じる力』

 

『隠す力』

 

『記憶を保存する力』

 

『ただし、使う者よ』

 

『閉じる時は、出口を残せ』

 

『隠す時は、名を残せ』

 

『守る時は、何を守りたかったのか忘れるな』

 

 リオナは、その言葉を胸に刻んだ。

 

 閉じる時は、出口を残す。

 

 隠す時は、名を残す。

 

 守る時は、何を守りたかったのか忘れない。

 

 それは、ムーが失敗の中から未来へ渡した答えだった。

 

 青い女性が、最後にこちらを見た。

 

 時間を越えて。

 

 記憶を越えて。

 

 萌亜とリオナを見た。

 

『夜を持つ者』

 

『霧を持つ者』

 

『火を持つ者』

 

『深き夢を渡った者』

 

『同じ海へ落ちるな』

 

 海が彼女を飲み込んだ。

 

 ムーの都市が、完全に沈んだ。

 

 青い光だけが、深海の底に残る。

 

 沈黙。

 

 長い、長い沈黙。

 

 萌亜は泣いていた。

 

 リオナも泣いていた。

 

 ヨルボは萌亜の腕の中で少し濡れている。

 

 現実の水ではない。

 

 記憶の涙かもしれなかった。

 

     *

 

 その静寂を、白い線が破った。

 

『ムー閉鎖機構記録、取得開始』

 

『防衛機構、解析対象』

 

『閉鎖・遮断・記憶保存機能を抽出』

 

『安藤萌亜のヨル反応と統合可能性を検討』

 

 リオナの目が怒りに染まる。

 

「この記憶を、まだ利用しようとするの?」

 

 萌亜も顔を上げる。

 

 涙の奥に、強い光がある。

 

「させない」

 

 青い結晶塔の残光が、二人の周囲に集まる。

 

 ヨルの夜が、それを包む。

 

 ムーの記憶体の声が響く。

 

『ならば、第一封印を受け取れ』

 

 青い光が、萌亜とリオナの手首に触れた。

 

 接続補助紐に、新しい色が混じる。

 

 白金。

 

 銀の霧。

 

 そして、深い青。

 

『ムー第一封印』

 

『記憶保持層、仮接続』

 

『観測遮断、限定付与』

 

『条件』

 

『記憶を捨てないこと』

 

『閉じる時に出口を残すこと』

 

『守る名を忘れないこと』

 

 エックスの通信がかすかに届く。

 

『二人の接続補助紐に、新しい防衛層が形成されています。外部観測を一時的に遮る力です』

 

 御門の声も届いた。

 

『外部観測遮断か。厄介だが、有用だな』

 

 リオナは青い光を見つめる。

 

「ただ隠れる力じゃない」

 

 萌亜が頷く。

 

「忘れないために閉じる力」

 

 ヨルが低く呟いた。

 

『覚えている』

 

 その声に、青い結晶の光が応えた。

 

 選定機関の白い線が再び伸びる。

 

 しかし、今度は青い膜がそれを遮った。

 

 完全に弾くのではない。

 

 見せない部分を選ぶ。

 

 守るために、閉じる。

 

 でも、内側に出口と記憶を残す。

 

 白い線は、青い膜の前で迷い、情報を得られないまま薄れていく。

 

『観測不能』

 

『記録欠損』

 

『ムー第一封印、取得不能』

 

『再観測』

 

『再観測』

 

『再観測』

 

 リオナは静かに言った。

 

「見るな」

 

 萌亜も続ける。

 

「これは、ムーが残した記憶。あんたたちの資料じゃない」

 

 青い光が強まり、白い線を遠ざける。

 

 ムーの沈んだ夜が、ゆっくりと閉じていく。

 

 ただし、今度は完全に沈むのではない。

 

 階段が残る。

 

 出口が残る。

 

 リオナと萌亜の手元に、記憶が残る。

 

 それが、ムー第一門の答えだった。

 

     *

 

 気づくと、二人は水族館のイルカショー用プールの縁に座り込んでいた。

 

 御門たちが駆け寄ってくる。

 

「戻ったか」

 

 御門の声は低いが、明らかに安堵が混じっている。

 

 カナメが二人の状態を確認する。

 

「外傷なし。精神負荷は高い。泣いているな」

 

 萌亜は涙を拭きながら言った。

 

「泣くやつです」

 

 カナメは静かに頷いた。

 

「そうか」

 

 御門はタブレットを見る。

 

「接続補助紐に新しい反応がある。青色だ」

 

 エックスが通信越しに解析を始める。

 

『ムー第一封印です。限定的な観測遮断と記憶保持層が形成されています』

 

 ゼルヴァードが問う。

 

「観測遮断ということは、選定機関から隠れられるのか」

 

『限定的には。ただし、単なる遮断ではありません。条件があるようです』

 

 リオナが答えた。

 

「記憶を捨てないこと。閉じる時に出口を残すこと。守る名を忘れないこと」

 

 御門はそれを聞き、少しだけ目を伏せた。

 

「……報告書に書きづらい条件だな」

 

「でも、書くんですよね」

 

 リオナが言うと、御門はため息をついた。

 

「書く。ぼかすが、沈めはしない」

 

 萌亜は小さく笑った。

 

「御門さん、チョベリグ記憶保持」

 

「その表現は報告書に書かない」

 

 タクヤが二人の前にしゃがむ。

 

「大丈夫?」

 

 萌亜は少し考えた。

 

「大丈夫じゃないけど、見ました」

 

 リオナも頷く。

 

「綺麗なところだけじゃなくて、沈むところまで」

 

 タクヤは静かに頷いた。

 

「それが大事だったんだと思う」

 

 萌亜はヨルボを抱きしめる。

 

「ヨルも覚えた」

 

「うん」

 

「でも、ちょっと悲しそう」

 

 タクヤは優しく言った。

 

「悲しい記憶だからね」

 

 その言葉に、萌亜はまた泣きそうになった。

 

 だが、今度は泣くことをこらえなかった。

 

 水族館の静かなプールの前で、萌亜は少しだけ泣いた。

 

 リオナは隣で手を握っていた。

 

 誰も急かさなかった。

 

 御門でさえ、少し離れた場所で黙っていた。

 

 沈んだ文明の記憶を見た後で、すぐに立てるほど、誰も強くなくていい。

 

     *

 

 その夜。

 

 姫咲家へ戻った二人は、エリの作った夕食を静かに食べた。

 

 萌亜はいつもより口数が少なかった。

 

 リオナも同じだった。

 

 エリは何かを深く聞こうとはしなかった。

 

 ただ、温かい味噌汁を出し、白いご飯をよそい、食後に小さなプリンを置いた。

 

「食べられる分だけでいいわ」

 

 萌亜は、プリンを見て少し笑った。

 

「ありがとうございます」

 

 食事の後、二人は布団を並べた。

 

 ヨルボは枕元。

 

 手首の接続補助紐には、深い青が混じっている。

 

 リオナはその青を見つめた。

 

「ムー第一封印」

 

 萌亜が布団の中で頷く。

 

「閉じる力」

 

「でも、出口を残す」

 

「うん」

 

「隠すけど、忘れない」

 

「うん」

 

 萌亜は胸に手を当てた。

 

「ヨル、静か」

 

「大丈夫?」

 

「悲しい。でも、覚えてる」

 

「そっか」

 

 萌亜は目を閉じる。

 

「ムーの人たち、怖かったんだね」

 

「うん」

 

「守りたかったんだね」

 

「うん」

 

「失敗したんだね」

 

 リオナは少し間を置いてから答えた。

 

「たぶん。でも、それだけじゃない」

 

「うん」

 

「記憶を残した」

 

「うん」

 

 萌亜は、涙の跡が残る顔で小さく笑った。

 

「だから、萌亜たちが覚えてる」

 

 リオナは手を伸ばし、萌亜の手を握った。

 

「忘れないでいよう」

 

「うん」

 

「でも、沈みすぎないようにしよう」

 

「出口、残す」

 

「そう」

 

 窓の外には、夜空が広がっている。

 

 ヨルの夜。

 

 そして、どこか深い海の底に沈むムーの青。

 

 怖い夜と、沈んだ夜。

 

 その二つが、萌亜の中で静かに重なっている。

 

 リオナは目を閉じる前に、もう一度だけ接続補助紐の青を見た。

 

 次の門は、まだ開いていない。

 

 だが、ムーは確かに一つ、記憶を渡した。

 

 守るために閉じる力。

 

 忘れないために残す力。

 

 そして、同じ海へ落ちないための、青い戒めを。

 





第34話を読んでいただき、ありがとうございました。

今回は、ムー第一門の先。

ムーが沈んだ夜を描きました。

前回までで、ムーは美しい文明だったこと、そして選定機関に観測され続けていたことが分かりました。

今回は、その文明がなぜ自ら閉じ、沈むことを選んだのかを見ています。

ムーの人々は、単純に愚かだったわけではありません。

見られ続けること。

測られ続けること。

子どもたちや祈りや愛までも、有用資産や異常信仰、繁殖効率として分類されること。

それに耐えられなかった。

だから閉じた。

守るために。

けれど、その閉鎖は同時に、未来を海底へ閉じ込める罪でもありました。

今回重要なのは、ムーの指導者がそれを美談にしなかったことです。

「これは勝利ではない」

「これは逃避でもある」

「これは防衛でもある」

「これは罪でもある」

この矛盾を、ムーは記憶として残しました。

正しかったムーだけを残さない。

美しいムーだけを残さない。

恐れたムー、迷ったムー、失敗したムーを残す。

その記憶を、リオナと萌亜は受け取りました。

今回、萌亜とヨルにとっても大事な進展がありました。

ヨルは「見られたくない」「閉じたい」という恐怖に反応しました。

それはムーが沈んだ理由と重なります。

しかし萌亜は、ヨルと一緒に「全部沈める」のではなく、「観測だけを閉じ、記憶は残す」道を選びました。

これにより、ムー第一封印が形成されました。

ムー第一封印は、限定的な観測遮断と記憶保持の防衛層です。

ただし、条件があります。

記憶を捨てないこと。

閉じる時に出口を残すこと。

守る名を忘れないこと。

これは、今後の選定機関対策としてかなり重要な防衛になります。

選定機関に見られないための力。

でも、ムーのように閉じすぎて沈まないための力。

アヴァロンの「逃げても戻る」と繋がる防衛です。

次回以降、ムー編ではさらに深い記憶へ入ります。

ムーが残した防衛機構は、まだ第一封印に過ぎません。

この先では、閉じた後に海底で何が起きたのか。

ムーの記憶を守り続けた存在は誰なのか。

そして、選定機関がなぜ今になってムーを再観測しているのかが見えてきます。

それではまた次回。

沈んだ夜も閉じることも、覚えてもらえるなら悪くない。
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